Source:https://futabanet.jp/tabilista/articles/-/86348?page=1
文・写真/室橋裕和
ぎっしり満員のバスの中に、いきなり異臭が立ち込めた。ゴムが燃えるような、いやな臭いだ。となりの席のネパール人と、顔を見合わせる。すぐに窓から、黒い煙が入ってきた。子供たちがけほけほとむせる。乗客たちが騒ぎ、車掌と運転手に声をかける。こうしてバスは、出発からわずか30分で止まってしまった。
まわりはカーブ連なる山中である。ぽつぽつと民家があるが、あとは山林と畑だ。そんな場所でバスを降りてみれば、右後輪からモクモクと煙が上がっているではないか。車体も傾いている。どこが故障しているのかはよくわからないが、ともかくバス全体が右に傾ぎ、そのために車体とタイヤが接触し、走行の摩擦熱で焼け焦げ、さらにパンクしてしまったようだ。これは間違いなく時間がかかる……というより、もう走れないだろう。単なるパンクではなく、車軸かどこか、構造的にぶっ壊れてしまってるんである。
軽い絶望感を覚えるが、すぐそばに小さな茶屋があったのが救いだった。乗客たちにならってチヤ(ミルクティー)を頼み、とりあえずはひと息つく。
■あまりにも強引なバス修理
サランコットを出て、乗り合いジープでノウダラに下りたのが今朝のこと。そこでしばらく待ち、バグルン行きのバスをつかまえたはいいが、この始末である。ため息が出るが、同時に思い出す。旅とはこういうものだったじゃないか。思い通りに進まないのが旅なのだ。途上国ならバスのトラブルなんて日常茶飯時、こんなときは慌てず騒がず、じっと待ちの一手しかないことを僕は知っている。
憎きコロナによって日本に閉じ込められること約3年。その間に忘れかけてしまっていた旅人としての感覚は、こんなトラブルを重ねるうちに身体の中に戻ってくるのだろう。
とはいえ、だ。待ちの一手とはいっても2時間以上も茶屋にいると、さすがにアセってくる。このままではバグルンにいつ着けるのかわからない。ネパール人の乗客たちものんびりしている人ばかりではなく、通りすがりのクルマや別のバスを停めて、なにやら交渉をして乗り込んでいく人もいる。
僕も動こう……そう思って立ち上がると、オイルにまみれてバスの下に潜り込んでいた車掌が走り寄ってくる。
「もう少し! もう少しで直るから待っててくれ! な!」
必死なんである。これ以上、乗客が別のバスに流れてしまったら商売上がったりなのだろう。やがて車掌はどこから持ってきたのか鉄の棒をバスのタイヤの上、車軸のあたりに突っ込んで、運転手とふたりで乗っかってエイヤエイヤと力を込めると、車体の傾きがいくらか直っていく。それからタイヤを交換する。
「OK、バグルンに行けるぞ」
車掌は真っ黒な顔でサムズアップするのだが、こんな適当な修理で果たして山道を走れるのだろうか。だいぶ不安ではあったがほかのバスもまったく通らないので仕方なく乗り込み、旅は再開した。
案の定、ガレキまみれの河原みたいな道やらバス一台がかろうじて通れるような断崖絶壁の連続で、そのたびにバスの耐久性が心配になるが、どうにかこうにか走り抜け、ようやく僕はバグルン郡の中心地、バグルン・バザールに到着した。
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