Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/30abcf2cc1d967ce70ca74e65da5709a4f40453a
アメリカは、気候変動問題を「環境保護」の域を超えた「国家安全保障上の脅威」ととらえ、国防総省が軍事戦略の中に組み込むなど、本腰で取り組み始めている。
気候変動問題について、トランプ大統領は在任中、「科学的根拠なし」としてその重要性をほとんど無視し続けてきた。しかし、統合参謀本部を頂点とする米軍の現場では、同政権スタート以前から、干ばつ、洪水、豪雨による河川氾濫、沿岸の水位上昇による浸水など、地球温暖化に起因する人的被害の拡大によって民族移動、政情不安、社会的混乱、軍事クーデターにつながりかねないとして、軍事戦略の一部に組み込む動きが出始めていた。 地球温暖化による気候変動を最初に世界に向けて「国家安全保障上の脅威」と公式に宣言したのは、オバマ大統領(当時)だった。 同大統領は2015年5月、米沿岸警備隊士官学校卒業式での演説で「気候変動は、地球上のあらゆる国にインパクトを与える。そこから逃れられる国は1国もない。私は本日、この場を借りて、気候変動はグローバル安全保障に対する深刻な脅威であり、従って、わが国家安全保障上の現時点でのリスクになっていることを宣言したい」と明言した。それ以前の政権でも、気候変動がもたらす脅威は語られてきたものの、どちらかと言えば、経済、保健衛生への影響に重点を置いたものだった。この点、オバマ大統領は同年、公表した「国家安全保障戦略」特別報告書の中で、具体的に、洪水、水飢饉といった災害に乗じたテロリスト・グループの暗躍などにも言及している。 ところが、2017年1月発足したトランプ政権は、当初から気候変動の存在そのものを否定、同政権が新たに作成した「国家安全保障戦略」では、気候変動は「国家安全保障上の脅威」との表現が削除され、代わって、サイバーおよび電磁波(EMP)攻撃の脅威に置き換えられた。 これを再び逆転させ、オバマ政権当時以上に、決然たる姿勢で気候変動問題を前面に打ち出したのが、バイデン政権だ。バイデン大統領は1月就任と同時に、気候変動に対処するための「大統領命令」措置を矢継ぎ早に発表、さらに、同問題に関連し、国家情報長官室に対し「国家安全保障上の脅威についてのインテリジェンス評価(NIE)」を恒常的に提出するよう指示した。 とくに、同政権で際立つのが、国防総省の取り組み姿勢だ。 ロイド・オースチン国防長官は早くも、1月27日、「国内外における気候変動危機への対処についてTackling the Climate Crisis at Home and Abroad」と題する声明を発表、この中でまず(1)わが国の軍事基地・施設では毎年、洪水、干ばつ、山火事、異常気象がもたらす災害とその影響に直面している(2)わが軍の司令官たちは同盟諸国軍の同僚たちとともに毎年、砂漠化によって引き起こされる諸外国の社会不安、敵対国が北極周辺諸国にもたらす脅威、世界的規模の人道支援の要請などに対応するための共同作戦や演習を余儀なくされている(3)2019年1年間だけでも、国防総省は79か所の軍事基地・施設、そして多方面にわたる作戦展開地域における気候変動が及ぼすさまざまなインパクトについて、具体的な評価作業を行った―などの点を指摘した。
その上で、「国防総省としては、米国民をその影響から守るべく、気候変動を『国家安全保障問題』と位置付け、怠ることなく対処していく」として、より具体的に「社会混乱・不安の誘因となる気候変動軽減化に向けて、軍事活動を優先的に展開できるよう、ただちに政策遂行に着手する」「この問題に関し各省庁間のリーダーとして、国防総省は、気候変動リスク分析を机上シミュレーション、戦時ゲームそして、次なる『国家安全保障戦略』の中に組み込んでいく」との緊急性を帯びた決意を示した。 同長官は、3月9日にも、同省最高幹部および各軍司令官宛て特別メモを発出、「気候変動問題作業部会」編成を明らかにすると同時に、「気候変動はグローバル安全保障そして軍事作戦環境を変質させ、米軍の軍事使命・立案及び軍事諸施設にもインパクトを与えている」として、それぞれの持ち場で今後、気候変動・エネルギー関連大統領命令などに機敏に対応できるよう指示した。 さらに同長官は4月22~23日、大統領主導で開催されたバーチャルの「気候変動に関する世界指導者サミット」で演説し、以下のように述べた: 「いかなる国であれ、気候危機への対処を抜きにして恒久的安全保障を得ることはできない。我々は今日、あらゆる場面でさまざまな脅威に向き合っているが、真に生存に直接かかわる脅威 truly existential threatと呼ぶに値する危機は多くはない。気候変動はまさにそれに相当する」 「すでに世界全体にとって、深刻な安定破壊要因となっている。北極圏では、凍土の溶解が進むにつれて隣接諸国間で資源獲得と影響力拡大競争が激化している。赤道直下では、海温上昇、異常気象そして大干ばつにより、アフリカから中南米に至る広範囲な地域で農作物不作、飢餓、河川氾濫などによる住民移住を引き起こしている。従って我々はただちに行動を起こす必要がある」 「また、太平洋地域においても、海洋の水位上昇、暴風雨の頻発により、各国で家族、地域住民の集団移動を余儀なくされ、治安維持、暴動鎮圧に対処すべきグローバルな集団安全保障の能力が大きく制約を受けている」 ではなぜ、米政府はここまで、気候変動問題を国家安全保障上の最重要課題の一つにまで位置付けるに至ったのか。
『アジア太平洋における資源に起因する紛争に油を注ぐ気候変動について』
その背景にあるのが、今世紀に入り、アメリカのグローバル戦略の「アジア・シフト」にともない、とくに広大なアジア・太平洋地域諸国の安全保障が気候変動により脅かされつつある事実だ。 国連開発計画(UNDP)は、すでに2012年時点で『アジア太平洋における資源に起因する紛争に油を注ぐ気候変動についてClimate Change Fuelling Resource-Based Conflicts in the Asia-Pacific』と題する報告書(96ページ)を公表、気候変動とアジアの情勢不安の関係について論じている。 その中には、以下のような指摘がある: ・2020年代までに、中央、南、東および東南アジアの大きな河川地帯で飲料水不足の発生が見込まれる ・南、東、東南アジア沿岸諸国の過密人口地帯が、海面水位上昇、河川氾濫に直面する大きなリスクを抱えている ・急速な都市化、工業化そして経済開発に伴い、気候変動が天然資源と環境に及ぼす影響が深刻化する ・東、南、東南アジアにおいて、水文学的循環hydrological cycleの変容が起こることから、海岸・河川氾濫と干ばつに起因する下痢、コレラの集団発生そして広範囲におよぶパンデミックの増加が予測される その上で同報告書は、気候変動とくに水不足に関連した中国と周辺諸国との安全保障問題に具体的に言及、(1)中国の水需要は経済成長にともない今後ますます拡大が予想されるが、水資源の死活的に重要な供給元となっているヒマラヤ山脈、メコン川流域が気候変動の影響を受け始めており、深刻な水不足、干ばつ、熱波による農業被害を今後何十年にもわたり経験することになる(2)中国が去る2012年に、チベット源流からバングラデシュを経由しインドのガンジス川に至るジャムナ川沿いにダムを建設、中国側農耕地帯に用水引き込みを図ったことから、中印両国間で“水戦争”の火種となりつつある(3)タイ、ラオス、カンボジア、ベトナム諸国はかねてから、中国がメコン川一帯での開発、事業を事前協議なしに展開してきたことに抗議を続けてきており、バンコク・ポスト紙は社説で「中国はダム建設などにより、近隣諸国の漁民、農民、地域住民に重大な被害を与えてきた」と非難している―などの点を挙げた上で、今後、関連諸国間の紛争に発展しかねないとして警鐘を鳴らしている。 また、国際紛争への警鐘と対策に取り組む国際機関として知られる「International Alert」(本部ロンドン)も「気候変動と戦争と平和」の関係を論じたレポートの中で、アジア太平洋が重視される理由として、将来的に気候変動に起因する紛争が起こり得る諸国の中に中国、インド2大国のほか、アフガニスタン、バングラデシュ、ミャンマー、インドネシア、イラン、ネパール、パキスタン、フィリピン、ソロモン諸島、スリランカなどが含まれており、「アジア全体としても、14億の人口が海面や河川に面した低地に居住、最悪被害を受けやすい世界ワースト・テンの諸国すべてがアジアにあるからだ」と述べている。 こうしたアジアの状況を踏まえ、米軍にとっては今後、「唯一最大のライバル国」である中国との覇権争いが激化していくシナリオを視野に、気候変動の深刻な影響を受けるインド太平洋諸国への安全保障確保が急務となりつつある。 この点に関連し、すでに、国防総省が最近、作成した「暫定的国家安全保障戦略interim national security strategy」の中で「(中国などの)敵対諸国の膨張を抑止し、米国の諸利益防衛のためにインド太平洋地域における米軍の強固なプレゼンスを必要としている」と強調したことは特筆すべきであろう。 同時に、わが国も、アジアの政情不安につながりかねない気候変動を少しでも軽減するために、これまで以上に積極的に貢献していくことが求められている。
斎藤 彰 (ジャーナリスト、元読売新聞アメリカ総局長)
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