Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/2a8ff407f3009ef6d02475a129c46f341cabb02d
新型コロナ、アジアで流行が拡大
感染者数が増大した国に由来する変異株は英国由来のものや南アフリカ由来のものを含めて、瞬く間に世界中へと拡大し、従来株を置き換えました。自国由来の変異株の拡大が深刻なインドを中心に、流行初期は感染が欧米に比べて制御できていたアジアでも、現在は深刻な状況に一変しています。ついには、これまで地域内感染を食い止めてきた台湾やシンガポールでも感染の連鎖が報告され始めています。今回はその流行に焦点を当てていきます。 【写真】新型コロナ、日本の満員電車で「クラスター」が起きない「意外なワケ」 世界の流行状況に関するデータは世界保健機関の発表はもとより、ジョンズ・ホプキンス大学のGithubサイト(https://github.com/CSSEGISandData/COVID-19)で公開された情報がオープン化されており、また、複数ソースに基づくロイター通信のポータル(https://graphics.reuters.com/world-coronavirus-tracker-and-maps/ja/regions/asia-and-the-middle-east/)などでも見やすくまとまっています。 2021年5月15日現在、インドとその周辺国での流行状況が極端に悪化しています。インドで報告されている新規感染者数は1日30万人以上で、死亡者が1日4000人程度発生しているとされます。 但し、日本で1日30万人のカウントが正確に把握できるかどうかを想像していただければ、インドのカウントがどの程度の参考資料であるかがわかるとは思います。あくまで流行極期にある“定性的”情報として捉えられる程度でしょう。 自国由来の変異株であるB.1.617が増加していると言われていますが、インドではゲノム解析が常時実施されているわけではなく、どの程度を占めているのかが把握されていません。 また、インドから近いネパールやパキスタンでも感染者が最近までに最大を記録しています。ネパールではインド由来の変異株を中心に1日の新規感染者数は10000人に達しそうな勢いで、パキスタンでは英国由来の変異株が中心ですが、1日3000~4000人程度です。 スリランカでは4月に急増状態にあり、インド由来と思われる変異株の影響なのか、1日あたり2000人を超える感染者が報告されています。バングラデシュは4月前半に現流行の波のピークがあったとされますが、その頃に1日7000人程度の感染者が報告されていました。 東南アジアでも流行の傾向が変わってきました。タイでバンコクを中心に変異株の流行が拡大しています。これまでに何度も封じ込めに成功してきたタイでしたが、毎日2000人を超える新規感染者が報告されています。 マレーシアとカンボジアでもそれに関連してか、新規感染者数がそれぞれの国の最大に迫る数が報告されています。インドネシアでは昨年後半から流行状況が極めて悪く、1月末のピーク時には1日12000人の感染者が報告されました。 トルコでは以前から感染者が世界でも目立って多く、5月15日時点で1日10000人を超えています。世界全体の直近の感染者数を「100人」とすると、アジアと中東で、そのうちの「69人以上」が発生していることになると報告されています。アジア地域の流行は現在までに拡大傾向を認めており、日本と同様、大多数が制御に苦しんでいる状況です。 その理由の一部は、タイや日本にあるように変異株が蔓延していることが影響していると考えられています。しかし、必ずしも変異株のことだけでなく、これまでの楽観論が見られたことを顧みる必要性が、専門誌を含めて指摘されてきました(Lancet誌 https://doi.org/10.1016/S0140-6736(20)32001-8)。
「ファクターXがあると感じさせた理由」
流行当初の疫学状況ではこれまで述べた状況と正反対に近く、アジアでは中国を筆頭として流行制御に成功する傾向がありました。欧州や南北アメリカ大陸と比べてアジアでの感染率は低く、世界各地の専門家はもちろん、一般の知識人も、そこには「自分たちは比較的守られている」というような生物学的な決定要因があるものと想像してきました。 実を言うと、私自身も世界の感染状況のコントラストの話について、2020年3月前半に厚労省クラスター対策班内において、東北大学の押谷仁教授に投げかけて話をしたことがあります。「なんでなんですかね」「アジアでの爆発的拡大は、ここまで武漢だけだね」のような会話を複数回しました。多くの研究者が世界の流行状況のコントラストに頭を抱えていたのです。 そして日本では京都大学の山中伸弥教授がまだ見ぬ防御的要素を「ファクターX」と名付け、その可能性を発信したこともありました。当時は、ウイルス株の違いや遺伝的要因、交差免疫や細胞性免疫(BCGを含む)など、いくつかの候補が挙げられました。 もちろん、その後に多くの研究者がこのファクターXの解明に向けた研究に取り組んでおり、既にいくつか仮説を提唱する研究があります。大切なこととして、その存在は未だ否定されるものではありません。 しかし、ここまでに明確なのは、唯一論的に説明が可能な決定的なものが未だ発見されていない、ということです。そして、いま、アジアでの感染リスクは十分にあって、予防接種が進む、ごく一部の先進国を追い越して、アジアでの流行拡大が世界の流行をリードする状況に至りました。 どうして、昨年の時点では「ファクターXの可能性を示唆するデータ」に見えたのでしょうか。これまでの研究や状況などから見えてきたことを中心に、私なりの現時点での考え(反証)を以下に整理して共有したいと思います。疫学的な流行状況のコントラストを観察することを通じて、唯一論的なファクターXが(もし、存在しないとすると)「あるように見えた」理由として次が挙げられます。 ---------- (1)改めて、感染リスクには「他との従属性があること」。 (2)中国が2020年2月に自国の流行を素早く制圧したこと。 (3)気温と2次感染リスクの間に負の相関があること。 (4)多くの成功国が渡航制限と検疫に真剣に取り組んだこと。 ---------- それぞれについて説明します。
(1)「感染リスク」と「従属性」
これまでに予防接種による集団免疫の説明をしたとき(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81092)、それは感染というイベントのリスクが従属的であるために起こる現象であることを説明しました。 つまり、あなたの感染するリスクを大きく左右しているのは、あなたの近しい人が感染しているかどうか、ということです。自身の帰属する集団で感染が多いと、自分も感染しやすくなります。 2020年2月下旬からイタリアでの流行が起こったとき、欧州連合(EU)の他国では感染が拡大することが不可避でした。EU諸国は異なる国ではあるものの、地続きなわけですからフランスやスペインなどにすぐ波及することになりました。行き来の多い近隣国の感染リスクは、イタリアでの感染リスクに対して、従属的なのです。 インドの事例を見てみてもそうです。インドで爆発的に流行すると、近しいネパールやスリランカでほぼ同時に感染者が増えています。日本に英国やインドから変異株が入ってしまうのもそうです。日本の最も厳しい入国管理政策として外国籍の新規入国を停止したとしても、駐在員や留学生などの日本国籍の者は出入国できる状態ですので、出入りのある国同士が互いに影響を与えないわけではないのです。 そう考えると、2020年前半は、東アジアや東南アジア、オセアニアではそれぞれの国が感染リスクを低く抑えており、互いに感染を与え合わない状況にありました。「どうしても行き来しなければならない人」に関しても、次第に渡航制限や検疫が機能し始め、地域共同体としてWin-Winの状態にあった、ということが理解できると思います。 アジアで行き来の多い周辺国の感染リスクが低いなら自国の感染リスクも低くなる、という当たり前のことが起こった、というわけです。
(2)国内流行を素早く制圧した中国
中国では去年1月後半から湖北省で武漢市を中心として都市封鎖を行いました。いわゆるロックダウンの実践の初例となりました。既に広く知られていますが、中国での行動制限に伴う流行制御は流行のごく初期で奏功したのです。 特に、その後の経過として、中国では継続的に渡航制限と検疫を強化しており、地域でクラスターが複数発生した際には、局所的な地域のロックダウンを繰り返す政策で封じ込めをしてきました。 そしてその影響は他のアジア地域にも及びます。中国からの渡航は、日本を含めたアジア地域への渡航者の出身国別で常に上位ですから、渡航者における感染リスクを圧倒的に下げることに繋がったものと考えられるのです。 もちろん、中国以外にも韓国や台湾、東南アジアの成功も特筆すべきものですが、中国における制御の成功は、その人口サイズと波及効果を考えると極めて大きくなることは定性的に明らかですね。 ただし、翻って考えると、中国に凄まじい数の感受性宿主(今後も感染する可能性がある人たち)が残っており、そのことが抱える潜在的な流行リスクは今後も継続するだろうことに注意が必要です。中国の人口全体に予防接種が即座に広がるにはサイズが大きすぎます。 それに加えて、変異株のみならず有効性がmRNAワクチンよりも低いとされる不活化ワクチンを使用してきました。すさまじい規模の流行が起こり得る状態で残っている、ということになります。 人口規模を考えるとインドの包含するリスクが高いことは、疫学者も理解してきたところでしたが、同様に中国の今後のリスクや社会秩序については隣国としても安定の維持を見守ることが必要なのだと思います。
(3)気温と2次感染リスクの負の相関
アジアでは、中国が話題の中心でしたが、発展途上国を含む東南アジアで流行が下火だったのはどうしてなのでしょうか。もちろん、シンガポールや台湾、香港のような例外はありますが、その他も封じ込めに近い状態を達成してきました。 その一因として、詳細なメカニズムは明らかにしなければなりませんが、気温が低い時、このウイルスの伝播は気温が高い時よりも効率的になることが知られています(すなわち、気温がファクタ―Xの一部だったと言っても語弊ではありません)。 どの地域も冬季が流行の鬼門であり、気温が低い時期に人が移動して飛沫が飛び交うようなイベントがあると大変危険だと考えています。日本だと、第3波の際の年末年始に感染者数が一過性に増加しましたが、そのようなことです。 すなわち、東南アジアの各国で封じ込めや大規模流行回避(それを抑制=Suppressionと呼びます)に成功してきたことには、熱帯地域や亜熱帯における高温が助けになっている可能性を考えています。 他方、ずっと気温に頼る訳にはいかず、フィリピンやインドネシアのように変異株の出現前から流行制御がおぼつかない場所では流行拡大が何度か起こってきました。 東アジアと東南アジアでは、中国を除けば、日本と韓国の2か国は第1波の抑制にそれぞれの方法で成功しました。それ以外の多くの国が熱帯や亜熱帯地域に属します。アジアに帰属する国の環境条件を考えると、気温に帰する部分は相当量にのぼるものと想像されるのです。
(4)渡航制限と検疫の成果
他方、豪州とニュージーランドに目を転ずると、それらの国は南半球にあり、2020年1月以降のアジアでの一過性の感染者数の増加時には夏の時期でした。 そして、流行当初からではあるのですが、豪州とニュージーランドは極めて強固な渡航制限と検疫に取り組み、流行対策としても、様々な種類の不慣れなことも果敢に試していきました。 南半球が冬季の頃、それらの国では様々な封じ込め対策が行われましたし、英国由来の変異株の感染者が発生した時には、豪州は都市レベルでロックダウンを行いました。そのような対策は、国家として「ウチは感染者を入れずに、封じ込めてゼロにするのだ」という気概で実施されていることが伝わります。 南半球の2か国のみならず、これらの国の判断は南太平洋の島国にとっても参考になりました。南太平洋では十分な医療体制を準備することもままならない保健システムの中で本流行に対峙しています。 そのため、検疫政策は豪州などを踏襲して強固なものを取ってきました。感染者が入ってきたら島レベルで止める、ということを繰り返してきたのです。 以上に加えて、このウイルスは2次感染を一切起こさない人が感染者5人中4人くらいと多いので、特に従来株ではウイルスの伝播が持続し難いという特徴が顕著でした。アジアの多くの国が、その特徴の恩恵を受けてきたのかも知れません。しかし、変異株で感染性が増すと、これまでのようにいかなくなったのだと思います。
日本は何を学び、考えるべきか
以上のようなことを背景に、アジア地域同士で互いにリスクが低いWin-Win状態を一時的にでも作れたことは誇らしいものだと思っています。 また、これまでの流行状況のサイエンスから、「ファクターXの存在が強く示唆される」と言われた状態が、どうして作られてきたのかが一部判明してきたので、本稿で共有をしました。変異株の流行拡大を契機に、根拠のない楽観主義が危険であることを再認識させられる機会になったと考えています。 残念ながら、日本を含めて、これまで低リスクを謳歌してきたアジアの流行状況が芳しくありません。私にとっても、一時的にせよ、台湾で2次感染の連鎖が止めにくい状況が生じるのは想定外でした。 予防接種の見込みに関して言えば、日本は国民のmRNAワクチンが時間の遅れこそあれ、確保されそうであるという極めて特別な状況にあり、多くの発展途上国や中進国は中国から不活化ワクチンを少数だけ輸入して接種をしてきた、という程度の状況にあります。 いまアジアの中で、日本という国の責任はどうあるべきでしょうか。一国の総理大臣が、大変な流行中に米国にまで渡り、ワクチンをより多く確保することが流行拡大中のアジアに誇れる行為だったのかどうか、実は国民を守るべき本感染症の科学的分析を提供する立場にいる身ですが、疑問を感じています。 目を覆いたくなる惨状にあるインドには、COVAX(COVID-19ワクチンへの公平なアクセスを目指した国連組織を中心とする取り組み)を通じて1億3800万ドーズが提供されましたが、人口規模に比して少なすぎる状態です。 もちろん、日本の状況を良くするためにmRNAワクチンを確保することは間違いなく重要なことです。しかし、こうやって国際的視点に立って落ち着いて眺めると、米国に行ってまで追加の供給を要請し、それを利用して有利な政治を展開しようという国に、果たして五輪を開催する資格があるのでしょうか。 私は倫理的問題を包含する矛盾に大きな悩みを抱えながら、1人の日本人として、研究者として、そして医療者としてデータを見て苦しんでいます。国内の医療体制や国際的なリスクを鑑みると、日本には、日本人としての良心を示し、ハイリスクイベントを断固として強行しない勇気が求められているのではないかと思うのです。 パンデミックは明らかに中盤を迎えていますが、少なくとも、その中で潜在的なリスクが明らかとなりつつあり、感染者数を少なく保つことの必要性が確かとなりました。流行対策は続きます。
西浦 博(京都大学大学院 教授)
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