Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/023dbd0444775f75720f8c9de1aba9630191ebcf
【世界を読み解く】チベット支配に重要なタワンめぐり中印間で緊張
12月9日、中印両軍が国境地帯で衝突し、負傷者が出た。この衝突は、インドが実効支配しているアルナチャル・プラデシュ州(インド東北部)のタワン地区のヤングツェ高原で発生した。 タワン地区はチベット支配にとり非常に大きな意味を持つ。中国はアルナチャル・プラデシュ州全体、特にタワンを中国領と主張している。今回、中国人民解放軍側は300人もの兵員を動員したと言われる。インド世論は対中警戒心を益々強め、衝突のあった地区に住む住民がインド軍を支持すると発言するインタビューがネットに掲載されている。 ▼国境問題の本質はチベット問題 今回の衝突のあったタワン地区のヤングツェ高原は標高4200~5100メートルにある。タワンにはチベット仏教、チベット文化の影響が古くから及んでおり、ダライ・ラマ6世が1683年に生まれ、チベット外で最大と言われるチベット仏教寺院がある。 ダライ・ラマ14世(87歳)が逝去した後、次のダライ・ラマがタワンで転生し生まれる可能性がある。タワンはチベット仏教にとってのいわば聖地である。 タワンはチベット領土だったかと言えば、ヨーロッパ人が来る前のアジアでの「領土」の概念が今日とは異なるので、答えは難しい。 ただ指摘できる事実は、北京にある政府もデリーにある政府も、この土地を20世紀半ばまでは支配していなかった。様々な帝国が辺境への支配に手を伸ばしていく過程で、20世紀後半以降衝突が発生している。 1914年のシムラ協定(英帝国がインドを植民地にしていた頃であり、英領インド政府と、当時独立していたチベット政府との間で結ばれた。当時の中華民国政府はこの協定には参加しなかった)により、チベットと英領インドの境界線として、いわゆるマクマホン・ラインが引かれた。 タワンはこのマクマホン・ラインの南側にあるので、インドはタワンをインド領と主張している。 チベット政府はタワンを“取り戻したい”と考え、中華人民共和国時代になって、周恩来首相に陳情したこともあった。周恩来はインドとの国境問題に直ぐには取り組まなかった。しかし1959年3月にチベットで動乱が起き、ダライ・ラマ14世がインドに亡命してからは特に強くマクマホン・ラインを認めないと主張し、現在のアルナチャル・プラデシュ州(当時は「東北辺境特別区」と呼ばれた)全体の領有を主張した。 中国にとりマクマホン・ラインの有効性を認めることは、独立していたチベット政府が国境を決めたことを認めることになり、チベットは常に中国領土であったという主張と矛盾してしまう。だから絶対にマクマホン・ラインの有効性を認めたくない。 更にタワンを“取り戻す”ことができれば、チベット人にアピールできる、という考えもあるだろう。 1962年秋の中印戦争で、中国はタワンを含むアルナチャル・プラデシュを占領した。毛沢東は、当時タワンでの戦闘で人民解放軍側に32人の死者が出たと述べ、タワンへの関心を語っている。当時のタワンのチベット仏教寺院には600人もの僧がおり、彼らは人民解放軍占領下でどうなるのか恐れおののいたとも報じられた。 結局、1962年末から人民解放軍はタワンから撤退したが、「中国はまた戻ってくる」と言い残していったとも伝えられている。(なぜ中国軍が撤退したかについては、冬季の占領継続が補給面で困難になったとか、インドが米英などからの軍事支援を得て反撃に転じようとしたからだとか、諸説ある。) 毛沢東は、1964年8月29日、ネパール教育代表団と会談した際に、「主要な問題はマクマホン・ラインではなくて、やはりチベット問題だ」と語った。 ▼中国:タワンを“取り戻したい” 中印国境交渉はこれまで断続的に何回か行なわれてきているが、1985年の交渉において中国側はタワンを含めマクマホン・ラインの南側領土を要求した。 中国人学者達も「タワンを取り戻したい」と明言している。2006年11月8日、中印学者による中印国境問題座談会が北京で開催された。中国の学術雑誌『南亜研究』にその記録が掲載されている。 中印の学者が意見交換をし、それが中国の出版物に掲載されたという点で、2006年当時は、まだそのようなことが可能であった。(国境問題というデリケートな問題を中印の学者達が議論することは、今日ではおそらく難しいだろう。それだけ雰囲気も変わってしまったということだ。) 馬加力・中国現代国際関係学院研究員は、「マクマホン・ラインは、中国は本当に受け入れることができない。・・・タワン地区について、インド側は意味のある譲歩をすべきである。・・・タワンは一つの軍事上の拠点である」と発言した。 これ以外に中国側から「タワン地区の返還は、マクマホン・ラインが打破されたことを意味する。・・・インドがもしタワン地区を中国に返還しないのであれば、中国中央政府はチベット自治区政府に説明できない」との発言もあった。 インドの中国研究者ディーパックも、この北京での学者の会合に参加したが、会議の場外において、ある中国人学者が、「国境問題解決にあたり、タワンが唯一の苛立たせるものであり、もしインドがタワンを差し出すのであれば、中国側は西部国境で妥協する用意がある」と発言したと述べている。 ▼ダライ・ラマの転生をめぐる中国とダライ・ラマ14世の立場 中国政府は転生制度を自分の統制下に置くことを図っている。2007年9月1日から「チベット仏教活仏転生管理弁法」を施行し、転生者の認定に中国政府の承認が必要と明確に規定した。これに対しチベット側は反発し、同年11月、ダライ・ラマ14世は自分の死後の転生者はチベットの外で生まれると発言 した。中国にとっては次のダライ・ラマが中国国外で生まれ、中国政府と違う意見を表明するように育てられることは都合が悪い。 ダライ・ラマ14世はタワンを何度も訪問しているが、タワンはインド領だと発言している(2008年6月)。チベットの状況が改善しないので、転生の扱いやタワンにいるチベット仏教信者達にとって、タワンが中国に支配されるより、インド領のままの方が良いとの判断だろう。この言動は、中国政府を苛立たせた。 ▼どこが「実効支配線」か分らない 中印政府は、国境地帯の現状維持を約束し、実際に支配している地域の限界を示す線である「実効支配線」を超えることはしないと協定で約束している(1993年)。しかし問題は両国がどこに「実効支配線」があると認識しているのか、それを明確にしていないことである。 インド側によれば、それぞれがどこに実効支配線があると認識しているのかを示す地図を交換しようと提案したが、中国側がそれに応じることを渋っているということである。 国境の係争地の一部ではそのような地図が交換されたが、タワンなどマクマホン・ラインをめぐっての「実効支配線」がどこにあるのかについては、地図が交換されていないので双方とも分らない。これでは現状維持を約束しても、意味がない。 今回衝突が発生したヤングツェは、どちらが実効支配しているのかも分からない地点の一つである。そのような地点が25か所あると言われている。インドは、これらの地点で、中国が力で実効支配を確保しようとしているものと警戒を強めている。 ▼王毅国務委員・外交部長とインド・ドヴァル安全保障担当補佐官との対立 中印間で開催されてきた国境問題に関する対話(2019年12月21日開催の第22回会合)で、中国側代表の王毅は、タワンのステータスについて議論したかったが、インド側代表のドヴァルはタワンはインドにとり交渉の対象となり得ず、タワンについて提起するのであれば対話を打ち切らざるを得ないと王毅に伝えた由である(インド報道)。 そしてそれ以来、実際にこの対話は開催されておらず、他方、国境地帯での衝突が起きるようになったのである。 ▼結論 中国は、タワン地区などへの要求を強めているということだろう。タワンへの要求を取り下げることは、チベット問題に直結していることもあり、難しいのだろう。インドにとっても、タワンを放棄することはできない。ハイレベルでの国境交渉が頓挫すると、国境地帯で衝突が起きることがよくある。 1987年にも国境交渉が頓挫した後、国境地帯で衝突が発生した。どちらかが他方にプレッシャーをかけていると解釈できる。現在の中印関係は、そのような困難な状況に陥っていると言える。 (参考文献) 毛沢東、太田勝洪編訳『毛沢東 外交路線を語る』現代評論社、1975年 劉朝華(記録整理)「中印辺界問題座談会紀実」(上)2007年第1期、(下)2007年第2期、『南亜研究』 Deepak, B.R., India and China – Beyond the Binary of Friendship and Enmity, Singapore, Springer, 2020 Hindustan Times, “Why is Tawang in Arunachal Pradesh important to China”, 2022年12月21日 ■井出 敬二(ニュースソクラ コラムニスト) 1957年生まれ。1980年東大経済学部卒、外務省入省。米国国防省語学学校、ハ ーバード大学ロシア研究センター、モスクワ大学文学部でロシア語、ロシア政 治を学ぶ。ロシア国立外交アカデミー修士(国際関係論)。外務本省、モスク ワ、北京の日本大使館、OECD代表部勤務。駐クロアチア大使、国際テロ協力・ 組織犯罪協力担当大使、北極担当大使、国際貿易・経済担当大使(日本政府代 表)を歴任。2020年外務省退職。著書に『中国のマスコミとの付き合い方―現 役外交官第一線からの報告』(日本僑報社)、『パブリック・ディプロマシ ー―「世論の時代」の外交戦略』(PHP研究所、共著)、『<中露国境>交渉史 ~国境紛争はいかに決着したのか?』(作品社)、”Emerging Legal Orders in the Arctic - The Role of Non-Arctic Actors”(Routledge、共著)など。編訳に『 極東に生きたテュルク・タタール人―発見された満州のタタール語新聞 』(2021年出版予定)。
0 件のコメント:
コメントを投稿