Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/45747a3916ce434d721bda5eb48e1410e846ea71
[カプルガナ(コロンビア) 11日 トムソン・ロイター財団] - コロンビア領内に広がる熱帯雨林は無法地帯だ。その中を、アンゴラ出身で妊娠5カ月の移民女性が重いリュックサックを背負って進んでいく。ジャングルの荷物運搬人からは「20ドル(約3000円)で荷物を担ぐよ」と声が掛かるが、2度断った。 「この先はもっとキツい。山も増える」。隣接するパナマに続く原生林を抜ける60マイル(約96キロ)の行程が始まる場所で、ガッシリした体格の地元男性は彼女に警告する。それでも彼女は首を振り、ぬかるんだ険しい道を重い足取りで進んでいく。 前後には、何十人もの男性、女性、そして子どもたちの列が不規則に連なり、コロンビアとパナマの国境地帯にある「ダリエン地峡」へと続く道をたどっていく。道もないジャングルを抜けていく危険なルートだが、米国を目指すと決めた記録的な数の移民に利用されている。 乳幼児を連れている人もいる。蛇から身を守るために山刀を携帯する人もいるが、多くは、何日も続く行程にしては心もとない装備だ。国際移住機関によれば、昨年は少なくとも51人の移民が死亡または行方不明になったという。 グループの中には、ネパール出身の農家に生まれた2人の兄弟がいる。両親はわずかな農地を担保にして6000ドルの資金を借り、仕事を探しに行く兄弟の旅費に充てた。 何年も続く政治・経済の混乱から逃れる極貧のベネズエラ出身者もいる。コンゴの元ボクシングチャンピオンもいれば、カメルーンでの紛争やアフガニスタンでのタリバーン復権を嫌って車で故郷を脱出した若者たちもいる。 パナマ当局は、昨年ダリエン地峡を越えたのは過去最高の13万3000人、そのうち2万9000人は子どもだったと発表している。 国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチによれば、今年8月だけでも過去最高の3万2000人がダリエン地峡を渡った。前年同月比で40倍に相当する。 テントと缶詰の詰まったバッグを担ぎ、汗だくになっているアブドゥさん(24)は、ガーナ出身で農業を学んでいる。ブラジルで数年間を過ごしたが、米国に向かう決意を固めた。 「今よりも良い場所、より良い生活を求めている。容易な道ではないと言われたけれど」とアブドゥさん。 <体力勝負> アフリカやアジアからの移民の多くは、まずエクアドルやブラジルに飛ぶ。ビザの制限が緩いため、南北アメリカ大陸に入りやすいからだ。そこから、進路を北にとる。 今年ダリエン地峡を越えた人数を国別に見ると、キューバ、ハイチを抜いてベネズエラが首位となった。中南米のいくつかの国で新たなビザ規制が導入され、メキシコおよび中米諸国に空路で入国することが難しくなったからだ。2014年以来、母国を脱出したベネズエラ人は約600万人を数える。 中南米諸国でインフレが進行し失業率が上昇する一方、バイデン米大統領がベネズエラ出身者に対する「一時保護資格(TPS)」発給や亡命認定を増やすという期待もあることから、多くのベネズエラ人が米国への移動を再開している。 パスポートもなしに、聖書に隠した90ドルを頼りに移動していたウィルバーさん(19)がベネズエラを離れたのは15歳のときだった。それ以来、コロンビアの建設現場で働いてきた。 旅費をまかなうため、ウィルバーさんは、ダリエン地峡への玄関口、コロンビアの海岸沿いの街ネコクリでキャンプ生活を送った。数週間にわたって野宿を続けて宿泊費を浮かしつつ、数日間、プラスチックや段ボールのリサイクル作業に携わって30ドルを稼いだ。 「米国の方がチャンスに恵まれている。目標は、ベネズエラに残った母と妹のために家を買ってやることだ」とウィルバーさん。森林地帯の湿気や頻繁な降雨に備えて、小さなバックパックはポリ袋で覆われている。 多くの移民と同様に、ウィルバーさんもTikTok(ティックトック)で、行程の危険さを伝える動画を観ている。そこには、疲れ果ててぬかるみの中に横たわる移民や、ワニの住む川の激流にのまれそうになる子どもの姿が映っていた。 比較的若く元気な者にとっても、ダリエン地峡越えは体力勝負になる。 歩き始めて1時間も経たないうちに、多くの荷物と6リットルの水のボトルの重みで脚は動かなくなり、頻繁な休憩が必要になる。 もっと身軽にならなければ――衣類や靴、緊急に必要でない荷物は後に残され、森の中に散乱している。 <栄える移民相手のビジネス> ネコクリや近隣の観光都市カプルガナでは、毎日通過する何百人もの移民のためにコロンビアの通貨ペソを米ドルに両替するビジネスがにぎわっている。 ネコクリでは、移民相手のビジネスが観光に代わって地元経済をけん引する主役になった。 ホステルを経営するヘルマン・フリオさんは、「かつては観光シーズンの到来を待たなければならなかった。最近は年間を通じて移民が来るから、その必要もない。今後も移民が途絶えることはないだろう」と言う。 ネコクリで政府系人権機関であるオンブズマン局を率いるウィルフレド・メンコ氏は、今年は1日平均約750人の移民がネコクリを通過していると話す。 ジャングル内のガイドや荷物運搬、ボート運航会社、ホステルやレストラン、薬局のオーナー、屋台や両替商はどこも繁盛しており、取引は多くの場合ドル建てで行われている。 ネコクリのビーチに面した遊歩道沿いで、山刀やテント、ゴム靴その他ジャングル向けの用品を販売する店を営むグラシエラ・レオンさん(63)は、「以前は主婦で、仕事はしていなかった」と語る。 移民が通るルートでは数百万ドル規模のビジネスが生まれており、コロンビア最大・最強の悪名高い麻薬カルテル「ガルフ・クラン」にとって、ますます魅力的な副業になりつつある、と地元住民は話している。ただしほとんどの人は、詳細については言葉を濁す。 カルテルはダリエン地峡に足を踏み入れる人間を把握しており、移民相手のものを含め、ほとんどの地元企業の収益の一部を懐に収めている。 メンコ氏は「非合法組織に流れる部分もある」と語る。 報復を恐れて氏名を明かさないことを条件に取材に応じた複数の人々によれば、カルテルは、地元では「バクナ」(ワクチンの意)と呼ばれる「みかじめ料」を20%取り立てているという。 匿名を希望している援助関係者は、「カルテルの許可がなければ、木の葉1枚も動かせない」と話す。 この地域では国家当局の存在感はほとんどなく、移民がダリエン地峡を目指して通過することを黙認しがちだ。 <苛烈な暴力> 移民たちはネコクリからウラバ湾を横断するため、救命ジャケットを装着して整然と列を作り、観光客が使うものと同じ快適な遊覧船に乗り込もうとしている。カプルガナまでの所要時間は2時間、料金は40ドル。そこからジャングル踏破が始まる。 カプルガナで、移民たちは1人約160ドルを払い、組織化された「ガイド」チームにジャングル内を案内してもらう。「ガイド」とは、地元の密出入国請負業者の自称である。 ジャングル踏破が始まるカプルガナでは、選挙で選ばれた地元の指導者、カルロス・アルベルト・バレステロス氏が30人のガイドを統括する。ガイド1人につき約25人の移民グループを案内する。 バレステロス氏は、ダリエン越えの過程で、移民たちを虐待したり見捨てたりすることはなく、危害を加えることもないと懸命に強調する。 「移民の世話をしているのであって、人身売買の類いではないことを理解していただきたい」と同氏は言う。 だが国連や援助団体は、ダリエン越えの際に、多くの移民が武装した窃盗団による苛烈な暴力に見舞われていると警告している。 パナマ国内で2カ所の移民受け入れセンターを運営する医療慈善団体の「国境なき医師団(MSF)」によれば、2021年4月から2022年6月までに受け入れた患者の81%が、ダリエン越えの過程で何らかの暴力を目撃したか、自らその被害に遭ったという。 MSFの人道問題担当部門を率いるマリソル・キセノ氏によれば、同じ時期、MSFでは性暴力に関連した456件に対応した。10─15人の男性による集団レイプもあったという。 キセノ氏は「移民たちの話では、ダリエン越えの途中で殺害される例もあるという。所持金を盗まれるばかりか、食料や医薬品、ブーツまで奪われる」と話す。 夕闇が近づく中、ルート上の最初のキャンプ地では、疲れ切った数十人の移民たちがテントを張り、調理のためにキャンプ用コンロに点火する。子どもたちは近くの川で水しぶきを上げ、手足についた泥を洗う人たちもいる。 4人の子どもを連れ、夫と共に旅を続けるマキュリさんは、「なぜ子ども連れでこんな旅を、と聞かれる。でも、子どもたちをベネズエラに残していくほうがつらい」と語る。 ジャングルという壁を越えても、移民たちの前にはさらに約2500マイル(約4000キロ)の長旅が待ち構えており、中米地域の5つの国境を越えなければならない。そして最後に、これまでで最も厳しい関門が立ちはだかる。米国とメキシコを隔てる国境だ。 川岸で休憩を取るマキュリさんは、「神様の思し召しのままだ。主が私たちを導いてくれる」と話す。 (Anastasia Moloney記者、翻訳:エァクレーレン)
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