Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/b3989c4d8bebe788b0889bd9dc00aad90951fc61
外国人の増加や再開発、風俗街の浄化政策によって、風景が一変した街は少なくない。本連載では多文化が交錯するディープタウンを隅々まで歩くことで、混沌とする都市のリアルに迫っていく。 【画像】日本の「ブラジルシティ」群馬県太田市と大泉町 ディープな街並み現地写真 外国人労働者の問題が過剰に取り上げられ悪目立ちする昨今、共生のモデルケースと注目される自治体も存在する。日本の「ブラジルシティ」こと群馬県太田市と大泉町だ。太田市は約1万3000人の外国人が暮らし、大泉町では約8300人と実に住民の5人に1人が外国人だ。 都内から車で2時間弱。北関東自動車道の「太田桐生IC」を降りると、巨大な工場群が続々と視界に入ってきた。10分ほどで太田市の中心部に着くと、「SUBARU」の巨大看板が現れる。 訪ねたのは週末だったが、太田駅周辺を歩いても、日中はほとんど人が見当たらない。営業中だった飲食店に入ると店主がため息混じりにぼやく。 「この辺も随分キレイになって外ヅラは良くなったけど、休日は人が寄り付かなくなった。結局はスバルとパナソニックでもっている街、ということだよね」 かつて太田は、新宿・歌舞伎町と比較されるほどの繁華街として栄えていた時代がある。駅の南口ロータリーから2㎞ほど続く道路の両端には、飲み屋やショーパブ、外国人パブに風俗店等が並んでいた。だが約20年前の駅前の大規模開発や、違法風俗の一斉摘発を受けて街の雰囲気は激変した。 それでも夜9時を過ぎる頃には、繁華街は若干の賑わいを見せる。道路脇には路上駐車の車が現れ、数m歩くごとに、キャバクラの強引な客引き達が声をかけてきた。だが、往時に比べると夜の街の賑わいは落ち着いてしまった。この地に生まれ、夜の街で30年働いているという男性が太田の変貌を嘆く。 「昔は1万円程度で遊べる『一発屋』と呼ばれる違法風俗が全盛で、飲む、打つ、買うが全て揃う街だった。それが、駅前の再開発を機に、一気に風俗店が壊滅。その後も出店しては摘発されるというイタチごっこが続き、いまでは中国人が客引きしている1軒が残るのみだね。客層もずいぶん変わった。昔は工場の期間工や契約社員の日本人がメインだったけど、彼らの割合が減り、いまでは地元で暮らしている50~60代の日本人客が大半。どっちの景気が良かったって? そんなの、比べるまでもなく昔だよ」 「太田南一番街商店街」と呼ばれるこの地域には、いまも20軒程度のフィリピンパブが軒を並べていた。だが、店主の話では、かつては100軒以上が連なっていたという。フィリピンパブで働くメイ(仮名・20代)の表情も暗かった。 「円が安くなって、物価も上がり、家族に送金するとお金が貯まらない。日本で働くメリットをあまり感じられないよ」 目についたのは、繁華街に外国人客がほとんどいなかったことだ。店舗に聞くと、『外国人お断り』の店が大半だった。「日本人が同席ならOKで、外国人だけはNG。トラブルはごめんだから」と、多くの店が答えた。 ◆出稼ぎ者が「定住」 外国籍の人々との共生が進む街として取り上げられることも多い太田だが、住民の意識にバラツキがある。 空室が目立つようになった市営団地には、スキマを埋めるように外国人居住者が増加したが、市街地の団地で取材すると、大きなトラブルは聞こえてこない。 だが、ゴミ捨て場や団地内の至るところに、ポルトガル語や様々な言語でルールの徹底を促す張り紙があった。近隣で外国人顧客を中心に不動産業を営む、イラン人のサミー・アマドさんがこう話す。 「太田市中心部は家賃相場が7万円程。それが、郊外なら、家賃相場が1LDKで3万円以下、3LDKでも5万円以下と安価で外国人の住民が増えた。だから郊外のほうが圧倒的にクレームが多い。そのほとんどは高齢者の方からで、騒音やゴミの出し方に対する小言です」 太田から南に20分ほど車を走らせると、隣り合う大泉町の中心部に到着する。街の看板や表札にはポルトガル語が入り乱れていた。いまでは日本有数のブラジルシティとして知られるが、’86年時点では町内にブラジル人は一人もいなかった。 だが’90年の入管法の緩和、工場労働者の不足を背景に、’92年には1528人に急増。以降、ブラジルタウンが形成され、現在は約4600人のブラジル人が生活している。 人口約4.1万人と群馬県で一番大きな町の大泉町には、50ヵ国以上とも言われる国籍の人々が暮らしている。近年では、ベトナム人やネパール人の人口増が顕著だ。この10年間で、実に1000人以上もアジアからの移住者が増えている。 そんな中、「外国人の労働スタイルは以前と大きく変わった」と述べるのは役場関係者だ。 「もはや、南米からの『デカセギ』という表現は大泉では適切ではありません。永住・定住者が増え、3世、4世もいます。自ずと工場で働くだけではなくなり、建築や車関係の会社を立ち上げたり、飲食・日用品店を経営する人も増えています。一方で、アジアの方はいまも技能実習生や特定活動で来る方が多い。南米とアジアで、もっといえばそれぞれの国でコミュニティは異なります」 太田と大泉に共通しているのは、行政も民間も、外国人向けのサービスが非常に充実していることだ。例えば役所には多言語の相談窓口があり、担当部署も設置されている。民間に目を向けても外国人向け人材派遣会社が点在し、母国語での職探し、医療、福祉等のサービスを受けられる環境が整う。大泉町の人材紹介会社の従業員が打ち明ける。 「外国人の労働者に依存しないと、群馬でものづくりは成り立ちません。民間や地域ボランティアでも協力的な土壌が生まれ、外国人への理解もあります」 その一方で、地域から厳しい声があったのは生活保護についてだった。町の生活保護受給者の約4分の1が外国人という現実に、町民からは「本当に支援が必要なのか」という辛辣な意見も聞かれた。 筆者は太田と大泉で30人以上の外国人に話を聞いたが、正直、日本語をあまり理解できない層が大半だった。それでも、ブラジル人向けのスーパーや家電量販店が揃うエリアで取材に応じてくれた日本人の30代町民は、全く別の視点からこんな提言をする。 「外国人の方が生活保護受給に至るのは、学校や職場にうまく馴染めないから。語学レベルや、振る舞い等、日本人が高く求めすぎているのも原因のひとつだと思う。外国人に多くを求めるからには、語学や交流も私達から歩み寄る必要がある。こうした意識を持ち始めた人は、この町の若い世代で少なくないです」 一方で、外国人達から見た大泉町はどう映るのか。全国を転々とした末、現在は大泉町で会社を経営するブラジル人のチアゴ・ヴィニシウスさんが言う。 「小さい頃はブラジル人というだけで、学校でイジメられた。でも時代が変わり、課題はありますが、偏見は減っている。むしろ、若い方は地域のイベント、ボランティアの語学支援等も含めて、外国人を理解しようと積極的に交流する。だから住みやすさもあります」 地元選出で、外国人労働者等特別委員を務める、笹川博義衆議院議員(57)は、共生のあり方をこう考えている。 「これから必要な視点は、むしろ外国人労働者の方にいかに『選んで貰える地域であるか』ということです。教育等も含め、地域だけでできることは限られます。省庁も含め、国を挙げて考えないといけない局面に来ています」 少子化の進む日本では、移民の力を借りなければ立ち行かなくなる地域が今後、増加する。太田・大泉の取り組みは先進的な事例として、共生が不可欠となる日本の「希望」ともとれる。かつて労働者の街として栄えた歓楽街は、大きな使命を背負った街へと変貌していた。 栗田シメイ ’87年生まれ。スポーツや経済、事件、海外情勢などを幅広く取材。著書に『コロナ禍を生き抜く タクシー業界サバイバル』。『甲子園を目指せ! 進学校野球部の飽くなき挑戦』など、構成本も多数 『FRIDAY』2023年12月8・15日号より 取材・文:栗田シメイ(ノンフィクションライター)
FRIDAYデジタル
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