Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/10908dc1df10965f3ff1458ad8dc79a856f3b71b
前回の本コラムへの寄稿『「骨太の方針」資産運用立国が孕む懸念点』では、家計金融資産を貯蓄から投資へ向かわせる過程で懸念される円安リスクについて議論した。これ以外にも「骨太の方針」には議論すべき論点が多くあった。 とりわけ為替市場で円安地合いが定着している状況から注目される論点としては対内直接投資残高に関して期限と水準の目標が設定されたことは捨て置けない。実はこの点も過去の本コラムへの寄稿『「資本の鎖国」続く日本 外資系企業の投資は北朝鮮以下』で円安と関連させて掘り下げた経緯があるが、改めて論点整理をしてみたい。
本腰となる日本政府
今回、「骨太の方針」では具体的に以下のような記述がみられた: 海外からヒト、モノ、カネ、アイデアを積極的に呼び込むことで我が国全体の投資を拡大させ、イノベーション力を高め、我が国の更なる経済成長につなげていくことが重要である。対内直接投資残高を2030年に100兆円とする目標の早期実現を目指し、半導体等の戦略分野への投資促進<中略>我が国経済の持続的成長や地域経済の活性化につなげる 方針の公表以前から日本政府が対内直接投資を盛り上げようと躍起になっていることは既報の通りである。例えば今年5月18日、岸田文雄首相が海外の大手半導体メーカーや研究機関計7社の経営幹部らと首相官邸で面会したことが大々的に報じられている。 具体的には、半導体受託生産で世界最大手の台湾積体電路製造(TSMC)はもちろん、韓国のサムスン電子、米半導体大手のマイクロン・テクノロジーや、米IBM、インテル、アプライドマテリアルズ、ベルギーの研究機関imec(アイメック)の首脳らと面会している。この際、「政府を挙げて対日直接投資のさらなる拡大、半導体産業への支援に取り組みたい」と述べ、日本への投資を促す方針を喧伝している。 対内直接投資の経済効果は想像しやすいものだ。熊本県菊陽町におけるTSMC工場の誘致がそれを実証している。 7月3日公表された2023年1月1日時点の路線価ではTSMCが工場建設を進める熊本県菊陽町の一部が前年比+19.0%、九州7県全体では+2.2%上昇したことが話題を集めた。日本企業の国内回帰に期待できない以上、外資系企業の対日投資が景気を押し上げる経路は期待すべきものである。
対内直接投資は「安い日本」の戦略分野
上記コラムでも紹介したように、現状、日本の対内直接投資残高は世界的に見ても異様に抑制された状態にある。国連貿易開発会議(UNCTAD)のデータによれば(図表(1))、21年末時点の直接投資残高(%、対名目GDP)に関し、日本は数値が公表されている201カ国中198位の5.2%にとどまっている。日本より下にはネパール、イラン、イラクの3カ国しかなく、1つ上はなんと北朝鮮(5.9%)だ。 経済協力開発機構(OECD)平均が56%、途上国全体の平均でも32%であることに照らしても、日本の対内直接投資状況が如何に閉鎖的なのか良く分かる。仮に「2030年までに100兆円」という目標が達成された場合、名目国内総生産(GDP)が現状から横ばいとすれば、GDP比率で20%程度まで上昇することになるが、これでも途上国平均には届かないという話になる。 ちなみに20%前後の20カ国・地域(G20)加盟国を挙げるとするとアルゼンチン、イタリア、インドネシアといった名前が並び、G20加盟国以外ではエクアドル、ナイジェリア、ベネズエラなどがある。イタリアを除けば先進国という枠組みには無い国々である。 繰り返しになるが、「安い日本」と言われる中、国内製造業の国内回帰がそれほど期待できないのだとしたら、外資系企業の日本への新規投資を促すことは極めて重要な施策だ。インバウンド政策は海外の「人」を、対内直接投資政策は海外の「企業」を日本に取り込む努力をする政策であり、共に日本経済の両輪として注力すべき「安い日本」の戦略分野である。
過去、目標は達成されてきた
こうした現状を踏まえ、定量目標として掲げられた「2030年までに100兆円」は現実的なのか。例えば13年から22年までの対内直接投資残高は平均すると前年比+9.4%で伸びている。仮にこの伸び率が維持された場合、政府目標の期限である30年には約94兆円、31年には100兆円の大台に乗るイメージになる(図表(2))。 「2030年までに100兆円」は不可能とは言えないが、易しい目標とも言えない。ハードルとしては絶妙な高さに設定されていると言える。 ちなみに、対内直接投資残高は国際的に見た異常な低水準もあって、事あるごとに時の政権が中期目標として持ち出されてきた。例えば、今から20年前の03年1月、当時の小泉純一郎政権も「2001 年末の対日直接投資残高から5 年間で倍増する」という政府目標を掲げ、03年5月には「Invest Japan」のスローガンの下、日本貿易振興機構(JETRO)に「対日投資・ビジネスサポートセンター(IBSC)」が設立されている。 IBSC設立は対日投資に係るあらゆる情報がワンストップで入手可能になり、外国企業が手続きの煩雑さから解放されることを企図したものであった。この小泉政権の目標は残高ベースおよびGDP比ベース、いずれでも達成されている(それぞれ6.9兆円→13.4兆円、1.3%→2.5%)。また、最近では13年、第二次安倍晋三政権により掲げられた「日本再興戦略」において「2020年までに対日直接投資残高を35兆円に倍増する」という目標が設定されており、20年は約40兆円と、これも達成されている。 発射台が非常に低いという前提があるものの、おざなりにされやすい財政再建目標などとは違って、対内直接投資残高に関する政府目標は達成されてきた経緯がある。必然的に今回も期待を抱くことにはなる。
どうやって増やしていくのか?
政府は対内直接投資残高をどう引き上げていくつもりなのか。「骨太の方針」では対内直接投資残高の引き上げを企図して「半導体等の戦略分野への投資促進、アジア最大のスタートアップハブ形成に向けた戦略、特別高度人材制度(J-Skip)や未来創造人材制度(J-Find)の創設<中略>投資喚起プロモーション・世界への発信強化などを含む『海外からの人材・資金を呼び込むためのアクションプラン』」等々、さまざまな施策名称が紹介されている。しかし、率直に言って、この文言だけからでは、何がどれほどの確度をもって奏功しそうなのか良く分からない。 現時点で確実に言えることは、実質実効為替レート(REER)で「半世紀ぶりの円安」を記録している以上、他の先進国から日本への投資がコスト面で相当改善しているという事実だろう。近年、「安い日本」を活かす策と言えば、インバウンド政策の重要性がかなり浸透しているものの、対内直接投資政策の重要性はそれほど認知が進んでいないように感じられる。また、客観的な事実として、地政学的な安定性や依然として世界3位という経済規模、治安の良さ、教育水準の高さなどPRできるポイントも相応にある。 今年春に公表された国際通貨基金(IMF)世界経済見通し(WEO)や国際金融安定報告(GFSR)で指摘されていたように、世界的に直接投資は政治・外交的に距離感が近い国・地域に再編成される傾向がある。いわゆる「デリスキング(De-Risking)」という概念である。この点、西側陣営の成熟国でありなおかつコストが安い日本は利便性が高い立地にも見受けられる。 詳しくはWEOをお読み頂きたいが、事実として世界の直接投資動向は地政学リスクの高い中国から中国以外へシフトしていく潮流がある(図表(3))。このような時代背景には日本が対内直接投資を引き込む上で確かに追い風だろう。
研究開発拠点を誘致する税制導入へ
なお、円安に拠らない具体的な施策としては経済産業省が特許や著作権などが生み出した企業の所得に優遇税率を適用する「イノベーションボックス税制」の創設を検討していると報じられていることが目を引く。岸田首相は通常国会閉会に伴う記者会見で「世界に伍して競争できる投資支援パッケージ」を仕上げていく意思を表明しているが、これは対内直接投資のような有形資産投資もさることながら、研究開発投資のような無形資産投資の促進も企図されている。知財分野の強化を企図する「イノベーションボックス税制」は後者を促すものだ。 条件を満たした知財から得られた企業所得は税優遇を受けられるというのがイノベーションボックス税制であり 、一部の欧州諸国は2000年代前半から導入している。例えば過去10年(13年~現在)で言えば、英国(13年)、イタリア(15年)、アイルランド(16年)などが相次いで導入済みだ。アジアではインドが17年、シンガポールが18年に導入し、本稿執筆時点では豪州や香港も議論に入っている。米国も若干形式は異なるが、類似の優遇税制を用意している。世界的に「自国で研究開発して貰う」ための政策努力はかなり前から進められている。 こうした無形資産投資を促す税制の導入は対内直接投資残高の押し上げとも無関係ではないだろう。日本に研究開発拠点を設ける動きが進めば、それ自体も対内直接投資の増加に寄与する。 一方、工場・生産設備(対内直接投資)が集積する過程で研究開発拠点の設置も検討される余地は出てくるだろう。結局、有形資産投資の促進と無形資産投資の促進は表裏一体で進む部分もあるはずだ。 今回の本欄の趣旨とは異なるので詳述は避けるが、最近2~3年で日本のサービス収支赤字の膨張は著しいものになっている。この赤字膨張はデジタル・コンサルティング・研究開発の3つの分野に起因する(図表(1))。 例えば、米巨大IT企業が提供するクラウドサービスやインターネット広告スペース、音楽・動画配信サービスへの支払などを主因として、サービス収支の中でもその他サービス収支の赤字が急膨張しており、22年は約▲5.8兆円を記録した。インバウンド需要が最盛期にあった19年でも旅行収支黒字は約+2.7兆円だったことを思えば、もはや「おもてなし」で外国人を呼び込むだけでは外貨流出の穴を埋められない。
デジタル関連の赤字は元を質せば、研究開発分野において日本が劣後してきたことと無関係ではないのだろう。研究開発費に関し、GAFAMが日本企業を遥かに上回っているという事実は広く知られている(未来投資会議(第31回)配布資料)。その結果が米国の誇る独占的な競争力の源泉であり、日本のサービス赤字の主因であるという事実は見逃せない。 ちなみに、過去数十年にわたって米国や韓国、その他主要国と比較しても日本の研究開発分野への人的・金銭的負担は明らかに劣後しているという指摘もある(図表(3))。日本は今、サービス赤字を通じてそのツケを払わされているとも言えるだろう。 対内直接投資促進やイノベーションボックス税制導入でこうした状況が一夜にして変わるとは思わない。だが、ようやく正しい方向へ処方箋が打たれ始めたようにも思える。
「円安を活かすカード」は1枚でも多い方が良い
今後の日本では基礎的需給構造の変化を背景として円高局面よりも円安局面の方が長いものになっていく可能性が高いと筆者は考えている。基礎的需給構造の変化に関しては、過去の本コラムへの寄稿『外貨が入ってこない日本 経常黒字でも「円」が脆弱な理由』などでも議論させて頂いた通りだ。 仮に、円安が日本の新常態なのだとすれば「円安を活かすカード」は1枚でも多く用意しておいた方が良い。もちろん、インバウンド受け入れに勤しんで旅行収支黒字を拡げようとする試み重要ではあるのだろう。 だが、観光産業だけで500兆円の経済を揚させることは難しい(19年のインバウンド最盛期の旅行収支黒字でも約+2.7兆円しかなかったのだから)。片や、北朝鮮以下という状況にある対内直接投資のポテンシャルは相応に大きさを感じさせるものであり、奏功すれば、再び日本経済が円安を起点として輸出数量を伸ばすという構図を取りもどせる芽もなくはない。 いずれにしても、22年に直面した円安が長きにわたった「円高の歴史」の終わりであるとすれば、今後は円安を活かす手段としての対内直接投資が鍵になってくることは確かだろう。対内直接投資残高の引き上げは今年度「骨太の方針」における最重要論点の1つと言って差し支えないように感じる。
唐鎌大輔
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