Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/1a877b3b28a849267d98878abd2552c199303108
配信、ヤフーニュースより
ミャンマー、モンゴル、バングラデシュ…。途上国を舞台に30年近く社会福祉活動を続ける団体が兵庫県新温泉町にある。主体は小中高生で、名を「子どもNGO『懐(ふところ)』」という。兵庫県北部の小さなまちから海を越え、世界とつながる「懐」の取り組みの足跡をたどった。(末吉佳希) 【写真】ミャンマー貧困地区の幼児にポリオワクチンを投与する「懐」のメンバー 夕方、同町浜坂の住宅地の一角。細い路地を抜けた先にある民家に児童、生徒が集まり、英語の教科書やノートを広げる。「懐」代表の高森拓也さん(62)が開く自宅兼英語塾で、英語以外にも子どもたちからあらゆる疑問や悩みが投げかけられる。学校、家庭、恋愛…。「ここではタブーが一切ない」と高森さん。気の置けない関係性が「懐」を長らく支えてきた。 ◆ 高森さんが海外に目を向ける活動の原体験は、自らの幼少期にある。同町の理容店の長男として生まれ、出兵経験のある祖父は登山家の加藤文太郎と親友で思い出話をたくさんしてくれた。10歳で訪れた大阪万博(1970年)は衝撃だった。各国のパビリオンはどれも満員の中、すんなりと入れたのは「ビルマ館」(現ミャンマー)。「幼心に『国によって人気に差があるなら、自分が大人になったら何とかしたい』と心に決めたんです」 冒険心は自然と培われ、高校卒業後は上京したものの、大学に行かずに1人で勉強した。家業を継ぐことも考え、理美容学校で免許を取り、都内の理容店で勤めた。だが、「自分が本当にやりたいことは何か」という漠然とした不安は残り、答えを見いだそうと世界を旅した。 家庭の事情で30歳で帰郷し、実家を手伝う傍ら、知り合いの子の家庭教師を偶然引き受けた。口コミで教え子が増え、ささやかな英語塾を開いた。今の「懐」につながる。一方、時間があれば旅に出た。アフリカ、レバノン、コソボなど途上国や紛争の絶えない国々を訪ねた。帰国すると、異国の体験を子どもたちに語りかけた。圧倒的な事実に小さな目が見開く。自分の体験が人を動かす可能性を感じた。 1995年に「懐」を立ち上げ、98年には子どもたちを連れて世界を巡る「夢便」が実現。第1便としてネパールの難民キャンプに日本で集めた文房具を届けた。学習の機会を与えたい思いで贈った物資は後に路上で売られ、お金に替わっていた。複雑さに驚く子どもたちには「巡り巡って、食料になる。生きるための手段」と冷静に説いた。 同年冬の夢便第2便では、ミャンマーとベトナムを訪問し、ポリオワクチンの接種などを見学した。日本で募った寄付金でワクチンを買い、メンバーの子どもたちが幼児に直接、経口で投与する機会も与えられた。「物事を考えるためには比較対象が必要で、子どもたちには自分と世界の子どもたちの違いを感じてほしかった」と高森さんは振り返る。 また、2001年9月に米ニューヨークの国連本部で開かれる「国連子ども特別総会」に日本のNGO代表として参加し、各国の同世代と意見を交わす機会も与えられたが、開催直前に起きた爆破テロで延期を余儀なくされた。高森さんは「世界にはどうしようもない理不尽さがある。それを学んで強く成長してほしい」と、子どもたちに伝えたという。 ■ミャンマーで学校再建/「東日本」被災地支援… 活動の場所は海外だけではなかった-。2011年の東日本大震災後に始まった被災地支援も大切な活動の一つ。仮設住宅を訪れ、住民の困り事に耳を傾け、草刈りや掃除を手伝った。現地支援が手薄になる年末にも訪れ、セコガニ汁の炊き出しなどを重ねた。「身寄りのない高齢者の中には、メンバーの子どもたちを孫みたいにかわいがる人が多かった。そういう出会いも必要なこと」と高森さんは力を込める。 最近は、新型コロナウイルス禍で海外渡航が難しい状況だ。それでも「懐」の歩みは止まらない。20年にはメンバー全員でマスクを約700枚手作りし、国際郵便で感染者が急増するミャンマーの貧困地区に届けた。現地では、08年に同NGOが再建に関わった「テッシン僧院小学校」が窓口となって村内に配布した。何度も重ねた交流が活動を支えてくれた。 「子どもたちに世界を見せたい」と始まった「懐」の約30年にわたる活動の日々。「命とは、生きるとは、平和とは何か」と伝え、中には医師になった卒業生もいる。最近は、教え子の子どもたちも通い始めた。「どおりで時間がたつわけです。あれもこれも、地域の支え、理解があってこそ」と高森さんは目を細める。
0 件のコメント:
コメントを投稿