Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/6b13124881ca315084989541edd10c92c62094b1
ピーナッツの芳醇な味わいの奥に、まろやかな塩味とブラウンカルダモンの香りが見え隠れする、おいしいピーナッツバターが話題です。生産国はヒマラヤ山脈を抱くネパール。縁あって現地の女性たちとピーナッツバターを製造・販売するのが、株式会社SANCHAI代表の仲琴舞貴(なか・ことぶき)さん。さまざまな分野で活躍する女性たちにスポットライトを当て、その人生を紐解く連載「私のビハインドストーリー」。コンビニのリサーチ職、IoTサービスを提供するスタートアップ企業などでキャリアを積んだ仲さんが、なぜネパールで起業したのでしょうか。前編では、ネパールと日本の笑顔をつなぐピーナッツバターの誕生物語です。 【写真】SANCHAIのピーナッツバター大ファン 日本の5歳の男の子の写真を見た現地工場スタッフには笑顔の連鎖が ◇ ◇ ◇
新たな寄付の仕組みではなく、寄付に頼らない経済基盤を
「工場で働くネパールの女性たちが『ここで働き始めてから私の人生は生まれ変わった』って言ってくれるんです。それを聞くと、彼女たちを幸せにしたいと思っていたのに、逆に私が幸せにしてもらっているなって」 ふんわりと穏やかに微笑む仲さんがネパール東部にある小さな村・コタンを訪れたのは、前職でもあるIoTサービスを提供する企業でのプロジェクトがきっかけでした。ネパールの子どもたちと、その子たちが学校に通えるよう寄付する日本の支援者たちが、それぞれの思いに触れられる新たな寄付の仕組みを作るため、現地を視察。寄付の仕組みについて思案するうち、「ここに経済的な基盤ができれば、寄付に頼らず子どもたちを育てられるのでは」と思うようになりました。 小さな家が点在するコタンでは、働き盛りの男性は海外や都市部へ出稼ぎに向かい、村に残るのは高齢者と子ども、そして女性たち。働き口はほとんどなく、若者は次々と村を離れていく現状を憂う農家の男性の言葉が、仲さんの胸に響きました。
「『僕たちはコタンに生まれ育ち、ここでの生活が大好きだし、本当に幸せ。ただ悲しいのは、仕事がないから子どもたちはコタンを去り、家族が離れ離れに暮らさなければならないことなんです』という言葉を聞いて、『そうか、必要なのはお金よりも、ここでみんなが生活できる仕事を作ることなんだ』と思いました。彼らにとっての幸せ、それが継続できるという目的を達成するための手段として、工場を作るしかないなと」 そこで、コタンで広く栽培されながら活用しきれていないピーナッツに注目。ヒマラヤの登山客を狙ったエナジーバーの開発を思いつくも、コタンには電気が通っていないという問題を踏まえ、まずは電気がなくても製造できるピーナッツバターを作ることにしました。
工場オープン3か月前に届いた朗報「電気が通ったよ!」
ピーナッツバター工場を建設することになった仲さん。現地の青年をアシスタントとして雇い、工場建設を進めながら、日本に帰国してレシピ作りを始めました。協力を仰いだのは「Soup Stock Tokyo」の商品開発を担っていたフードプランナーの桑折(こおり)敦子さん。友人たちと集まり、まずは電気を使わない道具でピーナッツをペースト状にすりつぶす作業に取り組んでみましたが……。 「ネパールの市場で見つけた大きなミルを日本に持ち帰って、コーヒー豆のように手挽きしたら、詰まって何も出てこない(笑)。仕方ないと、ワインの空き瓶で叩いてつぶしてみたり、すり鉢を使ってみたり、あれやこれやと原始的な作業を黙々と繰り返しながらレシピを開発しました。結構、楽しい経験ではありましたね(笑)」 一生懸命にピーナッツをすりつぶしても、なかなかなめらかな食感にはならず。試行錯誤を繰り返しながら工場オープンまで3か月と迫ったある日、ネパールにいる現地アシスタントから驚きの知らせが届きました。 「電気が通ったよ!」 喜びのあまり、思わず出た「嘘でしょ!?」の叫び。電動ミキサーでピーナッツをすりつぶしてみると「何の苦労もなくピーナッツがトロトロのクリーム状になったんです。生まれて初めて、文明の力ってすごいなって実感しました(笑)」。期せずして、当たり前のように電気やガス、清潔な水がある生活を送れる日本は「何ていい国なんだろう」と実感したそうです。
工場を作ろうと思い立ってから、2017年1月にオープンするまでの1年2か月は、現地の人々と互いの理解を深める期間でもありました。コタンの人々は、元々明るくて大らかな気質。その一方、自然という不可抗力に生活が左右される場面が多いためか、時間や約束を遵守する習慣はあまりありません。ただ、工場運営には時間や規則を守ることが求められます。 「民族性として片付けるのではなく、彼らが時間や規則を守りたいと思える環境を作ればいいんだと考えました。そこで工場を作る理由、従業員の成長とともに工場を成長させたい思い、いい商品を作るために必要な努力、そのためには時間や決まり事は守る必要があることを村中、一軒一軒訪ねて説明しました。その結果、特に女性たちが興味を持ってくれて、面接には50人以上も来てくれたんです」
工場で働く8人の女性が仕事から得た自信と成長
現地アシスタントや通訳などのネパール人スタッフが面接官となり、「自分自身の成長を会社の成長につなげたいと強い気持ちを持っていた」8人を厳選。限定しなかったものの、合格者は全員女性でした。これには現地の事情が大きく影響していたそうです。 コタンは男性が出稼ぎに行き、女性は家事や育児、農業や家畜の世話をするのが一般的。学校を卒業しないまま10代で出産することも多く、読み書きができずに「自分たちはお金を稼げない、何もできない存在だと思い込んでいる人が多いんです」。そこへ日本からやってきた女性が工場を建て「みんなで成長しましょう」と熱く語る姿に、「女性でもできるんだ!」とコタンの女性は一歩踏み出すきっかけを見たのかもしれません。
新たな挑戦に心躍らせる8人は、開業前のオリエンテーションで衛生管理や働くことについて学び、自分たちで仕事のルール作りに挑戦。実際にピーナッツバターを作る工程では、現地を訪れた桑折さんの指導に従い、手際良く作業。あっという間に合格サインが出たといいます。リーダーシップのある人、細かい作業が得意な人など、自然と役割分担ができ、「彼女たちのようにちゃんと能力を持ちながら、チャンスがないからそれを生かせていない人たちがきっと世の中にはたくさんいるんだろうなと思いました」。 ピーナッツバターを作り始めて4年余り。8人の女性たちは、以前にも増して目を輝かせながら仕事に励んでいます。仕事に生きがいを感じ、コロナ禍での休業中も届くのは再開を願う声。仲さんが約1年半ぶりに現地へ赴くと、自分たちが作るピーナッツバターが日本で喜んでもらえているのか、聞かれたといいます。そこで彼女たちが作るピーナッツバターが大好きで毎朝スプーン1杯食べている5歳の男の子の写真を見せると「何て良い子なの!」と感動しきり。そんな彼女たちの姿を写真に収め、その男の子に送ってみると、今度は日本で大きな笑顔が咲きました。 「読み書きができなくても、プライドを持って仕事に取り組み、それを心から楽しむことで、人は生き生きと輝ける。そこに生まれる幸せは周りに伝染していく、と思いました」 工場を始める際、「コタンの人たちが幸せになる」ことを目指そうと決め、そのために「働く人が仕事を通じて自分の成長を楽しむ形の雇用を生みたい」と考えていた仲さん。「今のところはできているのかな」と照れ笑いします。
自分は衛生管理を学んでちゃんと理解していると誇る女性がいたり、自信を持って働く母の姿に「大きくなったらお母さんの工場で働きたい」という子がいたり、日本語に興味を持つ子がいたり。ピーナッツバターという商品を介しながら、ネパールで、日本で、関わる人々の生活にインパクトを与えているのです。 ◇仲琴舞貴(なか・ことぶき) 家業の美容室の経営や、コンビニのリサーチ職などを経て、IoTサービスを提供するスタートアップ企業に転職したことをきっかけに、ネパールの東部に位置する村・コタンを訪問。現地の様子に触れ、一念発起してピーナッツバター工場を建設。現在は株式会社SANCHAI代表として、工場で村の女性たちを雇用し、特産の品種未改良ピーナッツを使ったピーナッツバターを製造・販売している。
Hint-Pot編集部・佐藤 直子
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