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「先生、電車が動かないです……」 高校入試の朝。来日して9カ月の〝パルちゃん〟は、消え入りそうな声で先生に助けを求めました。聞き取れない車内アナウンス。「遅刻したら受験できない」というプレッシャー。絶望の淵にいたパルちゃんを支えてくれたのは、隣りあった乗客からもらった、言葉でした。(withnews編集部・松川希実) 【画像】添削で真っ赤になった、〝パルちゃん〟自筆の作文練習シート。「日本でがんばりたいこと」は?
折れかかっていた心
1月26日の朝、都立府中西高校の校門前で、ピッチフォード理絵さん(61歳)は、教え子たちの到着を、今か今かと待っていました。 ピッチフォードさんは、東京都福生市などで外国にルーツがある子どもの学習や進学を支援しているNPO法人「青少年自立援助センター」の「YSCグローバル・スクール」で、進路相談などに乗ってきました。 この日は担当する生徒のうち15人が府中西高校を受験することになっていました。 万が一、トラブルに巻き込まれた場合、「自分で受験する学校に連絡を入れる」こともハードルになると、試験会場近くで待機していたピッチフォードさん。 スマートフォンに、着信が入りました。「先生、電車が動かないです……」 聞こえてきた声は、消え入りそうでした。震えて、泣いているのが分かりました。 「パルちゃんだ」 ネパールから来日して9カ月。いつも明るく、おしゃべりが大好き。そんな〝パルちゃん〟の様子は、明らかにいつもと違っていました。
作文、書き直し100枚
パルちゃんの名前は、ボホラ・パルバティさん(15歳)。 日本のホテルのレストランで働く父、会社で働く母に呼び寄せられ、ネパールでの初等中等教育の修了試験を終えた昨年5月、日本に来ました。 兄と姉も先に来て働いていましたが、パルさんは不安でいっぱいでした。 日本で暮らしていくために、「YSCグローバル・スクール」であいさつやひらがなから日本語を学び始めました。 気持ちが前向きになったのは、夏の終わり。府中西高校を見学しに行った時のことです。きれいな校舎。部活動も活発で、外国籍の先輩たちも多くいました。 何より驚いたのは、教師たちが分かりやすい日本語で話しかけてくれたこと。ネパールでは、教師というと「怖い」イメージだったため、「日本の先生はとても優しい」と、パルさんは目を輝かせました。 「府中西高校合格」を目指した特訓が始まりました。 都立高校では、同校を含めて8校に「在京外国人生徒対象入試」の制度があります。応募資格を満たした来日3年以内の外国籍の生徒は、作文と面接で受験できます。 日本語と英語のどちらかを選択できますが、パルさんは苦手な日本語を選びました。高校に合格すれば、授業はすべて日本語。「生徒たちの今後のため」というYSCグローバル・スクールの方針でした。 作文は600字で思いをつづります。最初は2文、3文しか書けなかったところから、文をまとめる練習をしました。書き直して、書き直して……100枚は練習してきました。 パルさんは、受験生の中でも特に熱心でした。添削して返された作文は、書き直して翌朝一番で先生に「見てください」とお願いしました。 もしも、外国人生徒対象入試で不合格になった場合は、日本人も受ける「一般入試」で受験することになります。問題にルビを振ってもまだハードルは高い――。パルさんは、この入試にかけていました。
止まった電車「こわい」絶望していたときに
そうして迎えた、入試当日の朝。 パルさんは1時間程度、余裕を持って到着できるように家を出ました。 西武国分寺線で国分寺駅に出て、中央線に乗り換え、立川駅へ。そこからJR南武線で府中西高校に向かう――。何度も練習しました。 ところが、国分寺駅の中央線ホームに着くと、大勢の人でごった返していました。 「いつもと様子が違う」 目の前の電車に乗り込むと間もなく、電車は止まってしまいました。初めての経験でした。「こわい」 いくら待っても、動きません。聞き取れない車内放送が繰り返されていて、状況も分かりません。 見知らぬ人に話しかける経験も少なく、周りの人に状況を聞くこともできません。「入試で遅刻は厳禁」と何度も言い聞かされていました。 「もう終わりだ。私はテストができない……」 電車内で電話してはいけないーーそんな日本のルールを知りつつ、不安でどうしようもなくなり、できる限りの小声でピッチフォードさんに助けを求めたのです。 ピッチフォードさんは、電話に向かって、「大丈夫だから、電車が動くのを待って! 集合時間に遅れても受験できるから! 大丈夫だからっ!」と繰り返しました。 バスなどの慣れない交通機関に乗り換えるのはかえって混乱させると考え、予定通りに電車で来るよう言い聞かせました。心が折れかかっているパルちゃんに届いてほしい――。祈りながら、声を張り上げました。 その時、青ざめたパルさんの様子を見ていた乗客がいました。
「見知らぬ人」がしてくれたことの大きさ
「今日はテストですか?」 突然、隣に立っていた乗客がパルさんに声をかけました。年配の男性だったと言います。 家と教室の往復で、見知らぬ日本人と話す機会は多くないパルさん。驚くパルさんに、男性は優しく語り続けました。 「大丈夫ですよ。緊張しないでね」 「がんばってくださいね」 涙ぐむパルさんを、励ましてくれました。 「さようなら、気をつけてね」 その時かけられた一言一言を、パルさんは今も思い出せます。 「とてもうれしかった」「とても優しい人でした」 通常は10分程度の距離なのに、40分かかった車内。不安にさいなまれていた時に「見知らぬ人が励ましてくれた」という出来事が、パルさんの折れかけた気持ちを奮い立たせてくれました。 諦めることなく、駅から会場まで足がつりそうになりながらも走り続け、無事、間に合いました。大規模な遅延の影響で、入試の開始は30分遅らされていたのです。
「一生懸命がんばりたいです」
入試の作文テーマは、「将来の夢」でした。 パルさんは「日本で、モデルになりたい」とつづりました。おしゃれが大好きなパルさんの小さい頃からの夢を、これから日本でかなえるつもりです。 「そのために、高校では日本語をたくさん勉強したい」 おしゃべりが大好き。もし、もっと日本語ができたら、本当は話したいことがたくさんあるのです。あの日、声を掛けてくれた乗客に伝えたかったことも。 思いは届き、2月、念願だった府中西高校に合格しました。 入試から息つく間もなく、パルさんは高校で始まる日本語の授業に備えて、いまは平日毎日5時間の予習に励んでいます。数学、化学、英語、日本史……。 慣れない漢字に頭を抱えながらも、「一生懸命がんばりたいです」。
届かなかった言葉、つなぐ人
ピッチフォードさんは、合格発表を聞いた後、SNSで、感謝の気持ちを投稿しました。 「見ず知らずの方がかけてくださった言葉が、日本に来て9か月で高校入試に臨む彼女の背中を押しました。あの日声をかけてくださった方々、ありがとうございました」 JR東日本によると、あの朝、中央線は信号機のトラブルで、7時~8時20分ごろまで東京ー高尾間で運転を見合わせ、3万人に影響がでました。その中にはパルさんを含め、多くの受験生が乗っていたことから、車内や駅構内で、繰り返しこんな放送をしていました。 「東京都教育委員会から『運転の見合わせで高校への到着が遅れても、受験できます』と連絡がありました。受験生は慌てることなく、会場に向かってください」 その言葉が届かなかったパルさん。でも乗り合わせた乗客のちょっとした声かけが、気持ちの架け橋になりました。 ピッチフォードさんは話します。 「『見知らぬ人が背中を押してくれた』というあの日頂いたあたたかい気持ちは、今後、日本で生きていく彼女にとって、とても大きな出来事だったと思います」 あと1カ月で、パルさんたちはYSCグローバルスクールから巣立ち、これからは自分の力で日本での人生を切りひらいていきます。きっと楽しいことばかりではありません。今回のような「ハードル」には、幾度も直面するはずです。 「それぞれ持っている能力は高くても、それを生かすためには、まだまだ社会のちょっとのお手伝いが必要な子どもたちです」とピッチフォードさん。 それでも「大丈夫?」と誰かが気にかけてくれれば、きっと輝いていけると信じています。 「あたたかい周りの支えが、これからも彼らの周りに溢れていることを願っています」
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