Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/0f11208c9bbbe7a855bd954c5bf33d2e9ac7fe36
単独や少人数で高峰に挑む場合、頂上にたどり着いた、と証明してくれる審判はおろか目撃者すら存在しない。そのため、登頂したと言い張った登山家に対し、疑惑が噴出する事例もある。 【画像】登山界のスーパースターの“疑惑の登頂”をなぜメディアは報じないのか たとえば、スイスの登山家、故ウーリー・ステック。「登山界のアカデミー賞」とも呼ばれるピオレドール賞の受賞者で、ドキュメンタリー映画『アンナプルナ南壁 7400mの男たち』でも取り上げられた有名登山家だ。だが、2011年のシシャパンマ単独登頂、2013年のアンナプルナ南壁単独登頂、というステックの功績には疑惑の目が向けられている。 登山データを調査するフランスの研究者ロドルフ・ポピエは、スペイン紙「エル・パイス」にステックの功績について疑念を呈し、目撃者のいない登山のデータを裏付けるための調査手法や、なぜマスコミがその疑惑について報じないのか、といった問題について語っている。
登山家がついた「嘘」を暴く
1990年、スロベニア人の登山家トモ・チェセンが世界第4位の高峰ローツェ南壁を制覇した、と主張した。ヒマラヤ登山史上最大の偉業とされたが、登頂を証明する写真はないとした。その後すぐにチェセンはスナップ写真を提供したが、それは数年前にこの岩壁に挑んだ他の登山家から盗まれたものだった。 2015年、フランスの研究者ロドルフ・ポピエは、チェセンの2つ目の嘘を暴いた。チェセンの友人が望遠レンズで撮影した写真は、ローツェ南壁のベースキャンプではなく、別の場所で撮影されたものだったというものだ。 そして2017年、ポピエは、スイス人登山家のウーリー・ステックのヒマラヤのシシャパンマとアンナプルナの単独登頂について、嘘をついていたのではないかという疑惑を裏付ける報告書を出した。 「エル・パイス」のインタビューで、ポピエが自身の研究と、功績を自己申告制とする登山界の手緩い取り組みについて語った。
“登山界のアカデミー賞”受賞者なのに
── ウーリー・ステックの2011年のシシャパンマ単独登頂に関する疑惑は、2013年のアンナプルナ登頂の前か後、いつ浮上したのでしょうか? ロドルフ・ポピエ その前です。実際、私が彼に聞き取りできたのは2015年から2017年の間だけです。2015年の秋にカトマンズで直接会って、2016年にはかなり緊張感のある話し合いをしました。(登山ウェブサイトの)8000ers.comから2016年にアンナプルナの調査を依頼されました。ですが、前述の面談の後に関係が悪化したため、ステックと話をする時間がなくなってしまって……。ですから、レポートはステックへのインタビューなしで出されました。 ── 2017年にステックに関するレポートを出したときの、ピオレドール賞の審査員の反応はどうでしたか? ポピエ リンゼイ・グリフィン(註:著名な山岳ジャーナリスト)は、ステックの言葉を疑うに足る証拠がないと感じていました。クリスチャン・トロムスドルフは、私の研究を読んで両方の登頂に疑問を持った同僚のヤニック・グラツィアニ(註:いずれもフランスの登山家)を信じていました。 ステックの(2013年に達成したとされる)アンナプルナ南壁単独登頂に対し、2014年に賞を与えた委員会の中でも意見が分かれました。カトリーヌ・デスティヴェル(註:フランスの女性クライマー)とジョージ・ロー(註:ニュージーランドの登山家)は疑問を口にし、3年後に私が研究成果を発表した際には、2人とも私を祝福してくれました。
大一番の登山でGPSのデータがない?
── あなたの意図は、チェセンやステックを罪人扱いすることではなく、登山家の活動へ確実な証拠を求める必要性について考えさせることだとおっしゃっていましたが? ポピエ その通りです。この仕事を始めたときからの信念はそれです。実際、2017年には「ヒマラヤン・データベース」と8000ers.com(ヒマラヤ登山を記録している2つの団体)と連携し、フランスのアルパインクラブや米国の山岳雑誌ともすでに協力していました。その頃には、登頂や関連する活動の証拠に関する問題への取り組み方に、何かが欠けていることがはっきりしていました。登山家と機関側、両方にかかわる問題です。 2017年に論文を発表したときには、議論が巻き起こりましたが、反省期間はそう続かず、非常に残念でした。ステックが(エベレストの西峰)ヌプツェで亡くなり、言わば現状維持となってしまいました。デスティヴェルは殺害の脅迫を受け、私はソーシャルメディアで叩かれ、「ヒマラヤン・データベース」で仕事を続けたければ、ステックの件から手を引け、とほのめかされました。 さらに、2018年にはグループ・ドゥ・オート・モンターニュ(ピオレドール賞の主催団体)が多少理解に苦しむ発表を行いました。私たちは2017年に賞の応募者に「活動内容に関する適切な証拠文献」の提出を求めるようこぎつけたのですが、この進展を角が立たない形で否定したのです。 ── ステックは、シシャパンマやアンナプルナの登頂の際に、なぜGPS付きの時計を使わなかったのか説明してくれましたか? ポピエ 前述したように、ステックはアンナプルナについては、不快な質問に対して激怒したので、聞き取りできませんでした。シシャパンマについては、腕時計には10個程度のアクティビティしか保存できないため、シシャパンマのデータは消えてしまったと言っていました。ステックがまだその腕時計を持っていたか覚えていませんが、もし持っていたら「スント」(ステックのスポンサーである時計会社)や他の専門家に送ることもできたはずです。 また実際には、ステックは独立GPSも持っていました。下山時に利用するために、ルートの最初にポイントを記録していたのです。つまり、山頂でのポイントも記録することができたはず、ということです。腕時計では記録していたのですから。(続く)
Óscar Gogorza
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