Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/230761c820c06bb3474b63b18ca967f1782e7c72
2022年9月21日水曜日
山際大臣新たな教団主催の会合出席を会見で認める その数時間後には教団のHP写真から山際大臣の姿が削除
Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/5edb2a03a702e9842a75f7e590ba0ad7e8c1f6b9
配信、ヤフーニュースより
2018年に開催された旧統一教会主催のイベントに山際大臣が出席していたことを認めました。発覚のきっかけとなった写真は、教団のウェブサイトに掲載されていましたが、山際大臣の会見後、突如、加工され山際大臣の姿が消えていました。自民党内からは、国会での野党側の追及に山際大臣が耐えられるのか危ぶむ声もあがっています。 【写真を見る】山際大臣新たな教団主催の会合出席を会見で認める その数時間後には教団のHP写真から山際大臣の姿が削除
■山際大臣 団体のHPに写真 会合出席を認める
山際経済再生担当大臣会見(9月20日午前) 「団体のホームページにその会合に私が出席している写真が掲載されており、私も出席を確認いたしました」 旧統一教会のウェブサイトに掲載された写真には韓鶴子総裁とともに山際氏の姿が確認できます。 9月20日午前 山際大臣会見 「団体にお墨付きを与えてしまうようになったことは、率直に反省しております」 山際氏の横にいるのは旧統一教会系の政治団体の会長、梶栗氏とみられ、山際氏の後ろには自民党の江島潔参院議員の姿が確認できます。 江島氏の事務所は取材に対し・・・ 江島氏の事務所 「出席していました。今回指摘を受けて写真を見せてもらい初めてわかりました」
■写真が加工され山際氏の姿消える
発覚のきっかけとなった教団のウェブサイトの写真。山際氏が会見で出席を認めた際には写っていましたが、その数時間後に確認すると・・・ 記者 「掲載されている写真ですが、山際大臣が写っていた部分がカットされています」 山際氏をカットする形に加工されていたのです。
■「それ以外のものはない」の発言にもかかわらず…
山際氏をめぐっては・・・ 山際大臣会見(8月25日) 「報道に出ているものを見る限り、私が出席したと考えるのは自然だと思います」 2016年にネパールで開催された関連団体の会議に出席していたことをメディアに追及され認めるなど、教団との関係が度々指摘されていました。 自民党の調査発表後、山際氏は・・・ 山際大臣会見(9月9日) 「把握できたものを全て書かせていただきました。それ以外のものはございません」 しかし、またも発覚した旧統一教会との関係。 山際氏は事務所の資料の多くは1年で処分しているため、過去に出席した会合を確認できない状態だと説明しました。 山際大臣会見(9月20日午前) 「このようなことを繰り返さないためにも、今後改善すべき点は改善してまいりたいと考えております。また新たなご指摘等ありましたら、速やかに対応はしたいと考えております」
■党内からは臨時国会を危ぶむ声も
自民党内からは、10月に召集される臨時国会での野党側の追及に山際大臣が耐えられるのか危ぶむ声もあがっています。 TBSスペシャルコメンテーター 星浩氏 「政権与党の、岸田総理を含めて“何やってるんだ”っていう、もう怒りに近い感情が出ている。臨時国会の野党の攻勢に先駆けて、自主的な辞任を求める。山際さんに辞めてもらうという動きに出るかもしれません」 9月20日、自民党の茂木幹事長は時期を見て追加で報告結果を公表する方針を示しました。
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山際大臣 旧統一教会集会への参加認めるも “バレたらごめんなさい”な態度に国民の怒り拡大
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《本当に生活をよくしたいと思うので、大臣をやめてください》 SNSではこんな意見が増えている。20日の記者会見で、新たに旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の関連イベントに出席していたことを明かした山際大志郎経済再生担当相に対してだ。 嘘つき山際大臣を「生かさず殺さず」餌食に…現役信者の“告発証言”に込めた旧統一教会の狙い 山際大臣はこの日の会見で、2018年に開かれた旧統一教会の関連イベントに自身が出席していたことを認めた上で、「外部から指摘があり、私も確認した。党への報告も速やかに訂正する」などと語った。 内閣改造前は旧統一教会との関係について、ノラリクラリはぐらかし、大臣留任決定後は一転して関係を公表した山際氏。2016年にネパールでの関連団体のイベントに出席していた、と報じられた際には、「報道を見る限り、出席したと考えるのが自然だ」などと他人事のように答えてヒンシュクを買っていたが、次々と関係が明らかになる事態に国民の怒りの声は広がるばかりだ。 《知らぬ存ぜぬを続け、バレたらごめんなさいって。こういう政治家が今の日本の経済再生担当大臣でいいの?》 《岸田首相がなぜ、山際大臣を辞めさせないのか不思議。首にすれば、大臣の更迭ドミノになるとか》 《山際大臣、完全に開き直っているよね。自民党と旧統一教会との深い関係について、何か秘密を知っているんじゃない》 山際大臣は7月に青森県八戸市で街頭演説した際、「野党の人から来る話はわれわれ政府は何一つ聞かない」「本当に生活を良くしたいと思うなら、自民党、与党の政治家を議員にしなくてはいけない」などと発言。野党から「傲慢すぎる」と集中砲火を浴びていたが、今こそ《本当に生活を良くしたい》と願う国民の声に真摯に耳を傾ける時だろう。
「イギリスの母」として愛されたエリザベス女王に世界中が別れ 一連の追悼行事が終了
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配信、ヤフーニュースより
イギリスではきのう、エリザベス女王の国葬が執り行われました。世界中が別れを惜しんだ特別な一日となりました。 ロンドンのウェストミンスター寺院で営まれたエリザベス女王の国葬。アメリカのバイデン大統領夫妻など各国の要人のほか、日本からは天皇皇后両陛下が参列され、イギリスBBCによると、出席者は2000人を超えたということです。 葬儀ではトラス首相が聖書の一節を朗読、その後、黙祷が捧げられ、イギリス国歌が斉唱されました。イギリス各地には、スクリーンが設置され、大勢の市民がその様子を見守りました。 葬儀は、ほかの多くの国でもテレビなどで生中継されました。アフリカのケニアや南アフリカなど「イギリス連邦」の加盟国だけでなく、アジアのネパールや、中国でも多くの人が女王の死を悼むなど世界中から別れを惜しむ声が上がりました。 北京市民 「女王は素晴らしいことを行い、世界に美しい記憶を残した『世界の女王』だった」 BBCは、全世界で数百万人が生中継を視聴したと伝えています。 葬儀の後、ロンドン市内を運ばれた女王のひつぎ。イギリスメディアによりますと、沿道には数十万人が集まりました。 記者 「いま、女王のひつぎを乗せた砲車がバッキンガム宮殿に到着しました。この宮殿とも最後のお別れです」 市民 「パレードは本当に素晴らしかったです。これまでの女王の業績に値するものだと思います」 その後、ひつぎは女王の住まいだったウィンザー城へ。 記者 「ウィンザー城に続く道を女王のひつぎがゆっくりと進んでいます。多くの人たちが静かに見送っています。これが本当に最後のお別れです」 市民 「ひとつの時代が終わり、非常に悲しくさびしいです」 女王の愛犬、コーギーの「ミック」と「サンディー」やポニーの「エマ」も葬列を見送っていました。 ウィンザー城内の礼拝堂で行われた、埋葬前の祈り。女王が戴冠した時に引き継いだ王冠、王笏と宝珠がひつぎの上から外されました。その後、女王のひつぎは去年亡くなった夫のフィリップ殿下とともに、女王の両親も眠るジョージ6世記念礼拝堂に埋葬されました。 これで一連の追悼行事は終了。「イギリスの母」として愛されたエリザベス女王に世界中が別れを告げた歴史的な一日でした。
TBSテレビ
プーチンの大誤算…蜜月の中国・習近平が突然冷ややかに…! “友達”のインドも態度が豹変し、「完全孤立」へ……!
Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/35c0524337c69281ade1338a10e4d3833e698c6b
「孤立」が浮き彫りに…
加盟国合計の人口が世界の半数近くを占める巨大地域協力組織「上海協力機構(SCO)」は9月15、16の両日、ウズベキスタンのサマルカンドで首脳会議を開いた。今回の首脳会議は、新型コロナウイルスの感染拡大後、初めての対面形式をとり、新たにイランを加えて10カ国体制にする成果を挙げた。 【写真】韓国・文在寅、引退後の姿がヤバすぎる……! ところが、会議に集まった首脳たちが繰り広げた外交では、ロシアのプーチン大統領が孤立1歩手前の苦境に立たされていることが浮き彫りになるハプニングもあった。本来ならば、中国とSCOを主導してきた功績でロシアの影響力が拡充してもおかしくない状況なのに、ウクライナに軍事侵攻したことが災いし、プーチン大統領に苦言を呈したり、明確に距離を置いたりする首脳が現れたのである。 何と言っても冷ややかだったのは、中国の習近平・国家主席だ。事前には、両国の蜜月関係の演出に腐心するとの見方もあったが、15日に開かれた両首脳の会談で目立った同主席の発言は、具体的な項目を示さずに「中ロの核心的利益に関わる問題について、相互に力強く支援する」と述べたことぐらい。ウクライナ侵攻に対する直接的な言及を避けた。 また、インドのモディ首相は16日、プーチン大統領との会談で、面と向かって「いまは戦争の時代ではない」と苦言を呈した。そのうえで、民主主義や外交、対話の重要性を説き、返す刀で食料や燃料の確保といった問題に触れて「解決の方法を見つけなければならない」と早期停戦を迫る発言もした。
プーチンの思惑とは正反対に
このところ、ウクライナ軍の反攻により、ロシアはウクライナ東部の広い範囲で領土を奪還される憂き目もみている。それだけに、プーチン氏は今回のサマルカンド会議で、ロシアが国際的に孤立していないことを内外に示したかったはずだ。ところが、結果は、その思惑とは正反対に終わった格好である。 SCOの前身「上海ファイブ」は、1996年の設立だ。旧ソ連の崩壊後、中国と国境を接していたロシアと旧ソ連の3カ国が結集した。結成当初の主目的は、それぞれの国の間にできた新しい国境の管理だった。 その後、2001年にSCOに衣替え。本部は北京に置く。各国間の国境地域の安定、信頼の醸成、加盟国間の協力促進を目的とし、緩やかな協力を目指している。現在は、中ロ2カ国のほか、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタンの中央アジア4カ国とインド、パキスタンの8カ国が正式に加盟している。加盟国のGDPは世界の約2割、人口は半数近くを占めている。 すでにベラルーシが加盟申請を終えているほか、今回、米欧との核合意を巡って孤立感を深めていたイランが加盟の覚書に調印した。これにより、インドで開催する来年の首脳会談から正式な加盟国として参加することになった。 SCOには、正式な加盟国のほかに、オブザーバー国(アフガニスタン、ベラルーシ、イラン、モンゴル)や対話パートナー国(アゼルバイジャン、アルメニア、カンボジア、ネパール、トルコ、スリランカ)もある。このうちトルコは正式加盟を希望しているという。
習近平の“プーチン冷遇“
一連の首脳会合に臨み、習主席は、事前に目されたほどプーチン氏との蜜月の演出をしようとしなかった。首脳会談の順をみても、開催国カザフスタンを最初にし、ウズベキスタン、キルギス、トルクメニスタン、タジキスタンの中央アジア4カ国と会談。次いで、モンゴルを挟み、ようやく6番目にプーチン氏と会談した。 冒頭で記したように、習主席はウクライナ問題に沈黙。これに対し、プーチン氏は「中国のバランスの取れた立場を高く評価している。我々は中国側の懸念を理解している」と慮るかのような発言をした。 そればかりか、プーチン氏はあえて台湾問題に言及。「我々は『ひとつの中国』の原則を堅持している。台湾海峡における米国とその衛星国の挑発を非難する」と習主席をバックアップした。これに対して、習主席は「評価する」と述べるにとどまったのだ。 習主席の“プーチン冷遇“ぶりは、中国共産党の機関紙「人民日報」の報道を見ても明らかだ。同紙は、習主席のウズベキスタン訪問やウズベキスタンのトップとの首脳会談などの様子をトップ記事や2番手で扱った。その一方で、プーチン氏との首脳会談の扱いは3番手に抑えた。しかも、ウズベキスタンのトップとは固く握手する写真を掲載したのに、プーチン氏との会談はそれぞれが正面を直視している写真を載せるにとどめたのである。
「いまは戦争の時代ではない」
こうした冷遇ぶりには、ロシア軍のウクライナ侵攻によって、日米欧豪韓などの西側が結束、中ロと対峙する冷戦の構図が固まってしまったことに対する中国の焦りや、軍事面での中ロ関係強化や軍事、武器支援を打ち出すことによって中国が西側の制裁対象になっては堪らないという、中国の思惑が反映されているとみられている。 また、インドのモディ首相が首脳会談で「いまは戦争の時代ではない」などと苦言を呈したことに対し、プーチン氏は「あなたの懸念は理解している」と応じた。停戦交渉を拒否したのは、ウクライナの方だと釈明しつつも、「すべてが一刻も早く終わるよう手を尽くしていく」と約さざるを得なかったという。 よく知られているように、インドは伝統的なロシアの友好国だ。ウクライナ問題を巡っては、これまで、その関係の維持を優先して直接的な批判を控えてきた。 例えば、国際原子力機関(IAEA)が15日に開いた理事会で、ロシアに対して、占拠中のウクライナ南部ザポロジエ原子力発電所からの退去を求める決議を35カ国中26カ国の賛成で採択した際も、インドはロシアに配慮して採決を棄権した。ところが、今回は豹変、これまでと違い、モディ首相が真正面から苦言を呈したのだ。それだけに、プーチン氏は決して心中穏やかではなかったと推察される。 当のプーチン大統領は16日のSCO首脳会議後の記者会見で、ウクライナ侵攻に言及した。ウクライナ軍が東部ハリコフ州の要衝を奪還するなど攻勢に転じているものの、「(東部ドネツク州とルガンスク州を指す)ドンバス全域の解放が最大の目的」であり、「計画を変更することはない。ドンバスでの攻撃活動は停止しておらず、ロシア軍は徐々に新しい領土を占領している」と強気を装ったのである。 しかし、直近は、ウクライナが奪還した東部ハリコフ州の複数の場所で民間人を含む約500人の遺体が確認され、ウクライナのゼレンスキー大統領は国際社会に向けて「ロシアはテロ国家だ」とSNS(交流サイト)での非難を強めている。 強気一辺倒だったプーチン・ロシアの姿勢が一朝一夕に変わるとは考えにくい。が、今回の習主席やモディ首相との首脳会談での発言がロシア軍のウクライナからの早期撤退に向けた序章になることを期待したい。
町田 徹(経済ジャーナリスト)
〈写真入手〉“鎖で留学生を拘束”西日本国際教育学院 凄惨な学生寮の実態 大量のゴキブリ、腐った床の悪臭、トイレの水で調理も
Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/026438d21fe9e12c3aea1bbf13335fbed7a368c7
昨年10月に職員が在籍するベトナム人留学生を鎖と南京錠で拘束した行為が人権侵害だと認定され、今年9月7日、出入国在留管理庁に日本語学校としての告示を抹消する処分を下された福岡市の「西日本国際教育学院」。同庁は、現在も在籍している留学生約630人についても、転校させるよう指導する方針だという。 【驚愕写真】鎖で留学生を高速、子供用二段ベットのタコ部屋、腐った床…劣悪すぎる日本語学校を写真で見る 今回、西日本国際教育学院の複数の現役職員が 「週刊文春」 の取材に応じ、学院が所有する2つの学生寮に関して、衛生状態を含めた住環境が劣悪であり、9月中に意識不明で緊急搬送される入居者が相次いでいたことを明かした。
職員が留学生を鎖で拘束する動画がSNSで拡散
西日本国際教育学院を運営するのは学校法人宮田学園。法人の代表である総長は宮田道郎氏、日本語学校トップの学院長をその妻・宮田智栄氏が務めている。これまでにネパール、ベトナム、スリランカなどアジア各国から日本で就学・就職を希望する留学生を数多く受け入れてきた。 学院に注目が集まったのは昨年12月。職員が留学生を鎖で拘束する動画がSNSで一気に出回ったのだ。 「昨年10月、ベトナム人留学生が転校を申し出たところ、職員がパスポートと在留カードの提出を要求。これを拒否したところ、職員が自分のベルトと留学生のベルトを鎖でつないで南京錠をかけ、約3時間にわたり拘束しました。留学生はその様子をスマホで撮影していた」(社会部記者) 学院は告示抹消の処分が下った直後、宮田智栄学院長名で謝罪文を発表。〈再発防止に真摯に取り組み、信頼回復ができるよう努めてまいりたいと存じます〉などとコメントした。 だが、現役職員Aさんは「問題はこれだけではありません」と明かす。
子供用ベットを並べて留学生を“すし詰め”に
「学院には学生のための寮が2つあります。学生たちは、入学後6カ月はそこで生活することになっているのですが、その寮の住環境が凄惨な状態なのです」
2つの寮は「シリウス会館」と「高木寮」。家賃は1人部屋3万円、2人部屋2万円で学費とは別である。 「問題が起きたのは高木寮。今年4月から7月末にかけて、本来は居住用の部屋ではないミーティングルームに子供用の2段ベッドを並べて、留学生を生活させていたのです。こうしたミーティングルームを改造した部屋は3つあり、それぞれ8人、8人、21人がすし詰め状態で居住させられていました。2段ベッドの下の段に2人が寝ていたこともあり、“タコ部屋”と言っても過言ではありません」(同前) 小誌は高木寮の写真を複数入手。教室のような空間に、木製ベッドが並べられ、カーテンのみで仕切りがされている。プライバシーが守られた空間とは言い難い。今年3月に入国規制が緩和されたことを受け、「学院は“2年の空白”を取り戻そうと、一気に留学生の受け入れを再開」(同前)したため、留学生が溢れかえっている状況なのだという。 「最大収容人数はどんなに多く見積っても240人。ところが今年7月時点でなんと287人もの学生が詰め込まれていました」(同前)
トイレの水で炊飯も…劣悪すぎる寮生活「廃墟も同然です」
問題はそれだけではない。かなりの築年数が経過し、「幽霊マンションみたいな状態」(近隣住民)だったという高木寮は、内部が「人間が住める場所ではない」(Aさん)ほど荒れた状況なのだという。別の職員Bさんが言う。 「ボロボロで廃墟も同然です。一部の床は腐ってグチャグチャになっており、強烈な悪臭を放っています」 備品の数も足りておらず、 「食事が出ないので自炊が必須なのですが、調理器具の数が足りていない。共用のコンロが8口しかないのですが、居住者は200人以上いるので朝晩長蛇の列ができています。水道の配管が壊れているため、炊事場の水が出ないこともしょっちゅう。学生たちは仕方なくトイレの流しの水を汲んで調理をしています」(同前)
もう一つの寮であるシリウス会館も同様の状態だという。 「ゴキブリの量がすごい。駆除しても駆除しても発生するんです」(Aさん) 不衛生な環境は学生たちの健康を蝕んでいった。そして――。 「9月5日と12日に、学生が意識不明の状態で緊急搬送されました」(Bさん)
すし詰め部屋は「一時的な滞在場所として開放」
西日本国際教育学院に2つの寮の住環境について聞くと、次のように書面で回答した。 ――高木寮のミーティングルームに学生を住まわせていたか。 「本来の来日予定日よりも早く来日されると寮および提携アパートの準備が整っていないため、事前に学生にはご説明をし、ご了承を頂いた上で一時的な滞在場所として開放致しました。留学生の皆様には一定期間ご不便をおかけしましたが、当学園としては可能な限り短期間での調整を試み、順次対応をしておりました」 ――最大収容人数240人を超えて287人を居住させていたことは事実か。 「一時的に収容人数がオーバー致しましたが、市内のアパート等の契約、お部屋の準備が整い次第、それぞれ転居いただいております」 ――居住者の学生が意識不明となって搬送されたことは事実か。 「学生のプライバシーに関わることでございますため、ご回答は控えさせていただきます」 寮の内部で一体何が起こっているのか。現在配信中の 「週刊文春 電子版」 では、大量のゴキブリが発生し異臭を放っている2つの寮の内情、学生が相次ぎ意識不明で緊急搬送された当日の緊迫した様子、経営者である宮田夫妻の人物像、そして小誌取材後に学院が全職員に配布した”口止め誓約書”の存在などを、独自入手した多くの写真、職員が参加するグループLINEのスクリーンショットと共に詳しく報じている。
「週刊文春」編集部/週刊文春
虐待や暴行、臓器売買まで…“高待遇ネット求人”の罠。台湾・香港を中心に広がる
Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/146081d806347dff89f56fdbf5adc1e45ad12cd8
台湾・香港を中心に出される「好条件な仕事」を謳ったネット求人広告。それを鵜呑みにし、人生を狂わせられてしまった若者が急増している。取材班は、アジア全土を震撼させつつある、この事件の周辺関係者に話を聞き、その闇に迫った。 ⇒【画像】詐欺求人広告の一例。お金に余裕のない若者が被害に
狙いは貧困層の若者…東アジアで増える新たな詐欺
「ほぼ毎日、殴打され、スタンガンで脅されていました」 悲痛な面持ちで地元紙の取材に応じたのは、台湾新北市在住の20歳の男性、小吳說(シャオ・ウー)さん。台湾4大新聞のひとつ『聯合報』によれば、今年1月ウーさんがFacebookで見かけたのは、カンボジアにあるカジノの求人広告。高待遇に惹かれ、すぐさま同い年の恋人を誘って渡航した。 しかし彼らを待ち受けていたのは、特殊詐欺の業務。拒否しようにも「臓器を売るぞ」と脅され、殴打やスタンガンでの暴行を受けた。 恋人は身体的な暴力こそ振るわれなかったものの、たえず脅され、卑猥な言葉を投げかけられるなど精神的苦痛を受けていたことも同紙は報じている。
ミャンマーに“転売”された2人の子供
「おじいちゃん助けて!」 5月中旬には、ミャンマーに“転売”された2人から台湾の祖父宛てに身代金を求める電話が寄せられる一幕もあった。最終的に祖父は200万台湾ドル(900万円程度)を支払い、2人は8月4日、およそ半年ぶりに故国の地を踏んだ。 長年、中国の動向を調査し、ハフポスト日本版で先駆けてこの事件を報道した記者の高橋史弥氏は次のように語る。 「台湾や香港では、『未経験でも高収入』という甘い言葉を掲げるインターネット求人広告に応募した人が、海外で監禁・暴行を受けたり、人身売買されたという事例が相次いでいます。まず現地に到着するとパスポートを没収され、軟禁状態にされることがあります。 その後、例えばカンボジア南部のシアヌークビル経済特区に連行され、中国大陸や台湾の人々を相手に特殊詐欺に従事させられるなどのケースが報告されています。 勤務状況は最悪で、一日17~18時間ほど働かされ、ノルマが達成できなくなると暴力や性的暴行を受けることも。別の組織に転売されることもあったといいます。仮に解放してほしいと訴えっても、賠償金名目で高額な身代金を要求されるのです」(高橋氏)
強制的に臓器売買される人も
台湾当局が運営する中央通訊社によれば、台湾の刑事局は過去1年間に台湾からカンボジアに渡航し、帰国していない4679人を対象に捜査を開始。すると被害は300人以上に及んでいたことが判明した(8月28日現在)。 「強制的に臓器売買をされる人を見かけた」という声も被害者たちから上がっており、悪質極まりない状況が続いている。
求人詐欺が横行する背景には一帯一路の影も
カンボジアといえばアンコールワットなど風光明媚な世界遺産も思い浮かぶが、巨大経済圏“一帯一路”を推し進める中国の存在は強大だ。 「なかでもシアヌークビル経済特区は中国主導の開発が進み、巨額の中国資本が流れ込んだ場所です。ギャンブル産業が勃興し、一時は“第二のマカオ”とも言われるまでに。しかし治安の悪化などを理由に、’20年1月にカンボジア当局はオンラインカジノをはじめ、カジノ営業全般を禁止に。 さらにコロナ禍も重なりギャンブル産業が立ち行かなくなった。そこで、新たな資金獲得手段として人身売買を含めた詐欺ビジネスが横行するようになったという見方が濃厚です。台湾はカンボジアと国交がないのも、事態の収拾が複雑になっている一因と言えます」(高橋氏)
カンボジア警察は金さえ渡せば操れる
なぜカンボジアでは、ここまで大規模な組織的犯罪がまかり通るのか。元山口組系組長で、国内外の裏社会事情にも精通する作家の猫組長氏はこう語る。 「カンボジアは警察が腐敗しきってるんですよ。警察は、100ドル(1万4000円程度)渡せば言うことを聞くし、1万ドル(140万円程度)あれば殺人だって請け負う。中国マフィアからするとこんなに悪さしやすい場所はない。 特にシアヌークビルのような中国資本が強大なエリアは治外法権のようなものと考えていいでしょう」
困窮した若者が“闇バイト”に加担してしまう
これらの背景をもとに高待遇ネット求人詐欺も横行している。いずれは日本人も標的になりうるのか。 「言語や地理的な問題もあるので、日本人が標的になることはまれでしょう。いざ拉致したところで中国語が話せなければ詐欺もできませんから。ただ国際社会でこれだけの大問題になった今、稼ぎに躍起になった犯罪集団が日本人旅行者を拉致して、同じような事件を引き起こす可能性は、十分に考えられますね」(猫組長氏) 日本でもオレオレ詐欺などの闇バイトに手を染める若者は後を絶たない。困窮した若者が甘言に弄され、特殊詐欺に加担してしまう構造は、万国共通の課題として今後も重くのしかかる。
アジアでますます過熱する闇医療ビジネスの惨状
事件の解説でも触れたように、人身売買という人権蹂躙の最果てとして危惧されるのが臓器売買だ。アジアでの移植事例を間近で見てきた猫組長氏が語る。 「’07年に私の友人が中国で肝臓移植を受けました。ドナーは死刑囚で費用は3000万円。もちろん、日本で受ければ保険が利くので安くはなりますが、いつ受けられるか全く見えない。中国ではカネさえあれば、まるで車のパーツ交換のように手軽に臓器を交換できる」 臓器売買が今なお盛んに行われる中国。その背景については次のように指摘する。 「共産党の一党独裁のため、倫理観を度外視にした医療技術が進歩する。また、臓器提供者とそれを貰う側をマッチングさせる専門の病院と実際に手術する病院、その両方が密に連携をとり、ネットワークを構築しています。医療の進歩と利用しやすさはピカイチです」
胎児をプラセンタ注射の材料に…インドの赤ちゃん工場
人命尊重の意識の希薄さが招くアジアの臓器売買。もっと悲惨な闇医療を行う国もあるという。 「驚いたのはインドの赤ちゃん工場。大勢の女性を妊娠させて7~8か月の胎児を取り出し、粉砕してプラセンタ注射の材料にするんです。民間療法の迷信がはびこっていて、若返りに効くと富裕層が重宝しています。 他にも、処女と交わればエイズが治るというデマが流れ、ネパール人の少女たちが、オークション形式で買われるケースも。全く悲惨な話です」 新興国開発が進む陰では、人権と人命が犠牲になっている。 【高橋史弥氏】 上海の復旦大学を卒業後、NHK記者を経て、’19年現在はハフポスト日本版中国担当記者。ツイッターでも、最新中国ニュースを発信中 【猫組長氏】 投資家、作家。反社会組織に身を投じ、インサイダー取引などを経験。最新刊に『正義なき世界を動かす シン地政学』(ビジネス社) 取材・文/週刊SPA!アジアの闇取材班 写真/アフロ PIXTA ―[[高待遇ネット求人]の罠]―
日刊SPA!
ボートハウスの上で、ハシシでパーティ。「インド その1」──連載:マーク・パンサーの父、2CVフルゴネットで世界一周の旅 Vol.9
Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/f094ceae4c02ec12d3ea65ffb5699cf63afe1063
56年前の1965年10月15日に、2人のフランス人の若者がコルシカ島からシトロエン2CVフルゴネットで世界一周の旅に出た。予定では、ヨーロッパから中東を巡り、ネパールを目指し、さらに日本を経由してオーストラリアに渡り、そこからアメリカ大陸に向かうつもりだった。しかし、若者のうちのひとりが東京で日本人女性と結婚し、男の子も生まれ、家庭を持ったので彼の世界一周の旅は半分で終わった。もうひとりは旅を続けたらしいが、詳細はわからない。2CVフルゴネットのその後も不明だ。しかし、若者たちは多くの写真を残し、『La GLANDOUILLE』という本まで自費出版していた。 【写真を見る】インドでの旅の様子。
ポールさんと相棒のモーリスは、1966年10月9日にパキスタンからインドに入国した。ノートには、次のように書かれている。 <インドにようやく入れた。パキスタン側のイミグレーションで足止めされ、ずいぶんと待たされた。でも、他のフランス人3人組は11日間も足止めされていたというから、まだマシだったのだろう> アフガニスタンからパキスタンに入国する時には、<パキスタンのイミグレーションの役人はいいヤツばかり>とポールさんは好印象を得ていたが、反対に、出国時には待たされたのだ。その時点での、パキスタンとインド両国の関係性によるものなのだろうか。1947年にパキスタンがインドから分離独立しているから、緊張感のようなものがまだ生々しく残っていたのかもしれない。 インド入国初日の様子が、やや興奮気味でノートに記されてある。 <人が多い。クルマが多い。牛が多い。僧侶やコブラまでいる。道路の水たまりで身体を洗うヤツだっている。生きているものは、何でも焼かれて食べられている。眼に入るものすべてに驚かされる。インド初日は、面白かった> zuzuでフランスのコルシカ島を出発したのが、1年前の1965年10月15日だった。レバノンに9カ月間滞在していたことを差し引けば、シトロエン2CVフルゴネットに乗って、3カ月間の旅程でコルシカ島からインドまで到達したことになる。 <10月10日、デリーの手前50kmぐらいのところまで走って来た。捨てられた小屋に泊まる。食べ物もなく、周囲に何もないので晩ご飯は抜きだ。インドに来て、まだ1日しか経っていないが、こちらがコルシカからzuzuで走って来たからなのか、いろんな人が寄って来た。いいヤツもいれば、しつこいだけのヤツもいた> 翌10月11日、インドの首都デリーに到着した。インド全体の人口は1965年にはまだ5億人に達していなかった(2020年には14億人を超えている)。とはいえ、人口はデリーなどの北部の都市に集中していたというから、ポールさんが人の多さに驚くのも無理はなかっただろう。 <アカデミアの前でキャンプ。ガードマンがいるから安心だ> アカデミアと呼ばれているのは、何らかの教育機関だろうか。 人が密集しているデリーであっても、ヨーロッパからクルマで走ってきた連中とすぐに遭遇した。 <10月12日、シトロエン2CVでデリーに走って来たフランス人のジャンとスイス人のアンドレと会った。彼らは、旅行者が宿泊可能な寺院のリストを僕らにくれた。また、シーク教の寺院に行けば食べ物をタダで恵んでもらえることも彼らから教わった。“赤い城”に行った後、町の中心部で酒を飲んだ> 赤い城というのは、デリーの「ラール・キラー」のことで、ムガル帝国時代の城塞のことだ。 <ジャンとアンドレは、エドワールの友達だった。エドワールは今、アフリカにいるらしい> それは奇遇だ! エドワールとはベイルートでクリスマスを一緒に過ごし、バーミヤンでは知らずに殺されていたかもしれないところを教えてくれて助けられた。そのエドワールと友達だというのだ。 しかし、クルマでネパールを目指すルートは限られていただろうし、ルートが複数あっても、デリーのような“ポイント”となる都市に、ポールさんたちのようなクルマに乗った旅行者たちは自然と集結することになる、と考えることもできる。奇遇ではなく、必然だったのかもしれない。 <エドワールはアフリカに行ってしまったが、ジャンとアンドレたちと「さぁ、カシミールに行こう!」と気勢を上げた。ふたりが一緒に、チャンディーガルまで行ってくれた。そこには、フランスのニースから来た二人がいた。彼らは看護士だ。彼らには、アフガニスタンでも会っている。こん晩は、インド人の家に泊めてもらった。21時に、5人で行って頼んだけれども、泊めてくれた> 10月14日に、ポールさんとモーリスはデリーを出発して、ソラウに向かった。 <ジャックに言われたアドレスを目指した。フランス人が経営しているブラッスリだという。そこはビール工場に併設されていて、オーナーを呼んでもらったが、なんと、2カ月前に亡くなっていた> <10月15日、あるパーティに呼ばれる。昨晩、歩いていたら地元の人に声を掛けられ、一緒に食事して、酒を飲んだ。“明日、チャンディーガルの町のお祭りがあるんだけど、参加しないか?”と誘われた。パーティのようなものなのかと思って、翌日に行ってみると大きなシアターがあって1500人も見物客が入っていた。地元の人なのか、プロなのか、代わる代わるにステージに人が上がって、歌を唄ったり、踊りを踊ったりしていた。僕らも促されてステージに上がり、モーリスがギターを弾き、僕がハーモニカを吹く真似をして、子供が悪ふざけで歌うような歌を3、4曲唄った。まあまあ受けた> シリアやイランなどでは、移動距離が長かったわりには書かれた文章量がとても少ない。それに較べて、インドは一転して大都会デリーの人の多さや混沌、ヨーロッパ人旅行者たちとの邂逅もあり、ポールさんは心持ちを刺激されたのか、マメにできごとを記している。 <10月17日、アンドレとジャンたちと別れる。少し寂しい> <10月18日、アンバラに向かう。ビュッフェを食べる。4人で20ルピー。カシミールに向かう。山に泊まる。雨が降っている。軍人に招待され、キャンプでご飯を食べる> 10月19日には、インド・ジャンムー・カシミール連邦直轄領の首都シュリーナガルに到着する。デリーから876km北にある。インダス川の支流ジェルム川の両岸に位置していて、そこに浮かぶハウスボートが有名だというから、風光明媚なところなのだろう。ポールさんたちも、ハウスボートに泊まっている。 <イギリス人のビートニクにハウスボートに誘われる。1泊15ルピー。土地の結婚式を見に行く。男が女の父にカネを渡して、周りと相談するセレモニー。ハウスボートに戻る。ハシシでパーティになる。誰も陸に戻らない> <10月20日、隣の船に移る。静かに眠れそうだ。zuzuを置いて、40kmほど離れたギュルマルグに行こうと歩いて向かったが、雇ったガイドが道を間違え、タンマルグで泊まった。とにかく寒い。フランスで買って持って来た寝袋が役に立たなかった> 出直して、翌日、カシミール地方のギュルマルグに着いた。その翌日、早起きして、コーナンマルグという山に登った。 <ご来光を見た。雪がたくさん積もっているが、とにかくキレイだ。ヒマラヤの山々が目の前にある。木で建てられた家々も美しい。最後の何kmかは大変だったが、美しさに圧倒された。ベジタリアン料理もうまかった。ガイドに30ルピーを請求されて、高さに驚いた。時計とトランジスタラジオで勘弁してもらう。シュリーナガルのハウスボートに戻り、23ルピーで泊まっていいと言われ、翌朝、払わずに逃げた。古い街並みを散歩した。倉庫のような美術館を覗いたが、最低だった。シュリーナガルを出て、チャンディーガルに戻った> チャンディーガルは、1950年代のル・コルビュジエやピエール・ジャンヌレなどの都市計画が行われたことで有名だ。インドで最も高い生活水準を持っているらしい。 「最近、チャンディーガルのル・コルビュジエが設計した建物のことをフランスのテレビが取り上げていた番組を観た。マルセイユにもル・コルビジュエが設計した団地があって、そこもチャンディーガルのものも修復作業が進んでいるというニュースだった。チャンディーガルはゼロから造られたので、他のインドの都市にあるような混沌がないから、モダンでまったく違っていた」 <10月30日、チャンディーガルに泊まる。10月31日、デリーに戻った。シーク教の寺院には泊れなかったので、警察署の床で寝た。スイス人ヒッチハイカーもいた> デリーに戻って来たのは、ネパール入国用のビザ申請の結果を知るためだった。結果はOK、取れていた。急かされていたわけではないだろうが、ポールさんとモーリスは、デリーを出発し、この後、インド各地の名所旧跡をあちこち訪ね、ネパールに向かった。 PROFILE 金子浩久 モータリングライター 本文中のユーラシア横断は『ユーラシア横断1万5000km』として、もうひとつのライフワークであるクルマのオーナールポルタージュ『10年10万kmストーリー』シリーズとして出版されている。
文・金子浩久 取材協力・大野貴幸
<台風14号>外国人向けに防災情報発信 佐賀県国際交流協会が災害多言語支援センターを設置
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台風14号の接近に伴い、佐賀県と県国際交流協会は18日、佐賀市白山の県国際交流プラザ内に外国人向けの災害多言語支援センターを立ち上げた。「やさしい日本語」のほか、英語、中国語、韓国語、ベトナム語、タガログ語、インドネシア語、ネパール語、ミャンマー語の計9言語で防災情報を発信するほか、24時間体制で電話相談などにも対応する。避難所利用時の通訳支援なども担う。 情報発信は協会のホームページや交流サイト(SNS)のフェイスブック、さが多文化共生センターのLINEなどで実施している。電話相談では9言語に加え、フランス語、スペイン語などを含む計21言語に対応できるという。問い合わせは災害多言語支援センター、電話0952(25)7921。(大橋諒)