Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/9ffd88250c39894c71366a05c61fbd53d7803630
サッカーのワールドカップの熱狂とは裏腹に、カタールに対する国際的な批判はやまない。外国人労働者や「LGBTQ+」と呼ばれる性的少数者に対する人権侵害への糾弾だ。ただその裏には、国家レベルの謀略がうごめいていることも見落としてはならない。国際的なカタール批判の裏事情に迫る。(イトモス研究所所長 小倉健一) ● カタールW杯の熱狂の裏で 人権問題に対する批判の声 カタールで開催されているサッカーのワールドカップ(W杯)。日本代表は優勝候補の一つであるドイツ代表に勝利し、サウジアラビアは同じくアルゼンチンに逆転勝利を収めたことから、大きな盛り上がりを見せている。 しかし、ドイツ代表が日本戦を前に出場メンバーが全員で口をふさぐアピールをするなど、カタールの人権問題について西側諸国からは批判の声が高まっている。いったい何が起きているのか。カタールがどのような国なのかをひもときながら述べたい。 まず、カタールへ寄せられる批判の中身だ。 一つは、移民労働者の扱いについてだ。米人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)は、低所得者層の移民たちへの賃金未払い、制限的な労働慣行、原因不明の死亡に批判の声を上げている。 カタールの人口300万のうち約9割は外国人労働者であり、そのかなりの部分が東アフリカ、南アジア、東南アジアの貧しい地域からの出稼ぎ労働者だ。 HRWは2019年1月から20年5月にかけて、60の異なる雇用主や企業で働く93人の移民労働者にヒアリングを実施した。すると、「全員が未払い残業、恣意的な控除、賃金の遅延、賃金の差し控え、未払い賃金、不正確な賃金など、雇用主による何らかの賃金虐待」があったのだという。
また英紙「ガーディアン」は、カタールがW杯開催国の権利を勝ち取った2010年以降、南アジア諸国(インド、パキンスタン、ネパール、バングラデシュ、スリランカ)から来た労働者が6500人以上亡くなったと報じている。 同報道によると、死亡記録は職業や職場で分類されていないが、死亡者の多くはW杯関連の建設プロジェクトで働いていた可能性が高いという。 なおカタール政府は、W杯のスタジアム建設現場での死亡は38人しかいないと主張しており、そのうち35人は業務と無関係だという見解を示している。 ● カタールのW杯アンバサダーが 同性愛は「精神の傷」発言で波紋 もう一つの批判は、いわゆる「LGBTQ+」問題だ。カタールでは、同性愛は違法だ。そうした背景もあり、カタールの治安部隊がレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーなど性的少数者の人々を恣意的に逮捕していると非難を受けている。 また、元カタール代表選手でW杯アンバサダーを務めるハリド・サルマン氏の発言も波紋を呼んだ。11月初め、ドイツの公共放送ZDFのインタビューで同氏は、同性愛は「精神の傷」であると発言したのだ。そのことにドイツ世論が激高。ドイツ代表はこうした経緯の中で、多様性や差別反対を訴える腕章を着けてプレーする予定だった。 しかし、国際サッカー連盟(FIFA)が腕章を着用して出場すればイエローカードを出すなどの制裁を科すと通告。その結果、日本戦を前に、出場メンバー全員が「口を封じられた」と口を手でふさぐアピールをすることにつながった。 先述のHRWによれば、カタールではLGBTQ+の人々に対して「19年から22年の間に、警察の勾留中に激しい殴打が6件、セクハラが5件あった」という。また、HRWはLGBTQ+であるカタール人6人にインタビューしたところ、全員が地下刑務所に拘束され、「言葉による嫌がらせや、血が出るまで平手打ちや殴る蹴るなどの身体的虐待」を加えられたのだと報じている。
● 実は中東諸国の中では 「西洋化」が進んでいる国カタール これらのような人権侵害が告発されているところを見ると、カタールはいかにも前近代的な国家に見えるが、実際はどうなのだろうか。米紙「ニューヨーク・タイムズ」がW杯前に読んでおきたいカタール本としても推薦している、社会学者ジェフ・ハークネス著の『CHANGING QATAR』の記述から、カタールという国についてご紹介しよう。 カタールは石油によって莫大な富を有しているが、カタール政府は「この石油が永遠に続くわけではない」ことを知っている。そのため、欧米のエリート大学8校(米カーネギーメロン大学、米コーネル大学、米ジョージタウン大学、仏HECパリ〈パリ高等商業学校/パリ経営大学院〉、米ノースウェスタン大学、米テキサスA&M大学、英ロンドン大学、米バージニア・コモンウェルス大学)のサテライト校をつくり、国民の教育を通じて、国家の世界的地位を高めようとしている。 またカタールは、中東最大の米軍基地のために土地を提供し、地域紛争の調停(時には資金提供)、22年W杯を含むメガスポーツイベントの実施、カタール航空の設立なども手掛けてきた。さらには、ジャーナリズム的姿勢が強いテレビ局「アルジャジーラ」のメディアネットワークの構築を進めることで、「ダイナミックでボーダレス化する国際経済」の確立を目指している。 いわば、中東においては最も先進的で開明的な取り組みをしてきたのがカタールなのである。西側諸国の信念、価値観、習慣が最も浸透しているといえる。この急激な西洋化がカタール人の中にゆがみを生んでいるのだという。経済や社会の進歩に伴う自由と選択の幅の広がりは、カタール社会が大切にしてきた根強い社会的価値観としばしば衝突をしているのだ。 08年に発表された国家開発計画「カタール・ナショナル・ビジョン2030」では、伝統と近代化という二つの力のバランスを取ることが最優先課題にされている。日本にも明治維新の時代に、和魂洋才という言葉があったが、伝統的な精神を失わずに、西洋文明を受け入れている真っ最中ということだ。
● サウジアラビア、UAEと比べて カタール人女性の権利は守られている そのカタールが抱えるゆがみを象徴するのが、ジェンダーの問題だ。カタール人は日常生活において、ほぼ全員が国民服を着用している。男性は「トーブ」という白い伝統衣装を、女性は黒いアバヤ(マントのようなもの)を着て全身を覆っている。カタール国民は、男女の区別を見た目で明確に分けているのだ。 よって、その境をなくしてしまうようなLGBT+という概念への対処に国民は否定的で、政府としても「違法」という位置付けになっている。 他方、女性の権利については、政府は公にも男女平等を支持している。女性が働き、車を運転し、役職に就くことが許されていて、カタールの大学キャンパスでは女子学生が男子学生の4倍もいる。カタールは、伝統的な文脈と現代的、西洋的な文脈の二つが共存している国なのである。 この点、女性蔑視(べっし)・差別が激しいサウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)よりも格段に進歩的といえる。サウジでは、法的に女性は男性に従属し、結婚、親権、相続などについて自己決定権がない。 カタールは、西側から見れば前近代的と思ってしまうのかもしれないが、中東においては進歩的なのである。 ● 友好国・米国はカタールの人権問題に 「知らんぷり」を高らかに宣言 さて、伝統と進歩という矛盾したものが共存しているようなカタールを巡って、中東において緊張関係にあるサウジ、UAE、そして、友好国である米国はどのような対応をしているのか。 米国のアントニー・ブリンケン国務長官は、W杯の米国代表の応援に訪れた際、カタール政府に対して「毅然とした態度」と「おべっか」を使い分けた。 数千人の米軍を抱えるカタールのアル・ウデイドにある巨大な空軍基地は、21年の混乱したアフガニスタンからの撤退において中心的役割を果たした。そして、世界中のどの基地よりも多くの米国人とアフガニスタンの民間人を避難させた。 これはジョー・バイデン米大統領の窮地を救ったということであり、米国はカタールに大きな借りがあるのだ。ロシアによるウクライナ侵攻後も、ロシアを外交的に孤立させようとする米国を支援し、欧州の液化天然ガス(LNG)市場の安定に貢献している。
そんな事情もあって、ブリンケン氏は次のように述べた。 「この訪問は、カタールとの人権、労働基準、人身売買対策に関する協力の深化をもたらした」「私たちは、カタールが労働慣行を改善するために行った活動を高く評価している」 つまり、人権や労働基準に改善すべき点が存在することを前提としつつも、見て見ぬふりの知らんぷりを高らかに宣言したというわけだ。中国がカタールと同じことをしたらどういう態度に出るのか興味深い。 ● UAEは陰に陽に カタールへ圧力をかけ続ける 対する、中東の周辺諸国、特にUAEはカタールに対して厳しい。 オンラインメディア「THE INTERCEPT」(17年11月9日)、さらにその後ニューヨーク・タイムズ(19年2月1日)で報道されたように、UAEがカタールへのネガティブキャンペーンに資金提供していたことが明らかになっている。米国のジャーナリストやシンクタンクを利用して、「小国カタールのW杯単独開催を否定的な位置付けにさせよう、中東全体での共催にさせよう」とする一連のキャンペーンに対してだ。 UAEは、サウジアラビアと一緒になって、カタールが出資するアルジャジーラを封鎖させようとあらゆる機会を狙って圧力をかけ続けてきたことでも知られる。 アルジャジーラは1996年に設立された。世界に70以上の支局があり、中東地域では極めて珍しく、体制批判をしっかりやってきた。そして10年に起きた中東の民主化運動「アラブの春」で、若者のデモを積極的に報じたことが周辺国の反発を招いた。エジプトでは、革命後の政権を担った「ムスリム同胞団」に肩入れしたと見なされて批判を浴びた。 17年にUAE、サウジアラビアといった中東などの4カ国がカタールと国交を断絶すると発表した際も、関係修復の条件として、「アルジャジーラ」の閉鎖を要求している(カタールは、表現の自由の侵害だと拒否)。その後、米国の仲介で、断交は撤回された。 これまで、カタールの周辺諸国が積極的に欧米のコンサルタント会社に資金提供をし、カタールへの憎悪をあおってきた経緯もある。そのことに鑑みても、今回のカタールにおける人権問題の大炎上に、周辺諸国が関与している可能性は否定できない。外交上手の小国カタールが、米国や欧州、中国、イランといった大国とそれぞれに仲が良いのは、周辺諸国にとってみれば脅威であり、嫉妬の対象であるのだ。 W杯が大きな盛り上がりを見せているが、競技場外でのカタールを巡る各国の態度、謀略、二枚舌にも目が離せない。
小倉健一
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