Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/2c9137f601f2fdc61bd6b5fd013438aa7e8b934a
キム・ソミン|自由寄稿家
米国人の国際弁護士で、韓国の大学で働くマンディさんは、妻子と9人で暮らしている。MBCエブリデイ「ようこそ韓国暮らしは初めてでしょう」は、末っ子の1歳の誕生パーティーを扱った。家族はみなでジョギングしてから朝食を作る。この番組に出演したスペイン人のアレハンドロさんは、インドネシア人の妻と韓国に住んでいる。ホテルの総支配人を務める彼の自宅は、妻の好みで色とりどりに飾られている。韓国で働く人々が家族と共に暮らすのは当然のことだ。 ネパールでトウモロコシを栽培していたサンデスさん(30)は、2016年に雇用許可制で韓国にやって来てプレス工場で働いている。雇用許可制では、4年10カ月働いた後に出国し、社長が誠実な労働者だと認めれば、韓国に戻ってきてさらに4年10カ月働ける。サンデスさんは誠実な労働者として7カ月前に韓国に戻ってきた。彼は9年8カ月間、韓国で働けるが、2015年に結婚した妻は一緒に来られない。ビザが取れないからだ。サンデスさんのような労働者が韓国に定着しないようにするためだ。妻が彼のもとを訪ねるためには観光ビザを取らなければならないが、これにも社長の保証が必要だ。彼はネパールに行けるほどの休暇を取ることもできない。 昨年末、政府は雇用許可制の改編案を打ち出した。中小企業や農漁村の人手が足りないと騒がれたからであって、移住労働者のためではない。改編案は、雇用許可制でやって来た移住労働者が「準熟練人材」であると認められれば、途中で出国することなく韓国で10年以上働けるとしている。それでも家族と暮らす権利はない。家族結合権は国連が保障する人権だが、韓国ではサンデスさんは「労働力」であって「人」ではない。 サンデスさんが韓国に初めてやって来た時、工場では彼を含めて3人のネパール人と社長が働いていた。その間に工場の規模は大きくなり、今はネパール人労働者が5人、韓国人労働者が5~6人になっている。彼の賃金はこれまでに30万ウォン(約3万1200円)上がった。工場を「一緒に大きくした」と考える彼は、工場の隣のコンテナに住んでいる。暖房施設と台所ができたのは5~6カ月前だ。誠実な労働者と認められないのではないかと思ってトイレに行くにも顔色をうかがった。黙々と1日のノルマである蝶番8千個を達成した。韓国に戻ってきてから、彼は5年間言えなかったことを言った。ノルマが重過ぎる。社長は半月も仕事をくれなかった。その間は賃金も出ない。「不敬罪」だ。職場を移りたいが、そのためには社長の同意が必要だ。してくれるはずがない。雇用許可制が「現代版奴隷制」だと批判される理由はここにある。社長の怒りが収まるのを待つ彼は「妻に会いたい」と言った。 彼の状況は、農村移住労働者に比べれば腹の満たされた者のぜいたくなのかもしれない。少なくとも給料は取り上げられないから。ウ・チュンヒが書いた『エゴマの葉闘争記』によれば、農村移住労働者は1日に10時間働き、受け取れるのは8時間分の賃金のみ。労働者に逃げられることを恐れてわざと賃金を未払いにするのだ。カンボジア人のスレインさんは6000万ウォン(約624万円)の未払い賃金を受け取れずに帰国した。大韓民国政府が斡旋した職場なのに、誰も責任を取らない。2020年の移住労働者の未払い賃金は1287億ウォン(約134億円)。2020年、カンボジア人のソックヘンさんは寒波注意報が発令されている日に、暖房の効かないビニールハウス宿舎で亡くなった。このようなビニールハウスのコストは1人当たり15~20万ウォン(約1万5600~2万800円)。その後、政府はビニールハウス内のコンテナ宿舎は禁止したものの、ビニールハウスの外にあるコンテナは「臨時宿舎」として認めている。 政府は、雇用許可制の労働者の規模を昨年の6万9000人から今年は11万人に増やすと表明した。雇用許可制改編案には、彼らをさらにどれだけ多く働かせるかに関することばかりが記されている。国連人権高等弁務官事務所が定めた9つの最重要条約の1つに「移住労働者の権利条約」があるが、韓国は9つのうちこの条約のみ批准していない。移住労働者なしでは食事もできない韓国人の日常は、人種主義的搾取の上に成り立っている。 キム・ソミン|自由寄稿家 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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