Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/4a83d7e738799de8e56c62bd4c9805dbbf489adc
ネパールで乗員乗客72人が乗った旅客機が墜落した事故。実は日本人もよく乗る飛行機だったのです。この飛行機に何度も乗っていて「乗りなれた飛行機だったので、本当にショッキングな出来事」と語る人が富山県にいます。 【写真を見る】「乗りなれた飛行機で本当にショッキング」ネパールの墜落機 実は日本人がよく乗っていた 富山とネパールの深くて長い関係も 富山県立山カルデラ砂防博物館 飯田肇学芸課長: 「乗りなれた飛行機だったので、しかも会社(イエティ航空)の飛行機もよく使っていましたので、そういう意味では本当にショッキングな出来事だったと思います」 衝撃を隠せないのは富山県立山カルデラ砂防博物館の飯田肇学芸課長。 新型コロナの感染拡大前は、何度も事故を起こしたイエティ航空の旅客機に乗っていたといいます。墜落したのはネパールの首都・カトマンズから第二の都市・ポカラに向かう旅客機でした。 飯田学芸課長: 「カトマンズからポカラに行くのは比較的ネパールの山岳地帯を行く飛行機としては大きめな飛行機でお客さんも70人くらい乗れる飛行機で、比較的安定しているのかなと思っていたんですが…。エベレストの方に行くルクラというところに行く飛行機はもっと小さな飛行機で、ポカラ行きの便より不安に感じるようなときはあるんですけど、ポカラに関しては比較的大きな飛行機でこれまでに不安になったということは無かったですね。ヒマラヤの山岳地帯に沿って飛ぶ飛行機なので気流の悪いときはありますけど…」 カトマンズの東、エベレストの玄関口にあるルクラには「世界一危険な空港」と言われるテンジン・ヒラリー空港があり、これまで何度も墜落事故が起きています。
■ネパールには「世界一危険な空港」も ポカラでも去年事故が… 2008年、旅客機が着陸に失敗して18人が死亡したほか、2017年にも乗員2人死亡。2019年には、離陸中に事故がおき、旅客機と待機中のヘリコプターが衝突して3人が死亡しました。この空港は標高2845メートルで山に囲まれ風の影響を受けるうえ、滑走路が短く切り立った断崖の上にあり、離陸も着陸も極めて難しい空港として知られています。 一方、ポカラ国際空港はカトマンズの西およそ200キロの盆地にありますが、去年5月、ポカラを離陸した民間航空会社・タラ空港の旅客機が墜落し、乗客乗員22人が死亡した事故が起きました。山岳地帯であるだけに気流が不安定になることがあるのです。 今回、事故を起こしたイエティ航空は、どんな飛行機だったのでしょうか? 富山県立山カルデラ砂防博物館 飯田肇学芸課長: 「正確に記憶は無いですが、(座席は)20列以上はあったような気がするんですけど。 今度落ちたのは正確な情報がわからないんですけれども、たしか、大きめなプロペラ機、前に乗ったことのあるプロペラ機だと思います。」 ポカラは昔から人気のリゾート地として知られていますが、カトマンズとは飛行機で行くのが一般的だといいます。 飯田学芸課長: 「車で行く方法もあるんですけど、車で行くと、数時間以上かかってしまって、道もモンスーン中なんかはよく崩れたりして、陸路だと色々大変なことも多いんです。空路だと30分くらいで着いてしまうもので、空路を利用する方が多いんじゃないかと思いますね」 事故直前、乗客のインド人男性が機内でフェイスブックによるライブ配信していたことから、事故の瞬間が“生中継”されるという前代未聞の事態もあった今回の事故。 乗客乗員72人のうち少なくとも68人が死亡、乗客のうち一番多かったのがネパールの隣国のインド人5人でした。次いでロシア人4人、韓国人2人、アイルランド人、オーストラリア人、フランス人、アルゼンチン人が各1人の7カ国15人の外国人が乗っていました。 富山県立山カルデラ砂防博物館 飯田肇学芸課長: 「ポカラはネパールでもリゾート地というか、景色のいい観光地にもなっていますし、8千メートル峰のアンナプルナの登山口に当たるところですし、景色もいいので観光客の方は非常に多いと思いますね。一日に何便も出ているような飛行機だと思います。現地の人も荷物を運ぶなどで利用していますが、カトマンズとリゾート地を結ぶということで観光客の利用は大変多かったんじゃないかなと思います。トレッキングのハイシーズンは外国人の方が多いようなときもあります」 今は冬季ですが、春と秋のトレッキングのシーズンともなれば多くの観光客が乗っていたはずだといいます。 飯田学芸課長: 「ヒマラヤも広いのでいろんな山域があるんですけど、ポカラからヒマラヤに入っていくトレッキングルートというのはいくつもありますので。それからポカラ自体が平野からヒマラヤ山脈を間近に眺められる景観のいいところなので、ポカラ自体を目指していく方、ポカラからトレッキングに出る方とか、いろんな種類の観光の方が行き来しているそういう場所だと思います」
■日本人もよく使う飛行機 富山とネパールの深く長い関係も 実は、富山とネパールのつながりは深く長いといいます。富山県の立山・芦峅寺は日本で最も古い立山ガイドの村として知られ、ネパールで山岳ガイドもつとめるシェルパ民族と古くから交流があるのです。 飯田学芸課長: 「立山の山関係の皆さんと、ネパールの山岳地帯、特に登山の支援をしてくださるシェルパ民族とは古くから交流があって、1970年に芦峅寺の佐伯富男さんがエベレストのスキー登山隊に参加したときから現地の方と交流が続いている、そういう場所です。現在は立山エベレスト友好協会というNPO法人を作って、立山の山岳関係の皆さんと、ネパールのシェルパ族の皆さんが交流しています。かつては芦峅寺に小学校があったのですが、そこの小学校とエベレストの山麓の標高4千メートルのところにあるクムジュンスクールという、エベレストに初登頂したエドモンド・ヒラリー卿が作った学校と姉妹校だったので、子供同士の交流も含めて毎年のように行き来していました。学校同士の交流でも(今回事故に遭った航空機を)使ったことがあります。富山からネパール、特にヒマラヤのトレッキングに行く方もかなりいますので、そういう方たちはかなりの割合で乗っている飛行機でした」 ポカラにはネパールの国際山岳博物館もあって、富山の自然をテーマにした立山カルデラ砂防博物館とも姉妹関係を結んでいるといいます。そのため事故のあった飛行機を利用することも多く、ショックは大きいといいます。 飯田学芸課長: 「(ポカラには)われわれの博物館と姉妹関係にある博物館もあり、必ず乗るのでショックです。 ポカラは大きな盆地でヒマラヤの厳しい山の中を飛んでいるわけではないので事故の確率は少ないのかなと思っていたが、こういうことがあってびっくりしている」 今回、日本人が乗っていなかった理由は? 飯田学芸課長: 「海外の方はかなりネパールのトレッキングとかに戻ってきているということですけど、コロナの影響などあって、まだ日本人の数は少ないのかなというところなので、今回(犠牲者に)日本人がいなかったというのもそういう影響もあるのかなと思っています。日ごろは日本人もよく使う飛行機だと思います」 コロナの影響もあるのではと飯田さんは話します。
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