2019年8月14日水曜日

18年の沖縄在留外国人、中国が米国抜きトップに 観光需要の増加で

Source:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO48428020Z00C19A8LX0000/
2019/8/9、GOOGLEニュースより

沖縄県の民間シンクタンク南西地域産業活性化センター(那覇市)が発表した県内在留外国人の動向調査によると、2018年の国・地域別の外国人数(年末時点)は中国が最も多くなった。これまで米国が最多だったが、観光客の増大を受けて通訳業務などでの中国人在留者が増えた。

同センターが法務省の在留外国人統計をもとに分析した。18年の県内の在留外国人は1万8025人で17年比で14%増えた。中国は2600人で全体の14%を占めて首位。2位は米国の2530人で、フィリピン、ネパールなどと続いた。

中国は16年以降、増加傾向にある。在留資格別では通訳などの「技術・人文知識・国際業務」の伸びが目立つ。中国や台湾からの観光客増により観光地やホテルなどでの通訳需要が高まっている。語学教師としての人材も増えているようだ。

もともと在沖米軍の存在により米国は多い。現在の統計発表方法になった12年以降、国・地域別で米国はトップを維持してきた。統計に米軍関係者は含めないが基地周辺で働く人が多いためとみられる。

18年は2位となったが、米国を市町村別でみると基地のある沖縄、宜野湾両市が上位だった。

ネパール、湾岸、日本 数字の裏のそれぞれの問題

Source:https://vpoint.jp/column/kokusai_radar-column/141735.html

東播工高生がネパール・テコンドー代表に車いす5台寄贈 

Source:https://www.kobe-np.co.jp/news/miki/201908/0012587974.shtml
2019/8/7、GOOGLEニュースより 
東播工業高校の生徒から車いすを贈られ、テコンドーのポーズを取るネパール代表選手ら=加古川市
東播工業高校の生徒から車いすを贈られ、テコンドーのポーズを取るネパール代表選手ら=加古川市
 東播工業高校(兵庫県加古川市)の生徒が修理、再生した車いす5台が7日、東京パラリンピックに向けて同県三木市内で合宿中のネパール・テコンドー代表選手団8人に寄贈された。機械科の3年生12人が所属する「空飛ぶ車いすサークル」の活動の一環。生徒らは障害のある選手らに活動の趣旨を説明し、交流を深めた。(井川朋宏)
 同高は2004年度に活動を開始。名称は飛行機で海外に届けることが由来という。これまでにスリランカやタイなどアジアを中心に525台を寄贈。本年度の「ひょうごユニバーサル社会づくり賞」の県議会議長賞にも輝いた。今春、ネパールを支援するNPO法人ラリグラス(三木市)を通じ、同国に車いす5台を贈呈した縁で、今回の交流が実現した。

テコンドー・ネパール代表 三木で事前合宿へ 東京パラ五輪

Source:https://www.kobe-np.co.jp/news/miki/201908/0012570348.shtml
2019/8/2 、GOOGLEニュースより
身体障害者のテコンドー・ネパール代表選手ら=カトマンズ(NPO法人ラリグラス提供)
拡大
身体障害者のテコンドー・ネパール代表選手ら=カトマンズ(NPO法人ラリグラス提供)
 2020年東京パラリンピックのネパール、テコンドー代表チームが5~11日、事前合宿のため兵庫県三木市を訪れる。練習会場は三木山総合公園総合体育館(三木市福井)と三木ホースランドパーク・エオの森研修センター(同市別所町高木)で、6~9日は無料で練習を見学できる。
 ネパールの選手団は関係者を含めて8人。10日午前9時~同11時に開かれる交流イベントへの参加は既に募集を締め切っており、約40人が選手らの指導でテコンドーに挑戦する。
 7日午後7時半~同8時半には三木市のNPO法人ラリグラス主催の「選手団を励ます会」もあり、座談会形式で選手らと交流できる。無料。事前申し込み不要。(大橋凜太郎)
 見学可能な日時、場所は次の通り。
 6日=午前9時半~同11時、午後3~5時(三木山総合公園)▽7日=午前9~11時(同)▽8、9日=午前9~11時、午後3~5時(三木ホースランドパーク)

【ネパール旅】ヒマラヤ、エベレスト…登山家たちが語る山の魅力

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190813-00018445-mimollet-ent
8/13(火) 、ヤフーニュースより
世界のライフスタイルを“旅”のフィルターで読み解くトラベルカルチャーマガジンTRANSIT。43号では、世界一高いエベレストを有するネパールを取り上げました。ここではネパールの魅力のひとつである山を、それに魅せられた登山家の視点から掘り下げていきます。後半には、ヒマラヤの世界をより深く味わうためのブックガイドも。
エベレストはなぜ、登山家を惹きつけるのか
大学3年生、20歳という若さでエベレストの山頂を踏んだ伊藤伴。国際山岳ガイドである近藤謙司氏に憧れ、国内外の山を転戦してきた。そんな伊藤さんに、ネパールの山について聞いた。
少年がエベレストを目指すまで。
「最初に山に触れたのは小学校のとき。学校の先生が海外へ登山に行くほどの山好きで、登った山の話を聞いているうちに興味をもつようになりました。その先生かがガイドを依頼していたのが、登山ツアー会社であるアドベンチャーガイズを主宰する近藤謙司さんだったんです」

次第に、いつか自分も登ってみたいと思うようになり、アドベンチャー・ガイズの扉を叩く。机上講習からスタートし、国内の山で経験を積み、みるみるうちにクライミングの技術も磨いた。

「7大陸最高峰=セブンサミッツの制覇に憧れていたんです。まずは当時ヨーロッパ最高峰だったモンブラン(4810m)に近藤さんと挑戦しました。中学3年生のときですね。でも下山してみると、セブンサミッツよりも、もっと標高のある山に行きたいと思うようになりました。そこでヒマラヤのロブチェ・イースト(6119m)を目指すため、3年間資金を貯めて準備をしました」

はじめてのヒマラヤはかなり苦い思い出。高山病、長期遠征でやられるメンタル……。ガイドの近藤さんに引っ張ってもらい登頂できたのだそうだ。

「山頂は快晴無風。目の前にエベレストが見えました。ロブチェを登るチームはエベレスト登山の高度順応も兼ねています。なので、自分と数名以外はこれからエベレストに行く人たち。僕はここから帰らなければならない、羨ましいという気持ちでした」

今度はエベレストに登りたい、その一心で資金集めをはじめる。アルバイトに加え、大学の協力による募金活動、寄付、クラウドファンディングも行った。出発のギリギリ2カ月前に目標の金額を達成、ついに小学校のときに憧れたエベレスト遠征が叶った。

「ベースキャンプから少しずつ高度を上げていって、標高7900mのキャンプ4からアタックをしました。標高差1000 mを一気に登るだけでもきついのに、気温はマイナス20~30度。風速も20m くらいあるので、体感的にはマイナス50度ほど。低酸素ということもあって身体が発熱してくれないのでただただ寒かったです」

でも、それより問題だったのは酸素マスク。登っているうちに苦しくなり、8400m付近のバルコニーで酸素ボンベを交換しても苦しいままだった。

「酸素量を全開にしてもダメで……。山頂直下のヒラリーステップを越えて最後の稜線に出たときにはまったく息ができなくなっていました。マスクが壊れたと思っていたんです。マスクを外して2歩ほど進んだのですが、膝からガクンと崩れ落ちてしまいました。やばい、死ぬと。しかも最後の数mはフィックスロープがありません。ほんの5歩くらいですが、シェルパに繫いでもらってなんとか山頂まで上がることができました」

マスクを調べてもらうと息が氷になって塞いでいた。直して呼吸ができるようになり、ようやく登頂を実感できた。

「これ以上高い所は地球上にない、これ以上高い所に登らなくていいんだというのが正直な感想でした(笑)。見渡すと、ヒマラヤの山々がずーっと地平線までつづいていて、チベット側は茶色い高原。その景色はきっと100年以上も前から変わらないはず。初登頂したエドモンド・ヒラリーと同じ景色を見たのだと思うと感慨深かったです」
エベレスト登頂後とこれから。
「キャンプ4まで降りてきたときに日本に電話したら『伴! ニュースに載ってるぞー!最年少らしい!』と。でもそのまま僕はローツェに向かっていて、その間に別の登山隊に参加していた南谷真鈴さんが登頂、降りてきたらもう最年少ではなくなっていました(笑)」

日本人最年少サミッターとして記録に残っていたのはほんの3日だけ。以前の記録を持っていた山村武史氏よりも誕生日が遅かったため、幸運にも更新できたものだった。とはいえ、記録の更新は大きく報道され、広く知られることになった。そんな伊藤氏は、大学の卒業を控え、山岳ガイドの腕を磨いている。

「まだまだ自分自身の技量を高めるというのが目先の目標です。いつになるかわかりませんが、もしまたエベレストに行くのであれば、ガイドとしてお客さんを連れて行きたいですね。山に登るきっかけをつくってくれた近藤さんのように、山頂を目指す感動的な体験を伝えたくて。僕自身、10代、20代、30代と歳を重ねていくと、感じることも変わってくると思います。同じヒマラヤでも、次はどんな体験ができるのかはまだわかりません」
本で追体験する、魅惑のヒマラヤ
登山家や探検家が見てきたヒマラヤ世界に触れるには、彼らが記した書物を手にするのが最善だ。読み進めるうちに意識は彼の地へ飛んでいく。ネパールの山の過酷さ、美しさを知るための6つのTRANSIT的推薦図書を、本のなかの言葉とともに紹介します。


『エベレストを越えて』
「がくんと体が揺れたように思えて、耳を疑った。目がうるむのを必死でこらえた」

1970年、日本人初のエベレスト登頂に成功した植村直己。当初は日本山岳会の創立65周年プロジェクトとして立ちあがった登山隊に呼ばれ、自己負担金を工面できず歩荷(荷揚げ)とルート工作要員として加わった。前年秋の偵察隊から 現地で越冬し、木材の確保やシェルパとの交流、自身の順応を行い、なんと最終的には第1次アタック隊に選出される。発表の瞬間は、滑落などの事故もあったため複雑な心情だったようだが、「登頂は心のなかで開始されていた」と述懐。


『タベイさん、頂上だよ』
「これは自分の生涯の中にキラリと輝く瞬間として残るに違いない」

日本人女性初のエベレスト登頂者となった田部井淳子。登山隊15名全員が女性という点も大きく注目された。遠征は1975年、女性=主婦という概念が根強かった時代に、2歳の子をもつ田部井には、家庭を放棄して登山をするのかという批判もあったが、そんな苦難を乗り越えてきたからこその一言。折しも登頂年は国際婦人年(国連が女性の地位向上を目指すとした年)であった。女性の社会進出の象徴として国内外で注目され、一大センセーションを巻き起こした。


『マナスル登頂記』
「片手にピッケルを持って万歳の姿勢をしているのが望遠鏡を通してよく見える」

「もはや戦後ではない」と宣言された年、槇有恒を隊長とする日本の登山隊がマナスル(当時は8156m)に初登頂。無線に不具合が生じ、望遠鏡でアタック隊の無事を確認したときの記述だ。登頂は、高度経済成長期のはじまりに日本も世界と比肩して活躍できる国になりつつあるという大きな希望をもたらせた出来事だった。ドキュメンタリー映画『マナスルに立つ』も上映され、社会現象になるほどの登山ブームが巻き起こり、登山文化が大衆へと開かれるきっかけにもなった。


ヒマラヤ冒険物語』
「結局自分が利己的であるのを知りながら、山登りを断念できなかった」

1970年代のイギリスのロッククライミングシーンを牽引した実力派クライマーであるクリスは、ヒマラヤでも実績を残している。8000m峰が軒並み登攀されるなか、難易度の高いルートを探していたクリスが挑戦したのはアンナプルナ南壁だった。ドン・ウィーランズやドゥーガル・ハストンといった精鋭が集まり登頂を達成したものの、下山時に雪崩で死亡者を出してしまう。同じ釜の飯を食べた仲間を失ったとしてもなお、挑み、登りつづけるクライマーの強靱な意志を感じる。


『ヒマラヤを越える子供たち』
「ここには国境なんてなく、限りない自由があるだけだ」

本作はインドに亡命したダライ・ラマ法王14世を追いかけてチベットから亡命する子どもたちに密着したドキュメンタリー。チベットを脱出し、中国国境警備隊の銃撃の恐怖に怯え、国境のある6000mのヒマラヤを徒歩で越えていく過酷さに耐える彼らの姿は痛ましい。そんな命がけの逃避行を選択せざるを得ない状況を知ることのできる内容となっている(同名の映像作品の書籍化)。苦難の果てに摑み取った自由は、故郷を捨てる悲しみをはらんでいることを知る。


『ネパール・ヒマラヤ』
「しばしば楽しい驚きを経験したし、コルでは予想しない、まごつくような展望に遭遇した」

イギリスの冒険家、W.H.ティルマンがヒマラヤを訪れたのは1949年。鎖国体制が緩みはじめたネパール各地を、鳥類学者や地質学者、植物学者を連れて測量した。本書はヒマラヤで出会った未開の美しい風景や文化を世界へと紹介した集大成のひとつで、冒険譚の白眉である。地図のない地での実踏調査は冒険家の野心をくすぐったようで、未踏の山の発見や珍しい動植物、民俗文化の記述からは高揚感が伝わってくる。ちなみに訳は日本百名山で知られる深田久彌によるもの。



ヒマラヤの過酷な山に挑む、登山家たちの体験を描いた本の数々。エベレストには登れなくても、本のなかで手に汗握る山の世界が追体験できるはず。
 
<書籍紹介>『TRANSIT(トランジット)43号 カトマンズもヒマラヤも! 愛しいネパール』
発行 euphoria factory / 発売 講談社 ¥1800(税別)
3月14日(木)発売 電子版も発売中!

TRANSIT43号では、世界最高峰のエベレストをはじめとする8000m級の山々に抱かれた国・ネパールを特集しました。特集:ネパールでココロ・カラダととのえ塾(アーユルヴェーダと哲学/聖なる植物/家庭料理/セルフケア)、ヒマラヤ不思議百貨(高所と人体/消えた王国・ムスタン/開拓の歴史 etc)、ゆっくりいこう、ネパール(政治/経済/環境/教育/キーパーソン)など。付録:「ガイドブック・ネパールでしたい88.48のこと」「〈THE NORTH FACE〉のヒマラヤステッカー」。


構成・文/小林昂祐、北村華子 
トランジット編集部

東京五輪・パラ観戦催事市町村に補助 福島県方針

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190812-00000004-fminpo-l07

8/12(月) 、ヤフーニュースより

 県は二〇二〇年東京五輪・パラリンピック期間中、大型画面による観戦イベントを開催する市町村に補助金を支出する方針を固めた。現時点で十四市町村が競技中継や特設舞台での催し物などを組み合わせた「コミュニティライブサイト」、競技中継のみのパブリックビューイング(PV)の開催に意欲を持っている。県民が大会の感動を共有できる環境を県内全域に広げるとともに、地域活性化や国際交流の推進につなげる。

 コミュニティライブサイトは地方自治体が実施主体となる観戦イベントで、大型画面を活用した競技中継、特設舞台での芸能発表やコンサート、五輪・パラリンピック種目の競技体験、飲食販売などを企画できる。

 東京都や競技会場のある自治体が大会組織委員会と共催する「ライブサイト」よりも小さい規模で開催できる利点がある。希望する市町村は今月末までに実施申込書、九月中に計画書を大会組織委に提出し、承認を受ける必要がある。PVは来年四月以降、大会組織委に実施申請する。
 県は全県的な盛り上げや大会を契機とした復興の加速化、地域活性化につなげようと補助制度を設ける。各市町村に呼び掛け、観戦イベントの運営費や準備費など必要経費の一部を支出する。

 今年度は一般会計当初予算に計上した東京2020大会ふくしま開催準備等事業費から充てる。補助割合などの詳細は今後詰める。現時点で観戦イベントを検討している市町村は【表】の通り。

 県営あづま球場が五輪の野球・ソフトボール競技会場となる福島市はコミュニティライブサイトとPVの両方を開催する意向だ。会場や開催日は調整中だが、あづま球場での試合日を想定している。チケットを手に入れられなかった県民にも五輪の感動と興奮を味わえる場を設ける。

 ネパールの「ホストタウン」としてマラソンチームの事前合宿を受け入れている田村市はコミュニティライブサイトの開催を計画する。ネパール選手の応援やこれまでの交流の様子を紹介する展示などを通じ、市民の理解を深める考えだ。タイのボクシングチームの事前合宿を誘致した会津若松市はPVの開催を検討している。
 「復興ありがとうホストタウン」として英国と交流する本宮市はコミュニティライブサイトかPVのいずれかを開催したい考え。英国選手の応援イベントを計画中で、大会レガシー(遺産)として国際交流を深める。

 ホストタウン以外にも機運醸成や地域活性化につなげようと意欲的な自治体も出ている。国見町は五輪、パラリンピック両方の期間にコミュニティライブサイト開催を計画中で、観光客らに町の魅力を発信する。

 五輪聖火リレーの出発地となるJヴィレッジ(楢葉・広野町)のある楢葉町はPVでの大会盛り上げを検討している。

【共生の覚悟はあるか】「トラブルになりかねない」感染症の拡大も懸念

8/8(木)、ヤフーニュースより
 ■通訳養成、会話力向上へ経済界や学会動く

 スーパーやコンビニエンスストア、工場で多くの外国人が働く。人手不足・日本の産業は、彼ら彼女らなしには成り立たない。

 日本で働き、長く暮らすのであれば、国籍に関係なく、「かかりつけ医」が欠かせない。が、病院や診療所の多くは、受け入れ態勢の整備が追いつかず、負担やリスク増加に苦悩する。

 福岡市中央区の秋本病院(50床)には、毎月4~5人の外国人が診療に訪れる。国籍は中国や韓国、ネパールやタイなど幅広い。勤務中のけがや、慣れない環境で精神疾患になった人もいた。

 秋本亮一院長(66)は「英語や、携帯通訳機のポケトークでなんとかコミュニケーションを取っているが、対応は時間がかかる。応急処置で良いのか、十分な治療が必要か、患者が求める医療がつかめないことも多い」と話した。

 常勤医は5人。救急処置が可能な「救急告示病院」として24時間、急患を受け入れる。医師や看護師に余裕はない。

 今春、旅行中に貧血を起こした40代フィリピン人女性が来院した。英語が話せる同行者を通じ、輸血を求められた。

 どれだけ検査をしても、輸血はごくまれに、じんましんや発熱などの副作用を伴う。重度の呼吸困難や感染症の可能性も、ゼロではない。

 女性には事前に説明し、承諾書にサインをもらった。だが、本人がどれだけ理解しているか、おぼつかなかった。

 「医療現場では正確に話が伝わらないと、トラブルにつながりかねない。日ごろの診療で精いっぱいで、外国人は正直、ウエルカムではない。政府は外国人受け入れに旗を振るのはいいが、現実をみてほしい」

 秋本氏は表情を曇らせた。

                 × × ×

 人口減少や人手不足で、病院の経営は深刻さを増す。

 厚生労働省によると、今年5月末時点の病院施設数は8324カ所となり、過去10年間で426カ所減少した。多くが医療法人や個人が経営する小規模病院だった。

 全国約2500の病院が加盟する一般社団法人「日本病院会」などの調査によると、平成29年度に46・1%の病院が赤字だった。

 帝国データバンクによれば、30年の医療機関の倒産は40件で、22年以来の高い水準だった。負債総額は140億3千万円に上った。

 悲鳴を上げる医療機関にとって、外国人患者の対応は、必要であっても難しい。

 こうした課題を少しでも解決しようと、九州経済連合会は2月、「九州国際医療機構」を設立した。

 外国人患者の受け入れ態勢の強化を目指し、医療従事者の研修や、通訳業務のサポートをする。

 九経連はこれまで、アジアから日本への医療渡航を推進してきた。いわゆる「医療ツーリズム」だ。外国人患者の受け入れが、地域の医療機関にとって収入増につながると期待した。

 しかし、外国人医療をめぐり、さまざまな問題が顕在化した。

 総合メディカルの社員で、九経連出向中に同機構設立に携わった高野奈津子氏(45)は「受け入れへの考え方は、病院で温度差が大きい。課題解決と医療を通じた経済活性化の両面で、よい良い方策を探りたい」と組織の目的を語った。現在、九州内の病院など29団体が参加する。

 業界も動く。

 医師らでつくる国際臨床医学会は、語学力と医療の知識を持つ「医療通訳士」の制度づくりを進める。

 医療現場での誤訳は、治療内容に影響し、事が起きれば訴訟に発展する恐れもある。通訳の質の向上は大きな課題といえる。

 現在は、民間企業や任意団体などが通訳者を提供しているが、統一の基準はない。

 同学会理事で、九州大学病院国際医療部の清水周次教授(63)は「医療現場では、英語が得意なだけでは通用しない。医療の知識や経験も求められる。東京五輪や技能実習生の受け入れで、外国人は急増する。対策を急がないといけない」と語った。

 患者に接する病院職員も、会話力の向上に力を入れている。

 九州国際医療機構と順天堂大は5月、福岡市内で「やさしい日本語」と題したセミナーを開いた。医師や看護師ら25人が、医療現場で使う日本語を、外国人に分かりやすく伝える手法を学んだ。

 参加者からは、外国人患者の不安を取り除こうと、懸命に学ぶ姿が伺えた。こうした現場の努力が、外国人対応を支える。

                 × × ×

 人手や費用面の対策だけでなく、医師が警鐘を鳴らすのが感染症対策だ。ある医師は「対策を怠れば、問題の菌やウイルスを積極的に輸入してしまう」と語った。

 福岡大学病院(福岡市)で平成20年、ほとんどの薬がきかない多剤耐性菌の院内感染が発生した。

 自然界に広く存在する細菌「アシネトバクター」だった。韓国に渡航し、重症の肺障害で治療を受けた日本人患者が、福大に搬送されてきた。この患者から感染が広がった。

 感染力の強さに加え、当時国内でこの菌に対する認識が薄かった。感染者は26人に上り、4人が死亡した。2人の死因は感染とは無関係だったが、2人は因果関係が不明なままだった。

 病院経営にも打撃だった。清掃や消毒、施設の改修など、対策費は1千万円に達した。一部の病棟で患者の受け入れを中断し、減収となった。

 対策の陣頭指揮を執った感染制御部の高田徹部長(56)は「国内で前例がなく、すぐに問題視できなかった。海外の病院で手術などを受けた患者は、多剤耐性菌のリスクがある。高度医療に関わる病院ほど、自衛をすべきだ」と語った。

 福大病院はこの教訓を、院内感染の防止に生かす。地域の他の病院や、全国の私立大学の付属病院との間で、病原体や対策について速やかな情報交換をしている。

 また、2003(平成15)年には、コロナウイルスによる重症急性呼吸器症候群(SARS)の世界的蔓延(まんえん)があった。

 SARS蔓延は香港のホテルが起点だった。中国・広東省で治療に当たっていた1人の医師がこのホテルに滞在し、同じ時期に宿泊していた人を通じてベトナム、香港、シンガポール、カナダ・トロントなど世界中に広がった。この流行で、774人の死亡例が報告された。

 外国人だから病原体を持っているわけではなく、偏見に基づいた差別は許されない。

 ただ、国籍や民族に関わらず、人の移動が盛んになれば病原体も移動する。

 人命を預かる病院で、問題が起こってからでは遅い。外国人患者の受け入れを増やすのであれば、さまざまな備えが欠かせない。 

(九州総局 高瀬真由子)