Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/f7a4f5641b2fc3712ae07627f209c53297bc86b6
カトマンズ発、その名も「イエティ航空」の機内サービスは、一杯の水だった。それもそのはず、わずか30分足らずのフライトなのである。それでも小さな飛行機の窓からはカトマンズ盆地の北の彼方に、白銀のヒマラヤが見晴らせた。なんともぜいたくなマウンテンフライトを堪能し、水を飲み干すと、すぐにポカラの空港に着陸した。 ■【画像】ひときわ目立つマチャプチャレとアンナプルナ連峰
■イエティ航空でネパール第2の都市へ!
とはいえ、ボーディングブリッジもなければランプバスが来るわけでもない。乗客たちはばらばらと飛行機から降りていく。近くのおんぼろの建物まで歩いて向かうようだ。しばらく待っていると、飛行機に積まれていた荷物がリヤカーに載せ替えられて、職員たちがエッホエッホと運んできた。ネパール第2の都市にある空港とは思えないのどかさだ。 荷物の山の中から自分のリュックを掘り出して、到着ロビーを出ても、タクシーや客引きが寄ってくるわけでもない。エアポートバスのようなものもなさそうだ。ほかの乗客が迎えに来たクルマに乗って次々と去っていくのを見てアセるが、逆に空港にお客を送りに来たタクシーをつかまえ、どうにか市内までのアシを確保した。
■すっかり賑やかになっていたポカラ
ポカラと言えばペワ湖の湖畔にゲストハウスやレストランや旅行会社が並ぶ、通称レイクサイドが旅人の拠点だ。タクシーはその中心部で降ろしてもらったのだが、僕はあまりの変貌ぶりに戸惑っていた。20年ぶりのレイクサイドは、やたらと賑やかになっていたのだ。 ネパール人や欧米人の観光客がそぞろ歩く。おしゃれな店もずいぶんと増えた。音楽をガンガン流しているパブとか、クラブのような店もけっこうある。なんだかタイのサムイ島とかプーケット島のようなリゾート地の繁華街のように変わっていた。 ポカラの象徴でもあるペワ湖も遊覧ボートがばんばん行きかい、なんだか慌ただしい。20年前、宿で知り合った日本人バックパッカーとボートに乗ってのんびり湖を回ったことを思い出すが、あのときよりポカラはずいぶん観光開発が進んでいた。そして、コロナ禍は過去のものになりつつあるようだ。マスク姿の人はほとんど見なかった。
■日本人バックパッカーのたまり場ダムサイドは昔のまま
それでも昔のような風情がまだまだ残っていた。ふとチベット系の土産物屋に入ってみれば、店主のおじさんが商売そっちのけで、 「日本はどうだい、コロナ」 なんて話かけてくる。 「やっと観光客が戻ってきたところなんだ。この2年、家賃を払うばかりで収入はほとんどなかった。しんどかった」 なんて話を聞いていると、お茶が出てくる。土産物を進めてくるでもなく、しばらく世間話を交わす。少し観光地から遠ざかれば、子どもたちが笑顔で声をかけてきたりもする。ネパールという国のフレンドリーさと柔らかさは、いつの時代でも旅人を癒してくれる。
■まだまだ安旅ができるネパール
レイクサイドを離れて、湖の南側に行ってみると、昔と変わらない静けさだった。このあたりはダムと水力発電施設があることからダムサイドと呼ばれ、観光客相手の店より地元の人の民家や商店が多い。レイクサイドよりもだいぶ落ち着いていて、当時の日本人バックパッカーはこちらに泊まる人が多かった。その頃の面影が、まだだいぶ残っているように感じた。 宿の値段はざっくりと検索したところ、レイクサイドもダムサイドも最安のゲストハウスで個室1000円前後といったところか。昔よりいくらか値上がりしているが、それでもまだまだコスパはいい。ドミトリーだと500円前後のところもあるようだが、コロナ禍を経て相部屋は敬遠される傾向にある。ドミトリーそのものが減っている印象を受けた。
■ヒマラヤに見守られながら、未知の領域へ
早朝6時。宿の屋上からは、少しずつ曙光に染まっていくアンナプルナ連峰が見えた。 「あれがマチャプチャレ、こっちがダウラギリ」 宿のおばちゃんが説明してくれる。いずれも7,000メートル、8,000メートルのはるか高みから、下界を見下ろすまさに神々の座だ。この威容だけは20年前となにひとつ変わることがない。やがて昇って来た朝日に、中部ヒマラヤはあかあかと染め上げられていく。この光景を見ただけでも、旅に出てきて良かったと思った。 僕はポカラを取り囲む丘陵のひとつサランコットに来ていた。標高1,592mとあって、ヒマラヤのまさに展望台だ。とくに日の出から午前中は白銀のヴェールがどこからでもよく見えた。 そしてここまでが、既存のガイドブックに載っているエリアだ。カトマンズ、ポカラ、サランコットと、日本人バックパッカーにも知られた場所をたどってきたが、この先はネットにも情報がほとんどない地域に突入する。 「バグルン? 何しに行くの? 外国人ぜんぜんいないと思うけど」 宿のおばちゃんは訝りつつも、バグルンへの行き方を教えてくれた。まずサランコットから乗り合いのジープでノウダラに向かう。そこは町というより街道が交わる交差点のような場所らしい。ここを、ポカラから西へと走っていくバスが通過するから、見かけたら停めて乗り込めばいい。バスがいつ来るかはわからないし、道路はひどいと思う……。 聞いているだけでわくわくしてくる。誰かが調べた情報ではなく、その場で人に聞いた話を頼りに歩いていく。これこそが旅だと思うのだ。果たして今日中にバグルンにたどりつけるだろうか。いったいどんな場所なのか。僕はこの旅の最大の目的地に向かって、サランコットを出発した。 アジア専門ジャーナリスト。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発日本語情報誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを務め、10年に渡りタイ及び周辺国を取材する。
室橋 裕和
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