Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/acc4e524362548267c2821251870ebce9585e012
8千メートル峰14座すべての登頂を達成した四十数人のうち、「真の山頂」に到達したのは3人のみとした調査結果に揺れた登山界。GPSやドローン技術の発達で登山の在り方も変化を余儀なくされている。AERA 2023年12月25日号より。 【写真】メスナーさんとパサバンさんはこちら * * * 標高8千メートルを超える領域は、「デス・ゾーン」と呼ばれる。酸素濃度は地上の約3分の1、文字通り生命の痕跡すら感じられない場所だという。日本人としてただひとり、世界に14座ある8千メートル超の山すべてに登頂した竹内洋岳(ひろたか)さんは、かつてこう語っていた。 「8千メートル峰の山頂は本当に怖いんです。低温で全部が凍っていて、酸素も薄い。生きるのに必要なものが何もないような……。それに、すごくうるさい。風の音や心臓の鼓動、ゼエハア息をする音が大きく聞こえる。緊迫感があって一刻も早く立ち去りたくなる場所でした」 そんな8千メートル峰登山を巡り、ここ1年ほどある騒動が登山界をざわつかせた。きっかけは22年7月。ドイツの登山史研究者エバーハルト・ユルガルスキーらが、高所登山情報サイト「8000ers.com」上で、これまでの登山史を覆すような調査結果を公表した。 エベレストを筆頭とする8千メートル峰14座すべての登頂に初めて成功したのはイタリアのラインホルト・メスナーだ。1970年から足かけ17年かけて挑み、86年に達成した。その後2022年までに世界で四十数人が達成しているとされてきた。だがユルガルスキーのチームは、空撮写真などを用い、過去の写真や証言と照らして精査した結果として、「14座すべての『真の山頂』に到達したのは3人(当時)のみ」と発表したのだ。 ■空撮の発達で明確化 メスナーのほか、女性初の成功者エドゥルネ・パサバンや日本初の竹内さんらが、いずれも1~2座で真の山頂に立っていないとされた。メスナーの場合、85年に登ったアンナプルナが最高地点まで標高差で約5メートル足りなかったとみなされた。 そして今年9月には、ギネスワールドレコーズ社がメスナーらの記録を見直すと発表、日本の一般紙なども相次いで報道する事態となった。 ただし、これらは登頂の詐称などではない。過去には嘘をついたことが明らかになったケースや勘違いなどもあるが、メスナーや竹内さんらの例は違う。
高峰の山頂はどこが最高点かはっきりしないケースが多い。近年はGPSやドローン技術の発達で地形的な最高地点が明確化されつつあるが、従来の登山家は過去の記録などで最高地点とされる場所を目指し、現地でさらに高い場所がないか目視で確認して登頂を確信してきた。竹内さんはマナスルとダウラギリで「真の山頂」に立っていないとされたが、こう話す。 「例えばダウラギリは雪に覆われたピークと岩が露出したピークがあります。当時、多くの登山家が『最高地点は岩が露出している。雪のピークと間違えないように』とアドバイスをくれました。頂上とされる場所に到達し、目視でもそこが最高地点だと思えたんです」 ■世界中から疑問の声 当時は竹内さんが登ったピークこそがゆるぎない山頂だったのだ。一方、ユルガルスキーの検証で最高地点とされたのはそこではなかったという。 こうしたケースを「登頂していない」とみなすことには、世界中から疑問の声が上がった。登山雑誌の出版社・山と溪谷社取締役で、「山と溪谷」やクライミング専門誌「ROCK & SNOW」の編集長を歴任してきた萩原浩司さんはこう話す。 「宗教的な理由などで最高地点に立つことができない山もあり、地形的な最高点にこだわる必要があるかは疑問です。それに、そもそも登山は自己満足の世界。明らかにもっと高いピークがあるのに行かなかったなら登頂と言えないでしょうが、自分が頂上だと思う場所に到達できたのなら、それでいいのでは」 ■登山の大衆化・商業化 登山の内容も大きく変容した。メスナーが登山界のレジェンドとして君臨するのは、単に世界初の14座登頂者だからではない。当時、8千メートル峰には大規模な隊で挑むのが一般的だった。そんな時代に、メスナーはアルパインスタイルという少人数での登山を追求し、酸素ボンベを使わず、時に単独で新ルートからの登頂に挑戦し続けた。 一方、近年の8千メートル峰登山は急速に大衆化・商業化している。萩原さんは続ける。 「メスナーの登山は当時の常識を一新させる革新的なものでした。対して近年の14座登頂のなかにはシェルパの手厚いサポートを受け、十分な酸素を吸いながら登るケースもあります。そうした商業登山に乗れば、8千メートル峰登頂は技術的には難しくありません。同じ14座という枠で比べるのは無理がありますし、過去の功績を否定することもできないでしょう」 「登山はもっと自由なもの」と話すのは、ガイドとしてエベレスト7回、マナスル3回などの登頂経験がある国際山岳ガイドの近藤謙司さんだ。
「登山に国の威信をかけていた時代なら、数メートルにこだわる意味はあるかもしれません。しかし、いまの登山は個人の価値観で自由に楽しむもので、登り方も多様です。14座を目指す人は自分の思うやり方で目指せばいいし、難しいルートにこだわりたい人はそうすればいい。それぞれの登山にその人なりの価値があって、それを追い求めることに意味があります」 ユルガルスキーらのレポートで「世界初」の14座登頂者とみなされたアメリカのエドモンド・ビエスチャーズも、海外メディアの取材に対して「バカげている」と述べたという。 ■事実上「折れた」形 批判を受けてか、ユルガルスキーは今年10月、新たな声明を発表した。「歴史を書き換えるつもりはない」として「登頂許容範囲」という概念を持ち出し、「レガシー時代の14座」という名目でメスナーや竹内さんらの記録を復活させた。事実上ユルガルスキーが「折れた」形だ。 ただ、騒動は多くの混乱をもたらした。ともに13座に登頂している石川直樹さんと渡邉直子さんは昨年、最高地点に達していなかったとしてマナスルに登りなおした。この基準によるならば2人のどちらかが「日本初」、渡邉さんは「女性世界初」となる可能性もあった(ユルガルスキー基準での女性世界初は23年に中国の登山家が達成)。期せずして初登争いに巻き込まれたともいえる。前出の竹内さんは二人の心情を慮りつつ、言う。 「登山の発展においては、本当の最高点が明らかになったのは素晴らしい。ふたりには新しい時代の14座を極めてほしいです」 萩原さんもメリットはあったと話す。 「過去には『疑惑の登頂』もあったし、商業登山隊では山頂の手前で認定ピークと称して登頂とみなす事例もあります。今後8千メートル峰を登る人にとっては、後ろ指を指されることのない、本当の山頂がはっきりしたメリットはあると思います」 そして、こうも言う。 「メスナーのようなアルピニズムの最先端を受け継ぐ登山家が日本にもいます。今年の夏には、平出和也さんと中島健郎さんがティリチミール(7708メートル)という山に挑み、未踏だった北壁からの登頂に成功しました。8千メートル峰だけでなく、こうした登山にもぜひ目を向けてみてください」 (編集部・川口穣) ※AERA 2023年12月25日号
川口穣
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