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鼻にできた腫瘍の内視鏡手術で、「日本一」といわれる技術力を持つ医師がいる。耳鼻咽喉科医の大村和弘さん、42歳。東京慈恵会医科大学の耳鼻咽喉科に所属し、現在はアメリカのノースカロライナ大学に留学し、客員研究員をしている。鼻や頭蓋底の手術をする外科医として国内トップに上り詰め、誰もがその実力を認める存在となった大村さんだが、医師になった当初は「やりたいこと」が分からず、迷い続けた日々があった。「やりたいこと」が見つかったのは、ある日突然。なんとなく興味を持った海外協力活動に携わるなかで、「鼻の手術で日本一になる」という決意が固まったという。そんな大村さんのキャリアの原点を探った。(構成/安藤 梢) 【この記事の画像を見る】 ● 「本当にやりたいこと」は、 ある日突然見つかる!? 医師になって4年目で、東南アジアでの海外協力活動に参加した大村さん。ミャンマーのへき地にある病院に支援に行き、日本で身に付けた救急医のスキルを使って、現地の患者たちの診療にあたっていた。 医師になりたてではないものの、まだまだ駆け出しと言ってもいい時期。当時の大村さんは、医師として何を専門にするのか、どんなキャリアを目指すのか、進路を決められずにいたという。 「目標がなかなか見えなくて、ずっと悩んでいましたね。この先どうするんだろう‥‥と、考え続けていました」 なんとなく興味を持って飛び込んだ東南アジアで、現地に溶け込みながら医療を提供する日々。そうした毎日には、十分、面白さややりがいを感じていた。その一方で、医師としてのキャリアを考えたときに、「このままでいいのだろうか」と迷いが生まれていたのも事実。なぜなら海外での活動を続けていると、日本の医師たちが目指すような専門医としてのキャリアを築くことができないからだ。 そんな迷いの中にあった大村さんに、ある日、転機が訪れる。医師として何を専門にするのか。悩みに悩んでも出なかった答えが、思いがけない瞬間に見つかったのだ。
当時、大村さんが所属していたNPO法人ジャパンハートは、ミャンマーを中心に医師や看護師を現地に派遣し、医療支援を行っていた。その活動拠点を広げるために訪れたネパールの大学病院で、大村さんはジャパンハートの支援活動を受け入れてもらえるように提案することになっていた。何日もかけてプレゼンテーション用の資料を作り、意気込んで病院の経営者に連絡をすると、返事は「3日後に来てくれ」というものだった。 「てっきり『すぐに来てくれ』と言われると思っていたので、なんだけ拍子抜けしてしまって。特にやることもなかったので、空いた時間をぼーっと過ごしていたら、急に『耳鼻科医になろう』と思い付いたんです」 ● 誰かに“求められていること”から 自分の“やりたいこと”が見つかる その瞬間のことを大村さんは、「突然、降って来た」と振り返る。さらに、「3日後に」と待たされたプレゼンの場で、ネパールでの国際協力活動の現実を知ったことも、大村さんの決断を後押しした。病院長にジャパンハートの活動を伝えると、「それでお金はいくら払えるの?」と聞かれたのである。ネパールでは、手術室の使用料やスタッフの人件費を、支援団体が支払うのが常識のようになっていたため、それができなければ「支援は必要ない」と言われてしまったのだ。 「その常識を覆すだけの能力が、今の自分にはないんだなと。だったら、この病院から『来てください』と言われるくらいの、替えが効かない技術を身に付けてやろうと思いました」 後日談だが、その後、大村さんのもとには“ネパールの東大”と言われるトリブバン病院の医師から、「鼻の手術を勉強させてほしい」と依頼が来た。当時、「お金を払ってくれないのなら必要ない」と断られた技術支援だったが、今では現地の医師から「その技術を教えてほしい」と請われるまでになったのである。 もう一つ、「耳鼻科医になろう」と決めた大村さんの背中を押した出来事があった。それは、ネパールの田舎に住む若い医師との出会いだった。 「『将来何をやりたいの?』と聞いたら、その若い先生は『ラパロ(腹腔鏡)をやりたい』と言ったんです。でも、ネパールにラパロを学べる病院は一つしかない。しかも教えを待っている医師が80人以上いて、一体いつになったら学べるのかも分からない状況。それではいつか諦めてしまいますよね。僕が現地の医師の役に立てるとしたら、『技術を教えることだ』と思ったのです」 開発途上国では、手術の技術を学びたくても学べない現状がある。であれば、自分が耳鼻科の分野で高い技術力を身に付けて、その技術を教えればいい。そうすれば「学びたい」という思いのある現地の医師たちに、希望を持ってもらえるのではないか。進路に悩んだ日々の先に、大村さんは人生をかけて取り組みたいと思える新しい目標を見つけたのである。
● 「現場」を見に行くことでしか、 「本当に大切なこと」は学べない 2009年3月。「鼻の手術を極める」と決めた大村さんは、手術手技の研鑽を積むために日本に帰国。東京慈恵会医科大学の耳鼻咽喉科に入局した。開設から130年という、日本で最も歴史がある耳鼻咽喉科である。 それからはひたすら手術をする毎日だった。「誰よりも手術をして、誰よりも早く手技を身に付けたい」という思いに駆り立てられていた。 「鼻の手術で日本一になると決めていたんです。目標がはっきりしていたので、あとはそこに向かって一直線に進むだけでした」 病院に泊まり込んで、緊急手術があれば率先して手を挙げる。上級医に手技を教えてもらうためにあらゆることで工夫をした。 「はじめのうちは一人では手術をやらせてもらえないので、いかに上級医の時間を作るかを考えました。たとえば緊急手術の予定が入れば、手術室の手配から患者さんの入院手続きまで、上級医に代わって全部やる。その空いた時間で教えてもらうんです。だから、断トツで手術をやらせてもらっていました」 上級医に「緊急のオペが入った」と言われれば、「すぐ行きます!」と返事をして、すべての準備を整える。手間のかかる仕事を率先して引き受けることで、教えてもらう機会を増やしていった。さらに、外科医としてのスキルを磨くために、手術が上手だと評判の医師がいれば、国内でも国外でも出かけて行って見学をした。 「国際学会にも参加しましたし、1回200~400ドルもするような講義をいくつも受けました。耳鼻科で世界トップクラスの医師たちの手術を見るために、ブラジルやウィーン、アメリカ、韓国にも行きました。医師になってからもらった給料は、その時点でほぼ底をつきましたけど‥‥(笑)。でも、そこまでやってよかったと思っています」 なぜ、わざわざ手術の現場を見るために、世界中を飛び回ったのか? それは、大村さんが手術の“ライブ感”を大事にしていたからだ。 最近では、学会やYouTubeでも一流のスキルを持った医師の手術動画を見ることはできる。しかし、それはあくまで編集されたもの。手術の準備から終わりまでノーカットで医師の立ち居振る舞いを見たい。何かあったときにはどのように対応するのか、一挙手一投足に医師の力量が出る。それを知るには、実際に手術室に入り、間近で見るしかない。 現場でしか得られない情報があるのだ。 だからこそ、現場に行くことが大事なのだと大村さんはいう。
● 興味を持ったらやってみる、 その先にある「自分だけのキャリア」 ところで、日本での診療に追われるうちに、東南アジアでの活動への気持ちが途切れることはなかったのだろうか。 「僕のやりたいことは国際協力活動で、そのために必要な手段が耳鼻科のスキルだったんです。だから、一度も気持ちは途切れなかったですね。確固たる目標がなく、なんとなく勉強を始めてしまうと、途中で迷うことがあるかもしれない。でも、僕はミャンマーでの2年間でずっと悩み続けていたので、『鼻の手術で日本一になる』と決めてからは、ブレずに意志を貫けたのだと思います」 自身のキャリアについて迷いに迷った2年間。それは「必要な時間だった」と振り返る。それに、「何でもやってみる方が面白い」と大村さんは言う。 「たとえばキャリアで迷ったときに、実際にやってみなければ、面白いのか、自分には合わないのか分からないですよね。だから、興味を持ったら、何でもやってみる方がいい。よく『役職に就くのを迷っている』『管理業務になったらどうしよう』と相談されますが、それもやってみなければ分かりません。やってみて、面白くなかったら戻ればいいんです」 興味を持ったらとにかくやってみる。面白そうだと思ったらすぐに行動する。そうやって自分だけのキャリアを切り拓いてきた大村さん。 たとえ迷ったとしても、行動し続けることで、見えてくるものがある。自分が本当にやりたいことは何か、どんなキャリアを目指せばよいのか、分からないときには、まずは何でもいいから「面白そう」だと思うことをやってみるといいのかもしれない。行動することで、必ず見えてくるものがある。大村さんの経験は、そう教えてくれている。(つづく)
大村和弘
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