Source:https://wanibooks-newscrunch.com/articles/-/4527
Googleニュースより
ネパールの民族“グルン族”に嫁いだ、日本語しか話せない日本人妻・グルンこのみ。2023年2月に開設したYouTubeチャンネルの登録者数は約3.5万人、TikTokのフォロワー数は4万人にものぼる。結婚して8年、夫以外のネパール人家族とはフィーリングで会話していると話す。
ニュースクランチ編集部は、そんな日本人妻・グルンこのみにインタビューを実施。学生時代の話や旦那さまとの出会い、義家族との関係、今後やってみたいことまで幅広く語ってもらった。
スポーツ推薦のプレッシャーに潰れてしまった
――このみさんの学生時代を教えてください。
グルン 私は新潟県出身で、高校はスポーツ推薦でスポーツ科に入ったんですけど、入学して3か月後に転校したんです。
――最初に入った高校は、このみさんに合わなかったんですか?
グルン それが……今でこそこんなに明るい私が心の病気になってしまったんですよ。自分でもびっくりでした。ずっとやってきたテニスもできなくなってしまい、自分はテニスがなくなったら何もないんだ……と思ったら心が閉ざされちゃって。もう、今の私とは別人でした。
そこから適応障害、躁鬱といろんなものを抱えてしまい……高校には通えないかもと諦めかけていたんです。そうしたらありがたいことに、当時の同級生から「こんな学校もあるけど?」って誘われたのが、転入先の高校です。その高校には芸能コースがあり、そこで新潟のタレントの方が講師をしていらして、“自分もこんなふうになれるんだ”と知りました。
――そうだったんですね。
グルン 転入先の高校では、学校のみんなや地元の友達などいろいろな方に支えてもらいながら通うことができて、今までずっとテニス生活だった私が、知らなかった世界を見ることができました。中学生の頃に思っていた「タレントさんになりたい」という夢も叶えられるんだ! と視野が広がった瞬間でもありましたね。
――テニスはいつから?
グルン 私が生まれた頃から兄がすでにテニスをやっていたんです。私も3~4歳くらいには硬式テニスを始めましたが、しっかり始めたのは小学校2年生ぐらいですね。朝から夜までずっとテニス漬けで、幼少期はプロ選手みたいな生活をしていました(笑)。
――そんなにも頑張っていたテニスができなくなってしまったと。
グルン そうなんです。しかも私、勉強が全くダメで(笑)。本当に勉強をしてこなかったので、先生や両親に「高校に行くならスポーツ推薦しかないぞ」と言われたので、勝つしかない! 頑張らなきゃって思っていました。
それで、ずっと行きたかった高校に入学できたんで、いろんなもの抱えながらもテニスを頑張っていたんですが、でもやっぱりちょっと合わなくて……それで折れてしまったんですよね。スポーツ推薦で入ったというプレッシャーもあったんだと思います。“結果を出さなければ存在意義がない”みたいな思いは常にありましたし、1位じゃなきゃダメなんだと思っていたことは、すごく覚えています。
――その後、転入された高校ではどうだったのでしょうか。
グルン だんだん元気になって高校に通えるようになりました。留年して1年多く学校に通いましたが、先生方や学校のみんなが本当に優しくて親切な人ばかりで、楽しみながら過ごせるようになりました。自分なりに適応できるようになってきたかなってときに、遊び感覚で動画を撮って投稿したり、ライブ配信などを始めるようになりました。その頃に旦那っちと結婚が決まったんです(笑)。
旦那っちと出会って体調がどんどん良くなった
――旦那さまとの出会いを教えてください。
グルン YouTubeでも話しているのですが、旦那っちとは英会話のオンラインレッスンで出会いました。精神的にも元気になってきたころで、もっといろいろと経験を積みたいと思って、英語の勉強をしてみようと思ったときに出会って。そこからどんどん体調も良くなったんです。
――YouTubeを見ていると、旦那さまはとても温かくて包み込んでくれる印象を受けました。
グルン 本当になんでも受け入れてくれて、私をずっと肯定し続けてくれるんです。私は勢いで突っ走るタイプなのですが、旦那っちはそれを後片付けしてくれますね(笑)。
――電話やオンラインでやり取りをされていて、実際に会ったときはどんな感じだったんでしょうか。
グルン 私から「会おうよ」と言ったんですが、すぐに仲良くなりましたね。実際に会ったときは「本当に(彼が)存在するんだ!」と思うと同時に「絶対にこの人と結婚するな」と思いました。
――最初から何か感じるものがあったと。
グルン たぶん、何かを感じていたからこそ、会いに行ったのかもしれません。当時は新潟と名古屋で離れていたんですが、会ってみたい気持ちが最初から強かったんです。
――18歳で出会って、20歳で結婚となったんですね。
グルン 20歳になってすぐに結婚しました。「いずれ結婚するだろうな」とは思っていたものの、こんなにすぐに結婚するとは思っていなかったです(笑)。
旦那っちのお母さまと緊張の初対面
――結婚前、ネパールのご家族に会いに行ったんですよね。
グルン 旦那っちがネパールのグルン族だということは、付き合ってから知ったんですよ。それまで何も知らなくて。旦那っちがお母さまに「この子と付き合っているよ」とテレビ電話で伝えたら、お母さまは「私の息子に何をしてくれてんだ!」くらいの勢いで……嫌われてしまったんです。
――え?
グルン グルン族はグルン族同士で結婚する文化や、旦那っちの兄弟がまだ結婚してない状況もあって。お母さまも、いきなり見知らぬ外国人を紹介されて、パニックになっちゃたって感じで……。本当にいろいろとあったのですが、旦那っちがしびれを切らして「1回ネパールに遊びに来ないか」って言ってくれたんです。
――その状況でネパールに行くのは、かなり緊張したんじゃないですか。
グルン その前に、もう私が疲れてしまって……じつは「別れたい」と言ってしまったことがあるんです。そしたら、旦那っちが「お母さんにも紹介したいし、ネパールの景色も見せたいし、僕が育ったところを見てほしい。もし許しが出たらそのまま(交際を)続行しよう。ダメだったら、このみの好きにしていいよ」と言ってくれたんです。
――実際に行ってみてどうでしたか。
グルン 自分を飾りたくなかったし、ありのままの私を知ってほしかったので、いつもの私で行こうと思いました。それでダメなら仕方がない! みたいな心持ちで(笑)。
――(笑)。反応はどうでしたか?
グルン お父さんは私に会いたかったみたいで、すごくニコニコしていました。でも、近所の人も含め、やっぱり最初はバリアがすごかったですね。家の中をいろいろと見せてもらっているときに、みんなが見ている前で旦那っちがお母さまを説得し始めたんです。何を言っているか私にはわからなかったので、とりあえず私にできることは笑顔を絶やさないことだと思って笑っていました(笑)。
それで一旦、トイレに行こうとしたら、何十人も集まっているから、玄関に靴がすごく散乱していて。私の靴までも遠かったし、気になったので1足ずつ並べていたんですよ。そしたら、その姿をお母さまが見ていたみたいで、感銘を受けたって(笑)。
――ええー!
グルン 私がトイレ行って帰ってきたら「座れ座れ」と言われたんです。そのときに“あー、もうダメなんだ”と思っていたら、お母さまが「結婚しなさい」って。皆さんがすごく喜んでいたので、私も一緒に喜びました(笑)。
――まさかの勝因は靴!(笑)。でも、気遣いある行動は、どこでも大事ってことですね。
グルン そうですよね。母親からの教えが生きてよかったなと思います(笑)。
――このみさんの優しい行動に感動したんですね。生活習慣の違いで苦労されたことやびっくりされたことはありますか?
グルン ありがたいことに、結婚してから幸せなことしかないんです。これまでの苦労話を話したいんですけど、本当にないんですよね。結婚してから、私は家族愛を知りました。旦那っちはすごく家族思いで、それに影響された感じです。結婚してから、自分の家族のことも、これまでよりも愛するようになりました。
26歳までは好きなことをしていいよ
――ネパールの方と結婚すると伝えたとき、このみさんのご家族の反応はどうでしたか。
グルン 結婚することは母親しか知らなくて。絶対に反対されるだろうなと思ったので、籍を入れる準備をしてから家族に伝えたんですが、まさかのまったく反対されずに承諾を得たので、そのまま手続きを進める感じになりました(笑)。
――少し拍子抜けされた感じですね(笑)。海外生活ということもあり、ご両親は心配されたのではないでしょうか。
グルン うちの家族は、みんな独立型だったので心配はしていないと私自身は思ってましたが、YouTubeで母親に当時のことを聞いた際、本当は何もわからないから心配していたということを知りました。当時、私が適応障害になったり、家族もどう接していいかわからなかったと思うし、家族とも距離があり、話もできていなかったので、気持ちを知ることができてうれしかったです。
※後にお母さまの当時の心境は動画で語られています
〇【国際結婚】親子の壮絶な戦い。グルン族に嫁いだ娘と母親のお話
――結婚したのはタレント活動を始めたときでしたが、活動はどうされたんですか。
グルン 旦那っちには「26歳までは、このみの好きなようにしていいよ」と言われたんです。結婚したときは私がまだ20歳だったので、いろんな経験をさせないといけないと思ったらしくて。その言葉で本格的にタレント活動をすることを決めて、地元の芸能事務所に所属しました。
――旦那さまが年上だからこそ、26歳までは見守ってくれたのでしょうか。
グルン そうですね。いつも見守ってくれて、何かあったら助けてくれます。落ち込んでいたら「大丈夫だよ」って励ましてくれるし、後押しもしてくれる。そんなステキな人です。
喋れなくても一緒にいることで家族になれる
――ネパールの美味しいものを教えてください。
グルン モモは絶対に外せません! 日本でいう蒸し餃子みたいなものです。日本が醤油を使うように、ネパールはカレーを使うから、どの食材もカレー味なんですよ(笑)。あとは、チャウミン(焼きそば)とかも、そこまでカレー味じゃないので日本人にはすごくおすすめです。
〇ネパールの国民食MOMOを日本で作ってみた
――国際結婚だと食文化が異なりますよね。苦労した部分などありましたでしょうか。
グルン 苦労、ありました! 本当に大変でしたね。私、胃腸が弱いみたいで……例えば生水はもちろんですが、沸騰させた水もダメなんです。歯磨きはミネラルウォーターを使ったり、食器は浸け置きタイプの消毒薬を使ったりしてます。でも、ネパールに移住することになったときのことを考えて、少しずつ体を慣らしていかなきゃと思っているんです。
19歳で初めてネパールに行ったときに、何も知らないから普通に食べたり飲んだりしたら、次の日に倒れて意識を失ってしまって……。よく言う“白い世界”を見たんですよ。そんなことがあったから、行って帰ってを繰り返してだんだんスパンを短くしつつ、徐々に体を慣らしていきたいんです。
――言葉はどうですか?
グルン 全然です(笑)。YouTubeを編集しながら、ちょっとずつ覚えているんですけど、新潟に帰ってくると日本語しか喋らないからすぐ忘れちゃって。なかなか覚えられないんです。
――言葉でコミュニケーションを取れない状況下でも、閉じこもらないでいられるのがすごいです。何かコツがあるのでしょうか。
グルン 私も20歳で初めてネパールに行ったときは、閉じこもったこともあったんですよ。何を言っているかわからないし……「なんでちゃんと訳さないの」「何を喋っているかわかんないじゃん」とか、旦那っちともケンカするんですよ。
でも、喋れないのって私が勉強してないからだなって。どうしようかなと考えていたら、旦那っちが「この家は、このみの家なんだから好きにしていいんだけど、それで後悔はないの?」と言われたんです。今のままだったら後悔するかも……と思って、喋れなくても一緒の空間にいるようにすることから始めました。
そしたら、みんなが気遣って喋りかけてくれるんですよね。その気遣いがうれしくて、私もだんだん楽しくなって、言葉が通じなくても日本語で話しかけたりして、今の関係ができあがった感じです。
――なるほど。ネパールのご家族から言われてうれしかった言葉はありますか。
グルン ご飯を作ったときに「ミトチャ(おいしい)」と言われると、やっぱりうれしいですね。あと、家族でお茶を飲みながら団らんしていたときに、家族みんなが「本当に、このみと結婚してよかったね」と言ってくれたんです。
――それはすごくうれしいですね。
グルン はい。うれしいです。 今はネパールの家庭料理まだまだですが、いずれかはもっと美味しく作れるようになりたいですね!
今後は「自分と誰かの居場所を作りたい」
――ネパールに行き始めて何年経ちますか?
グルン 19歳で初めて行ってから、コロナ禍でなかなか行けなくなってしまって。ようやく今年から本格的に動いているので、まだ行ったり来たりの生活が始まったばかりです。
――動画を見ていると、どことなく懐かしいく感じる風景などがあって、ネパールに行きたくなりました。
グルン ネパールには日本人の観光客の方もたくさんいらっしゃるんですよ! エベレストなど有名な山が多くあるので、登山をされる方もいらっしゃるみたいですね。他にも最近はおしゃれなカフェなどもできていて、これからどんどん盛り上がっていくんじゃないかなって思います。
――今後はネパールの良さを発信していきたいと。
グルン そうですね。ありがたいことに、たくさんの方にYouTubeやSNSなどで見ていただけるようになって、私の母もそうだったのですが、ネパールを「知らない・わからない」ということで生まれる勘違いやネガティブなイメージを、私の動画で減らせていけたらなと思っていて。こういった動画を作るYouTubeチームを、いつか作れたらな~なんて思ってます(笑)。
――動画編集とかに興味がありそうな人は周りにいるんですか?
グルン 結構いますね。興味はあるけどさっぱりわからんって、笑顔でみんな言います(笑)。私もネパールで楽しいこと、うれしいことを仲良くなった人と分かち合いたいし、何か協力できる居場所、そういう場所を作りたいよねって話しています。
――それは素晴らしいですね。それ以外の活動で目標はありますか?
グルン ネパールのテレビ番組や日本のテレビ番組に家族と出演してみたいです(笑)。私の家族はテレビが大好きで、ずっと見てるんですよ。「テレビに出るよ」と言ったら(ネパールの)マミーとババ(ネパール語で「父親」のこと)がめちゃくちゃ喜ぶと思うので、それも目標? かもしれないですね(笑)。
あとは、私自身が適応障害や躁鬱などいろいろ経験してきたんですが、そのときに一人ではなく、いつも支えてくれる人たちがいて、そのおかげて今の私があります。
なので、さっきの話と重複しますが自分の居場所もそうだし、誰かの居場所を作るのも目標かもしれないですね。そのためにいろいろな知識や感情を経験して「そういう考え方もあるんだね」と言える人でありたいし、何事も否定から始めるのではなく、拒否のない人間になりたいなと思います。
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