Source:https://www.chunichi.co.jp/article/815142
2023年12月11日 05時05分 (12月29日 11時29分更新)、Googleニュースより
今年10月、ネパールの首都カトマンズから車で3時間ほどの村。観光客でにぎわう首都の喧噪(けんそう)をよそに、緑豊かな山々が連なり、棚田が整然と並ぶ谷を澄んだ水が流れる。
この村でヤギを飼って暮らすザヤラム(24)は、キビ畑の脇に腰を下ろし、うつむきがちに口を開いた。「一緒にビジネスがしたかった」。兄は日本で、自分はネパールで。飲食店でも、食料品店でも、どんな商売でもよかった。一時は経済大国として世界に名をはせた、日本で見たやり方を取り入れて。
だが、兄弟で描いた夢は、はかなく散った。「2人で頑張ろうと思ってたけど、こんなことになっちゃった」。生い茂った草を、不意に降りだした雨がぬらした。
2022年12月10日。ザヤラムの四つ上の兄は、故郷から4900キロ離れた名古屋市中区のワンルームマンションで息を引き取った。留学のために日本へ来て、わずか7カ月余。27歳の若さだった。
遺体は、同市内で荼毘(だび)に付された。同じくネパールから日本へ来ている同胞たちが集まり、ささやかに弔った。
出入国在留管理庁の6月末時点の統計で、国内の在留外国人は320万人を超え過去最多となった。ざっと計算すると、日本で暮らす38人に1人は外国人。都市部の中学校なら、クラスに1人はいることになる。
中でも近年急増しているネパールの人たちは、アルバイトをしながら日本語を学ぶ留学生が多い。代表的な勤務先は、コンビニや飲食店など。ザヤラムの兄もそうだった。
日々、どこかで顔を合わせ、すれ違う。だが、そんな彼ら、彼女たちを何も知らないことに気付いた。異国での生活の苦労や、背負った事情、そしていつしか生じていた異変。死亡に関する厚生労働省の統計で「その他」として100以上の国・地域の人たちと一緒にくくられた国から来た一人の若者、ワグレ・ナバラズの死。その背景を知るために、足跡をたどった。
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