2020年4月1日水曜日

コリアンタウンの新大久保がニューヨーク化している理由

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200327-00231923-diamond-soci
3/27(金) 6:05配信、
ダイヤモンド・オンライン
● 居住者の半数が 多国籍の外国人

 新宿・新大久保。

 色とりどりのカラフルな内装のオフィスで働いているのは、その多くが外国人だ。中国、韓国、ベトナム、ミャンマー、インドネシア、ネパール……社員の実に70%以上、170人ほどが外国人なのである。

【新大久保の街の様子(画像)はこちら】

 窓口を訪れるお客もやはり外国人だ。住居やアルバイト探し、携帯電話の契約といった相談にやってくる。彼らに多言語で対応できるスタッフが対応していく。

 外国人専門の生活総合支援を行う会社、GTN(グローバルトラストネットワークス)は、多国籍化が進む街・新大久保を象徴するような会社かもしれない。

 「来店するお客さまは中国、韓国のほか、ベトナムやネパール、フィリピン、ウズベキスタンなど何十という国からいらっしゃいます」と語るのは、同社の営業本部に勤める高見沢敏さん。

 日本人社員は「少数派」だが、「社内の共通語は日本語ですし、文化の違いもあまり気にならず、楽しく働けています」と言う。
 コリアンタウンというイメージが強い新大久保。

 実際、JR新大久保駅から東、大久保通り沿いには、韓国料理のレストランや、韓流アイドルのショップ、ライブハウスなどが無数に立ち並び、日本人の女の子でごった返す。ハットク(韓国風ホットドッグ)やチーズチキンなどSNSで人気の店に大行列ができたりもする。

 週末や連休ともなれば全国からは韓流女子が集まるし、修学旅行生がやってくるようにもなった。すっかり人気の観光地なのである。

 一方で、大久保通りから南北に伸びる狭い路地を入っていくと、静かな住宅街も広がっている。小さなアパートも立てこむが、そこに住んでいるのはかなりの部分が多国籍の外国人なのである。

 大久保通りと、南側の職安通りに挟まれた大久保1丁目を見てみると、人口4486人のうち外国人が2058人を占める。45.8%が外国人だ(2019年1月時点。「新宿区の概況」による)。

 この住民たちの顔ぶれは多彩だ。とりわけ急増しているのは、ネパールやベトナムに代表される南アジア、東南アジアの人々だ。彼らの暮らしを支える食材店やレストラン、送金会社、雑貨店なども、この街には目立つようになった。
アパートのほか、シェアハウスや民泊施設も密集しており、欧米人や中華系の旅行者も目立つ。雑多な顔が行きかう新大久保を見て「ニューヨークに雰囲気が似ている」と話す人もいる。

● 韓国人が新大久保に 目を付けた理由

 新大久保の国際化は、戦後間もなくからはじまっている。焼け野原となった新宿では歌舞伎町の再開発が始まったが、ここで大きな役割を果たしたのが台湾華僑や在日韓国人の人々だった。

 彼らはすぐそばの新大久保でも存在感を発揮し、ホテルやアパート経営などに携わっていったといわれる。

 やがて高度経済成長期になると、東洋最大の歓楽街へと成長した歌舞伎町では、外国人ホステスが働くようになる。

 韓国のほか、台湾、タイ、フィリピン…彼女たちは仕事が終わると、職安通りを越えて新大久保のアパートへと帰っていった。歌舞伎町から徒歩圏内で、なおかつ家賃がぐっと下がる新大久保は、格好のベッドタウンだったのだ。

 バブル期にかけては、彼女たちが必要とするエスニックなレストランや食材店、美容室、国際電話をかけられる店などがちらほらとある街だったというが、21世紀に入ると唐突に注目を集めることになる。

 2002年のサッカー日韓ワールドカップと、2003年に放映された韓国ドラマ「冬のソナタ」による韓国ブームだ。それまでは目立つ存在ではなかった小さなコリアンタウン・新大久保に、マスコミが大挙して押し寄せるようになる。

 「ワールドカップのときは、日本と韓国の試合があると必ずテレビ局がやってきて、この街から生中継したものです。目に見えて、連日やってくる観光客が増えていった」

 とは、長年この街に住む在日韓国人二世。

 この異様な盛り上がりを見て、韓国からビジネスチャンスと見た若者が次々と新大久保にやってくるのだ。彼らによって、韓国料理のレストランや、化粧品に占い、雑貨、アイドルなどの店が乱立するようになる。あっという間に韓国文化を売りとした一大観光地となったのだ。こうしてまず「コリアンタウン新大久保」が形成されていく。
● 東日本大震災を機に 多国籍化が進む

 歌舞伎町開発のほかにもう一つ、新大久保を語る上で欠かせないものが、日本語学校の存在だろう。

 1935年、新大久保からほど近い北新宿に「国際学友会」が設立され、留学生受け入れの窓口となったのだ。そのため新大久保には、留学生たちのコミュニティーもつくられていった。

 1983年には当時の中曽根康弘首相が「留学生10万人計画」を打ち出したことで、新大久保から高田馬場にかけてのエリアに日本語学校や外国人を受け入れる専門学校が増えていく。

 こうした学校で学ぶ留学生たちは中国人と韓国人が中心だったが、大きな変化が起きたのは2011年だ。東日本大震災による福島原発の事故を見て、中国人と韓国人が一斉に帰国した時期があったのだ。

 困ったのは日本語学校や、留学生を労働力として期待していた飲食、小売りなどの業界だ。

 そこでベトナム、ネパールといった国からも、留学生や労働者を受け入れるようになっていく。グローバル化が進んだ世界で人材の流動化も進んだこと、それに少子高齢化の激しい日本が事実上の移民政策にかじを取りつつあったこと…こんな流れから日本に東南アジア、南アジア系の人々が急増していく。

 彼らが選んだのは新大久保だった。すでに韓国人が住んでおり、留学生も多く、外国人に慣れた土地柄だったからだ。加えて新宿から近く便利で、外国人にとってはわかりやすい環状線(山手線)の駅もある。

 こんな理由で、いま新大久保は空前の多国籍化の時代を迎えている。

● 新大久保は 日本の未来か

 あまりに急激な国際化に、戸惑っているのは地元の人々だ。ごみ出しや騒音などアパートを巡るトラブルもある。部屋を借りる際には家賃保証の会社を通すこともあるが、外国人では断られることも多い。そこで先述のGTNの出番となる。
 「弊社では外国人を専門に家賃保証を行っています。それに外国人が入居するときには日本の暮らしに必要なマナーを教えています。またアパートのオーナーさんには外国人を受け入れるためのノウハウをレクチャーしたり、心配事を相談できたりするセミナーも催しています」

 とは、同社の取締役である董暁亮さん。

 新大久保の多国籍化に合わせてスタッフもさまざまな顔ぶれとなっていき、いまGTNでは20カ国の人々が働く。家賃保証だけでなく、携帯電話サービスやアルバイト・就職支援のほか、生活トラブルに緊急対応するサポートセンターも設置。新大久保には欠かせない「インフラ」ともいえる存在だ。

 いろいろな国から来た人が一緒に働く上で、とにかく大切にしているのはコミュニケーション。

 「クリスマスや豆まきなどのイベントは頻繁に行っています。映画やアウトドアなどの部活動もあり、交流できる、お互いを知る機会をとにかく増やしています」(董さん)

 GTNのような「多国籍混在」の場所は、新大久保では珍しいものではない。ネパール人とベトナム人が経営するレストランもあれば、ミャンマー人のおかみさんが切り盛りする日本風の焼き肉店もある。ハラルフードの食材店では東南アジアの食材も売られていて、ベトナム人の若者がのぞき込んでいたりもする。

 そこへ、「留学生? 勉強どう、日本は慣れた?」なんてバングラデシュ人の店主が話しかける。もちろん日本語だ。

 新大久保は日本の土地と言葉をベースに、雑多な人々が集まり、コミュニケーションを取りながら、膨張していく街なのだ。

 その姿は、将来の日本なのかもしれない。少子高齢化していく社会を、外国人で埋めていこうという流れはもう止まらない。外国人なしでは回らない地方、産業も今では多い。やがて日本のあちこちが「新大久保化」していく。この街は移民社会を迎えようとしている日本の、いわば最前線なのだろうと思う。

 (ライター 室橋裕和)
室橋裕和

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