2020年4月22日水曜日

急増する未熟なエベレスト登山者たちが引き起こす問題とは? 新たなルールづくりの課題も(後編)

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200418-00010004-gqjapan-bus_all
4/18(土) 20:42配信、ヤフーニュースより
GQ JAPAN
2019年、世界最高峰エベレストの頂上付近を捉えた1枚の写真がインスタグラムに投稿され、またたく間に拡散した。標高2万9000フィート(8848メートル)の山の“死のゾーン“でいったいなにが起こったのか。現場にいた人々に、米版『GQ』が話を訊いた。

【写真を見る】列をなす登山者たち
気候変動のせいで、雪や氷の下にあった遺体が姿を露にしてきている。「気を取られてはダメです。前進あるのみ」
カナダのチームから参加した歯科医のクリス・デアも水曜の夜、頂上へ向けて出発した。相棒のケヴィン・ハインズ56歳は100ヤード歩いただけでキャンプ3へ引き返した。9時半直前に登頂。午後には天候が悪化する。

キャンプ3へ戻る途中の午前10時頃、同じチームの女性、カム・カウアーと出会った。彼女はイギリス人のヨガ・インストラクターで経験豊富な登山家だが、チームを率いるロルフ・オーストラによるとその日は体調が万全ではなかったという。しかし本人は諦めなかった。

酸素不足で疲れ果て、雪まみれになって頂上からキャンプ3に戻ったデアはテントの中に倒れ込んだ。後刻、外で騒ぎが起きたときは、ほとんど意識がなかった。カウアーといっしょだったシェルパが1人でヨロヨロ戻ってきた。「カムはどうした?」とオーストラが詰め寄ると、「まだ上にいます」と喘ぎながらシェルパは答えた(彼女はオーストラによって辛くも救助された)。

第2の難所を下りた直後、グラブホファーはすぐ後ろで叫び声と悲鳴を聞いた。64歳の相棒にまずいことが、とピンと来た。登頂出発直前の時点でのその相棒、ランドグラフの印象についてチームのシェルパは「弱っていたね」といっている。

「でも、“どうしてもいかないと“って。そしたら本人の好きにさせるしかないよ。“ダンナにゃ無理です“とはいいにくいから」。

ランドグラフは梯子に足を掛けようとして滑り落ち、宙吊りになった。ガイドらはすぐさまロープから外そうと格闘したが、もう命がないとわかり、脇へどけてそのままに。すぐ後ろで待っていたクライマーたちが激昂し、「彼を落とせ! 道を塞がれたらこっちも死ぬ」と叫んだ者がいたという。ランドグラフの直接の死因は不明だが、あの高度で強度のストレス下にある身体には、ほんのわずかのことが命取りになる。
どう悲劇を防ぐべきか?
昨年5月のシーズン中にエベレストで起きた悲劇は、ヨーロッパの一流どころをふくむ世界中のエージェンシーを巻き込んだ。したがって格安業者を通じてエベレスト登頂に挑んだのがいけなかったとはいえないが、格安業者が多数あることの問題は無視できない。たとえばインドのセブン・サミット・トレック社に頼むと、通常は3万8000ドル(約415万円)でエベレスト登頂ツアーに参加できる。エベレストはインド人クライマーに大人気で、欧米登山家と較べて予算的に苦しい彼らが同社のような業者の顧客となっている。この年エベレストで死亡した11人のうち4人がインド人で、ネパールの8000メートル級の山で亡くなった17人のうちでは8人がそうだ。

死にそうになりながらキャンプ3へ戻ったグラブホファーはベッドへ倒れ込むなり眠ったが、翌5月24日の午前3時、猛烈に呼吸が苦しくなって目を覚ました。必死の思いで手袋を外し、あたりのゴチャゴチャを探って確認すると、ボトルの酸素はもうなかった。「クソッ」といってマスクを剥ぎ取り、嘔吐した。シェルパを呼んだ。「酸素をくれ」。呼ばれたデンディが急いでかけつけ、やってくれた。「あのとき新しいタンクにつけかえなかったら、ラインハルトは死んでいたでしょう」。

そこから何十ヤードか離れたテントの中ではクリス・デアが眠れずにいた。早々にデス・ゾーンから下り、相棒のケヴィン・ハインズに会いたい。朝、下りようというときになって、シェルパのもとへキャンプ1から無線連絡が。「ケヴィンが亡くなった」とそのシェルパはいった。ハインズの死因は「自然死」とされた。

筆者が8月にカトマンズを訪れたとき、地元では論争が起きていた。5月に11人がエベレストで死亡し、ネパール政府は登山を許可する条件を厳格化する方針を打ち出した。だがその一方では、政府がそんなことを本気でやるのか疑わしいとの声もあった。許可証の発行で得ている何百万ドルもの収入が減るのをよしとするはずがない。「結局、変わらないでしょう」とオーストラ。「要は金銭の問題ですから」。

グラブホファーとは登頂3カ月後にウィーンで会った。いまだ興奮冷めやらずといった感じだった。かつてなく大勢が訪れるようになっても、世界の頂点に到達するのは特別な体験だ。とはいえ、ニルマル・プルジャの写真の影響でエベレストの世間的なプレスティッジがいくらか帳消しになってしまったのは彼も認めている。「いろいろ訊かれました。写真の行列の中にあなたもいたんですか、とか。そんな、スーパーマーケットじゃあるまいし」。経験不足で未熟なクライマーを排除して混雑を減らし、エベレストを再び至高の存在に。そのためには新しいルールが必要だと彼はいう。むざむざ死ななくていい者を死なせないためにも。

相棒ランドグラフのその後に関して。グラブホファーによると、亡くなった2日後にコブラー&パートナー社のメンバーが現場へ向かい、吊り下げられていた遺体をロープから外したという。遺体は登山ルートから外れたところまで運ばれ、岩と岩の隙間に安置された。
Words ジョシュア・ハマー、Translation 森 慶太

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