Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/7b38d4f4957457ea138e74050b6a70616296e660
---------- 「追悼 安倍晋三元首相 第2回」――先週お届けした安倍元首相(享年67)と習近平主席の「暗闘10年史」第1回は、大きな反響を呼んだ。安倍首相が「最大のライバル」と意識していた習近平主席との「水面下の暗闘」が、初めて明らかにされたからだ。 【写真】「世界各国からの哀悼」が意味するもの…安倍元首相が成し遂げた「離れ業」 第1回は、互いに日中のトップに立ってから、習近平主席が尖閣諸島海域に防空識別圏を設定し、安倍首相が靖国神社を参拝するまでを見てきた。第2回は、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領の取り込みを巡る激闘から始まる――。 ----------
プーチン大統領へのラブコール
林芳正外相は先週15日の会見で、「260の国や地域、機関から1700件以上弔意メッセージが寄せられている」と明らかにしたが、その中にはプーチン大統領も含まれる。今年2月にウクライナ侵攻を開始したプーチン大統領は、いまや日本を含む西側諸国の「最大の敵」と化しているが、8年前は日中双方がラブコールを送る相手だった。 2014年2月7日、ロシアでソチ冬季オリンピックが開幕した。バラク・オバマ米大統領やアンゲラ・メルケル独首相ら多くの欧米首脳が、ウクライナ問題を巡って「外交ボイコット」に出る中、二人のVIPがものともせず、東アジアからソチへ向かった。プーチン大統領との北方領土返還交渉に意欲を見せる安倍首相と、この時までに1年弱で5回ものプーチン大統領との首脳会談を重ねてきた習近平主席である。 今度は極寒のソチが、両雄が火花を散らす場所となった。この時、習主席は、「どの首脳よりも先にプーチン大統領と首脳会談を開く」ことにこだわった。「どの首脳よりも」というのは、「安倍首相よりも先に」という意味である。 中国側は水面下で、「日本は開会式の2月7日を『北方領土の日』に定めており、そんな国と首脳会談を行うべきではない」と、ロシアに進言した。 だが、そもそもホスト役のプーチン大統領は、開会式前日と当日は分刻みのスケジュールで、とても海外の賓客を相手にしている余裕などなかった。それでも中国は必死に食い下がり、開会式前日の午後に30分だけ、中ロ首脳会談が組まれた。 「日本はこのところ右傾化、ファシズム化が甚だしい。来年の反ファシズム戦争勝利70周年と、中国人民の抗日戦争勝利70周年に向けて、中ロが率先して動いていこうではないか」 習主席はプーチン大統領に、こう呼びかけた。プーチン大統領も「日本軍国主義がアジアで犯したファシズム行為を、ロシアは決して忘れない」と呼応した。 習主席が「今年も年に5回の首脳会談を行いたい」と提案すると、プーチン大統領は「もちろんだ」と答えた。そして、中ロで計40兆円規模にも上る過去最大の天然ガス供給プロジェクトの準備を進めることで合意したのだった。 一方の安倍首相は、開会式翌日のランチを、プーチン大統領と共にした。日ロ両首脳は最高級のロシア料理に舌鼓を打ち、ウォッカで5回も乾杯しながら、互いのホンネをぶつけ合った。 安倍:「1956年の日ソ共同宣言を土台に、そこから積み上げる形で北方領土問題を解決していこうではないか」 プーチン:「その意見に賛成だ」 安倍:「中国の軍事的台頭は、東アジア全体にとって大きな脅威だ」 プーチン:「その通りだ。中国の脅威に対しては、何千kmもの国境を接するロシアとしても、手を焼いている」 安倍首相はランチ会談が終わると、ほろ酔い気分で側近につぶやいた。 「プーチンは話の分かる男だなあ。オバマよりよほど話しやすい。中国の恐さもよく分かっているよ」 結局、日中両首脳を手玉に取ったプーチン大統領は、ソチオリンピックが終わるや、ウクライナのクリミア半島を占領してしまった。欧米は経済制裁を科したが、プーチン大統領は5月に上海を訪問し、習主席と超大型の天然ガス供給プロジェクトの覚書にサインしたのだった。
靖国を取るか、尖閣を取るか
2014年の通常国会が終わると、安倍官邸は、11月に北京で開かれるAPEC(アジア太平洋経済協力会議)に焦点が移っていった。安倍首相がAPECに参加する際、ホスト役の習近平主席と、初の日中首脳会談を行うべきか否かを巡って、政府・自民党の意見が割れたのだ。 そんな中、7月に入って、福田康夫元首相が裏口からこっそりと、首相官邸の門をくぐった。これまで安倍氏と何かとウマが合わなかった福田氏が、安倍官邸に入るのは初めてのことだった。5階の総理応接室で、福田氏が安倍首相に告げた。 「北京APECでは、習近平主席と必ず日中首脳会談を行うべきだ。私はボアオ・アジア・フォーラム(中国が毎年4月に海南島ボアオで開催する国際フォーラム)の理事長として(2013年4月に)習近平主席と会っているが、大変話の分かる指導者だ。私は今月末にも訪中し、あなた(安倍首相)のメッセージを先方に伝えたい。 中国側が要求しているのは、あなたが靖国神社に参拝しないことと、尖閣諸島が日中の係争地であると認めることだ。この2点さえ解決すれば、日中関係は改善する」 聞き役に回っていた安倍首相は、毅然とした様子で答えた。 「中国と2006年に戦略的互恵関係を結んだのは私だし、日中関係が大事なことは重々承知している。できれば北京APECで、習近平主席との首脳会談を実現させたいと思っている。 靖国神社に関しては、昨年末に一度、参拝したので、この夏参拝する気はない。尖閣諸島は、中国が何と言ってこようが日本固有の領土だ」 7月27日、福田元首相が極秘裏に、北京入りした。そして王毅外相、楊潔篪国務委員と個別に会い、スクリーニングをかけられた上で、中南海(北京の最高幹部の職住地)で習近平主席との対面を果たした。「面会を口外しない」という条件だった。 福田氏は安倍首相から託されたメッセージと、日中関係改善に対する自分の熱い思いを伝えた。習主席は大人風で、細かいことは口にせず、「アジアの平和と安定のために日本との関係を重視している」と述べた。 こうして福田元首相によって、日中首脳会談の橋渡しがなされたが、その後、外務省や自民党右派の巻き返しに遭った。 彼らの主張は、首相の靖国参拝は日本の内政問題であり、中国に干渉されるべきものではない。また尖閣諸島は、過去も現在も未来も日本固有の領土であり、領土問題など存在しないというものだった。基本的には安倍首相も同意見だったし、年末に考えている総選挙への影響も見なければならなかった。 APEC直前の10月29日、福田元首相は再度訪中し、習近平主席と短時間、面会した。だが、結論は出なかった。 11月6日、安倍首相は懐刀の谷内正太郎国家安全保障局長を北京に送った。谷内局長は、中国側外交トップの楊潔篪国務委員と直談判に及んだ。 深夜に及んだ交渉の末、翌7日夕刻に、日中は「4項目合意文書」を同時発表した。簡述すると以下の4点だった。 1)日中間の「4つの基本文書」の順守 2)両国関係に影響する政治的困難の克服 3)尖閣諸島など東シナ海海域で異なる見解を有していると認識 4)政治・外交・安保対話の再開 ポイントは、2)と3)にあった。2)が靖国問題で、3)が尖閣問題である。今回改めて、この交渉に関わった安倍政権時代の政府関係者に聞くと、表情は冴えなかった。 「あの時は結局、靖国を取るか尖閣を取るかという選択になった。安倍総理は、翌月に控えた総選挙で右派勢力の票が減ることを恐れて、『合意文書の中に靖国神社という単語だけは入れないように』と谷内局長に念を押した。 そのため谷内局長は、2)で『靖国を明記しない』ことにこだわったため、3)で尖閣諸島が、さも日中間の係争地であるかのように中国側が曲解する余地を与えてしまったのだ。個人的には、この時の『4項目合意文書』は、日本にとって外交の『汚点』になったと後悔している」 実際、中国側はすぐに「4項目合意」を、「中国側解釈」に基づいて英訳し、国際社会に流布した。同時に、中国の官製メディアは一斉に、日本がついに尖閣諸島の帰属問題について日中間で争議になっていると認めたと報じた。 こうして紆余曲折を経て、11月10日午前11時50分、初の安倍・習近平会談が実現したのだった。
日中首脳会談、そしてAIIBをめぐる闘争
「25分間のぶんむくれ会談」――私はこんな見出しで報じた。 習近平総書記が誕生して丸2年、安倍首相が政権に就いてから1年11ヵ月が経ってようやく実現した日中首脳会談だったにもかかわらず、習主席の表情には、笑顔というのものがまるでなかった。何という仏頂面だろうと、日本側記者たちは呆れた。 習主席は一応、握手には応じたものの、右手を前方に差し出しただけで、まったく力が入っていない。安倍首相が覚えたての中国語で挨拶しても、完全無視。そもそも首脳会談の際に国際儀礼となっている両国の国旗すら、中国側は設置していなかった。同席者も、楊国務委員ただ一人である。 習主席は着席するや、報道陣の前で一方的にまくしたてた。 「この2年間、中日関係が深刻な困難に陥っていた理由は明白だ。今後、日本が『4項目合意』に基づいて善処することを強く希望する。日本は、ただ歴代の両政府が合意した政治文書によってのみ、アジアの隣国との友好関係を発展させることができるのだ」 北京APECでは、21ヵ国・地域の首脳、それにオブザーバーとして参加した近隣諸国の首脳たちを前にして、習近平主席は「皇帝気分」だった。バラク・オバマ米大統領を、中南海の毛沢東主席の旧居に案内して、「新型の大国関係」構築を説くなど、自ら命名した「APECブルー」(珍しく新鮮な北京の空気)を味わった。 一方の安倍首相は、前日晩に北京最高級の「大董」(ダートン)で舌鼓を打った北京ダックを吐きたくなるほどの日中首脳会談だったろう。それでもこらえて「関門」を乗り切ったことで、「日中友好」を希望する経済界は安堵した。結果、安倍自民党は12月14日の総選挙で、291議席という地滑り的勝利を収めたのだった。 2015年に入ると、AIIB(アジアインフラ投資銀行)を巡る「安倍vs.習近平」の闘争が激化していった。 かつてアジアナンバー1だった日本と、新たにナンバー1に立とうとする中国の争いは、一言で言えば、「既存の秩序」を守ろうとする日本と、「新たな秩序」を築こうとする中国の争いと言えた。 国際金融の分野では、1966年にアメリカの意向を受けて日本が中心となって設立したADB(アジア開発銀行・本部マニラ)が、アジア全体の開発発展に睨みを利かせてきた。 習近平主席は、この体制を打破すべく、国家主席に就任した2013年の10月、新たに北京に本部を置くAIIBの設立を宣言した。そして翌2014年10月、参加を表明したシンガポールなど21ヵ国の代表を北京に集めて、設立の覚書を交わした。 安倍政権はアメリカと共に、アジアの友好国に向けて、AIIBのネガティブ・キャンペーンを行うが、AIIBへの参加要請国は後を絶たなかった。 2015年3月12日、イギリスが突如、AIIBへの参加を表明した。「台頭する中国に共通して立ち向かう」というG7の結束が崩れ、安倍官邸に激震が走った。 5日後の3月17日、ドイツ、フランス、イタリアも、AIIBへの参加を表明した。たちまちG7で、日本、アメリカ、カナダが少数派となってしまったのである。安倍首相は、「盟友」の麻生太郎副総理兼財務相と共に、「悪い高利貸しからお金を借りた企業は未来を失う」と発言し、AIIBを手厳しく批判した。 4月28日と29日、中国はAIIBに参加を表明した57ヵ国の首席交渉官を北京に一堂に集め、首席交渉官会議を開いた(バングラデシュとネパールは委任)。私も北京へ飛んでこの会議を追ったが、習主席の意を受けた金立群設立準備事務局長(後のAIIB初代総裁)が仕切っていた。要は参加各国がチャイナマネーに期待し、群がっているのだった。 これに対し安倍首相は、4月29日、念願だったアメリカ連邦議会でのスピーチが実現した。45分にわたった演説で、「中国」という名指しは避けたものの、その脅威について力説した。 「アジアの海について、私がいう3つの原則をここで強調させてください。第一に、国家が何か主張をするときは、国際法にもとづいてなすこと。第二に、武力や威嚇は、自己の主張のため用いないこと。そして第三に、紛争の解決は、あくまで平和的手段によること。太平洋から、インド洋にかけての広い海を、自由で、法の支配が貫徹する平和の海にしなければなりません」 安倍首相は、「民主主義」を9回、「自由」を7回も連発した。中国脅威論が渦巻くアメリカ連邦議会は拍手喝采だった。
安倍首相を呆れさせた習近平からの提案
この応酬に先立つ4月22日、安倍首相と習主席はジャカルタで、2度目の「25分会談」を開いていた。 4月22日と23日、バンドン会議(AAC)60周年を記念した国際会議がインドネシアで開かれた。バンドン会議は、米ソ冷戦が激化した1955年、インドネシアのスカルノ大統領らが呼びかけ、アジアとアフリカの29ヵ国が参加。初めて非欧米国家だけで開催した国際会議だった。 その60周年を記念した会議を、インドネシアのジョコ・ウィドド大統領がホスト役となって開催したが、主役は安倍首相と習近平主席だった。それぞれスピーチでこう述べた。 安倍首相:「私たちは60年前よりも、はるかに多くのリスクを共有している。強い者が弱い者を力で振り回すことは、断じてあってはならない」 習主席:「中国は各国と共に、『一帯一路』を建設し、AIIBを設立し、シルクロード基金を適用していく。発展途上国に対して、いかなる政治的条件もつけない援助を、継続して行う」 私も取材でジャカルタを訪れたが、明らかにジョコ大統領は、互いにアジア・アフリカ諸国を取り込もうとする日中「両雄」の扱いに、気を遣っていた。私がパーティでジョコ大統領を直撃して話を聞くと、オバマ大統領そっくりの表情で答えた。 「インドネシアにとっては、日本も重要なら、中国も重要なんだ」 そんな中で開かれた2度目の安倍・習会談は、再び「両雄」の応酬となった。 習主席:「AIIBは既存の機関に対抗するものではなく、補完する役割を果たすものだ。そのことを安倍首相にも理解してもらい、日本の参加も歓迎したい」 安倍首相:「アジアのインフラ需要が増大していることは承知しているが、中国が主導しているAIIBは、ガバナンスや透明性に関して問題がある」 この時の日中首脳会談に立ち会った前出の日本政府関係者が述懐する。 「前年の11月から半年も経っていなかったが、習近平主席の表情が別人のように和んでいた。作り笑いを浮かべ、安倍総理に驚くべき提案をしてきた。『9月に北京で抗日戦争勝利70周年記念式典を開くので、安倍首相にも参加してほしい』と言うのだ。 安倍首相を北京に『朝貢』させて、皇帝ぶりを見せつけたいということだったのだろう。厚顔無恥にもほどがあると思った。 通訳の言葉を聞いた安倍総理は、一瞬『えっ? 』という表情をしたが、『まだ日もあるので検討します』と、しれっと答えた。そして会談終了後に、『習近平っていうのは、何を考えてるのかね』と呆れていた」 習近平主席肝煎りの抗日戦争勝利70周年記念式典は、中国が「勝利の記念日」に指定する9月3日の午前中に開かれた。習近平主席は、脇に江沢民元主席と胡錦濤前主席を、下段にプーチン大統領と朴槿恵大統領を従えて、天安門に登壇。高らかに宣言した。 「70年前の今日、中国人民は14年の艱難辛苦の闘争を経て、中国人民の抗日戦争の偉大なる勝利を獲得した。ここに、中華民族の偉大なる復興という光明が差す前景が開闢したのだ。 中華民族の偉大なる復興は、一代一代の人々の努力によっている。われわれは歴史の偉大なる真理を肝に銘じるのだ。正義必勝! 平和必勝! 人民必勝!」 この日をもってアジアの覇権は、日本から中国に移行するのだと、内外に宣布したかのようだった。 だが翌年、異色の人物がアメリカ大統領選に当選することで、「習近平>安倍晋三」の構図が揺らいでいくことになる。 (以下次週に続く)
近藤 大介(『週刊現代』特別編集委員)
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