Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/e2b0a64bf5dafd2b7855c6e86edf34b7fffe6e9a
世界一周の旅では、一日一宿くらいのスピード感で本当に数々の宿(特に安宿)に泊まった。そのほとんどの記憶は脳の片隅に追いやられているけれど、中には印象深い宿も存在する。振り返ると困った安宿の方が思い出に残っていたりするから不思議なもんです。 【写真】ガンジス川が見渡せる半屋外のドミトリー そして、今となってはどうしてそこまでして節約したんだろうと思うような宿泊体験もあるけれど、貯金を切り崩しながら旅をしていた当時の私にとって、いつまで旅を続けられるかは残金にかかっていたのだから当然でした。 * * * インドといえばガンジス川の流れる"死者の街"バラナシ。迷路のような路地道にはヒンドゥー教で神聖とされる牛が闊歩し、そのお尻について行くようにしてたどり着いたのが「ババゲストハウス」。 そこはバラナシ基準では比較的きれいな宿で日本人の旅人にも人気。満室だったことに私と旅友のザック(アメリカ人)が嘆いていると、 「屋上のドミトリーで良ければベッドがあるけど......」 私たちはむしろウェルカムだった。一泊200ルピー(2015年当時約400円弱)の低価格に喜び、ニコニコとしながら階段を駆け上がると、そこはトタン屋根と金網をはった窓に囲まれた半屋外のようなスペースだった。宿泊客は誰もおらず10台くらいのベッドが雑然と並んでいた。 一瞬怯んだけれど、外とつながっていて開放的なのがむしろ気持ちが良いじゃないかとバックパックをおろす。網戸の外からはバラナシの街やガンジス川が見渡せた。 「まぁ、寝るだけだし、いっか......」
立地は最高でガンジス川にほど近く、沐浴をする現地の人々の暮らしっぷりをすぐに拝むことができた。 そして日没になると川沿いの階段「ダーシャシュワメート・ガート」で「プージャ」という神聖なる礼拝儀式が始まった。太鼓やオルガンなどの音楽や歌が鳴り響く中、燭台に火が灯され神々への礼拝が行なわれる。 これまでに見たことのない、世界のどことも類似のない景色。とても幻想的でスピリチュアルでした。 夜になると川沿いは火葬場に姿を変える。三島由紀夫や沢木耕太郎も衝撃を受けたという「マニカルニカー・ガート」には、インド中から遺体が運ばれてくる。3千年もの間、24時間絶え間なく燃え続けている炎は、まるで死者を天に送り届けるかのように煙を吐き出していた。 バラナシの街はインドらしさが爆発し、パワーにあふれ旅人の好奇心を刺激するとともに疲労を感じさせる。 「なんだかとても疲れたな」 宿のベッドで薄い布切れ一枚をかぶって寝床につくが眠りは浅い。ふと目を覚ますと、蛍光灯に打ち落とされた小さな羽虫たちが、薄い布一枚挟んだ私のお腹の上にビッシリ。 そして日が昇ると、猿が金網をガシャガシャと叩き鳴らし私に朝を告げた。 「よし、宿を移動しよう」 個室が空いていればまた来よう(ドミトリーを開放してくれた宿には大感謝! 現在この屋上スペースはレストランになっているらしい)。 ちなみに私がいつか泊まりたい憧れのホテルは、猿ではなくキリンが朝食を食べにくるケニアのホテル「ジラフマナー」だ。
移動した先はインドを旅するバックパッカーにはお馴染みの日本人宿「サンタナ」。バラナシ、デリー、コルカタなどインド各地や、ネパールのポカラ、日本の京都や大阪にもある安心と信頼の宿。 ドミトリーが先ほどの宿と同じ値段だったのには驚いた(現在は600ルピー)。無料の朝食はトーストとチャイ、そして味噌汁が体を癒してくれた。 チャイと言えば、街中ではチャイは素焼きの器で提供され飲み終わったら地面に叩き付けて割るのが風習らしい。チャイは1杯10ルピー(約20円弱)程度と安いが、器の方が高いのではと気になった。なんだか勿体無いと思いながら私も器を地面に叩きつけた。 ちなみに私が飲んだチャイは現地のインド人にご馳走してもらったもの。インドではチャイを奢ることは友好の証らしい(そういえばバングラデシュでもチャイ屋の人にチャイを奢られそうになった思い出がある)。 このときは一応知り合いの紹介のインド人の奢りだったため、"知り合いの知り合いは知り合い"ということで甘えたが、基本、旅先で人にもらった飲み物を飲むのは要注意です。睡眠薬強盗や、女性であれば身の危険も伴います。 そんな情報も日本人宿に行くと手に入る。詐欺やボッタクリ、次々といろんなトラブルの話が聞ける。旅人にとって安宿は、安いだけでも寝るだけでもなく、情報の宝庫なのだ。 ★「世界の宿」シリーズ、次回へとつづく...(12月28日更新予定)
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