Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/8c974de0a9d44e413e71e63518d43077566e35af
「法整備支援」とは、他国の法律の制定や法制度の整備、法に携わる人材の育成を支援することである。日本政府はこれまでJICA(国際協力機構)の事業などにより、ベトナムから始まり、カンボジア、モンゴル、ラオスなどを支援してきた。支援先の国々に長期間専門家が赴任して活動している。それも民法や刑事訴訟法など重要な法律ばかりだ。また、日本に法律を学びにくる留学生もいる。それぞれの当事者たちに話を聞いた。(取材・文:伏見学、神田憲行/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
「恩返し」でもある、法整備支援
モンゴル、カンボジア。新型コロナウイルスの問題が起きなければ、昨年5月からさらにネパールに3カ国目の赴任をする予定だった、と磯井美葉弁護士は笑う。磯井さんの仕事は、赴任国の法整備支援だ。 「途上国のなかには基本的な法律や法制度がない国があります。社会活動や経済活動が不便であるばかりか、一般市民が権利侵害を受けても訴える手立てもなく、泣き寝入りをするケースもあります。私はそうした国での法制度を整えるお手伝いをしています」(磯井さん)
磯井さんは、JICAが25年前から取り組んでいる「法整備支援プロジェクト」に加わっている。1996年のベトナムを皮切りに、これまで10カ国に専門家を長期派遣するほか、23カ国を対象にした研修も実施しているプロジェクトだ。関わった専門家は約200人に上るという。 こうした支援は日本だけでなく、フランスやスウェーデン、国際機関なども行っている。また明治政府が民法などの起草のためにフランス人法律家のボアソナードを招聘するなど、積極的に諸外国の法制度を学んできた歴史もある。磯井さんがやっている活動は、いわばそうした歴史の「恩返し」のような側面がある。
「人がいない」カンボジアで不動産登記制度を整備
2013年から1年間赴任したカンボジアでの活動には、特に思い入れがある。 磯井さんはカンボジアで、他国では経験しなかった苦労を味わう。1970年代に起きた同国の政治勢力「クメール・ルージュ」による住民の大虐殺の影響である。 「まず人がいないんです。教育をする先生はいないし、裁判を担う人もいません。教育の復興は時間がかかるし、そこから人材育成が始まります。大虐殺の影響は本当に何十年も続くんだなと思いました。指揮命令系統は錯綜していて、担当以外の部署であっても、できる人に手伝ってもらっていました。そこはやりにくかったし、大変でした」 カンボジアに対する日本の支援は1999年から始まっている。磯井さんは弁護士として9人目の赴任だった。それまでに民法・民事訴訟法が成立していて、磯井さんは不動産登記の共同省令を作る活動を引き継いだ。不動産登記制度とは、土地などの不動産の所有権などを明確にして登記簿に記録し、公開する制度である。土地取引には必須の制度だ。 「不動産登記法を作ることが大目標でしたが、いきなり法律にするのは大変です。まずは共同省令を作成し、登記のサンプルを整備して、皆さんの参考資料にしてもらうようにしました」
「カンボジアには当初、(旧宗主国である)フランスが支援に入り、刑法・刑事訴訟法の制定に取り組んでいました。さらに民法にも関わる予定だったんですが、先述の通りカンボジアには人がいません。もうそこまで手が回らない、ということでフランスが降りてしまった。そこで、すでにベトナムでの支援活動に従事していた日本に白羽の矢が立ったのです」 民法作りは困難を極めた。通常は、当該国がまず草案を作り、それをもとに日本側の支援スタッフと議論しながら精度を高めていく。しかしカンボジアには草案を作れる人材がおらず、日本側がクメール語で作るところから始まった。 「カンボジア民法は1305条あります。それを概念の説明から1条ずつ、一言一句確認しながらやっていったと聞きます。能力と言葉のギャップがありながら、よくここまでのものを作ったと思いますね」
磯井さんはこの日本のやり方を「寄り添う支援」という。 「時間がかかりすぎるほど、きめ細かく取り組んでいます。それにより現地の人からも信頼を得ているのです。日本も明治維新や、第二次大戦後の改革で苦労しているため、単なる自国のコピーではだめだという感覚を持っています。相手国に寄り添い、どうすれば変わるのか、真剣に考えています」 この寄り添い型の支援こそが、日本が法整備支援のパートナーに選ばれる理由だとJICAのガバナンス・平和構築部ガバナンスグループの小林洋輔参事役も強調する。 「自らの経験もありますし、比較法学研究の蓄積も評価されています。日本であれば、自分たちの文化や価値観を重視した形で法整備支援をしてくれるだろうという期待は大きいです」 カンボジアでの活動で、磯井さんにとっても忘れ難い、ねぎらいの言葉がある。 「一緒に活動をしていた司法省の女性次官が、国連の会議に呼ばれて法制度の発展についてスピーチする機会がありました。そこで日本の支援をアピールしてくれたのです。彼女は20年も日本と一緒に仕事をする中で、日本の支援が必要だとずっと言ってくれました」
「罪刑法定主義」が理解されていなかった
JICAの法整備支援に関わるのは弁護士だけではない。伊藤淳さん(42)は、検察官になって10年目の2016年に法務省の法務総合研究所国際協力部に異動し、そこで海外から日本に研修にくる人たちのサポートをしていた。そして17年7月から20年3月まで、法務省とJICAの共同事業として、ラオスの法整備支援に向かうことになった。 「上司から『ラオスに行ってくれ』と言われたときは、それはどこにあるんだろうくらいの感じでしたね。タイやベトナムといった他の東南アジアの国と比べても全く馴染みがない。妻と子どもと4人でラオスに着いたときは、すごいところに来たね、と顔を見合わせました」
任された仕事はすでに進行しているプロジェクトの進行管理をするプロジェクトリーダーの仕事と、刑事訴訟法の運用の改善だった。 「刑事訴訟法はあって、刑事裁判も行われていたんですが、法律を運用する解釈が統一されていませんでした。みなさんが自由に解釈して、好きなように運用している状況でした。それで事例を集めたマニュアルを作り、実務家に配って勉強をしてもらうことにしました」 やり始めるとすぐ、それが一筋縄ではいかない仕事だとわかる。たとえば刑法には「罪刑法定主義」という大原則がある。法律の根拠なく人を罰することはできない、という概念だ。 「ラオスにも法律用語として『罪刑法定主義』という概念は存在しますが、彼らと話していて、あーこれはあまり理解していないなとわかりました。まさに『そこからですか』という感じです」
しかしそれはラオスの人々にだけ責任があるわけではない。 「ラオスにある法律は他の国が『これは良いものですよ』と置いていったものが多いです。しかしラオスにはラオス社会に根ざしたラオス人が守るべき規範があるはず。それが体系化もされていないし、共有化もされていない。土台がないところにいろいろな国が作っている法律の考え方を持ってきているから、しっくりきていなくて使えないんだろうなと思いました」 社会的・文化的な壁に衝突する一方で、彼らの働きぶりに瞠目する場面もあった。 「非常に勉強熱心です。自分の担当とは違うところでも『この制度は日本ではどうなっているんだ』と聞いてくる。そばにいるこの日本人からなんでも吸収してやれという感じで貪欲でした。良い意味のエリート主義で自分がこの社会を引っ張っていくという気概がある」 伊藤さんの妻が病気で入院した際には、なごむ体験もした。 「仕事をしながら子ども2人の面倒を見なければならず困っていました。同僚のラオス人に相談すると、『職場に連れてきたら面倒を見てあげるよ。何なら一緒に会議も出ていいよ』と言ってくれたんです」
伊藤さんは昨年3月に帰任、いまはまた検事として働いている。当初は困惑することも多かったラオス滞在だが、今も心に残る現地の言葉がある。「ボーペンニャン」という。 「気にすんなよ、という意味です。他人から迷惑をかけられたときに使う言葉なのですが、ラオスの人たちは、自分が他人に迷惑をかけたときも言いますからね(笑)。そういうところもひっくるめてあの国が大好きになりました。今はコロナ禍ですが、いつか旅行で行きたいねと妻と話をしています」
ベトナムから法律を学びに日本へ
アジア各国の法整備支援にJICAより早くから力を入れているのが、名古屋大学だ。法学部設立40周年記念で集まった基金を元に研究教育をスタート。同大学法学部の森嶌昭夫教授(当時、現・名誉教授)が92年にベトナムのハノイ市を訪れた際、当時の司法大臣であるグエン・ディン・ロック氏から民法の立法作業支援を懇願されたことから、法整備支援が始まった。まだ日本政府の援助もなく手弁当での活動だったが、ベトナム政府の司法関係者たちの熱意に心を打たれた森嶌氏は足繁くベトナムに通い、民法の起草作業を開始した。 「その後はアジアでの人材育成にも取り組み、ベトナムの司法大臣や副大臣は名古屋大学大学院の修了生です。また、大学ではベトナムを始め、ミャンマーやインドネシアなど7カ国8都市に『日本法教育研究センター』を設立し、日本語による日本法の教育をするなど、人材育成に貢献しています」(名古屋大学法政国際教育協力研究センター講師・牧野絵美さん) 現在、ハノイの日系法律事務所で弁護士として勤務するトゥオン・ティ・トゥ・ホアイさん(30)は、ハノイ法科大学時代に名古屋大学の取り組みを知った。 「大学に入学するとき、日本法教育研究センターのポスターや資料を見たのがきっかけです。センターに入れば、無料で日本語などを勉強できて、留学するチャンスがあることを知りました。日本について勉強するうちに、留学の決心が強くなりました」 ホアイさんはそれまで日本語の勉強をしたことがなかった。「あいうえお」を覚えるところから始めて、日本の文化や歴史、法制度を法科大学の勉強と並行して学んでいった。 「1、2年生のときは漢字が覚えられず大変でした。宿題と試験も多かったし。それでも民法を勉強すると、日常の生活が全て法律と関係しているのがわかり、面白かったです。市場で野菜を買うのも契約なんだ、とか」 2014年、ホアイさんは念願の名古屋大学に留学を果たす。日本の大学の法学部の講義は、ベトナムのそれとは大きく違っていたという。
「日本では法律についてその制度趣旨から学べました。またひとつの条文について、Aという解釈、反対のBという解釈、判例はこうですと、法律についてさまざまな意見があることがわかりました」 ベトナムでは法の解釈権は国会の常務委員会というところが独占しており、裁判所はその法律を適用するだけで解釈権をもっていないという。学説というものもない。判例もようやく5年前にできたとか。 ホアイさんはその後博士号を取得、現在はハノイで日本の投資家に弁護士としてアドバイスをする立場である。 「私の仕事は日本人投資家だけでなく、ベトナム経済の発展にも役立つと考えています。またベトナム法と日本法の比較研究も進めていきたい」 名古屋大学では、現在もベトナムからの留学生が学んでいる。修士1年生のグエン・ティ・ガンさん(33)もそのひとり。 「各国の法律を比較するコースに所属しています。私はベトナムの法律を、他の学生はそれぞれの国の法律を紹介する中で、『どうしてこうなのか?』などと聞かれるため、自国の法律をよく知ることができました。また、法律と社会の関係について考える『リーガルサイコロジー』という新しい分野を学ぶ機会も生まれました」
ガンさんは現役のベトナムの司法省職員でもある。話を聞いていると「これは私の国でも使えると思う」など、政策につなげていこうとする姿勢が伝わってきた。 「ベトナムはハーグ条約への加盟を検討しています。条約の批准に向けては、国内法を整備しなければなりません。私の研究が役に立つはずです。また、所属する民事執行局では今後、国の政策として実効性のある計画を作らないといけません。日本で学んだ経験を生かして、提言していきたいです」 日本の法整備支援は、東南アジアだけでなく、ウズベキスタンやコートジボワールなど10カ国に活動領域を広げた。コロナ禍によって現地への移動が難しい中にあっても、オンライン会議を駆使するなどして活動を止めない。どんなときでも相手国に寄り添う姿勢こそが、日本が国際社会にアピールできる大きな価値だろう。
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