Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/60cd220ab5bd7a0fff681a5caad6583e0f558343
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スリランカと云えば紅茶「セイロン・ティー」ですが……
スリランカが世界有数の紅茶生産地であることは誰でも知っている。スリランカ島の南半分の高原地帯は紅茶畑が広がる紅茶生産の中心地帯である。そしてキャンディー、ヌワラ・エリア、ハプタレーなどの町は広大な紅茶農園(tea plantation)で生産された紅茶の集散地として発達してきた。 紅茶の生育に適した夏でも涼しい高原地帯なのでこうした紅茶集散地の町は同時に英国人たちの避暑地としても開発されホテルや別荘が紅茶畑の間に点在している。そして現在では世界各国からの観光客が訪れる観光地になっている。
スリランカはかつて大英帝国時代コーヒー生産地だった?
12月2日。キャンディー湖畔の町の中心地であるクイーンズ・ホテル前の広場の由緒ありそうな大英帝国植民地時代制作とみられるゴシック風の噴水があった。興味を惹かれ碑文を読んで驚いた。石碑には『皇太子殿下(プリンス・オブ・ウェールズ)のご訪問を記念してセイロンのコーヒー農園主一同(COFFEE PLANTERS OF CEYLON)が噴水を建設した。1875年12月』と刻まれていた。 1875年といえばビクトリア女王の御代で大英帝国が7つの海を支配した黄金時代である。そして皇太子とはビクトリア女王とアルバート公の長男であり後の国王エドワード7世である。この時代に紅茶農園主ではなくコーヒー農園主がスリランカを代表して皇太子訪問を接遇したことに大きな疑問を感じた。
クイーンズ・ホテルでの皇太子歓迎晩餐会と舞踏会
キャンディーの町で一番古い教会は英国国教会であり1840年創設である。次に歴史がある現役建造物は1844年創業のクイーンズ・ホテルである。滞在中に皇太子一行が逗留したに違いないと判断した。皇太子をコーヒー農園主たちが“おもてなし”した記録を探しにホテルに行ったが、残念ながら古くからいる総支配人が不在で分からないと。 ちなみにこうした歴史のある名門ホテルでは王侯貴族、映画俳優、作曲家、作家など歴史上のセレブが投宿時に署名した宿帳を大切に保存している。名門ホテルでこうした宿帳を見て往時のエピソードを支配人から聞くのも放浪旅の楽しみの一つだ。 クイーンズ・ホテルの建物・内装・調度品はほとんど創業時のオリジナルで歴史を感じさせる。往時の写真や資料・骨董品を飾ってあるミュージアム・バーを見て回るとやはり皇太子歓迎晩餐会や舞踏会の写真があった。
現在のスリランカ庶民のコーヒー事情
クイーンズ・ホテルの受付によると近くに本格的な美味いコーヒーハウスがあるという。現在のスリランカでは紅茶ほどではないが、コーヒーもよく飲まれている。コーヒーの置いてあるゲストハウスもありエスプレッソのように細かく粉のように挽いたものをカップに入れて上から熱湯を注いで、粉が沈んだ後の澄んだ部分を飲むというのが簡便法である。町の食堂では濾過器のような筒形の容器に粉を入れて熱湯を注ぎ濾過したコーヒーを出す。コーヒー豆は輸入豆(恐らく安物の)をブレンドしたものだ。 スーパーで袋詰めの挽いたコーヒーを売っているが、値段的にもネスカフェのインスタントコーヒーのほうが贅沢品の扱いである。
日本人経営のコーヒーハウスで知ったセイロン・コーヒーの栄光の歴史
コーヒーハウスは意外にも日本人経営(オーナーは不在だった)であり、壁に“スリランカ・コーヒー復活”のキャンペーン・ポスターが貼ってあった。セイロン・コーヒーの歴史を紹介している。 なんと17世紀には英国人により、セイロンでコーヒーが栽培され輸出されていた。そしてロンドンではカフェ文化が花咲き熱狂的なコーヒーブームが起こった。1860年代にはセイロンは世界最大のコーヒー輸出地となった。1864年にはコーヒー豆輸送のためにセイロンで初の鉄道が開通。これらの鉄道はスリランカ国鉄に引き継がれ、現在でも公共交通として現役である。当時世界の3大コーヒー産地は英国領セイロン、ポルトガル領ブラジル、オランダ領インドネシアであったという。 ところが、1870年代に発生した”さび病”(rust disease)が徐々に広がり、1890年代にはセイロン島でのコーヒー栽培が大打撃。それゆえ20世紀になるとコーヒーの木は密林の奥で奇跡的に残った例外を除いてセイロン島からなくなったという。ちなみにキャンディーで長逗留したゲストハウスの裏庭にはその奇跡のコーヒーの木が1本だけひっそりと生き延びていた。 そして1890年代に壊滅したコーヒー農園を次々に買い取り大規模な紅茶栽培を始めたのがリプトン紅茶の創始者サー・トーマス・リプトンである。この時代にセイロンのプランテーションの主役はコーヒーから紅茶に大転換したのだ。
コーヒー復活にかける高邁な理念『150年の時を超え蘇る世界一の珈琲』
紹介されたコーヒーショップでスリランカ産コーヒー豆を淹れたコーヒーを頂いた。町の食堂のコーヒーと異なり久しぶりにコーヒーの豊潤な香りと旨さを満喫。従業員は若い女性が5人。英語が上手くて気が利いている。 日本語のパンフレットには『150年の時を超え蘇る世界一の珈琲』とある。経営理念に『セイロン・コーヒー・ルネッサンス、女性力開花』と。コーヒー産業復活により農村女性への就業機会の提供、コーヒーショップ展開を通じてバリスタとして経営できる女性人材育成を目指している。 ショップに置いてあった資料によると、国際的なコーヒー豆供給不足と価格高騰を受けて日米欧の大手業者がセイロン・コーヒー復活の支援をしているようだ。キャンディーでは2009年からコーヒーの木の植樹支援プロジェクトが始まり、ヌワラ・エリア地方のコトマレでは共同出資のパイロットファームが運営されているようだ。
高邁な理念で思い出したネパールの有機栽培コーヒー
セイロン・コーヒー復活の想いのこもったパンフレットを見ていたら、7年前のネパールのカフェを思い出した。ネパールのポカラ湖畔の見晴らしの良い高台で、カフェとゲストハウスを経営していたK氏。ネパールも気候的にコーヒー栽培に適しており、日本はじめ外国のコーヒー会社が支援して近年有機栽培コーヒーとして先進国市場に輸出されている。“ヒマラヤ・コーヒー”というブランドを確立しつつある。 K氏は世話になったネパールに恩返ししようと、貧しい子どもたちをゲストハウスの空いた部屋に住まわせて学校に通わせていた。ネパールには学校に行けない子どもが沢山いるのだ。そして放課後は、ゲストハウスの手伝いとカフェの手伝いをさせる。将来ゲストハウスのマネージャーやバリスタになれるように教育していたのだ。貧困対策の一丁目一番地は教育と職業訓練ですと語っていたK氏の情熱を思い出した。
コーヒー栽培農園はどこに
ヌワラ・エリア逗留中にコーヒー栽培パイロットファームへの訪問を検討したが、宿からローカルバスで4時間、さらにバス停から十数キロの山中なので断念。宿で聞くと意外にも歩いて行ける至近距離にコーヒー農園があるという。携帯電話番号に電話するとオーナー自身が出てきて手術のためコロンボに滞在しており、不在中は農園を閉めているとのこと。入院中のオーナーに無理やり頼んで近隣の他のコーヒー農園の支配人を紹介してもらった。 グーグルマップでチェックすると宿から30キロくらいだ。ローカルバスを2回乗り換えて3時間。渓流を上り切ったところにある山奥の村に到着。さらに三輪車タクシーで紅茶畑の広がる悪路の山道を30分上り頂上の作業小屋へ。支配人は小さな製茶工場で待っていた。
M紅茶農園の歴史は『セイロンのコーヒーと紅茶の物語』
支配人のD氏はアラフォーのタミル人カトリック教徒。この地域はポルトガル植民時代の布教活動によりカトリック教徒が多い。地元の公立学校もカトリック系公立学校である。D氏も三輪車タクシーの運転手もその公立学校出身だ。 D氏によるとM紅茶農園はスコットランド人植民者が1891年にコーヒー農園として創業。コーヒーの木がさび病で壊滅したので1900年から紅茶栽培を開始。周辺で見える限りの丘陵地帯は全てM紅茶農園の所有地だ。輸出用の大きな製茶工場は麓にある。山上の小さな製茶工場は試験用という。緑茶風に製茶したサンプルを頂いたが、ダージリンのファースト・フラッシュ(春先の一番摘み)のような淡い上品な味わいだった。 オーナーは国際的に気候変動の影響でコーヒー豆収穫量が年々減少しているなかでセイロン・コーヒーを復活させようと2020年からコーヒー栽培を開始した。気候的に土壌・雨量、年間気温などコーヒー栽培に適していることは歴史的に証明されているので良質のコーヒー豆が収穫できるとオーナーは確信しているという。 2020年に2800本のコーヒーの木を紅茶の木の間に植樹。コーヒーの木は樹高が高いので紅茶の木への直射日光を遮蔽する効果があるので混在栽培するとのこと。近くでは茶摘み女たちが収穫していた。なるほどコーヒーと紅茶を混在栽培すれば通年で収穫できるというメリットもある。 コーヒーの実はそろそろ赤く熟れてきて収穫が近いようだ。D氏に勧められコーヒーの実を食べるとサクランボのような味と食感だ。残った種を洗って乾燥させたものがコーヒー豆になるという。 1回の収穫量は2500キロ程度。年に1~2回収穫できるという。現在ではまだ試験段階で収穫量が少ないので、コトマレのパイロットファームの工場に送って、コーヒーパウダーにして国内向けに販売しているとのこと。紅茶はMブランドとして長年にわたり日本や欧州に輸出しているのでコーヒーも収穫量が増えてくれば同じ流通ルートで海外にMブランドコーヒーとして輸出する計画とのこと。 スリランカでコーヒーの商業生産が軌道に乗りセイロン・コーヒーが高級ブランドとして世界中に輸出されるようになれば山岳地帯の人びとの生活水準も向上するだろうとコーヒー・ルネッサンスの将来に希望を抱いた。 以上 次回につづく
高野凌
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