Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/124f0b301feaea2174821995d7ca7e16f91db9aa
「歴史的」で「画期的」な判決
ドイツの最高裁である憲法裁判所が、4月29日、環境保護の活動家の訴えを部分的に認める判決を下した。活動家は、2019年12月18日に発効した連邦気候保護法が違憲であるとして、ドイツ政府を訴えていたのだ。 【写真】グレタさん演説のウラで、日本メディアが報じない「ヤバすぎる現実」 憲法裁判所の権限は多岐にわたるが、具体的な事件を扱うのではなく、主に基本法(憲法に相当)の解釈、また、既存の法律が基本法に反していないかどうかということを裁く。また、ここで出た判決は覆せない(覆せるとすれば、EUの欧州裁判所のみ)。 詳しくいうと、今回は、15歳から32歳までの9人の若者が訴人となり、それを著名な環境団体が大々的に支援した(主だった支援組織は、Fridays for future、DUH〈ドイツ環境援助〉、BUND〈ドイツ環境・自然保護連盟〉、グリーンピースなど)。 問題になった連邦気候保護法というのは、2015年にCOP21で合意されたパリ協定の内容を法制化し、2019年12月、協定合意から4年以上もかけてようやく施行されたものだった。 ドイツではここ数年、いかにして気候温暖化を止めるかが、人類の最大の課題であるという認識が急速に広まっている。これは、10年以内に効果的な行動を取らなければ手遅れになり、“惑星(地球)が滅びる”という恐怖のシナリオに基づく。そのため、CO2の削減が何よりも重要視され、今や全ての社会活動がCO2削減と結びつけられている。 政治はもちろん、工業も、農業も、教育も、すでにCO2の削減を避けては通れない。そして、その輪に、今回は司法までが加わったと言える。ドイツはまさに、Fridays for future運動のグレタ・トゥンベリ氏の主張通りの道を歩んでいるのである。 気候保護法で、憲法裁判所が何を問題視したかというと、気候保護法には2030年までのCO2削減目標値(1990年比で55%)は盛り込まれていたものの、2031年以後については一切設定されていなかったこと。 つまり、これでは、2031年以降に皺寄せが行き、次世代に削減のための過大な負担がかかるかもしれず、もし、そうなれば、将来の人々の自由が制限される可能性が生じる。自由の制限は基本的人権の侵害であるから、気候保護法は部分的に憲法違反である。だから、現在の若者に不公平にならないよう、2031年以降の削減目標値もあらかじめ詳細に定め、もっと厳しい対策を心がけるべき、と。要するに、世代間の平等を保つためということだ。 とはいえ、次世代に負担がかかるというのは仮定の話であるため、これを理由にして下された果敢な判決に一番驚いたのは、おそらく訴えた若者たちだったろう。思いもかけなかった大成功ということで、裁判は環境保護派の全面勝利のように扱われ、メディアでも「歴史的」「画期的」といった言葉が踊った。
国民のほとんどが知らないうちに
ただ、不思議だったのはその後だ。 判決のわずか1週間後、ドイツ政府が突然、カーボンニュートラルの達成目標をこれまでの2050年から45年へ前倒しにすると発表。また、1990年比の2030年の削減目標値も10%引き上げられ65%に、さらに2040年のそれは88%と定められた。 2050年のカーボンニュートラルでさえ、産業界にとっては厳しい目標であったのに、諸々の変更について議論はなされなかった。しかも、5月12日にはこれらが閣議決定され、6月24日、法案は国民のほとんどが知らないうちに両院を通過した。 こうして新・気候保護法は、それがもたらす影響や、経費、国民負担、そもそも、本当に可能なのかどうかなどということが十分に検証されないまま、驚異的な早さで成立した。 この判決の経緯についての、大手のディ・ヴェルト紙のオンライン記事(5月10日付)が興味深かったので紹介したい。 https://www.welt.de/wirtschaft/plus231024643/Green-Supreme-Die-Klimagesetze-stuerzen-Deutschland-in-eine-Aera-des-Nullwachstums.html? cid=onsite.onsitesearch 記事のタイトルは、「気候法はドイツを経済成長ゼロ時代に陥れる」だが、もう一つ重要な点は、最初の小見出し、「ドイツ政府は(自分を訴える)訴人に自ら支払っている」。 というのも、今回、政府を訴えたNGOのほとんどは、長年、政府から多額の助成金を受けている。それどころか、政府の公金はドイツのNGOだけでなく、ネパールやバングラデシュの環境活動家にまで流れているという。 ちなみに、判決の出た日、ドイチュラントフンクは「法的センセーション」というタイトルの記事で判決を評価し、将来、これら外国のNGOが環境問題についての訴えを起こす可能性まで示唆した。 https://www.deutschlandfunk.de/urteil-zum-klimaschutzgesetz-eine-juristische-sensation.720.de.html? dram:article_id=496502
温暖化対策のマイナス面は指摘もされず
ディ・ヴェルト紙の記事を読み進むと、この裁判の偏向の様子も指摘されている。 例えば、審理での参考資料は、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)のもの以外は、全て、連邦環境庁や、環境問題に関する専門委員会、あるいはポツダム研究所などが出しているものだったこと。 ポツダム研究所というのは、国と州の資金で運営されている組織で、温暖化防止に関しては過激な提言をすることで有名だし、環境問題に関する専門委員会は、政府内の組織でありながら、Fridays for futureの活動を公式に支援している。そして、同専門委員会の主要メンバーには、ポツダム研究所の研究者が入っているという入り組み方だ。なお、裁判所は、参考文献として一次資料にあたる労を取らなかったと、ディ・ヴェルト紙。 とはいえ、ドイツに、これら政府寄りの見解と異なる意見を持つ研究者がいないわけではない。それどころか、少なからぬ研究者が、これまで何度も、CO2と温暖化の明確な関係は証明されておらず、しかも、温暖化自体よりも、その対策としてなされていることが甚大な経済的損失を招くとして警告を発していた。しかし、それらの研究者は政府機関からことごとく排除されてきたという。 要するに、政府と環境団体は、早い話が、同一のネットワークの下で、同一の目的のために協働し、反論は極力、駆逐しているらしい。今回の裁判でも、訴えている側と、訴えられている側の背景には、明らかに同じ人たちがいたのである。 だからこそ、ドイツ政府の弁護団は、過激な温暖化対策がもたらすマイナス面を指摘することもできたはずなのに、それをしなかった。また、気候の研究にかけては世界的に有名なハンブルクのマックス・プランク研究所の研究者らが、裁判の参考人として呼ばれることもなかったのである。 そして、当然の帰結とも言える “歴史的な”判決が下り、環境大臣が一番大喜びした。それどころかDUHの代表の一人は、「政府の誰か一人でも、訴えた若者や、グリーンピースや、BUNDや、ジャーマンウォッチや、私たちに、訴えてもらったことにお礼を言ったか?」と思い上がったツイートまでした。まさに惑星の救世者気取りだ。 ただ、ドイツの温暖化対策を検証したPrognos社とBCG(ボストン・コンサルティング・グループ)の試算では、2050年のカーボンニュートラルにかかる経費は、スムーズに行った場合でも2.3兆ユーロという。これを5年早めるというのは途方もないことだ。国家経済も国民負担も、全く無視されているとしか思えない。
2030年からの経済成長はゼロ…
2019年、連邦環境庁はCO2削減実施についてのシナリオを発表したが、その中の一番過激なバージョンである「グリーン・シュープリーム」では、2030年からの経済成長はゼロで、輸出大国ドイツは看板をおろす。 2050年からは都市部での自家用車の所有は終わりを告げ、2040年からは肉の消費も制限され、一人当たりの居住面積は現在より10%減らす等々となっているという。新しい気候保護法の先行きを彷彿とさせる。 私の見るところ、ドイツ国民は、2050年のカーボンニュートラルがいったい自分たちの生活にとって何を意味するかについて、多くを知らされていない。 真面目な彼らは、惑星を救うために、自分たちが世界のお手本にならなければならず、少々の経済的犠牲はやむを得ないと思っている節がある。まさか、いずれ自動車を取り上げられ、肉もガソリンも贅沢品となるかも知れないことなど、夢にもみていないだろう。 全てが何となく、福島第一原発の事故の後、急に2022年までの脱原発を決めた時の状況とよく似ている。あの時も、ドイツ人は世界のお手本になろうとしたが、今、ドイツのエネルギー政策はひどく混乱してしまっている。過酷なCO2削減で、やがて同じ混乱が起こる可能性は高いのではないか。 なお、これは日本にとっても他人事ではない。日本政府は、このような不確かなシナリオに追随せず、現実に即した、国民に過大な負担をかけない、独自の温暖化対策を示してほしいと願う。
川口 マーン 惠美(作家)
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