Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/83969a275e9f006c5395dec2948cfea71566f225
定年を待たずに…共稼ぎで貯めた1億円を資金に
「外から最近の日本を見ると、大丈夫なのかな、ずいぶん落ちぶれたなと思います」 こう話すのは、’13年にタイ・チェンマイに移住した広瀬ガネッシュさんだ。 【家賃は4万円ちょっと!】すごい! 広瀬さんの自宅は… 時間に追われて生きてきた自分を振り返り、残りの人生はのんびり海外で過ごしてみたい――。そんな “老後の海外移住”を夢見る人は少なくないが、広瀬さんは、52歳で会社員生活に終止符を打ち、生活の拠点をチェンマイに移した。 移住して10年。現在はチェンマイ郊外の一軒家を借りて夫婦2人で暮らしている。 年金受給年齢前にも拘わらず、一度も職には就いていない。 退職したら“生産的な活動”には一切携わらない――。若いころからそう決めていたという。 「海外暮らしは30代から考えていたのですが、大好きな国に住むのであれば、仕事はしたくないという思いが強くありました。仕事で住むと、その国も人も嫌いになってしまうような気もして。だから移住するなら“ぷらぷら”したいな、と(笑)」 チェンマイでは貯金を取り崩して生活している。 「20代半ばに結婚したのですが、チェンマイで暮らすまではずっと共稼ぎ。定年後の移住を見据え、計画的に貯金を始めました。日本での拠点も確保したかったので家のローンを払いつつでしたが、子どもがいないこともあり48歳でローンも完済できた。 予定より早くローンを終えたので、移住の前倒しも考えたのですが、60歳までは働くべきかと迷っていた。そんな矢先、義理の兄が突然死してしまった。それで覚悟が決まりました。60歳まで生きているとは限らない、やりたいことはやっておくべきだと」 その時点の預金残高は約1億円。広瀬さんは52歳でのリタイアを決めた。 ◆“自由”でいられるチェンマイ 移住先をタイ・チェンマイにしたのは、タイという国や文化、チェンマイの町並み、そしてチェンマイに住む人々に強く惹かれたからだという。 「大学で歴史学科・インド中世史を専攻していたこともあって、20代からインド旅行の中継地点として、度々タイに短期滞在しました。その後、ネパールの首都、カトマンズに夫婦で2年ほど暮らしていた際にも、生活物資調達のため頻繁に足を運んでいたら、チェンマイが大のお気に入りに。 バンコクは大都会なので人が多くて苦手なのですが、チェンマイは自然が豊富で人も少ない。それにチェンマイは歴史のある街。歴史的建造物などが多く遺されていて、魅力にあふれていた。 また、近隣の東南アジア諸国に旅をするのも便利。飛行機で1~2時間の距離ですし、時期によっては国内線より安い運賃で移動できます」
「チェンマイにいると、自由でいられる」と広瀬さんは言う。 「チェンマイでは何をしようが人の目を気にしなくてすみます。例えば、日本で、平日の昼間から50代の働き盛りの男性が会社を辞めてぶらぶらしていたら、近所の人から怪しまれたりしますよね。 でも、チェンマイでは『リタイアした』と言えば『ふーん、そう』で終わり。深く追求されることはありません。いい意味で他人に関心がない(笑)。 だからこそ、僕自身、自由でいられます。とはいえ、フレンドリーで仲間意識は強い。困ったことがあれば手伝ってくれます。具合が悪いときは近所の人が薬も持ってきてくれました(笑)。ここでは、日本の田舎暮らしで聞く『村八分』なんてないんじゃないかと。適度な距離感で付き合えることが僕たち夫婦には心地いいんです」 海外移住にはビザが必要だが、タイは、リタイアメントビザ(NON-O)が所得できたことも決め手になった。 「ネパールへの移住も考えたのですが、調べたらビザの所得に手間と費用がかかることがわかった。一方、タイにはリタイアメント査証制度(※50歳以上を対象にした長期滞在ビザ)があり、現地の銀行に80万THB(約330万円・’23年12月現在)の貯蓄があれば取得できます。 一年ごとの更新は必要ですが、預金以外には取得のための厳しい条件がないので取りやすかった」 ◆1ヵ月の生活費は15万~20万円 1か月の生活費は家賃を含めて約15万円。円安の今でも20万円程度だという。食事は自炊と思いきや、タイ料理をテイクアウトして食べている。 「タイには家で料理をする習慣がないのでコンロがありません。大抵の人が、テイクアウトか外食です。僕ら夫婦も、炊飯器でご飯は炊きますが、近所で買ったタイ料理をおかずに食べることがほとんど。 日本でも週の半分はタイ料理を食べるくらい2人とも大好きなので問題ありません(笑)。そもそも家で料理をするのは暑くて大変。ちなみに今日(12月初旬)は朝の最低気温が23度。日中は32度まで上がりました」 仕事を持たない広瀬さんには、自分のために使える時間はたっぷりある。この10年で大好きなネパールはもちろん、マレーシア、ミャンマー、インドネシア、台湾と、近隣のアジア諸国に何度も足を運んだ。 「航空運賃の安い時期を狙い、各国の世界遺産を初め多くの遺跡を見て回っています。 チェンマイもバイクや車で走っていると、古い寺や壊れた仏塔など遺跡らしきものに出合えます。それが楽しくて遠出が増えました。タイは燃料費が高いので、近くで我慢すればもう少し出費も抑えられるのですが、仕方ない(笑)。 先日も今年登録されたばかりのタイの世界遺産に夫婦でドライブ旅行してきました。観光地化される前なので、人も少なく堪能できた。こういうことが気軽にできるのが移住した醍醐味でしょうか」
“旅三昧”のチェンマイ暮らしができているのも、50代での移住を決めたから。この10年を振り返り、早めのリタイアは大成功だったと言う。 「体力や気力を考えると、50代で移住したことは良かったと思います。やりたいと思ったらすぐに動けましたから。最近はいろんなことが少し面倒に感じられてきました(笑)。60歳を過ぎてから移住していたら、この10年と同じようにはできなかったと思います」 ◆移り住むまでわからなかった不便さ… 広瀬さんにとってはいいこと尽くしのチェンマイだが、「移り住むまでわからなかった不便さ」が一つだけあるという。 「大都会のバンコクは違いますが、チェンマイは医療体制が脆弱。大きな病院であっても日本なら町医者でも持っているような検査機器すらなかったりあっても古かったりで、医師も看護師も経験が浅いと思います。 僕は日本の海外旅行保険に加入していますが、タイには医療保険制度がないことからタイ人の多くは病院に行かずに薬で治しちゃう。こちらの薬局では日本では処方箋が必要な薬も簡単に買えちゃったりします。だから治療経験のある症例も極端に少ないような気がします。実は誤診されたことも。 それ以来、明らかにおかしいと不安を感じたときは、日本で診てもらうことにしています」 「今やチェンマイがホームタウンになった」と話す広瀬さんだが、脆弱な医療体制を思うと、日本での拠点となる家を手放すつもりはないとも。また最近は、近い将来チェンマイを離れることも視野に入れている。 「実は父が昨年、義母が今年亡くなり、ここ数年はコロナ禍だったこともあって数ヵ月単位で日本に戻っていました。今も妻は日本中心の生活ですし、僕も施設にいる母に会いに年に2回は帰国しています。 自分の健康問題なども考えると、近い将来、日本に戻ることになるのかなと」 いつ、チェンマイを離れてもいいように、この10年でできなかったことをやるのが当面の目標だ。 「まだ食べていないタイ料理も、見たい遺跡もまだまだありますし、ラーンナー文化(複数の民族が交流したことで築かれたタイ北部独自の文化)にも触れたい。それにはミャンマーにもラオスにももっと行かないと」
日本人とだけ交流し、日本食ばかり食べて暮らし…1~2年で帰国する人も
海外暮らしに憧れを抱いても、「資金は足りるのか」「語学もできないのに暮らせるのか」……とあれこれ迷い、行動を起こせないシニアは少なくない。行動力あふれる広瀬さんの活力の源泉はどこにあるのか。そう尋ねると、「自分勝手なだけではないですか?」と笑ったあと、こう続けた。 「あくまでも僕の考えですけど、日本人って“どういう自分が幸せなのか”を突き詰めて考えない人が多いと思うんです。自分が幸せかどうかは自分が決めることなのに、 人から“幸せだよね~”と羨ましがられる自分になることが幸せだと思っている人もいる(笑)。 僕は30~40代のときに、日本での暮らしに息苦しさを感じていたせいもあると思うのですが、自分の幸せはやりたいことをやることにあるのだとわかってきた。妻もまた、僕と過ごすうちに、同じように感じたのだと思います。ちなみに妻も大学は歴史学科。タイを好きになったのは僕より先でした」 最後に、本気で移住を考えている人たちへ、経験者から言えることを聞いた。 「考えているくらいなら来ちゃったほうが早い、と僕は思います(笑)。どれだけ経験者の話を聞いても、ネットで情報を検索したとしても、自分が経験することでしか実のところはわかりませんから。 とはいえ、移住先は慎重に決めたほうがいい。その国の文化や人を好きであることは絶対条件です。 タイは日本のシニア層に大人気で、チェンマイにも多くの日本人が暮らしています。でも、日本人とだけ交流し、日本食ばかり食べて暮らし、現地になじめず結局1~2年で帰国する人も少なくない。さほど好きでもない国を移住先に選ぶと、何か起きたときに、その国やその国に住む人に責任転嫁しがち。 好きな国なら踏ん張れるし、なぜうまくいかないのか、自分を省みることができます。なので、大好きな国を選んでほしいですね」 広瀬ガネッシュ 1961年東京都生まれ。’88年にタイのチェンマイを旅して一目惚れ、現役時代から毎年3~4回旅ベースで訪れ続けた後、’13年52歳でリタイアして移り住む。現在は周囲に外国人がほとんどいない郊外に一戸建ての住宅を借りノンビリ生活を楽しみつつ、時々タイ国内やアジア各国を旅する日々を過ごしている。 取材・文:辻啓子
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