2018年9月25日火曜日

チベット仏教僧の脳波がヤバすぎることがデータで判明! 常人の800倍強烈な●●に学者困惑「科学では説明がつかない」

Source:https://news.nifty.com/article/item/neta/12262-093298/
 2002年、瞑想中の脳波を計測するため、米・ウィスコンシン大学マディソン校に、21人の瞑想マスターが招かれた。この実験で精神科医のリチャード・デイヴィッドソン教授はとんでもない発見をすることになる。
 特に研究者らのド肝を抜いたのは、チベット仏教僧ミンギュル・リンポチェだ。1975年にチベットとネパールとのヒマラヤ国境付近に生まれたミンギュル・リンポチェは、13歳にして3年間の瞑想修行に入った。そこで密教における秘儀の1つであるマハームドラー(大印契)を修め、幼少の頃より悩まされていたパニック障害を克服。17歳にして僧院の瞑想指導を任されるようになった天才である。その後も瞑想修行は継続され、実験が行われた時点での総瞑想時間は6万2千時間(約2500日)に達していたという。
 そんなミンギュル・リンポチェの脳波はやはり常人とはまったくの別物だった。知的情報サイト「Big Think」(9月13日付)で、心理学者のダニエル・ゴールマン博士がその異常っぷりを伝えている。
「オリンピックレベルの瞑想修行者の脳波を見て驚いたのは、どんな時にでもガンマ波がとても強いということです。瞑想中だけでなく、1日中どんな時でもガンマ波が強いのです。その理由は我々にも分かりません。科学はこのようなものにこれまで遭遇したことがないからです」(ゴールマン博士)
 ゴールマン博士によると、ガンマ波は、何カ月も悩み続けた問題が解決できたときなどに0.5秒ほど検出されたり、リンゴを食べたり、リンゴを食べることをイメージした時、その味・音・匂い・景色を統合する際にコンマ数秒ほど検出されるとのことだが、どれも極めて短い時間しか持続しないという。また、未知の物事を瞬間的に認識した時に起こるいわゆる「アハ体験」でもガンマ波が検出されると言われている。
 しかし、ミンギュル・リンポチェをはじめとした熟達した瞑想修行者の脳では、ガンマ波が持続的に検出されたのだから驚きと言う他ない。さらに、瞑想中にはそのレベルが驚異的に上昇することも判明した。
 ミンギュル・リンポチェにfMRIに入ってもらい、慈悲の瞑想をしてもらったところ、瞑想状態に入って数秒で、ガンマ波のレベルがそれまでの700~800倍に跳ね上がったというのだ。これには研究者も開いた口が塞がらなかったという。
「こんなことは科学では知られていないことです。瞑想熟達者の特殊な意識状態は、何世紀も前に書かれた瞑想体験談に描かれている非日常的な意識状態と同じものだと考えられます。つまりこれが解放、悟り、目覚めなどと呼ばれる状態なのでしょう」
 ミンギュル・リンポチェらはこの状態を「ゆったりとして、広がりがあり、どんなことにも準備ができている状態」と語っていたという。先述したように、ガンマ波がアハ体験を引き起こしているとすれば、ガンマ波が持続的に出ている瞑想熟達者は常にアハ体験をしており、瞑想時には強烈なアハ体験をしていると考えられなくもないが、実際のところは体験してみないことには分からない。
 いずれにしろ、悟りにガンマ波が関係しているとすれば、悟りの状態を人工的に引き起こすことも可能になってくるだろう。瞑想は犯罪抑止や精神不安にも効果的と言われていることから、実現すれば現代社会が抱える多くの問題が解決されるかもしれない。今後の研究にますます期待したい。
(編集部)

インドに残る違法な児童婚 貧困が招く悪習の連鎖

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180923-00010009-nikkeisty-life
9/23(日) 、ヤフーニュースより

 インドには、児童婚の風習が残る地域がある。結婚とは何かを理解するにはあまりにも幼すぎる少女たち。ニューデリーを拠点に活動する、ロイター通信社の写真家サウミャ・カーンデルワル氏が、少女たちに話を聞いた。

 カーンデルワル氏は、タージ・マハルのあるウッタル・プラデーシュ州の州都ラクナウで生まれた。子どもの頃、インドに児童婚の風習があることは知っていたが、実際にそれを経験したという人は、周囲にはいなかった。だが、ラクナウから約200キロしか離れていないシュラーバスティーでは、8歳の幼い少女たちが、家族の意思で結婚させられている。ここはネパールとの国境沿いにある貧しい地区で、同じ州内とはいえラクナウとはまるで世界が違う。

 2015年、カーンデルワル氏は小さな花嫁たちの写真を撮るため、ニューデリーとウッタル・プラデーシュ州を行き来するようになった。「もしシュラーバスティーに生まれていたら、私もこの少女たちのひとりになっていたかもしれません」と語る。

 法的には、インドで児童婚は認められていない。1929年に、この風習を違法とする法律が定められ、2006年に改正された。現在のインドでは、女性は18歳以上、男性は21歳以上でなければ法律的に結婚できない。これに違反して、結婚させたり、結婚を許可したりした親や年上の配偶者は、最高2年の懲役刑に処せられる。

 この10年間で児童婚の数はかなり減少したが、今でもインドは児童婚の数が世界一多い。児童婚撲滅に取り組む団体「ガールズ・ノット・ブライズ」によれば、インドの女の子の4分の1以上が、18歳になる前に結婚しているという。

■貧困が選択肢を奪う

 カーンデルワル氏は、児童婚をした少女たちの写真を撮ろうと決めた当初、娘を嫁に出そうという家族の背景には、伝統や家父長制度があるのだろうと考えていた。しかし取材を始めてみると、それ以外にも、貧困、教育の欠如、そして不安定な生活が大きく関係していることに気づかされた。

 シュラーバスティーで、ある幼い花嫁の母親にインタビューをしたときのことである。この母親自身も、幼くして結婚した。なぜ自分の娘にも同じ運命を負わせるのかと尋ねると、できればそんなことはしたくないけれど、他に選択肢がないのだという答えが返ってきた。彼女の夫は日雇い労働者で、彼女と子どもたちは、たきぎを集めて売りながら、その日暮らしの生活を送る。何か不可抗力の出来事が起こる前に、娘たちを嫁に出した方がいいのだという。「もし明日洪水にでも見舞われて家を失えば、娘を結婚させるときに必要な持参金を出してやることができません」
ここでは、娘は家族のお荷物と考えられている。カーンデルワル氏は、ムスカーン(仮名)という少女に出会った。明るく活発な女の子で、彼女に会うために何度もシュラーバスティーを訪れた。ムスカーンの家には、他に娘が2人いる。「娘が3人ということは、費用も3倍、持参金も3倍ということです」と、カーンデルワル氏は説明する。結婚してから新しい夫と暮らすようになるまでの間、娘を学校へ通わせ続ける家族もいるが、14歳で結婚させられたムスカーンは、父親によってすぐに学校を辞めさせられた。それ以来、料理や家事を覚えるために家にこもる。

 カーンデルワル氏は、結婚したばかりのムスカーンを訪ね、今何を思うか聞いてみた。「彼女の言葉は、特に胸に突き刺さりました」と、カーンデルワル氏は振り返る。「『何か思うことなんてあるの? こうなるしかなかったのよ』と言われました。少女たちがいかに無力で、希望もなく生きているかを示しています。女性である自分たちだって、仕事を持つことができるということも知らないのです」

 結婚後に孤立してしまう花嫁も少なくない。小さな村では仕事がないので、若い男たちは遠い町へ出稼ぎに行く。妻は夫の家族と一緒に住み、新婚夫婦は電話でしか話ができない。

 「たった15歳の子どもに、結婚とは何か、夫婦関係とは、家を切り盛りするとはどういうことかを理解しろといっても無理な話です。教育も受けず、生まれてくる子どもにも同じ運命が待っています。そもそもお金だってないし、子どもを産むには若すぎます。この悪循環を断ち切ることはできるのでしょうか」
 シュラーバスティーで2年半にわたって幼い花嫁たちを写真に収めてきたカーンデルワル氏は、インドのほかの地域でも同じように結婚を強いられている少女がいることを知った。ニューデリーのような大都会ですら、まだこの風習が残る。そこで、今度はこうした地域へ取材しに行こうと計画している。児童婚は違法であり、数は減ってきているものの、目立たない所ではまだ盛んに行われているということを知ってもらいたいと、カーンデルワル氏は語った。
文 Nina Strochlic、訳 ルーバー荒井ハンナ、日経ナショナル ジオグラフィック社

在留外国人、最多の263万人=留学生増など影響―法務省

Source: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180919-00000085-jij-pol
9/19(水) 、ヤフーニュースより
 法務省は19日、在留外国人数(速報値)が6月末時点で前年末比2.9%増の263万7251人となり、過去最多を更新したと発表した。

 同省は留学生や留学後に日本で就職する外国人が増えていることが背景にあると分析している。

 在留外国人は、就労や留学などの中長期在留者と特別永住者の合計。政府は深刻化する働き手不足に対応するため、来年4月に新たな在留資格を創設し、外国人労働者の受け入れを拡大する方針で、在留外国人数は今後、さらに拡大しそうだ。

 在留外国人を国籍・地域別にみると、中国が74万1656人で最多。以下、韓国(45万2701人)、ベトナム(29万1494人)、フィリピン(26万6803人)、ブラジル(19万6781人)、ネパール(8万5321人)と続く。近年はベトナムとネパールの増加が顕著だ。

 今年上半期の外国人入国者数(速報値)も、前年同期比15.4%増の1538万8630人で、過去最多となった。外国人観光客の増加が要因とみられる。

 7月1日時点の不法残留者は1月1日時点から4.3%増えて6万9346人。国籍・地域別では韓国(1万2822人)、中国(9459人)、ベトナム(8296人)、タイ(6860人)が多かった。法務省は1月から難民認定制度を厳格化しており、認定されなかった外国人がそのまま不法滞在するケースが増えているようだ。

介護福祉士めざす留学生が急増 介養協が相談窓口を開設

Source: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180919-00010000-fukushi-soci

9/19(水) 、ヤフーニュースより
 日本介護福祉士養成施設協会(介養協、澤田豊会長)は10日、介護福祉士を目指す外国人留学生のための相談窓口を開設した。専門スタッフを配置し、電話で受け付ける。学習を円滑に進め介護の仕事に就くよう支えるのが狙いだ。日本人の入学者の減少に歯止めがかからない中、今年4月入学の留学生は前年の2倍に当たる1142人(20カ国)に急増。介護の担い手として大切に育てることが必要と判断した。

 留学生の伸びは著しい。2014年度は5カ国17人だったが、15年度は9カ国94人、16年度は15カ国257人、17年度は16カ国591人と増えた。出身国はベトナム、中国、ネパールが大半を占めている。

 現在、介護福祉士養成施設は365校。そのうち留学生がいるのは約130校で、首都圏や近畿圏に多い。

 相談窓口の設置は、厚生労働省の補助事業(1億3000万円)として採択された。現役の留学生だけでなく、既卒者や外国人を介護人材として受け入れている介護施設からの相談も受け付ける。

 相談内容によっては介養協のブロックごとの役員が個別に養成施設を訪問する。また、留学生の実態を把握するため、9月下旬には会員の養成施設に調査票を送り、年内に調査結果をまとめる。

 相談窓口の電話番号は0120・07・8505で、平日10時から午後1時と午後2時から6時まで。英語や中国語などで対応できる専門スタッフ1~2人が対応する。メールでも受け付ける。

 これらとは別に、介養協は10月にも主に東南アジア諸国向けに日本の介護の実態を紹介するホームページを作る。留学希望者に養成施設や就職先の状況など発信。チラシも作り、国内外の日本語学校や大使館に配付する。

  ◆日本人は依然、減少

 留学生の受け入れや日本での定着に力を入れる背景には、日本人の入学者減がある。

 同日、介養協は今年4月入学の介護福祉士養成施設の定員充足率が前年比1.5ポイント減の44.2%だと発表した。

 入学定員1万5506人に対して入学者は6856人だった。入学者のうち学費の一部を雇用保険で補てんされる離職者訓練制度対象者は前年比3割減の867人。留学生の増加とは対照的な結果となった。

ネパール人男性はなぜ死んだ。「移民」はいないが外国人労働者に頼る日本といびつな入管制度

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180917-00010000-binsider-soci
9/17(月) 、ヤフーニュースより

2017年3月、検察官の取り調べ中にネパール人の男性が死亡した。

料理人として来日した男性は当時、仕事に就かずにホームレスになり、他人のクレジットカードを持っていた疑いで警察に逮捕された。

この数年、国内の多くの業種で人手が不足している。そんな日本に働きに来た外国人がなぜ、ホームレスになったのか。男性の足取りをたどると、「移民」はいないとする、この国の出入国管理制度のいびつさが浮かんできた。
検察官の取調べ中に急変し、死亡
男性は、ネパール人のアルジュン・バハドゥル・シンさん(当時39歳)だ。

2017年3月13日午後、東京・新大久保の店を訪れたアルジュンさんが、おもちゃの紙幣で商品を買おうとしたため、店側が警察に通報。警察官が所持品などを調べたところ、他人名義のクレジットカードが見つかった。

カードは遺失物の届けが出ていたため、14日未明にアルジュンさんは占有離脱物横領の疑いで警察に逮捕された。

15日朝、警察の留置施設でアルジュンさんがふとんを廊下に投げるなどしたため、警察署員らが制止し、午前6時51分ごろ、手錠をし、両足首と両ひざを拘束した。拘束を継続したまま、検察庁に送致。同日午前10時45分ごろから、検察官の取り調べが始まったが、アルジュンさんは机をたたくなどしたという。検察官の指示で手錠を片方だけ外し、その他の拘束は継続した。

その直後、イスの上で白目をむくようにして後方にのけぞり、ぐったりとした。午前11時ごろ、119番通報し、拘束をすべて外した。病院に搬送されたが、午後2時47分に死亡した。

アルジュンさんの死から1年余りが過ぎた2018年7月、妻のアンビカ・ブダ・シンさん(40)が、取り調べをしていた氏名不詳の検察官らを、業務上過失致死の疑いで新宿署に告訴した。国と東京都を相手に約6935万円の損害賠償を求める民事訴訟も起こしている。

アルジュンさんの死亡に関する経緯の詳細は、2018年7月26日付でBusiness Insider Japanで報じた。
「家族のために日本に行こう」
「楽しい思い出も、悪い思い出もあるけれど、私にとってはいい夫でした」

裁判のために来日したアンビカさんは、夫のアルジュンさんについてこう話す。

同じ歳の2人は17歳で結婚した。保健・医療施設で患者の世話をする仕事の経験があったアルジュンさんは、村で薬を売ったり、患者の世話をしたりして現金収入を得ていたという。

ネパールはアジアでもっとも貧しい国のひとつだ。農村では、世帯から少なくとも1人の男性が日本や中東、インドなどに出稼ぎに出て、家族を支えることが多い。アンビカさんの父も以前、サウジアラビアに出稼ぎに出ていたという。

村からも男たちが出稼ぎに出ていく中、アルジュンさんとアンビカさんも出稼ぎについて話し合うようになった。

「家族の将来のため、日本に行こう」

日本円にして100万円ほどの渡航費用は、借金をして工面した。アンビカさんの話では、自宅や土地を担保にしたようだ。

この際、アルジュンさんが日本大使館に申請した日本での在留資格は料理人としての「技能」だった。
給料払えなくても受け入れる
料理人としての実務経験はなかったが、ネパール側のレストランや、日本側で受け入れを予定するレストランに謝礼を支払い、書類を整えた。

東京や首都圏の複数のネパール人料理店経営者に話を聞くと、謝礼を支払うと、料理人としての実務経験を証明する書類など必要書類を用意するブローカーも存在するという。

アルジュンさんが初めて来日したのは、2011年12月ごろのことだ。アンビカさんによれば、最初は大阪の料理店に勤めていたというが、名古屋の料理店にいたという人もいて、正確なところははっきりしない。4~5カ月に一度、送金業者を通じて、アルジュンさんから1~2万円ほどの仕送りがあった。

ネパール側では「日本にいけば、仕事に困らない」と言われているが、日本側の現実は厳しい。

ネパール料理店の経営者たちによれば、ネパール人が経営する料理店の多くは経営が厳しい。売り上げが限られ、従業員に給料を支払えない店も多い。

従業員のネパール人たちは狭い部屋に、4~5人が同居するケースも多い。満足に給料が支払われず、狭い部屋での同居が続けば、次第に不満が蓄積し、トラブルになることも少なくない。

それでも、日本側のネパール料理店の経営者は、ネパールから新たに「料理人」を受け入れる。まとまった額の謝礼が支払われるからだ。

経営者のひとりは「おいしい料理で喜んでもらおうと、まじめに経営している人も多いが、中にはネパールから人を呼び寄せるのを目的に店を持っている経営者もいる」と指摘する。
「料理人」の来日ラッシュ
2014年ごろから、料理人の「技能」の資格で来日する人は一気に増えた。2014年と2015年を比較すると、「技能」の在留資格で国内に滞在するネパール人は2722人増え、1万134人に。2015年から2016年もさらに、2346人増えている。

アルジュンさんはネパールに一時帰国し、2016年11月下旬に再来日した。

この時期、各地にネパール料理店が増えたが、競争も苛烈になっていた。短期間で店を閉めるネパール料理店が相次ぎ、仕事にあぶれるネパール人の料理人も少なくなかった。同じ場所にネパール料理の店はあっても、店の名前や経営者は、1年もたたずに変わっていく。

経営者のひとりは「仕事がないか、と相談に来る人が多かった時期だ。ホームレスになった人、酒におぼれる人もいた。中には、自殺した人もいた」と話す。

製造業や建設業の現場では外国人向けの求人も多いが、ネパール料理の「技能」で来日した人は、原則として料理以外の仕事はできない。経営者の都合に振り回されて仕事を失っても、料理人の仕事以外の逃げ場はない。
外国人労働者は10年で2.6倍に
日本では、15歳~64歳の生産年齢の人口の減少が続く。2016年の生産年齢人口は約7665万人。1997年と比べて約1034万人減った。

人口の減少とともに、日本の企業の人手不足感は増している。帝国データバンクが2018年1月に実施した調査では、51.1%が「正社員が不足」と回答。非正社員についても34.1%が「不足」と答えた。飲食店の分野では、74.1%が非正社員が不足していると答えている。

こうした人手不足を補う形で、外国人労働者は急激に増えている。

外国人労働者数は2008年の時点で48万6398人だったが、2017年には127万8670人になっている。10年で2.6倍になった計算になる。ネパールからの料理人の来日ラッシュも、外国人労働者が一気に増えた、この10年の流れの中に位置づけられる。

ただ、ネパール料理店の経営者らの間では、直近の1、2年は、新たに来日する料理人は減ってきたと言われる。数字のうえでも、「技能」の資格で在留するネパール人は、2015年~2016年には2346人増えたが、2016~2017年の増加分は10分の1以下の226人にとどまっている。

経営者のひとりは「最近、ビザの審査は厳しくなった。5分ほど話をすれば、本当に料理人の経験があるかどうかは、すぐにわかるからね」と話す。
閉店と開店を繰り返すネパール料理店
アルジュンさんは再来日後、ネパール料理店で仕事に就いたが、長続きしなかったようだ。再来日から2カ月余りがすぎた2017年2月ごろには、東京・新大久保でホームレス状態になっているアルジュンさんを目撃したという人もいる。八王子の公園で寝泊まりしていたという話もあった。

新大久保界隈のネパール人コミュニティの人たちは、航空券を購入するためカンパを募り、アルジュンさんに帰国を促したという。

2016年ごろにアルジュンさんが働いていたネパール料理店は、都心からJRと私鉄を乗り継いで1時間ほど離れた、さいたま市内にある。

最寄りの駅から徒歩で20分ほど離れた商店街にその店はあったが、店の名前は変わっていた。2階建ての一戸建て住宅を真ん中で半分に割ったような構造で、建物の半分には別の居酒屋が入っているようだ。店の外にはインド・ネパール料理と書かれ、店内には6人ほどが座れるカウンターに、2人がけのテーブルがひとつあった。

店には、ネパール人の若い男女がいた。店の2階で暮らしているという。「アルジュンさんを知っているか」と聞いてみると、「オーナーが代わったばかりで、まだ店をあけていない。私たちもここに移ってきたばかりで、わからない」と話した。

妻のアンビカさんには、アルジュンさんが来日した際の借金が残った。異国での裁判に踏み切った理由をたずねると、アンビカさんは言った。

「道に落ちているクレジットカードを拾うのは、人が死ぬようなことなのですか」

(文、写真:小島寛明)
小島寛明 [ジャーナリスト]

2018年9月12日水曜日

介護福祉士、養成学校への入学が最少…留学生は倍増、6分の1占める

Source: https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20180912-OYTET50023/
2018/9/12 GOOGLEニュースより


 介護現場で指導的役割を担う介護福祉士を養成する学校への今年度の入学者数が過去最低を更新する一方、外国人留学生が倍増し、全体の約6分の1を占めることが、日本介護福祉士養成施設協会(東京)の調査でわかった。
 海外で日本の介護市場への関心が高まる一方、介護職を目指す日本の若者の減少には歯止めがかかっていない。
 協会が介護福祉士の養成課程がある全国の大学や専門学校など365校について調査、集計した。今年度の入学者数は6856人と5年連続で減少し、定員に対する割合(定員充足率)は44・2%にとどまった。
 外国人留学生は前年度の約2倍の1142人に急増し、入学者全体の16・7%を占めた。出身国も20か国からと多様化し、ベトナムが542人で最も多く、中国(167人)、ネパール(95人)が続いた。
 留学生急増の背景には、昨年9月、「改正出入国管理・難民認定法(入管法)」の在留資格に「介護」が追加されたことがあるとみられる。留学で来日した後、介護福祉士の資格を取得して就職が決まれば、最大5年の在留資格が得られ、繰り返し更新できるようになった。
 昨年11月には、外国人の技能実習制度の対象に「介護」が加わり、今後、実習生に外国語で指導も行える有資格者の需要が高まり、待遇向上が期待できることも留学意欲につながっているとみられる。
 一方、日本人の入学者数の減少には歯止めがかかっていない。東洋大の高野龍昭准教授(高齢者福祉)は、「専門性の高い介護人材の確保という視点からも重要な資格。さらなる処遇改善やイメージアップの取り組みが必要だ」と話している。
介護福祉士 高齢者や障害者の介護に関わる国家資格。介護の専門知識や技術を有し、ヘルパーなど他の介護職員への指導を行うなど、現場リーダーとしての役割が期待される。

中国がネパールに海港4カ所を開放、「取り込み」強化でインドからの引き離し

Source: https://www.recordchina.co.jp/b642972-s0-c10-d0142.html
2018年9月11日(火)、GOOGLEニュースより

中国メディアの観察者網は9日、「インドの独占を打破、中国が海港4カ所をネパールに開放」と題する記事を発表した。ネパールはこれまで、物流の大部分をインド経由のルートに頼ってきた。そのため、インドとの関係緊張で、物流を止められ国内が大混乱したことがある。中国は「一帯一路」政策と絡めてネパールの「取り込み」を図っていると見られる。その背景には、インドとの対立もある。 

中国とインドは現在は双方とも安定した関係の構築を望んでいるように見えるが、国境問題を抱えていることもあり、潜在的な「敵対国」と評しても過言ではない。中国は、インドと対立関係にあるパキスタンとは極めて緊密な関係を築いている。中国はネパールの「取り込み」も狙っていると考えてよい。 

観察者網によると、ネパールでは7日、中国側が天津、深セン(広東省)、連雲港(江蘇省)、湛江(広東省)の港をネパール側に開放することで両国政府が合意したとの報道があった。さらに、中国は蘭州(甘粛省)、ラサ(チベット自治区)、シガツェ(同)の通関と道路施設もネパール側に開放した。 

ネパールはこれまで、ヒンズー教を基盤とする文化が極めて近いという背景もありインドと緊密な関係を構築してきた。両国間ではビザはおろかパスポートすら持たず住民が行き来している。ところが、2015年に公布されていた新憲法で、インドが自国系住民の権利の明記を求めていたがネパール側が応じなかったことで両国の関係がこじれた。インドはネパールに通じる主要道路を約5カ月に渡り封鎖。ガソリンやボンベ入りガス、食糧、衣類、日用品の供給がストップしたため、ネパール社会は大混乱した。 

その後も、ネパール国内で広く流通しているインドルピー紙幣に関連するインド側の措置で、ネパールは混乱した。その一方で、ネパールに急接近したのが中国だ。2017年にネパールが中国の「一帯一路」構想参加を決めると、チベット自治区からネパールに通じる鉄道の建設を発表。また、ネパールでは同年12月の総選挙でネパール共産党毛沢東主義派が勝利し、親中派のオリ政権が発足した。 

ネパールにとって、インドを経由しない陸路を確保することは「安全保障」につながることになる。観察者網は、ネパール政府関係者が中国の港が利用可能になったことについて「日本や韓国、東南アジアとの輸出入で時間を節約でき、市場開拓にも役立つ」と高く評価したと伝えた。 

ネパールが物流の大部分を中国経由のルートに頼ることもあまり現実的ではない。また、今度は中国の意向に逆らえなくなるという問題も発生する。 

インドにあるチベット亡命政府のロブサン・センゲ首相は2018年4月、中国への配慮から国境管理が強化され、亡命がより困難になったり、亡命後にネパールで暮らすチベット人への文化的抑圧が強まったりする恐れがあるとの懸念を示した。(翻訳・編集/如月隼人

東京に次いで2位!なぜ愛知県には「外国籍住民」が多いのか

Source:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57086
2018.8.23 GOOGLEニュースより
愛知県は東京に次いで全国第2位242,978人(平成29年末)の外国籍住民が住んでいる。名古屋市では今年7月、外国籍住民の数が8万人を超えた(中日新聞、8月8日、名古屋市内版)。
名古屋市の外国籍別の上位5ヵ国は中国、韓国・朝鮮、フィリピン、ベトナム、ネパールだ。その中でも、ベトナム、ネパールは昨年末から約千人ずつと急増したという。他の国籍は、ほぼ横這いにもかかわらず、なぜ今、名古屋にベトナム、ネパール国籍の人たちがこんなにも急増したのだろうか。
日本に住む、ネパールとベトナムの二人の話しから、この二つの国籍が増えた理由について探る。そして、僕のフィリピン人妻ミカが通う日本語教室から見えてきた、日本国内の国際化と、これからも増えるであろう、外国籍の人達への受け入れ体制のあり方について考えていく。 

ネパール人留学生の「本当の来日目的」

「最近、専門学校から出てくるほとんどの人が外国人なんですよ。どうしてこんなに増えたんでしょうか?」
名古屋市中区で働く僕の知り合いが、ここ2、3年で増えた専門学校から出てくる外国人たちの姿を見て、不思議そうにこう言う。その専門学校の近くのコンビニに行くと、ネパール人の店員さんが流暢な日本語で接客してくれる。
在日15年以上のネパール人、デニスさん(仮名)に、名古屋にネパール人が増えた理由を聞くと、
「それは時給が高いから。今、ネパールから留学で来る人は、沖縄とか福岡が多いです。でもその辺は時給が低い。同じ仕事をして給料高いなら、こちらに来るでしょ。沖縄や福岡の日本語学校を卒業してから、名古屋の専門学校に入学する人が多いです」と答える。
愛知県の最低賃金は871円、全国で第4位になる。沖縄や福岡に比べると100円近くも差がある。そんな留学生たちを受け入れる、日本語学校や専門学校を名古屋市内では、多く目にする。
デニスさんは、2004年に「留学」で日本に来た。愛知県内の日本語学校、私立大学、大学院、会社員を経て、現在、名古屋大学大学院博士課程に通っている。
デニスさんは、自分が留学で日本に来た時と、今、留学で来ているネパール人は違うという。
「今、日本に来ている留学生の半分ぐらいはアルバイトするために来ているね。僕の時はそんな人ほとんどいなかったけど、ここ数年で変わった。僕は義兄さんが愛知県の大学で博士まで出た。その紹介で、僕も日本に来た。当時は、ネパールに斡旋会社なんかもなかったから、全部自分で調べて日本に来ましたよ。でも今はネパールに沢山、斡旋会社があります。彼らはそういうところから日本に来てますね」
今、名古屋市内のコンビニ、レストラン、居酒屋、ホテルなど様々なところで、ネパール人を見る。彼らの多くは、日本の都市の中でも少しでも時給の高い名古屋に来て、日本語学校や専門学校に通いながら、アルバイトしているのだという。
そんなネパール人留学生とともに働く日本人からは、「彼らは真面目で働き者」という声が上がる。
名古屋市内にあるコンビニの店長は、ネパール人留学生についてこう語る。
「募集をかけても日本人の応募なんてほとんどありません。それに日本人の人だと2、3ヵ月で辞めてしまう人が多い。でも留学生の人は言い方悪いんですけれど、お金に切羽詰まっている人が多いので、シフトを入れればきちんと働いてくれし、学校に通っている間は辞めない。それに真面目な人も多い。日本人の学生よりも頼りになります」。
留学生の中には、日本に来るために約100万円もの借金をする人もいるという。そして、日本語学校や専門学校の学費もかかる。それらを払うため、日本で生活をするためにアルバイトをしなければならない。そうした事情があり働かなければならない彼らが、コンビニやレストランなど、人手不足の職場を支える。
「日本はどんどん留学生を受け入れると言っているけど、僕は受け入体制は不十分だと思いますね。まずは言葉の問題。英語で研究したくても、大学の授業は日本語ばかり。次に生活の問題。奨学金をもらえればいいけど、自分で学費を払って日本で生活するとなると、勉強なんてする時間ありませんよ。
留学生に対する卒業後の就職支援も弱い。大学院を出た後一度就職したけれど。大学の就職支援なんて役に立たなかった。結局ハローワークに行って就職を決めたけど、給料は手取りで17万円。それで家賃やら食費を払ったら、残りは2、3万円。何のために日本に来て、大学院まで行ったのと。ガッカリしました。それだったらネパールにいても変わらない」
異国の地日本に留学して、学び、卒業した後、希望通りの条件の職に就くのは難しい。
また、留学生は週28時間しか働けないという壁もある。だが現状は、アルバイトを掛け持ちしたりしてルール違反をしなければ生活できない。
 
「それにね、留学で来ているネパール人の中には、卒業しても日本にいるために、日本語学校や専門学校に入り直して、アルバイトをする人も多いんですよ」
在留資格を取るために、卒業と入学を繰り返す留学生たち。そんな彼らが、日本人の応募が少ない仕事を回していく。だがアルバイトを繰り返すだけで、彼らが将来何か役に立つ知識が身につくのだろうか。

ベトナム人技能実習生の悲哀

「愛知は仕事が多いですからね」
2012年に留学のため日本に来て、現在はベトナム語の通訳として働くフォンさん(仮名)は、近年、愛知県にベトナム人が増えた理由に仕事の数が多いことを上げる。
愛知県は、トヨタ自動車をはじめとして、製造業が盛んな地域である。90年代には、日本人が集まりにくい3K(キツイ、汚ない、危険)と言われる仕事に、南米などから多くの日系人が働きに来た。
だがリーマンショックを期に、職を失う日系人も増え、帰国した人たちも多く、その後は数を減らしていった。そして今、日本は再び人手不足となり、そこにベトナムなどからの技能実習生たちが入ってくるようになった。
彼らが就く業種は、自動車部品やプラスチック成型、溶接、食品加工など多種多様だ。そしてネパールの人たちと同じようにベトナムからの留学生も増えている。
「ベトナム人による、万引きも多いですね」とフォンさんは言う。
インターネットで「ベトナム人 万引き 愛知」で検索すると、ベトナム人による万引き事件の報道が数多く出てくる。
「犯罪は悪いことです。でもしょうがない部分もあると思います。実習生は職場を変えることができない。勤め先が嫌だと逃げるしかない。それに、日本に来る時に送り出し機関に多額の手数料を払い、借金をしている人もいます。みんなお金に困っている。だから万引きに走るんですね」
僕も2年前に日雇の工事現場の仕事をしていた時、ベトナム人の実習生と思われる男性が、同僚の日本人から「バカ!」と怒鳴られ、ヘルメットの上から何度も頭を叩かれていた。日本人ならすぐに辞めてしまうような職場でも、彼らは制度上、転職することができない。職場の環境に耐えられなくなり、逃げ出してしまう実習生もいる。
「技術が上がっても昇給することも、昇進することもない。在留資格の期限が来ると本人たちが日本にいることを希望しても、会社も雇いたくても雇えない。だから帰りたくない人は、オーバーステイします」
不法就労や、日本にいるために偽装結婚するベトナム人もいるという。こう聞くと、ベトナム人による犯罪が増える、治安が悪くなる、と思われるかもしれない。だがこうした現状を生み出しているのは、彼らだけの責任ではない。日本行きを希望する彼らと、日本の受け入れ制度の間に歪みがあるのだ。この歪みが彼らを悪い方向に陥らせてしまっている。
 
「生きるために悪い方に行ってしまう」ネパール人のデニスさんも、ベトナム人のフォンさんも同じように言う。
政府は来年4月に人手不足を補うために、外国から単純労働の受け入れ開始を目指すという。だが彼らは日本の人手不足を補う目的で来日するのではない。日本に来る理由は、日本で母国よりも稼ぐため、良い暮らしを手に入れるため、豊かになるためにだ。いつまでも人手不足を補うためだけに働かせていたら、彼らに不満が溜まるのは当たり前だ。

外国人向け日本語教室ボランティアの実態

さて、昨年7月に子供が生まれた僕のフィリピン人妻ミカは(過去記事はこちらhttps://gendai.ismedia.jp/articles/-/51531)、今年4月から、毎週日曜日に愛知県春日井市にある、地域のボランティアが開いている日本語教室に通い始めた。
「まだ子供小さいし、今度でいいんじゃない?」と、乗り気じゃないミカを、強引に連れて行き、クラス分けの面談を受けた結果、3クラスあるうちの一番レベルの低い1。
その中でも、ひらがなカタカナの読み書きからという初歩の初歩からのスタート。日本に来日して7年。フィリピンパブで働いている頃は客と日本語で会話をし、日本語の字幕のカラオケを歌い、客とやりとりするメールもほとんど日本語。それに日本で子供を生んだ彼女は、「ひらがな、カタカナなんて書けるよ」と、文句を言っていたが、いざ授業が始まり書いてみると書けない字が多い。
会話も普段は気にしていなかったが、例えば、「私は」や「私が」、「てにをは」などの助詞の使い方はめちゃくちゃ。僕も彼女に伝わらなさそうな、少し難しい言葉は、簡単な言葉で伝えたり、英語やタガログ語の単語で言い換えて話していたから、他の人と話す日本語がうまく身に付いていなかった。
授業が終わると。「あー疲れた。でも気持ちが良い、疲れだね。私、勉強好きだよ」
授業の前の日には、ノートに「あ、い、う、え、お」と書いていき、「ちょっと問題出してよ」と単語の書かれた紙を手渡され、僕は「自転車」「コーヒー」「椅子」「机」など書かれている言葉を読んで、ミカはそれをひらがなとカタカナでノートに書いていく。
日曜日の朝になると、僕よりも先に起きて準備をする。そして日本語の授業の間、僕は子供と二人の時間を過ごし、正午に終わると、「今日は、ひとつ、ふたつ、みっつって数の数え方を勉強した」などと車の後部座席で嬉しそうに話す。
勉強すれば勉強するほど、彼女自身も自信がついているようだ。
「頑張って日本語できるようになるよ。そうすれば子供が大きくなっても困らないでしょ」
子供のために、彼女はこれから日本語を頑張ると、とりあえず今の所は、そう決意している。
ミカの通う日本語教室には、約80名の外国籍の人たちが受講している。授業料は無料。講師は定年退職したボランティアの人たち。もちろん日当なんて出ず、出たとしてもコーヒー1杯ぐらい。それでも、日本語を学びに来る外国籍の人達のために、熱心に教えてくれる。
参加する受講生の国籍は、ベトナム、中国が多く、春日井市内の中小企業などで働く実習生のようだ。こうした国籍以外にも、モンゴル、パキスタン、コンゴなど18ヵ国の人が受講しているという。
様々な国から来た人達の共通の言語は日本語となる。レクリエーションの一環として、日本語で自己紹介や、しりとりをしたり、自分の出身国の紹介や良いところを日本語で説明する。
日本で出会った他国の人達の話を聞いて、「知らなかった。いろんな国があるんだね」と感心している。みんな片言の日本語で通じないことも多いが、スマホで写真を検索して見せたり、いろんな言葉に言い換えて伝えたりと、様々な国籍の人達が、日本語でコミュニケーションをとっている。
地域のボランティアの支えがあり、ミカを含めて外国籍住民たちが日本語、日本での生活の仕方などを学ぶ機会になっている。
こうしたボランティア活動が、外国籍住民を受け入れる際に重要になっているのは言うまでもない。しかし、ボランティアだけでは活動できる範囲に限界がある。
ある外国人支援をしているボランティア団体の職員はこういう。
「予算の面などで、ボランティアでは限界がある。行政が主体となって、プロの専任講師を雇い、日本語の授業レベルを上げなければいけない」
年々外国人の数は増加しているが、受け入れ体制は十分とは言えない。国、行政が主体となり日本語、日本での生活習慣、法律など日本で生きていくのに必要な知識を教える必要があるのだ。

2018年9月11日火曜日

SBIレミット、国際送金の送金累計額が5000億円を突破

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180910-00000001-sh_mon-bus_all
9/10(月)、ヤフーニュースより
 2010年に開業したSBIレミットは、在留外国人に対してSBIグループの金融サービスを提供することをミッションとしている。9月5日、同社は海外向け送金取扱い累計額(円換算額)が5000億円を突破したと発表した。

 現在、在留外国人人口は256万人余りと過去最高を記録(※)し、政府が外国人就労の受け入れ拡大方針を表明していることなどから、今後も在留外国人の増加が見込まれる。こうした状況を背景に海外向け送金ニーズは高まっており、同社の送金金額も伸びている。

 SBIレミットのサービスの登録会員数は約45万人。そのうち約90%が日本に在住している外国籍の顧客となっている。送金先はアジア諸国が中心であり、従来のフィリピン、中国、ベトナム、ネパールに加え、最近ではインドネシア、カンボジア、ミャンマー、タイ向けの送金が増加している。

 2017年6月にタイ大手の民間商業銀行であるThe Siam Commercial Bankとの間で開始した米Ripple社の分散台帳技術を利用した送金は、着金スピードや経済性の点でも優れており、今後もこのプラットフォームを利用した送金チャネルをさらに拡大していく計画だ。

※ 法務省:平成29年末現在における在留外国人数について(確定値)

亡き友の思い背負い、ヒマラヤ登頂へ 75歳山岳会会長らの挑戦

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180905-00010003-nishinpc-soci
9/5(水) 、ヤフーニュースより

 九州大山岳部と卒業生でつくる九大山岳会が6日、ヒマラヤ山脈の未踏峰タサルツェ(6343メートル)登頂に向けて出発する。隊を率いるのは山岳会会長で九大名誉教授の中溝幸夫(さちお)さん(75)。九大山岳会初のヒマラヤ遠征で仲間を失い、しばらく山から離れていた中溝さんの心に再び火をともしたのは、くしくも国内で起きた九大山岳部員の遭難事故だった。来年は創部70年。命を落とした後輩たちの思いも背負い、新たな道を切り開く。

 今回挑戦するタサルツェ峰は、ネパールのダウラギリ山群の一部。まず南西に位置するタシカン1峰(6386メートル)を越え、タサルツェ登頂成功後は同じく未踏峰のタシカン北峰(6403メートル)も目指し、約1カ月間で3座を踏破する計画だ。チームは中溝さんを含む5人の山岳会会員と、山岳部所属の現役大学生3人で構成する。

 中溝さんは1961年、九大入学と同時に山岳部に入部した。文学部助手を務めていた71年8月、ヒマラヤ山脈のダウラギリ5峰(7585メートル)登頂を目指して山岳会初のヒマラヤ遠征に出発。約4カ月の計画で登頂する予定だった。
帰国後、山には足を運べなくなった
 10月6日、6千メートル地点で雪崩が発生。近くでキャンプ設営に当たっていた隊員の千々岩玄(ふかし)さん(享年29)が約千メートル下まで流された。別の場所にいた隊員らが駆けつけて捜索。雪に埋もれた千々岩さんは意識不明の状態で見つかり、救命措置を施したものの息を引き取った。隊は登山を中止。冷たくなった千々岩さんをベースキャンプ付近まで運び、荼毘(だび)に付した後、撤退した。

 死は常に隣にある。頭では理解していても、1学年下の千々岩さんの死はこたえた。「新婚だった千々岩君が『妻にプレゼントしたい』と、キャンプ周辺に咲いていたエーデルワイスの花でしおりを作っていたのが今でも忘れられない」。帰国後、山には足を運べなくなった。
 15年ほど過ぎた頃、思いがけず、山に戻ることになる。岐阜、長野両県にまたがる穂高連峰で山岳部員が遭難死する事故が発生。登山経験を持つ中溝さんに九大から「山中に残る遺体の搬出作業に力を貸してくれないか」と連絡が入った。戸惑いもあったが、力になりたいと思い引き受けた。中溝さんを中心にチームをつくり、傾斜80度の断崖を登って遺体を搬出した。若くして逝った後輩の無念、救出へ一丸となって動いた仲間たちの熱意。さまざまな思いが、再び山への情熱を呼び覚ました。
 登山を再開した中溝さんは2010年、山岳会が約40年ぶりに計画したヒマラヤ登山に参加。翌年のタサルツェ峰登頂にも挑戦した。積雪量が多く途中で撤退したが、手前のタシカン1峰は登り切った。
 今回はタサルツェ再挑戦。中溝さんは「大自然を前に、自分の力の限界に挑戦できるのが登山の魅力だ。安全を最優先に、山頂を目指したい」。未踏の頂から、どんな景色が見えるのか。仲間と共に、心に刻もうと思う。

不要なヘリ救助で保険金詐取、当局が取り締まりへ ネパール

Source: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180904-35125087-cnn-int
9/4(火) 、ヤフーニュースより
(CNN) 世界最高峰エベレストなどで、保険金をだまし取るために登山者をヘリコプターで救助する詐欺が横行していることを受け、ネパール政府が取り締まりに乗り出した。

ネパール観光当局の報道官によると、詐欺に関与している旅行会社や病院、ヘリ運航会社など15社が対象になる。

政府は今後、全ての救出に警官を参加させ、費用に上限を設けるなどの対応策を取る。救出にかかわった病院や会社は政府の審査を受けるため、情報を提出することが義務付けられる。

旅行社の医療支援を手掛ける英トラベラー・アシスト社の調べによると、ネパールでは今年1~8月に約1600件のヘリ救助が行われたが、このうち少なくとも35%は詐欺で、保険会社は最大400万ドル(約4億5000万円)の損害を被った。

保険会社はネパール旅行の扱いを中止する可能性を示唆し、同国政府に対して今月1日までに対応措置を取るよう求めていた。

トラベラー・アシストによると、詐欺に登山者自身が加担しているケースもある。登山の出発点となるベースキャンプへのトレッキングに500ドル払い、そこから体調不良の連絡を入れてヘリ救助を要請すると、旅行社から750ドルの報酬が支払われる仕組みだ。

旅行社にはヘリ会社が2000ドルの手数料を払い、そのヘリ会社に病院が手数料を渡す。病院は運び込まれた登山者に不要な処置を施し、費用を保険会社に申請するという。

仮病だけでなく、食べ物に下剤などを混入させ、実際に治療が必要な状況をつくり出すケースもある。一度の救助について複数の申請を出したり、請求書を偽造したりする手口も使われていたという。

<難民認定>8年ぶり申請減少 虚偽抑制運用が奏功か

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180831-00000057-mai-soci
8/31(金) 、ヤフーニュースより

 法務省は31日、今年上半期(1~6月)に日本で難民認定申請をした外国人が前年同期比約35%(2975人)減の5586人だったと発表した。減少は2010年以来8年ぶり。同省は1月から、本来の目的である難民保護の迅速化を図るため、就労目的などの虚偽申請を抑制する運用をしており、これが奏功したとみられる。

 上半期に難民と認定したのはエチオピアや中国、シリアなどの22人で、昨年1年間の20人を上回った。このほか、人道的配慮で21人の在留を認めた。

 難民認定申請は、申請後半年で一律に就労が可能になった10年3月以降急増。審査が長期化した場合の経済的な配慮が目的だったが、同年に1202人だった申請数が17年には1万9629人に達した。そのため、同省は1月から、(1)難民の可能性が高い申請者らには就労を認めて早期に生活の安定が図れるようにする(2)「借金取りから逃げてきた」といった明らかに難民に該当しない理由を主張をする外国人には在留を認めない--などの措置を講じた。実習先から失踪した技能実習生や学校をやめた留学生には就労を認めない対応もとった。

 同省によると、5586人の約3割にあたる1802人を「明らかに乱用・誤用的な申請」と判断。総申請数を国別にみると、(1)ネパール(2)フィリピン(3)インドネシア(4)ベトナム(5)スリランカ--の順。同省幹部は「大量の難民・避難民が生じるような状況にない国からの申請が多い」と話しており、各国の大使館などを通じて運用見直しの周知を図る。【和田武士】

多文化共生を探る: 海外にルーツを持つ子どもたちへの支援の現状

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180827-00010000-nipponcom-soci
8/27(月) 、ヤフーニュースより
田中 宝紀
日本語指導が必要な子どもたちの数が増えている。だがその支援は自治体任せで、地域格差が大きい。「マイノリティー」の子どもたちに適切な教育を保障することが、来るべき「移民社会」に向けた第1歩だ。
ダブルリミテッド=日本語も母語も「中途半端」
私が関わる「YSCグローバル・スクール」は、NPO法人「青少年自立援助センター」が2010年より運営する海外にルーツを持つ子ども・若者のための専門教育支援事業だ。さまざまな背景の子どもたちを支援しているが、一例として5歳の時に母親と一緒に来日した日系ペルー人の3世、真由美(仮名)の話をしよう。来日後、公立の保育園を経て小学校に入学した彼女は、家庭では母語であるスペイン語で会話をし、自宅から一歩外へ出れば日本語を使うという生活だった。

通っていた小学校では日本語の支援体制がなく、特別なサポートは提供されなかった。日本語の会話はある程度できたが、勉強で使う日本語は読み書きが難しくて、すぐに周りの友達から後れを取るようになった。

高学年になると授業を聞いても大半が理解できなくなり、学校から足が遠のき始めた。次第に生活の中で日本語を使う時間が減ったことも影響しているのか、日常会話の日本語もスムーズにいかないことが増え、ますます学校に行きづらくなったと言う。

「あたし、違う。きのう、分からない。」

出会った頃の真由美は中学生になったばかりで、その日本語は、日本で6年間も学校に通ったとは思えないほど「ブロークン」だった。途切れ途切れに単語や短い文を紡ぐものの、本人の調子が悪いと何を言いたいのか見当がつかないほど、支離滅裂な日本語になることも少なくなかった。家庭の中で母親との会話に使っているスペイン語の方が「話す」力は育っていたが、母国の中学1年生には遠く及ばず、読み書きはほとんどできない状況だった。

当時の真由美のように、日本語の力も母語の力も年齢相応に育っていない状態を「バイリンガル」と対比し「ダブルリミテッド」と呼ぶ。ダブルリミテッドの状況に陥ると、抽象度の高い思考や会話がどちらの言葉でもできず、自分を表現することが困難になってしまう。

思春期の難しい年代に差し掛かり、アイデンティティーの悩みに直面した真由美は、文字通り言葉にならないストレスからか、その後は繁華街に出入りするようになり、結局中学校には卒業までほとんど通うことができなかった。その後、急きょ家庭の転居が決まったため数年間SNS上で生存確認だけはできるという状況が続き、気付いた時には一児の母となっていた。それから間もなくSNSの更新は止まり、今現在彼女がどうしているのか知る術はない。
自治体、地域により大きな支援格差
日本の公立学校(小、中、中等教育学校、高校、特別支援学校)に在籍する子どもの中で、日本語が分からず、勉強についていけない「日本語指導が必要な児童生徒」は2016年時点で全国に4万3000人以上いる。過去10年で1.6倍以上の増加だ。この数字は外国籍の子どもだけでなく日本国籍を持ちながら長年海外の親戚などに預けられて育つなど、日本語を母語としない子どもたちも含む。さらにこのうち1万人は学校で何の支援もなく、真由美のようなダブルリミテッド状態に陥るリスクを抱えている。

両親または保護者のどちらかが外国出身者である海外にルーツを持つ子どもたちへの対応は、現在のところ自治体に任されている。自治体が日本語学級を設置したり、NPOなどと連携して支援を行ったりしている地域がある一方で、日本語が分からない子どもが学校に1人または2人しかいないなど、子どもたちのために独自の予算や支援人材を確保しづらい状況にある「外国人散在(さんざい)地域」に暮らす子がいる。その割合は日本語指導が必要な子どもたちの半数を超えている。

外国人散在地域では、自治体が予算や支援者を確保しづらいだけでなく、学校外の市民団体やNPOなどによるサポートも不十分であることが少なくない。特に学校外支援の多くがボランティアに頼って運営されており、活動資金が十分に確保できなかったり、若い世代の新たな参加がないままボランティアたちが高齢化し、活動を縮小したり休止したりする事態も発生している。自治体や地域による支援の有無、質と量に大きな格差があることが積年の課題だ。
違いを認めて友人関係を築ける場
私たちが東京都福生市で運営する「YSCグローバル・スクール」(YSCGS)は、年間100名を超える子どもたちや若者に日本語教育、学習支援、就学・進学支援を行ってきた。彼らのルーツはフィリピン、中国、ペルー、ネパールなど30カ国以上に及ぶ。

東京都23区外全域に加え、隣接する埼玉県や神奈川県西部、さらには電車で片道2時間以上かかる千葉県からも、専門家による支援機会を求めてやって来る。これほど広範囲から集まるのは、それだけ海外にルーツを持つ子ども・若者の学びのニーズに応えられる場が少ないことの表れでもある。

その中には出身国の学校で優秀な成績を収め、英語、母語を含めて複数の言語を話せる子もいれば、日本に来る前にさまざまな理由からほとんど学校に通っていない、あるいは机に落ち着いて座るという段階からサポートが必要な子もいる。さまざまな異なるニーズを抱えているが、お互いの多様なバックグラウンドや年齢、国籍、宗教などの違いを超えて認め合う良い友人関係を築いている。ここでの出会いとつながりが、日本社会で生きてく上で大きな支えになっている。
支援体制がないことを理由に就学拒否も
子どもたちが日本社会の中で直面するのは、言葉や文化の壁だけではない。日本で生まれ育ち、日本以外の国には行ったことがなく、日本語しか話せない海外にルーツを持つ子どもであっても、肌の色やカタカナの名前、親が外国人であることなどがしばしば学校生活の中でいじめや差別の対象となり、生きづらさを感じている子も多い。

少し日本語を間違えれば「頭が悪い」。何か不満を口にすれば「国に帰れ」。「(肌の色が)汚い、うつる」と言われることですら、日本の中で多くの海外ルーツの子どもたちが経験する「あるある」となり、思春期にはアイデンティティーの確立に悩み苦しむ姿が見られる。

そんな子どもたちにとって、同じ境遇にあり、日本社会の「マイノリティー」同士が集まるYSCGSは唯一安心できる居場所であり、同じ思いを共有できる仲間との出会いの場ともなっている。「学校では友達はひとりもいなかった。ここに来たら、みんな同じって感じがするから楽」という声も聞いた。だが、当校のような支援機関にアクセスできる子どもたちの数は限られており、特に前述の外国人散在地域では、学校にも地域にも支援がなく、不登校となり自宅でひきこもっている、というような事例を耳にすることも多々ある。

また、自治体や学校に支援体制がないことを理由に、「日本語ができるようになってから学校へ来てください」と就学手続きをしてもらえないなど、事実上の就学拒否となり自宅にいるしかなかったという事例も存在する。

YSCグローバル・スクールでは、こうした外国人散在地域で暮らし支援へのアクセスがなく、日本語を学びたくても学べずに孤立してしまう子どもたちの課題解決を目指し、ICT(情報通信技術)を活用した遠隔地日本語教育プロジェクトを2016年11月からスタートさせた。福生市のYSCGSで行われる授業を全国各地の子どもたちに提供する。これまでに茨城、群馬、千葉、滋賀、山口などの散在地域や支援体制が不十分な地域に暮らす子どもたち約20名が利用。パソコンの画面を通して日本語学習や高校進学支援、仲間づくりをサポートしている。
「移民社会」到来―定住外国人や子どもたちの経験に学べ
政府は少子高齢化による人手不足に対する危機感から2018年6月に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針」(「骨太の方針」)において、新たな外国人人材の活用を定め、日本社会は大きな転換点を迎えることになった。7月には「外国人材の受け入れ・共生に関する関係閣僚会議」の第1回が開催されるなど、政治は想像していた以上のスピードで動き始めている。

今後、日本が海外からの働き手をより多く必要とする状況にあることは間違いないが、当然のことながら、やって来るのは「労働者」である以前にひとりの人間であり、私たちと共に日本社会を構成する生活者だ。その子どもたちには適切な教育機会が保障され、医療や福祉へのアクセスが開かれ、保護者自身が安心して子育てや生活を営めるような環境であるべきだ。さもなければ、今後国家間の人材獲得競争が激化するといわれる中で、日本が移住先として選ばれることが難しくなるだろう。

もはや避けることのできない移民社会の到来を前に、私たちがいま取り組まなければならないことは何か。すでに日本で長く生活している250万人以上の定住外国人や海外にルーツを持つ子ども・若者たちの経験から学び、彼らの力を借りながら、より良い共生社会の構築に向けて適切な施策や地域づくりを進めることではないだろうか。

(2017年8月 記/バナー、本文中写真提供=YSCグローバル・スクール

在日外国人の出身国別にみた、居住区ランキング TOP10 これが東京23区のリアルだ!

Source: https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180826-10009540-tokyocal-ent
8/26(日) 、ヤフーニュースより
あなたはご存知だろうか?日本が「隠れ移民大国」と呼ばれていることを。

街中、電車、マンション、コンビニ…。

東京で生活していれば、外国人を見かけない日など1日もない。

公に移民を受け入れることはしていないが、すでに「世界第4位の移民大国」とも言われている日本。では、彼らはどの国からきて、東京のどこに住んでいるのだろうか?

というわけで今回は、東京都が発表している『外国人人口(平成30年版)』で、23区内に在住する外国人を調べてみることに。すると、今のリアルな東京が見えてきたのだった…。
23区に在住する外国人の、出身国ランキング
まずは23区には、どこの国の出身者が多く居住しているかを調査。すると、このような結果に。
1位は圧倒的に中国人だった。

世界各地に「チャイナタウン」を形成している彼ら。近年の国内における中国人の増加は皆さんの体感のとおりであろう。

2位以降を見ても、アジア圏がそのほとんどを占めている。あらためて日本は「アジア」の一員であることがわかる結果だ。


そこへ、唯一食い込見込んだアジア以外の国がアメリカ。

文化的な影響がこれだけ強い中で、逆にアメリカが7位というのは、少々意外な結果と思う人も多いのではないだろうか。

では、次のページからは、ここで紹介した上位10カ国の、出身国別の居住地ランキングを見ていこう。

どこの国の人が、23区のどこに多く住んでいるのか?調べてみると、国ごとの傾向がわかる結果となった。

それは意外な結果か、それとも予想通りか…。あなたは今の東京の“リアル”をどれくらい知っているだろうか?
タイ人が多く住んでいる街、TOP5
日本人の旅情をかきたて続ける魅惑の「タイランド」は、癒しスポットのアイコン的存在。図らずもその思いは相思相愛だったようで、東京23区内だけで「6,530人」が居住している。

「3泊できればGo!」な存在のタイだが、その時間が取れない方のために(!?)在住人口が多い区「ベスト5」をご紹介しよう。
◆第5位 スカイツリーのお膝元:墨田区
何者をも受け入れる下町エリアは、やはりタイ人にとっても住みやすかった!

心なしかエスニック料理が多いイメージもある墨田区。花火やお祭りなどのついでに、タイ料理を満喫するのもオツかも。
◆第4位 好アクセスの穴場感:足立区
住みたい街で名前が上がる北千住などを保有する「足立区」が4位にランクイン。家賃や物価に手ごろ感があり、路線の乗り入れも豊富な印象。

近年、人気上昇の足立区は、グローバル化も進んでいた!
◆第3位 羽田空港の底力:大田区
京浜東北線の「蒲田」や「大森」のイメージが強いが、個人商店が軒を連ねる人情味ある雰囲気はタイ人にも好まれた!

生活力ある風景は、たしかに母国・タイとも遠からずかも…。
◆第2位 解放感ある水の街:江戸川区
ウォーターフロント地区で、河川敷などの水辺の空間が多い「江戸川区」。東京駅にもほど近く、都心アクセスがいいところも魅力的。

飲食店やスーパーも充実しており、水上交通が整ったバンコクとシンクロする部分もあるかもしれない。
◆第1位 押しも押されもせぬビッグシティ:新宿区
昼夜問わず混雑する街、都庁のある区、都内屈指の歓楽街、など、イメージを語らせたら枚挙に暇がない「新宿区」。

大小さまざまな企業、飲食店、住宅を保有する「新宿区」は、様々な価値観や文化が溶け込んだビッグシティであることは疑いようもない。

「マンペイライ」のタイ人は、この活気ある街に順応する明るさを持っていた!

ランキングの詳細はこちら。
ミャンマー人が多く住んでいる街、TOP5
在住外国人ランキング9位だった「ミャンマー」。この結果を、意外に思う人も多いのではないだろうか。10位の「タイ」に比べるとなじみの薄い国。

東南アジアの西端に位置する「ミャンマー」は、「タイ」と「インド」の中間にある国。実は親日的なことで知られ、日本のアニメも普及しているという。敬虔な仏教徒で、黄金の仏寺「シュエダゴン・パゴダ」は観光で人気のスポット。

◆第5位 サブカル発信地:中野区
新宿に近く、交通アクセス至便な中野区。商店街のアーケードがイメージされ、どこかのんびりした雰囲気も漂っている。

単身アパートも多く整備されており、学生をはじめ若者も多く住む街という印象だが、ミャンマー人の居住人口も多い結果となった。サブカルチャー発信地は、ダイバーシティー化も進んでいた!
◆第4位「日暮里繊維街」など外国人訪問率高し:荒川区
面積でいうと、23区中で2番目に小さい「荒川区」。

外国人が多く買い付けに来ると噂の「日暮里繊維街」をエリア内に抱えるなど、外国人占有率が高めな印象。

「都電荒川線」のイメージが強く、条件反射的にぶらり散歩をしたくなる荒川区だが、たしかに「日暮里」「町屋」などアクセス好位置な区域も目立つ。納得の結果といえるかもしれない。
◆第3位 ベッドタウンの実力:北区
在住人口、1,000人超え。「4位」から2倍の上げ率を誇るのは、ベッドタウンのイメージが強い「北区」。呑んべえにはたまらない昭和レトロな街「赤羽」を保有しており、傷ついた東京の大人を容認し続けている功績は偉大である。

心に傷を抱えた大人に優しいこの区なら、異国の地に不安を感じるミャンマー人であろうと、なんなく受け入れてくれるだろう。
◆第2位 またか…、のビッグシティ:新宿区
やはり「新宿区」である。

東京にくる者が通過儀礼的に交差する場所はここなのである。

群衆が日々訪れては去っていくこの巨大な街にあって、もはや形容詞は必要ないだろう。
◆第1位 ターミナル&人情:豊島区
「8人」という微差で新宿区に競り勝ったのは、「豊島区」。ターミナル駅を持つ区はやはり強かった!

都心へのアクセスはもちろん抜群だし、商業施設も充実している。巣鴨や目白など、池袋から少し移動すると違った表情を見せてくれるところも安らげる。

巣鴨や大塚は、ミャンマー料理が食べられるお店が多い印象。コミュニティとして成立していると思われる。

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インド人が多く住んでいる街、TOP5
インドとひと口にいっても、国土も雄大、人口も13億を超える偉大な国家だ。北インドと南インドでは文化もまったく違うはずで、その生態は掴みきれぬ…。けれども交流したい!

それに、なんといっても本場のカレーをたくさん食べたいあなたのために(!?)在住人口が多い区「ベスト5」をご紹介しよう。

◆第5位 名だたる高級住宅地:世田谷区
東カレ連載にもたびたび登場する「二子玉川」や「三軒茶屋」など、セレブ妻の在住率も高めな「世田谷区」。実は、インド人も多く生活している区だったのだ。

世田谷区は、LGBTの差別を禁止するなどマイノリティの受け入れが進んだ区でもある。外国人にとっても住みたい街だった、という結果となった。
◆第4位 夜のグローバルシティ:港区
西麻布を中心に、毎夜、欲望渦巻く人間模様を描いている港区。港区に生息する男女の中にはインド人も含まれていた!

移り変わりが激しいこの街は、外国人にとっても刺激的な東京の姿を見るには格好の場所なはず。仕事も遊びもすべてが事足りてしまう港区コミュニティで、インド人もまた遊んでいるのである。
◆第3位 観光都市:台東区
観光名所、浅草がある「台東区」。23区内で最も小さい面積でありながら、外国人旅行客で賑わい、放たれる存在感は独特。

多国籍料理を商うお店が多い浅草・上野など、たしかに外国人にとってのホームタウンになるポテンシャルは揃っている。

インバウンドの集客に力を入れていることも、外国人の住居環境を整備する要因となっているかも!?
◆第2位 湾岸シティ:江東区
3位に大差をつけてランクインした「江東区」。湾岸エリア人気で居住環境はどんどん充実している気運があるが、インド人も増加しているよう。

インド食材を扱う専門のスーパーも存在し、東西線やりんかい線が都心まで接続している。門前仲町の商店街などの古風な雰囲気も面白いはずだ。

それに、川沿いであることも大きいかもしれない。荒川をガンジス川に見立てているとかいないとか…
◆第1位 公園施設充実:江戸川区
「江東区」と荒川を隔てた向かいにある「江戸川区」が、インド人在住人口1位に躍り出た!

このランクインには、インド人街として名高い「西葛西」の暗躍が大きいようで、納得の結果である。家賃相場もお手頃。同じ国の人が多く住んでいてくれたら、移り住むにも安心だ。しばらくは一大コミュニティであり続けそう。

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アメリカ人が多く住んでいる街、TOP5
6,000マイル向こうから、自由でポップなカルチャーを吹き込み続けてくれている「アメリカ」。

星条旗ほど生活のいたるところで華を添える国旗モチーフはもはやないといっても過言ではないだろう。(とりあえず日の丸超えであることは間違いない!)

食しかり音楽しかりファッションしかり、アメリカンカルチャー道をひた走りたいあなたのために(!?)在住人口が多い区「ベスト5」をご紹介しよう。
◆第5位 ハイセンス住宅地:目黒区
言われてみれば、である。ひそかに「バーガー激戦区」でもあった目黒区が、虎視眈々と米国人在住人口5位にランクインした!

自由が丘にアメリカ初上陸フードが多く輸入されているのもこれで頷ける。

輸入食材も多く手に入り、交通アクセスも悪くない。静かに落ち着いた生活をしたいなら居住環境として申し分ないはず。
◆第4位 ビッグシティ、再び:新宿区
パブやスタンディングバーも多く、母国に近い生活を送れそうな「新宿区」。

マナーや慣習に口うるさくなさそうな、いい意味でヤングカジュアルな雰囲気が外国人にも評価されている。面倒くさくない物わかりのよさが、新宿にはある。

繁華街にほど近い「新宿御苑」に「セントラルパーク」を重ねているのかもしれない。
◆第3位 往年のエース:渋谷区
「そうだ!渋谷区があったじゃないか」といいたくなる順位付けである。

ここにきて初の渋谷区であることが意外だが、カルチャー発信地「渋谷」は確かに「アメリカンカルチャー」の濃度は高め。
若者がアメリカに憧れるのは今も昔も変わらないのかもしれない。
◆第2位 THE 王道のファミリー感:世田谷区
オフィスワーカーの駐在アメリカ人が家族と住む、というシチュエーションにばっちりハマりそうなのは「世田谷区」である。

区画がそろっていて街が美しく、三軒茶屋や二子玉川などでは、ショッピングも楽しめる。公園も多い。

この区が醸し出す、郊外にある「憧れの街」感は、アメリカ人にも効くようだ。
◆第1位 やはりこの街がお好き:港区
蓋を開けてみると、ぶっちぎりであった。

六本木のクラブにおける外国人占有率を思えば、大きく頷ける結果ではある。

大使館が軒を連ねているエリアの安心感からか、いつしか外国人にとっても羽目を外せる場所となっていったのかもしれない。港区の夜は、アメリカ人にとっても熱かった。

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台湾人が多く住んでいる街、TOP5
「週末1人旅」や「年3回渡航」を決行するような、熱烈な愛好者を生み出し続ける「台湾」。やはり友好関係は本物だった!

「小籠包」や「かき氷」といったご当地グルメの魅力もさることながら、温かい人柄に魅了されることもあるだろう。

それでは、台湾人の在住人口が多い区「ベスト5」をご紹介!

◆第5位 23区内人口No.1の実力:世田谷区
インド人、アメリカ人も多く住む「世田谷区」。台湾人にとっても住みやすかった!

外国人向けの相談窓口も区役所に備えられており、在住環境として整っているのも魅力的。
◆第4位 中央線沿線:杉並区
中央線沿線で、留学中の学生に人気がありそうな「杉並区」。

井の頭線沿線エリアは、単身で居住しやすそうな住居スペースが豊富にそろう。「阿佐ヶ谷」などのファミリーで住むのに需要がありそうなエリアも保有する。
◆第3位 23区内人口No.3の底力:大田区
古き良き日本の雰囲気を残す「蒲田」、都内屈指の高級住宅街「田園調布」を保有する「大田区」。

横浜方面にも出やすく、学校やオフィスがこちらにあれば住居の選択肢になりそう!羽田空港が近いのも、ポイント高し。
◆第2位 池袋の乗降数はNo.2:豊島区
JR東日本の乗降数が、新宿に次ぐ第2位である「池袋」。大塚駅などにもシェアハウスが多く完備されており、やはり留学生からの需要が多いよう。

外国人観光客でにぎわう「巣鴨」も「豊島区」。こんなところからも親近感を覚えてくれているかもしれない。
◆第1位 本ランキング常連:新宿区
これまで、タイ人、ミャンマー人、アメリカ人にも選ばれてきた「新宿区」。台湾人も多く住んでいた。

幅広く色々な国籍の人が住んでいて、”人種のるつぼ”の様相をなしている。ちなみに東京のモンマルトルといわれる「神楽坂」も「新宿区」。こちらは、フランス人が多く住んでいる。

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ネパール人が多く住んでいる街、TOP5
「OK」を表すのに、首を傾けるジェスチャーをする「ネパール人」。彼らは、1日2食であることも知られている。

近年、留学生としての渡航が増えてきており、コンビニなどで接客してくれている姿も見られる。

生活慣習も未知なところが多い「ネパール人」を知るために(!?)在住人口が多い区「ベスト5」をご紹介しよう。

◆第5位 中野ブロードウェイは外国人にも人気:中野区
2013年には明治大学の新キャンパスが中野に設立されるなど、文化発信の場所としてのイメージを築きつつある「中野区」。

単身者用のコンパクトな物件も豊富で、駅から離れるとお手頃物件も探せそう。

「中野サンモール商店街」の他スーパーも揃い、生活環境は整っている。留学生も快適に過ごせそう。
◆第4位 高円寺、浜田山など表情多彩:杉並区
荻窪や高円寺など、活気ある商店街も多い「杉並区」。

行政や大学が中心になった国際交流もたびたび開催されており、街全体に外国人歓迎モードが流れている。

阿佐ヶ谷にネパール人の「インターナショナルスクール」を保有することも大きいだろう。
◆第3位 本ランキング常連:大田区
タイ人、台湾人も多く住んでいる「大田区」。ネパール人も生活の舞台にここを選んでいた!

密かなカレー屋激戦区でもある西小山も「大田区」が保有。ネパール人が多く住んでいるようである。
◆第2位 本ランキング常連:豊島区
ミャンマー人、台湾人も多く住んでいる「豊島区」。新宿同様にダイバーシティが進む区となっている。

元々、同国出身者が多いところに住みたがる傾向があり、今後も増加していくことが予想される。
◆第1位 王者の貫録:新宿区
都下最強の「新宿区」。その勢いはとどまることを知らないようだ。「大久保」付近はコンパクトな住居が多く、留学生も在住しやすいよう。実際多くの外国人が在住している。

「新宿ゴールデン街」が外国人観光客の人気スポットになっており、意外なところに日本人が忘れてしまっている自国の魅力のヒントがありそう。

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フィリピン人が多く住んでいる街、TOP5
常夏の国に生きてきたことを思わせる大らかな人柄で、世の男性(女性も!?)を魅了してきたフィリピン人。セブ島などのリゾート地は、日本からの旅行にも人気である。

「竹の塚」など、フィリピン人が多く住む街としてすでに有名なエリアもある。…ということはやはりあの区なのか!?フィリピン人在住人口が多い区「ベスト5」をご紹介しよう!

◆第5位 水辺の街:江東区
インド人も多く住んでいた「江東区」。とくに「青梅」周辺は、局所的に外国人比率が高まっているという声も聞かれる。

7,107の島々で構成される「フィリピン」。ウォーターフロントの「江東区」に故郷を重ねているのだろうか。
◆第4位 寅さんの街:葛飾区
参道商店街で食べ歩きしたくなる「柴又」、こち亀で知られる「亀有」など、気さくな下町情緒が魅力の「葛飾区」。

家賃相場や物価はお手頃で、常磐線や京成線が都心まで繋がっている。
◆第3位 本ランキング常連:江戸川区
タイ人やインド人からも選ばれたインターナショナルシティ、「江戸川区」。都内だけではなく、千葉や神奈川にも出やすい好アクセスで、広範囲に行動できる利点がある。

「葛西臨海公園」は江戸川区南部にあるし、「東京ディズニーランド」にも行きやすい。「バインミー」を持ってお出かけしたくなるスケール感で、のびのび生活できそう。
◆第2位 人種のブラックホール:新宿区
西武新宿線沿いにベトナム料理店が乱立する「新宿区」。観光地としても人気のスポット「ドン・キホーテ」など、日用品も簡単にGETできる。

最強アクセスであることは言うまでもない。全ての者を寄せ付けてしまう強力な魅力を放つのが、ビッグシティ「新宿区」なのである。
◆第1位 本ランキングの要塞:豊島区
終電後の時間でも営業中のチェーン店が迎えてくれる「池袋」。

池袋「西一番街」の、外国人比率はどんどん増加しているそう。ターミナル駅の、生活リズムを選ばない便利さは何物にも代えがたいようだ。

便利で何でもある混沌とした街、というのが外国人から選ばれる理由かもしれない。

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韓国人が多く住んでいる街、TOP5
1泊2日の弾丸ツアーですら行けてしまう「韓国」。快適に安全に渡航でき、日本からの観光地としても大人気の国である。

生活習慣も近く、身近な存在であることは間違いない。

更なる交流を得たいあなたのために(!?)、在住人口が多い区「ベスト5」をご紹介。

◆第5位 本ランキング頻出区:江戸川区
これまで、タイ人、インド人、フィリピン人、ベトナム人が多く住んでいることが分かった「江戸川区」。強固な外国人コミュニティが形成された区は、韓国人にも選ばれる街だった!

「西小岩」には韓国食品を専門に扱うスーパーがあるのも嬉しいはず!
◆第4位 ウォータータウン:江東区
臨海副都心線が通り、「豊洲」や「清住白河」など人気の住宅地がある「江東区」。

韓国人も多く住んでいる区という結果になった。焼肉店など韓国料理を食べられるお店も多い。
◆第3位 下町のグローバルシティ:荒川区
ミャンマー人、ベトナム人も多く住んでいた荒川区。韓国人も「5,000人」を超える人数が住んでいることが判明した!

「三河島」の「コリアンマーケット」周辺は、ランチ時になるといい匂いが漂ってくるそう。歴史あるマーケットで、韓国トリップ気分を味わいたい。
◆第2位 ターミナル駅北千住の馬力:足立区
タイ人、フィリピン人が多く住んでいる「足立区」。韓国人も多く生活している区となった。

「北千住」はもちろん、「西新井」周辺も韓国料理店やキムチを打っているお店が多く、本場の味を楽しめそう。
◆第1位 納得のNo.1:新宿区
コリアンタウン「新大久保」を保有している新宿区。

韓国コスメやお菓子の品ぞろえも充実。ショッピングをするだけで、高揚した気分になれる。

「チーズダッカルビ」を堪能する女子たちで、今日も新大久保は賑わっているのだ。

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中国人が多く住んでいる街、TOP5
今や活気あふれる国の代名詞的存在になっている「中国」。まさに圧倒的な存在感を見せつけた。日本への観光客も増えている昨今、「爆買」の様子も記憶に新しい。

アジアの大国・中国人の在住人口が多い区「ベスト5」をご紹介しよう!

◆第5位 コスパグルメの聖地:足立区
タイ人、フィリピン人、韓国人が多く住んでいた「足立区」。多くの外国人から選ばれる結果となった。

コスパグルメの聖地「北千住」に近く、ショッピングセンター「アリオ」も保有する。中国人にとっても生活しやすい理由がそろっていることが証明された。
◆第4位 池袋のお隣:板橋区
昔ながらの下町、といった雰囲気の「板橋区」。埼京線では「池袋」の隣に位置し、都心への交通は至便だ。ほかにも都営三田線や東武東上線が通る。

「高島平」などのベッドタウンを抱える「板橋区」。生活の拠点にする中国人も多いようだ。
◆第3位 多国籍区:新宿区
「新宿区」が3位の結果となった。人種のるつぼの同区には、中国人も多数暮らしていた。

コリアタウンの印象がある「大久保」は、実は中国の食品やアラブ系の食材を扱うお店も多い。中国人もとても多く暮らす、多様性に富んだコミュニティが形成されていたのだ。
◆第2位 湾岸エリアのサードプレイス:江東区
インド人、フィリピン人、韓国人が多く住んでいる「江東区」。日本人でも若い世代が多く移り住んでいるという「江東区」は、中国人も多く住んでいた。

実は「パレットタウン」も江東区で、大型商業施設も多い。電車だけではなくバスも整備されている小回りの良さで、公団住宅も整備されているとあっては、納得の結果といえるだろう。
◆第1位 民族のサラダボウル:江戸川区
タイ人、インド人、フィリピン人、ベトナム人、韓国人が多く住んでいる、「江戸川区」。

「瑞江」や「葛西」など、駅前に生活が必要なものがそろう駅が多く、安心して生活できる環境が整っている。「上野」「新宿」などの主要な職場に、30分で行けるアクセスも手伝って、オールマイティーに愛されているといえる。
その他の国も含めて、一挙に紹介。これが東京のリアルだ!
最後に、23区での外国人居住者ランキングを紹介しよう。

この表からは「どこの区に外国人が多く住んでいるか」がわかる。言い方を変えれば、いちばんダイバーシティが進んでいる街とも言える。

その結果がこちら!1位は納得の新宿区。

新宿駅周辺を歩けば、日本語よりも外国の言葉の方が多く聞こえてくる、なんていう現象も、もはや日常茶飯事。4万人以上の外国人が住んでいるのだから、それもそのはずと納得できる結果となった。
東京カレンダー株式会社