Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/331281730764f10f1a9623d5134f0e4bc8186772
衆議院議員を5年間務め、現在はコメンテーターなどとして活躍する金子恵美さん。1児の母であり、同じく元議員の宮崎謙介さんとおしどり夫婦としても知られています。「あまり外に出ることが得意ではなかった」という金子さんは、どのような思いをもって政治の世界に入ったのでしょうか(全5回中の1回)。 【画像】バックパッカーも経験したという金子恵美さん
小さい頃から身近にあった選挙と政治
── 金子さんが政治の世界を意識されたのには、どういったきっかけがあったのでしょうか。 金子さん: 私は新潟県月潟村(現・新潟市)という小さな村の出身なんですが、もともと祖父が村長をしていたんです。父は証券マンでしたが、祖父の体調悪化などにより36歳で村長選に出ることになり、そこから6期半26年村長を務めていました。 だから小さい頃から、「父」というよりは「村長が家に帰ってきてる」という感覚(笑)。4年に1回選挙が必ずあるという環境にいたので、選挙や政治の世界というのが自分にも身近で、村長なのか議員なのかはわかりませんが、「いずれは自分も」と自然に思っていった感じです。 父が村長だったときに、村の保育園、小学校、中学校、図書館を1か所に集めて作ったら、周りに新興住宅地ができて、地方の小さな村にもかかわらず若い世代が集まり、ゼロ歳児が増えたんです。政治や行政の手腕一つで街が変わる、こんなに面白くてやりがいのある仕事はないな、と感じたのもありますね。 ── ですが大学では政治ではなく、演劇を専攻されていましたね。 金子さん: 私の生まれた村には『角兵衛獅子(かくべえじし)』という、美空ひばりさんの『越後獅子の歌』のモデルにもなっている郷土芸能があって、私も姉2人とともに舞台に立って演じていました。 自分の生まれた土地の芸能から派生して、全国の民俗芸能や獅子舞を研究したいなという気持ちで専攻しました。早稲田の第一文学部でしたが、実際に役者をやられている方や映画監督などもいて、とても個性豊かな方ばかりで面白かったです。 卒論のテーマは「全国の獅子舞」という非常に渋いテーマでした。 大学での学びは直接的に政治にはつながりませんが、日本にもまだまだ知られていない魅力があり、それを学んだり極めたりすることが、日本人の伝統や文化を検証することにもつながっていたんだなと思います。 それから、優秀な姉2人にコンプレックスを感じていた私を母が気にしてくれていて、「外に出てもっと広い世界を」と言ってくれたこともあり、イギリスやアメリカでホームステイをしたり、バックパッカーで海外を巡ったりもしました。 ── 大学時代にも政治を意識されることがありましたか? 金子さん: はい。特に印象深かったのはネパールに農業支援に行ったときのことです。 首都のカトマンズで、大人が子どもを使って物乞いをさせていたりするのを見て衝撃を受けました。でもその国ではそうせざるを得ない事情があって。教育を受ける機会があれば、子どもを使ってお金を稼ぐことがよくないことだとわかるとは思うんです。 でも、ネパールではそれがまかり通ってしまっていた。「じゃあ日本はどうか?」というと、今はそうでなかったとしても、政治が判断を間違えば日本の姿も変わっていくかもしれないですよね。 海外に行くことで日本の良さを再確認して、より日本が大好きになりましたし、この国が私の子供や孫の世代、またそのさきもずっと平和であり続けてほしい。それには自分も政治に関わらなければ、とそこで思いを強くしました。
就職して挫折、母が押してくれた背中
── 卒業後にはテレビ局やミスコンテストなど、さまざまなことを経験されましたね。 金子さん: 父が証券マンから村長となったこともあり、政治の世界だけしか知らないのではなく、しっかりと就職活動をしていろいろな世界を見たあとで選挙に出たい、と思って就職しました。 ですが、新潟放送に就職をしてからすぐ顎関節症になってしまい、1年半ほど療養をすることになりました。頭痛やめまいがして立てないこともあり、仕事は辞めざるを得ませんでした。 結局顎の骨を切って噛み合わせを直す手術をしたんですが、そのときは本当に辛かったです。食べ物もまともに食べられなくて、社会に出ていくこともできない。家で鬱々としていた私の背中を押してくれたのは、やっぱり母でした。母が「新潟県きものの女王」に勝手に応募していて、「通ったから審査に行ってね」と。 ── お母様がきっかけを作ってくださったんですね。 金子さん: そうなんです。でも肝心の審査の日には、「北海道旅行行ってくるから頑張って!」っていなくて(笑)。本当にパワフルな母なんです。審査の日は着物を着て、何をしゃべったらいいのかもわからず、獅子舞の話をしました(笑)。 「きものの女王」をいただけて、そのご縁でミス日本にもチャレンジすることになりましたが、その時は自分から真剣に取り組みました。 ミス日本は外見だけでなく「心美人」ということを重視していて、日本女性として必要な教養を学ぶ機会をいただき、そこは貪欲にやりました。人生でいちばん「美」に対して向き合った期間だったかなと思います。 ミス日本関東代表に選ばれたご縁で、韓国でのお仕事をいただくことになり、午前中は留学、午後はお仕事という形でしばらく韓国に滞在したこともあります。 その時に韓国の方の歴史認識や日本への感情などをリアルに知ることができ、帰国してからもしっかりと自分が感じてきた実情を伝えたいと、フリーライターとしてコラムを執筆したり、講演活動をしたりもしていました。韓国での実体験は、政治家になったときも経験として大きく生きましたね。 そういったさまざまな経験をして29歳で新潟市議会議員に立候補しましたが、それまで経験してきたことは1つも無駄になっていないなと思っています。 PROFILE 金子恵美さん 1978年新潟県生まれ。新潟放送勤務を経て、2003年にミス日本関東代表に選ばれる。07年新潟市議会議員選挙に立候補し当選。新潟県議会議員を経験後、12年に衆議院議員へ。10年間の議員生活を経て、現在は企業顧問とテレビコメンテーターなどとして活動中。 取材・文/藤井みさ 撮影/井野敦晴
藤井みさ
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