Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/e27921b768c149e22944f81af1e5d295b1c82e4b
ネパール北部にかつて存在したムスタン王国。その王となるはずだった人物が今、私(ライターのマーク・シノット)の目の前にいる。王宮は、ヒマラヤ山脈北端の殺風景な丘の懐にひっそりと立っている。窓からは、600年の歴史をもつ城郭都市ローマンタンが一望できる。そこはネパールのムスタン地方にある、かつての王国の首都で、中国の国境までわずか15キロの場所に位置している。 ギャラリー:車道建設で変わる、秘境ムスタン徒歩の旅 王宮で私を待っていた人物は、「ジグメ」と自己紹介した。フルネームはジグメ・シンギ・パルバル・ビスタ。かつての王国が直面している問題を取材してもらいたいと、彼が私を招いてくれたのだ。彼の父は25代目に当たるムスタン最後の国王で、ジグメは26代目になるという。 祈祷室でジグメと静かな時を過ごしていると、土木作業の重機の音がかすかに聞こえてきた。南の方からローマンタンに通じる道路を整備している音だ。ネパールの首都カトマンズから約450キロの距離を移動するには、かつては徒歩か、馬かヤクに乗って数週間かかった。だが、今では車でわずか3日だ。 物と人の流れはやがて、商取引の大河となって押し寄せるだろう。北には、大きな利益が見込める新しい交易ルートに期待を寄せる中国が待ち構えている。国境の向こうにはすでに、はるか北京まで続く舗装道路が完成している。あとはこちら側とつなげば、この伝説の地を舞台に交易の新時代が訪れる。 中国経済が成長し、ネパール国内のほかの地域が発展するにつれ、ジグメにもムスタンの人々にも、道路の建設は避けられないことがわかってきた。実際、私たちが今いるホテル、ロイヤル・ムスタン・リゾートこそ、新しい認識が最もわかりやすく反映されたものといえる。ジグメは22の客室をもつこのホテルを、父王から受け継いだ、ローマンタンの城郭のすぐ外の土地に建てた。 ムスタンへの観光は1992年からようやく可能になったものの、入域を認められる人数は比較的少なく、今のところもまだ大きく増えてはいない。だがジグメは、それがまもなく変わると確信している。ネパールといえばエベレスト登山が有名だが、日本円にして約700億円にのぼるこの国の観光収入の大半をもたらしているのは、トレッキングを楽しむ観光客と巡礼で訪れる信者たちだ。その点、ムスタンには特別な強みがある。ここには素晴らしい景観だけでなく、あちこちで消えかけているチベット文化に触れる機会があるということを、ジグメはわかっているようだ。 ジグメの将来に対する展望は楽観的だ。だが、この巨額な投資の成果が出るまでには、相当時間がかかりそうだ。ムスタンの気候は厳しく、観光に適した期間は年の半分程度しかないにもかかわらず、私が訪れていたとき、人口わずか1300人のローマンタンには数十軒もホテルがあった。ムスタンでは、冬には気温が0℃をはるかに下回るため、水道管は凍り、ホテルのトイレは使えなくなる。夏の間は、モンスーンが引き起こす土砂崩れによって、道路が数週間にわたって閉鎖されることも珍しくない。 ジグメは道路がローマンタンに観光客を運んでくることを望んでいるが、その道路によって人口減少に拍車がかかるという側面もある。ここ数年の間に、大勢の若者が富を求めてカトマンズや日本、韓国、米国などへ旅立った。地域の経済は長年、多くのヤギやヤクを育てる牧畜に頼ってきたが、厳しい労働は急速に魅力を失いつつある。この調子でいけば、これから20年間で、ムスタンの人口は8割減ると、ジグメは予測している。 ※ナショナル ジオグラフィック日本版2023年1月号特集「“禁断の王国”の未来」より抜粋。
文=マーク・シノット(クライマー/ライター)
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