Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/4a0068e6acfad2b11b4626a56d6120c3fa4bceb6
皆さんは外国語をどの程度話されるだろうか? 海外旅行に行き、レストランで料理を注文したり、服を買ったり、バスやタクシーに乗るのに不自由しない方は旅行に慣れている方ならまあまあいるかもしれない。では、体調が悪くて医療機関を受診する場面を想定してほしい。海外で医療機関を探せるだろうか? 頭がガンガン痛むとか、胃がつかまれるように痛む、といった説明は外国語でできるだろうか? 外国語でしっかり病状を説明できる、という方は少ないのではないか。
そのようなときのために必要とされるのが医療通訳だ。専門的な医療用語はもちろん、その国の医療事情についても知識があり、話す人の感情を読み取って通訳するスキルを指す。 ■日本に住んでいる外国人は医療受診で困っている 在留外国人に対する基礎調査(令和3年度) 調査結果報告書によると、「どこの病院に行けばよいかわからなかった」「病院で症状を正確に伝えられなかった」と答えた人は20%以上おり、「技能実習」「家族帯同」(日本で働く技人国などの配偶者・子供)「特定活動」の在留資格を持つ人の4人に1人が「病院の受付でうまく話せなかった」と回答しており、「病院で症状を正確に伝えられなかった」割合は30%以上だ。
通算在住年数が1年未満の場合、「病院の受付でうまく話せなかった」「どこの病院に行けばよいかわからなかった」と答えている人は3割、「病院で症状を正確に伝えられなかった」と答えている人は5割にものぼっている。日本に3年以上10年未満滞在している人でも3割が「どこの病院に行けばよいかわからなかった」と回答している。 「効果的に言葉を使うことができる」「長い会話に参加できる」と答えた日本語能力が高い人でも、4人に1人が「どこの病院に行けばよいかわからなかった」と答えている。日本に住む外国人で、医療受診に困難を感じている人が多いことが理解いただけよう。
在留者のみならず、今後増加する旅行者への対応も必要だ。旅行者の訪問先が変化している。観光庁の宿泊旅行統計調査によると、2023年と2019年の同時期を比較すると、福島県や栃木県、山口県など地方都市を訪れる外国人旅行者数が増加している。 旅行者は、前述の在留者より医療機関に対する知識は乏しいだろう。3大都市圏以外の医療機関でも外国人の救急受診が増加することが予想される。119番通報を受ける消防が訓練を行っているとの報道はしばしば見かけるようになったが、医療機関も対応を変えるべき時が来ているのではないか。
歴史上移民で成り立ってきたオーストラリアでは、費用負担なく通訳サービスを受けられるシステム「コミュニティー通訳」を整えている。コミュニティー通訳とは、例えば行政で手続きをするとき、何かの契約をするとき、または警察に捕まったり裁判を受けるときに、気軽に利用できる通訳サービスのことだ。医療も当然だが、言葉がわからないことは著しく不利となる。 ■日本での医療通訳はボランティアから始まった 日本では、医療通訳はボランティアの手で行われてきた。神奈川県のMICかながわ、京都府では多文化共生センターきょうとなどが派遣型の医療通訳を行っている。派遣型は、あらかじめ予定された時間と場所に赴いて通訳する。例えば、がんと診断されて手術を受ける前の詳細な説明などでは、隣にいて話をしてくれるので、心理的にも安心で、とても有用だ。インバウンド全盛の世の中が来る遙か昔から素晴らしい取り組みをされてきた方々には敬意を表したい。
しかし、派遣型では救急受診など急なニーズには対応できない。また、医療通訳にかかる費用を捻出する仕組みが出来上がっていないため、通訳者が受け取る報酬は交通費程度であり、医療通訳を生業とすることはできなかった。生業とならなければ、医療通訳者は増えず、医療通訳が普及することはない。 2014年頃、医療分野で新規事業のアイデアを探していた団体の理事たちに「医療現場で困っていること」についてヒアリングを受けた。
私は、外来診療をする中で、言語の壁が患者を正しい治療から遠ざけていることに気づいていた。「使いやすい医療通訳サービスが必要」と具体例を挙げながら説明した。 【具体例その1】 外来に通院していたフィリピン人女性は、以前から喘息と診断され、吸入薬を処方されていた。何度か受診するたびに聞いても「よくならない」と言う。彼女はタガログ語が母国語で、英語はそこまで上手ではないが、私も上手でない英語で詳しく話を聞いてみた。
結果として、息苦しさの原因はパニック発作であり、夫からの暴力が原因のPTSDだった。夫の帰ってくる時間=夜になると苦しくなっていたことがわかった。喘息は夜に悪化するため、日中の診察室で胸の音を聴いても喘息に特徴的なゼーゼーヒューヒューする音は聞こえないことが多いので、喘息を疑うのは無理もない。国際結婚では安易に離婚することは難しく、安定剤を処方して症状を和らげることとした。また、理解してくれる医師ができたことも彼女の不安解消につながったようだ。
【具体例その2】 インド人の子どもは夕方~夜間に一家揃って受診することが多い。なぜなら、母親はヒンディー語しか話さず、日本語や英語が話せる夫の帰宅に合わせての受診となるからだ。これでは、インド人の妻たちは、夫が原因となっている心身の不調や、夫には話しづらい症状での受診ができないではないか、と私は感じた。 これから東京や京都だけでなく、日本の地方にも外国人が定着していく。よって必ずしもネット環境が良好でないところでも利用できるよう、電話さえあれば使えるのがいい。そして、英中韓だけでなく、日本においてマイナーとされる言語に対応する必要があると話した。
私の説明を理解し、課題に共感してくれたその理事たちは、その後、オーストラリアなどの医療通訳先進国の先行例をヒントに、電話やビデオで医療通訳を利用できる遠隔の医療通訳システムを立ち上げた。 ■医療通訳ニーズの高い外国語は 医療通訳で最もニーズが高いのは、第1世代の渡航者だ。ベトナムやモンゴルから来た人たちには、 先人たちによって形成されたコミュニティーがない。在日3世や4世が沢山いて、頼めばバイリンガルの人が付いてきてくれる中国語や韓国語の話者と環境が異なるのだ。若いベトナム人夫婦がスマホで調べながら赤ちゃんの予防接種の予診票を記入している姿を見ると、思わず手伝ってあげたくなる。
遠隔医療通訳を利用する際のクリニックでの流れはこうだ。日本語の話者ではない人が来院した場合、何とかして出身国と母国語を聞き出す。多言語で質問が書いてあるボードを用いて指さししてもらう方法が便利だ。受付の時点では医療通訳アプリに付随する機械通訳で済ませることが多い。 ナースが問診を取る際や、医師が診察室に呼び込む際に、アプリから電話やビデオで通訳者を呼び出す。多くの方は、リモートではあるが人間が翻訳してくれるサービスを知り、安心した顔をする。彼らの今までの医療受診では、症状の説明が通じない、受けている治療や処方された薬の内容について理解できないなど、数々の支障があり、不安だったのだろう。中には、こんなサービスが利用できて、とても感動した、と感想をいただくこともある。逆説的だが、日本で医療遠隔通訳がいかに普及していないかの表れでもある。
■三方よしの医療通訳ネットワーク ゼロからスタートしたサービスは、いまや32言語に対応するようになった。タブレット画面のボタンを押すだけで、英語、中国語、広東語、台湾語、韓国語、イタリア語、ドイツ語、フランス語、ポルトガル語、スペイン語、ベトナム語、ミャンマー語、ロシア語、タイ語、ネパール語、ヒンディー語、モンゴル語、ラオス語、トルコ語、ペルシャ語、アラビア語、ウルドゥー語、ベンガル語、ダリー語、タミル語、クメール語、パシュトー語、シンハラ語、マレー語、インドネシア語、タガログ語、ウクライナ語の医療通訳者と現場を結んでくれる。
ステータスをオンラインにしている医療通訳者にコールがかかり、対応できる人が出て通訳をしてくれるシステムだ。通訳者は必ずしも日本に住んでいるわけではないので、言語によっては24時間の対応を可能にしている。これにより医療通訳者はどこにいても、ネットにつながりさえすれば働けるようになった。 そして、医療通訳者が食べられるようになるには、システムが利用され、お金を稼げることが必要だ。派遣型であれば契約するのは近隣施設だけに限られるが、遠隔であれば全国どこの医療機関でも利用が可能だ。そのため、全国から多くの医療機関や自治体・団体と契約をすることが可能となり、数多くの機関からの依頼を集約し、優秀な医療通訳者たちに仕事を振り分けることができる。
この仕組みにより、優秀な医療通訳者にも適切な報酬が支払われるようになった。求人サイトを見るとわかるが、医療通訳の給与は、ボランティアベースの頃に比べ格段に向上した。さらに希少言語では高額だ。おかげで、バックトランスレーション(日本語→多言語→日本語)などで誤訳がないか検証し、通訳の品質を担保できるようにもなった。 現在では、日本医師会や厚生労働省といった全国的な組織や各地の自治体等も遠隔の医療通訳サービスを活用している。例えば、日本医師会の会員が管理者である医療機関であれば、年間20回までの利用については医療機関の費用持ち出しはなしで医療通訳を利用できる。自治体によっては、自治体が費用負担することで、医療機関は費用負担なく医療通訳が利用できることもある。まさに患者よし、医者よし、医療通訳者よし、のシステムが出来上がったのだ。
久住 英二 :内科医・血液専門医
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