Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/29fea3f0c6b1aaab55e83322377ebd1ff24a3704
現地時間の12月11日22時2分、本サイト記者はアプリで呼んだUberに乗り込んだ。カタールから日本へと持ち帰る大きなリモワのスーツケースとペリカンのカメラバックを積むために、大きめの車を選択していた。スマホが画面に映し出したのは三菱の白のエクスパンダー。この車が、この取材で最後に乗るタクシーとなる。1か月にわたった現地取材が、ここで終わるのだ。 ■【画像】「サッカーは見れないけど、家族への仕送りができて幸せ」と語る、ラムさんが運転するタクシーの中から見た景色■ ワールドカップは、とても華やかな世界だった。スタジアムだけでなく、街中など見える場所すべてがこの4年に1度の祭典に染まっていた。サッカーの存在が感じられない場所は、仮にスーパーの中であろうとないのではと思ったほどだった。 そして世界中から訪れたサポーターが、歌い、踊り、ハイタッチを求めてくる。筆者が泊まったビラ(W杯公式宿泊施設)の部屋は、たとえ深夜であっても外から聞こえてくる彼らの声や音楽で支配されていた。取材するイベントの盛り上がりによって仕事に支障をきたすという想像をしない環境だった。 ハマド国際空港に向かうエクスパンダーの後部座席から見える景色は、すべてが見納めになる。少し感傷的な気持ちになっているとき、運転手が声を掛けてきた。筆者のことをフィリピン人と勘違いしたらしく、日本人であることを伝えると、笑顔で饒舌になった。 彼は、日本がとても好きなのだという。そして、「コングラチュレーション」と、現地で何度言われたか分からない祝福の言葉ももらった。日本代表が与えたインパクトの大きさを、取材の最後まで感じることなった。
■「サッカーは好きだけど、仕事が忙しいから」
この運転手はラムさんという44歳の男性だ。「どのくらい飛行機に乗るの?」と聞いてきたので、今から乗るのは9時間半であること、でも、日本からだと11時間かかることを伝えると、驚きながら、「そんなに乗るのいやだな。僕は4時間だよ」と教えてくれた。 聞けば、彼の故郷はネパールだという。カタールは移住者で支えられている国だ。人口260万人のうち、230万人が海外からの労働者である。そういう意味で、ラムさんは典型的なカタールの住人ということになる。 彼は話を続ける。「僕の家族は日本の試合すべて見たよ。すごかったって話してた」。笑顔で言う彼に、スタジアムで見たのか尋ねると、家族はすべてモニター超しでの観戦だったという。そして、ラムさん自身はW杯の試合を1試合も観ていないそうだ。「サッカーは好きだけど、仕事が忙しいから」とハンドルを切る動きをエアーで大げさにしてくれた。 「じゃあ、家に帰ったら家族からどんな試合だったか聞くんだ?」と尋ねると、「いや、電話だよ。家族はネパールにいるから」という。妻と3歳になる娘が、母国のボカラという町にいるらしい。「山と湖がきれいなんだ」。彼はそう言いながら、高架下の交差点を滑らかにハンドリングした。 ネパールに帰るのは2年に1回。この生活を続けて15年になる。最初にドーハに来たのは20歳の時で、その後、サウジアラビアなどでの生活を経て、再びドーハに戻ってきた。いわゆる出稼ぎで、ネパールに住む家族のために、中東でハンドルを握っているのだ。
■「次に帰るのは来年の6月なんだ」
彼の故郷の素晴らしさについて聞いていると、ペットボトルの水を僕に差し出しながら、「次に帰るのは来年の6月だよ」と目を輝かせた。ビザの関係もあって、5か月ほどネパールには滞在する予定らしい。その間はドーハで働けないから、今、寝る間も惜しんで働いているのだという。 そんなラムさんに一つの質問をしてみた。このW杯はあなたにとってどんなものなのか、ということ だ。このW杯を語るとき、その華やかさに視線が向く一方で、外国人労働者の厳しい実態も話題になっているからだ。 重い回答が帰ってくるかもしれない、と身構えたが、彼は笑顔でこう答えた。 「W杯の間は忙しいからハッピーだよ。このまま忙しければいいのに」 この言葉は、きっと、ポカラの美しい山の麓で暮らす家族に向けられていたはずだ。 「あと6か月で僕も飛行機に乗るよ」 そう続けた彼にとって、その1週間後にピッチの上でメッシが笑おうと、エムバペが悔しさを爆発させようと、関係ないはずだ。ピッチ内のことは、ピッチ外に住む人にとって直接影響はしない。これも、W杯の一つの形なのだ。 空港で荷物を降ろすと、駐車場で僕とラムさんは2人並んでスマホで記念写真を撮った。故郷に帰ることを楽しみにしているという共通点だけで、いつの間にか仲間意識が芽生えていた。 そこから僕は9時間半のフライトに乗れば、日本に着く。彼がネパールに降り立つには6か月と4時間かかる。中年の男2人が自撮りしている姿は、周囲からどう見られただろうか。これも、W杯というイベントが結んだ一つの縁だろう。 僕は空港へとリモワとペリカンの車輪を転がす。ラムさんは、駐車場の外へとゆっくり白いエクスパンダーを走らせる。僕はW杯から離れ、彼はW杯へと戻っていった。
サッカー批評編集部
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