Source:https://www.recordchina.co.jp/b898058-s6-c30-d0189.html
2022年7月21日木曜日
世界の野球 "世界の野球"ヒマラヤを北に望む国ネパールの野球「第4回世界野球ソフトボール連盟総会」
Source:https://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20220720_1.html
2022年7月20日、Googleニュースより
文・写真=NPO法人日本アジア球友団ラリグラス(小林 洋平)
これまでのコラムでも述べてきたが、最近のネパールではコロナ禍や国家スポーツ評議会の混乱から、野球を含めたスポーツ界全体が活動の停滞を余儀なくされていた。しかし、ここへ来てそういった問題も落ち着きを見せ、6月にはネパールにおけるサッカーの統括団体である全ネパールフットボール協会(All Nepal Football Association)の役員選挙が行われるなど、ネパールのスポーツ界も再び動き始めている。
一方、世界に目を向ければ、去る7月3日から5日にわたり世界野球ソフトボール連盟(WBSC)およびアジア野球連盟(BFA)の総会が台北で行われた。総会は2年に1度行われ、本来であれば昨年開催される予定であったが、コロナ禍により今年に延期されていた。また、台湾ではコロナ感染防止のために入国にあたっての厳格な水際対策が行われているが、今回の総会では、台湾の関係省庁や自治体との調整により、東京オリンピックでも使われた「バブル方式」が特例として採用された。そのため、各国からの参加者は空港到着後に専用車両で会場のホテルに直行、総会の期間中は外出を禁止された状態での参加となった。
総会にはネパールからネパール野球ソフトボール協会のディパック・ネウパネ事務局長およびビベック・スベディー氏が参加した。ディパック・ネウパネ事務局長はこれまでにもWBSCやBFAの総会に何度か参加していることから各国からの参加者とも顔馴染みで、今では国際舞台でのネパール野球の顔としての役割を担う人物となっている。
WBSCの総会では7月5日に役員の選挙も行われ、会長にリカルド・フラッカリ氏が再選されたほか、副会長には中華台北野球協会会長の辜仲諒(ジェフリー・クー・ジュニア)氏が新たに選任された。また、WBSCの総会に先立って7月3日には、アジア野球連盟の総会でも役員選挙が行われ、辜仲諒氏が新たに会長に選出されるとともに、全日本野球協会会長の山中正竹氏が副会長に再任された。
辜仲諒氏はWBSC副会長就任にあたり「世界でのWBSCの役割は不可欠である。今後、野球やソフトボールが世界に普及することで、諦めない精神と精進する精神を広め、スポーツを通じた社会の融合を促進し、民族紛争を無くし、より公正で健康的で平和な環境作りに貢献したい」と述べている。辜仲諒氏の言葉は「スポーツの力」に言及したものとして捉えることもできる。私たちもこれまで野球というスポーツの力でネパールとの交流やネパールのより良い社会づくりに貢献できればとの思いで活動を続けてきたので、辜仲諒氏の言葉には大いに共感できるところがある。
また、今回のWBSC総会では、新たにブータン、ブルガリア、カーボベルデ、ラオス、サウジアラビア、トンガの加盟が認められた。一緒に世界の野球を盛り上げていく仲間が増えていくことは嬉しい限りである。ネパールも2013年に新加盟してからはや9年となるが、加盟したことでネパール野球が世界で認知されることにもつながり、交流の輪も広がっていった。今後も世界の国々とともに、スポーツの力でより良い世界作りのために貢献していく。
今回のWBSCやBFAの総会もそうだが、野球界ではコロナ禍で停滞していた様々な活動が再開している。ネパールでも延期になっているネパール野球ソフトボール協会の役員選挙が早晩行われることになるであろう。上述のディパック・ネウパネ事務局長も「今回のWBSCやBFAの総会に参加して、長らく停滞していたものが動き出していることを実感した。ネパールでも活動を制約していたものが徐々に解消されているし、今後またネパールの野球を盛り上げていきたい」と述べている。ネパール野球も再び動き出している。
- 2022年07月20日「第4回世界野球ソフトボール連盟総会」
- 2022年04月15日「主体的な活動」
- 2022年02月14日「ピンチはチャンス」
- 2021年12月22日「ネパール・ベースボール・フェスティバル」
- 2021年11月9日「行動」
- 2021年8月30日「世界への普及を目指して」
- 2021年7月15日「キャッチボールクラシックオンライン国際交流大会プレ大会2021」
- 2021年4月26日「原点に戻る」
- 2021年3月22日「協働」
- 2020年12月25日「迫られる変革」
- 2020年10月1日「WEB野球教室」
- 2020年7月20日「変わるもの、変わらないもの」
- 2020年5月14日「世界がひとつになって逆境を乗り越える」
- 2020年3月2日「ネパール観光年2020」
- 2019年12月25日「ワールドマスターズゲームズ2021関西」
- 2019年12月10日「第3回世界野球ソフトボール連盟総会」
- 2019年11月8日「ネパールへの直行便」
- 2019年9月19日「第14回BFA西アジア野球大会2019」
- 2019年7月2日「政府機関とのつながり」
- 2019年5月22日「第2回ネパール全国野球大会2019」
- 2019年5月4日「北海道ベースボールリーグ」
- 2019年4月15日「国際大会へ、ネパールを応援する人々」
- 2019年3月18日「侍ジャパンシリーズ2019 日本対メキシコ」
- 2019年3月1日「アジア野球連盟総会」
- 2019年2月13日「国際交流活動との出会い」
- 2019年1月9日「野球を通じた国際理解」
- 2018年11月5日「グラウンド開所式」
- 2018年10月26日「ネパールのソフトボール」
- 2018年9月5日「第28回世界少年野球大会」
- 2018年8月3日「楽天イーグルスとの対戦」
- 2018年7月31日「ネパールでのグラウンド建設」
- 2018年7月2日「東京オリンピックへの道のり」
- 2018年5月8日「PRESIDENTIAL CUP」
- 2018年4月16日「新たなネパール代表チームの選考」
- 2018年4月2日「日本の大学生との野球交流」
- 2018年2月5日「パキスタン野球連盟カワール・シャー会長を偲ぶ」
- 2017年12月27日「ネパール野球ソフトボール協会の奮闘」
- 2017年12月6日「ネパール野球ソフトボール協会の来日」
- 2017年11月29日「南アジア交流野球教室」
- 2017年10月31日「第2回世界野球ソフトボール連盟総会」
- 2017年10月10日「ネパール代表選手の日本での活動」
- 2017年9月22日「ネパール代表選手、ゼロロクブルズで学ぶ」
- 2017年8月21日「北海道での挑戦始まる」
- 2017年7月25日「スポーツ庁長官感謝状」
- 2017年6月23日「スポーツで広げる友好の輪」
- 2017年6月7日「北海道での挑戦」
- 2017年4月18日「第13回BFA西アジア野球大会2017 vol.2」
- 2017年4月4日「第13回BFA西アジア野球大会2017 vol.1」
- 2017年2月14日「世界最下位からの挑戦」
- 2017年2月9日「代表強化合宿」
- 2017年2月3日「ネパール人コーチの来日」
- 2017年1月10日「ネパール代表チーム」
- 2016年12月28日「もうひとつのWBC」
- 2016年12月16日「ネパールU15野球大会」
- 2016年11月25日「NHKの新番組『世界はTokyoをめざす』」
- 2016年10月7日「ネパール野球とオリンピック」
- 2016年10月4日「ネパールの雨季」
- 2016年8月22日「東北楽天イーグルスのネパール支援」
- 2016年6月13日「日本に住むネパール人への野球普及」
- 2016年5月19日「被災地の野球事務所に見た信念」
- 2016年5月2日「ネパール復興支援野球大会」
- 2016年4月4日「野球途上国 共通の課題」
- 2016年3月17日「ネパールから日本へ」
- 2016年3月14日「さらなる野球普及へ」
- 2016年2月10日【西アジアの野球ネパール編】〜野球普及への葛藤と模索〜
- 2016年2月9日【西アジアの野球ネパール編】〜野球を拡める課題と苦労〜
- 2016年2月2日「動き出した時間」
- 2016年1月7日「復興支援野球大会の延期」
- 2015年10月15日 「野球指導員、ネパールでの活動」
- 2015年8月21日 「ネパール野球の有望株」
- 2015年6月2日 「希望から絶望へ」
- 2015年4月20日 「ネパール野球の現状」
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TikTokerの暴挙を見るに見かねて「TikTok禁止」をネパールの寺院や観光名所が打ち出す
Source:https://gigazine.net/news/20220719-tiktok-banned-in-nepal-sights/
スマートフォンでいつでもどこでも簡単に印象的なショートムービーを撮影できるTikTokは(PDFファイル)アプリダウンロード数35億回・アクティブユーザー数10億人を突破するほど、世界中で人気を博すアプリです。しかし、ネパールの観光地や宗教施設で、「No TikTok(TikTok禁止)」の標識が立てられていると報じられています。
Overrun by influencers, historic sites are banning TikTok creators in Nepal - Rest of World
https://restofworld.org/2022/nepals-historic-sites-banning-tiktok-creators/
TikTokはネパールでも最も人気のあるソーシャルメディアアプリの1つで、2022年にネパールで行われた調査では回答者の55%以上が「TikTokを使用している」と答えたとのこと。IT系ニュースメディアのRest of Worldによれば、新型コロナウイルスのパンデミックに伴う都市封鎖の影響でTikTokの人気が急上昇し、封鎖が解除されたことでヒマラヤ地方や宗教施設などの風光明媚な場所でTikTokを撮影する国内観光客が増えたそうです。
しかし、TikTokの撮影に夢中になるあまり、地元住民や宗教施設が迷惑を被るケースも増えているとのこと。地元メディアは、映えスポットを求めるTikTokの撮影者によって地元農家の畑が踏み荒らされる姿を以下のムービーで報じています。
क्यामोमाइल वनस्पति टिकटक बनाउनेहरूका कारण जोखिममा Chamomile Flower - YouTube
また、ネパールの首都・カトマンズ市内の観光名所として知られる「アンブレラストリート」は400本以上のカラフルな傘が頭上を覆う通りですが、このアンブレラストリートでオシャレなムービーをTikTokで撮影しようとする人でいっぱいになったため、道路を閉鎖せざるを得なくなり、交通渋滞を引き起こしてしまったそうです。そのため、記事作成時点では傘の一部が撤去されてしまったとのこと。
by Gaurav Dhwaj Khadka
2021年3月、カトマンズにある仏教寺院の管理委員会は、TikTokの撮影を禁止すると共に、寺院に監視カメラを設置し、12人の警備員を配置しました。寺院の管理者はRest of Worldに対して「大音量の音楽を演奏してTikTokのムービーを撮影する行為は、ガウタマ・シッダールタゆかりの地を訪れる世界中の巡礼者にとって迷惑です」と述べています。
また、寺院の参拝客は「TikTokerは完璧なショットを撮るために、同じ音楽を何度も再生します。彼らにとっていいねを手に入れることは楽しいかもしれませんが、私たちのような参拝客にとっては気がかりです」と答えました。
by Yasser Alaa Mobarak
カトマンズ在住のTikTokerであるManisha Adhikaryさんは「TikTokは単なる娯楽のためのメディアであり、そこまで真剣に考える必要はありません。TikTokのコンテンツクリエイターとして、有名な寺院でムービーを撮影してはならないと決まっているのであれば、必ずしもそこで撮影する必要はないことは理解すべきです。重要なのは創造性であり、動画を撮影する場所ではないのです」と答えています。
弁護士でコラムニストのGyan Basnet氏は「TikTokの全面禁止は最も簡単な措置です。しかし、当局は何かを全面的に禁止するのではなく、TikTokのコンテンツクリエイターに寺院が神聖な場所であることを尊重するように呼びかけるべきでした。TikTokは寺院に観光客を呼び込む強力なメディアであり、これを無視することはできません」と述べました。
ネパールに文房具支援
Source:https://www.townnews.co.jp/0110/2022/07/14/633404.html
磯子区の山王台小学校(遠藤清美校長)のスマイル児童委員会が集めた鉛筆や消しゴムが、個人でネパールの子どもを支援している平綿末次さん(藤沢市在住)を介して6月上旬にネパールの小学校に贈られた。現地の子どもたちの手紙や写真がこのほど、平綿さんのもとに届き、7月4日の同小学校の朝会で全校児童に紹介された。
この活動は2015年のネパール地震をきっかけに、児童たちが「何かできないか」と始めたもの。毎年、集めた文房具を平綿さんに託す形で支援してきたが、ここ2年は新型コロナウイルス感染症の影響で現地に届けることができなかった。そんな中でも、スマイル児童委員会は文房具の支援を呼びかける活動を継続して実施してきた。今回は2年にわたって集めた鉛筆1600本と消しゴム100個が贈られた。遠藤校長は「現地でどのように活用されたか知ることができたのはよかった。ゆくゆくはオンラインなどで児童同士が直接、交流できたら」と話した。
見放される日本編(1) 外国人労働者の日本脱出が止まらない 〝儲からない〟国に転落 諸外国と比べて賃金水準低下
Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/fd70b6e8d368d49dd4432cabc6018e84bec9253d
【列島エイリアンズ】 少子高齢化による人手不足を食い止めるため、高度外国人材の受け入れ拡大へとかじを切ったのは故・安倍晋三元首相の政策だった。しかし、そこにいま大きな問題が立ちはだかっている。諸外国と比較すると賃金水準が低下しており、円安も進行中の日本は、外国人労働者にとってもはや魅力的な場所ではなくなってきているのだ。 日本の大学を卒業し、都内の不動産会社に8年間勤務した30代の中国人男性Lさんは、退職して帰国することを決めたばかりだ。 「今の額面の給料は600万円程度ですが、入社5年目からはほとんど上がらなくなった。それに最近は円安が進んでいて、人民元に換算したときの金額がどんどん下がっていっている。高校の時の同級生たちは、みんな中国で大企業に勤め、日本円にすると800万円以上稼いでいる。日本と中国の経済の先行きを比べても、帰国した方がいいと思い、決断しました。帰国後は上海の企業で働くことが決まっています。年収500万円程度からのスタートですが、2年目からは今以上の給与になる見込みです」 さらにLさんによると、都内の金融機関で働いていた知人の中国人男性は先月、シンガポールの証券会社に約2倍の給与でヘッドハンティングされ、日本を去ったばかりだという。 同様の現象は、裏社会でも起きている。中国系裏風俗に詳しいA氏が明かす。 「コロナの収束ムードとともに、都内の盛り場もにぎわいを取り戻し始めましたが、中国エステを中心とする外国人系裏風俗が頭を悩ませているのが人手不足。かつてはタイやベトナムの女の子を留学ビザなどで呼び寄せて働かせるというのが典型的なやり方だったが、今やもう大した稼ぎにならないから日本に来たがらない。すでに働いていた女の子たちも、帰国したり、オーストラリアなどの第三国に出国したりと、日本を去る女の子が続出しているんです」 国際的地位の低下が続く日本は、出稼ぎ風俗嬢からも見放されてしまったというわけだ。その一方で、日本を去った外国人風俗嬢を意外な国籍の女性たちが補完している。 =つづく ■1都3県に住む外国人は120万人とも言われ、東京は文字通りの多民族都市だ。ところが、多文化共生が進むロンドンやニューヨークと比べると、東京在住外国人たちはそれぞれ出身地別のコミュニティーのなかで生活していることが多い。中韓はもとより、ベトナム、ネパール、クルド系など無数の「異邦」が形成されているイメージだ。その境界をまたぎ歩き、東京に散在する異邦を垣間見ていく。境界の向こうでは、われわれもまたエイリアン(異邦人)という意味を込めて。 ■奥窪優木(おくくぼ・ゆうき) 1980年、愛媛県出身。上智大学経済学部卒。ニューヨーク市立大学中退後、中国で現地取材。2008年に帰国後、「国家の政策や国際的事象が、末端の生活者やアングラ社会に与える影響」をテーマに取材活動。16年「週刊SPA!」で問題提起した「外国人による公的医療保険の悪用問題」は国会でも議論され、健康保険法等の改正につながった。著書に「ルポ 新型コロナ詐欺」(扶桑社)など。
「5G加入、22年に10億件超」エリクソンの最新報告書
Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/80b887a9010ec143ffe32e9988bd5fab5e5e1eac
エリクソン・ジャパン(以下、エリクソン)は2022年7月8日に記者説明会を開催し、同年6月に発行した、世界の移動通信市場のトレンドに関する調査報告書「エリクソンモビリティレポート」最新版の概要について説明した。 セルラーIoT接続数の推移[クリックで拡大] 出所:エリクソン・ジャパン
既に全人口の35%をカバーする5G
同レポートによると、5G(第5世代移動通信)は現状、商用ネットワークが世界で214(2022年4月時点)あり、世界の人口カバレッジは35%(2021年11月時点)まで拡大しているという。5G SA(standalone)ネットワークの導入も増加し、24事業者(2022年4月時点)が商用運用を開始している。また、韓国の5Gによる月間データ利用量は27ギガバイト(GB、2022年4月時点)で、全トラフィックにおける5Gの割合は69%(同)を占める状況となっている。 5G対応デバイスによる5G加入契約数は、2022年第1四半期中に7000万件増加し、約6億2000万件に到達。2022年末までに10億件を超え、2027年には全加入契約の約48%にあたる44億件にまで拡大することが予測されている。エリクソンのCTO(最高技術責任者)を務める藤岡雅宣氏は、「立ち上がりから4年で10億件に到達する見込みであり、このペースは4Gより2年ほど早い」と説明した。この主な要因としては、複数のベンダーが4Gの時よりもデバイスをタイムリーに提供し、急速に値段が下落したことや中国における5Gの大量で早期の導入などが挙げられるという。 現在、5Gの普及率が最も高いのは北米と北東アジアで、湾岸協力会議諸国(Gulf Cooperation Council:GCC)と西欧がそれに続く。2027年の普及率は北米が90%、西欧が82%、GCCが80%に達する見込みだ。 世界の総モバイルデータトラフィック(FWA[固定無線アクセス]を含める)は、2021年末時点で84エクサバイト(EB)だったが、2027年の終わりには368EBにまで達する見込み。特に、5Gのモバイルデータトラフィックは2021年には全体の約10%だったのが、2027年には60%にまで成長すると予測されている。また、5Gの人口カバレッジは2027年には75%に拡大する見込みだという。 そのけん引役であるスマートフォン1台当たりの世界の月間平均データ利用量は2021年時点で12GBだったのが、2027年には40GBに達する見込みだ。2027年の月間平均データ利用量を地域別でみると、無制限のデータプランやカバレッジ/容量の改善などの要因から2027年の5G普及率90%が見込まれる北米が52GBとなるほか、西欧も同様に52GBに拡大。GCCやインド、ネパール、ブータン(インド地域)も50GBにまで増加することが見込まれている。
急加速が見込まれる、インドの5G
エリクソンは、今回のレポートで特にインドを「最も急速に経済成長している国の一つ」として取り上げている。藤岡氏は、「インドでは固定網があまり発展していないことから、モバイルに重きを置いており、急速に拡大している」と説明。同国では過去5年間で、スマホの急速な普及と4Gへの移行が見られ、インド地域全体で見るとモバイル加入契約数に占める4Gの割合は、2016年の9%から2021年には68%にまで急増したという。さらに、同地域全体では、モバイルデータトラフィックは過去5年で15倍を超えて増加したうえ、今後3年でさらに2倍を超えて増加すると予測している。 インド地域において5Gはまだ商用化されていないが、エリクソンの調査によると、5G導入への消費者の関心は高く、サービス開始の初年に4000万人のユーザーが5G利用を開始する可能性があるという。結果、2027年末までに同地域のモバイル加入契約の39%にあたる5億件に達するとも予測。それまでに同地域のモバイルデータの56%は5Gによるものになり、スマホユーザーは1カ月あたり平均50GBのデータを消費するようになる見込みだ。
5Gで加速するFWAサービス
FWAの展開も拡大している。レポートの調査対象となった100カ国の通信事業者のうち既に75%以上がFWAサービスを提供。全地域で50%以上の事業者がFWAサービスを提供しており、うち北米では全事業者がFWAを提供しているという。さらに、5G FWAサービスを提供する通信事業者数は過去半年で57社から75社へと約30%増加。特に北米での伸びが大きく、調査対象の全通信事業者の60%が5G FWAサービスを提供している。 同社の調査によると、2021年末までに9000万件近くのFWA接続があったという。この数字はさらに拡大し2022年には1億件を超え、2027年には約2億3000万件にまで達することが予測されている。なお、この2億3000万件のうち、5G FWA接続数は約1億1000万件と半数近くを占める見込みだという。
5Gデバイス機能進化のロードマップ
5Gデバイス機能進化のロードマップについては、2022年にこれまで導入されたデバイスには、SA向けに2から3のNR(New Radio)キャリアに拡張されたキャリアアグリゲーションや、NRデュアルコネクティビティなどの機能改善がみられたと説明。今後、2023年には4つのCCを使ったキャリアアグリエ―ションや上りリンクキャリアアグリゲーションが登場するほか、ミリ波についても「2023年あるいは2024年ぐらいから立ち上がるだろう」(藤岡氏)としている。
2023年には2G、3G上回るマッシブIoT
セルラーIoT(モノのインターネット)接続のデバイス数も増加を続けており、2027年には55億個にまで達するという。 同社はレポートにおいて特に、「2021年にマッシブIoT(NB-IoTやCat-M)が大幅に成長した」と説明。NB-IoTおよびCat-Mによって接続されるデバイス数は、2021年に約80%増加し、約3億3000万台近くに達したという。このデバイス数は2023年には2Gおよび3Gで接続されたIoTデバイスを上回るうえ、2027年にはブロードバンドIoT(4Gおよび5G)をも上回り、全モバイルIoT接続の51%を占めることになると予測している。
EE Times Japan
【特集】介護士を目指す外国人留学生が通う“養成所” 深刻な担い手不足の解決なるか 3年後には4000人不足と試算も <新潟>
Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/ea06f9277a65ba3347255362e4a20431ca65036c
配信、ヤフーニュースより
高齢化が進む中県の試算では3年後の2025年に県内で介護職員が4000人不足するとみられています。そうした深刻な担い手不足を解決しようと介護士を目指す外国人留学生が通う“養成所”を取材しました。 日本で就職すれば豊かな暮らしが待っている。留学生は家族を支えるため…夢を抱いて異国の地へやってきました。 JR新潟駅から歩いて5分のところにある日本こども福祉専門学校です。外国人留学生のみが在籍するこの学科・・・去年4月に開設しモンゴルやベトナムなどから訪れた留学生38人が在籍しています。日本語学校と合わせて3年間学び介護福祉士の国家資格を目指すいわば“介護の養成所”です。 【ネパール人留学生・プラティマさん】 「貯金して家族にお金を送る。就職していい介護士になるため、がんばっています」 ネパールから来たプラティマさん、23歳。授業では「日本語」や「介護の実習」など即戦力として働くためのスキルを身につけます。 漢字も出てくるテキスト…内容を理解するのは楽ではありません。 <授業でのやりとり> 講師)「“軸”」 留学生)「じく?」 講師)「わかった?軸」 留学生)「わからない…」 「軸」という意味をどう伝えればいいのか…指導するほうも、ひと苦労です。 片方の足が不自由な人を安全に車いすへ移動させる際“体の軸”を意識した介助が必要となるのです。 【ネパール人留学生・プラティマさん】 「車いすに乗るとき前側の足がケガしないように気をつけることが難しい」 急速に進む「少子高齢化」。厚生労働省によると団塊の世代が後期高齢者となる3年後の2025年、介護職員が全国で32万人不足するという試算があります。 県内でも3年後には介護職員が4000人不足するとみられています。 人材不足が深刻化する介護現場・・・上越市の特別養護老人ホームでは外国人の職員を採用しているほか移動を補助する機械を導入するなど対応を進めています。 【特別養護老人ホーム・悠久の里 施設長 関原礼敏さん】 「いまの職員の態勢を維持していくとなると既存の地域の方々ではどうしても間に合わない。外国人の方が少しずつメインに変わってくるのかなと思います」 求められる外国からの労働力…一方で、技能実習生や経済連携協定(EPA)などで来日し、すぐに介護の仕事に就く場合、言葉や文化の違いで挫折するケースも少なくないといいます。 このため人材不足であっても外国人労働者を敬遠する施設もあるということです。 そこで、こちらの専門学校では留学生の就職先となる介護施設と連携…ミスマッチをできるだけ減らすため就職する予定の施設でアルバイトとして経験を積みます。 【日本こども福祉専門学校 佐々木昌仁さん】 「介護の業界は、ロボットとかAIではできない手のぬくもりやコミュニケーション力が非常に問われる職種だと思うので、ここ(専門学校)に3年かける価値や意味はあるだろうと思っています」 留学生のプラティマさん。同じくネパールから来た留学生の女性と2人でアパートで暮らしています。友人を招いての夕飯づくり。 日本でも、ふるさとの味は欠かせません。作るカレーは毎日2種類から3種類…国民の多くがヒンドゥー教徒のネパールでは牛が“神”とされているため牛肉は食べません。 来日から3年。アルバイトをして生活費を稼いでいますが就労ビザではないため週28時間まで…ネパールの平均月収の3倍にあたる月に9万円から10万円を稼いでも家賃や食費、スマホ代に加え学費の一部をまかなうので精一杯・・・家族に仕送りするお金はほとんど残りません。 友人たちと過ごすひと時が何よりのリフレッシュの時間です。プラティマさんたち留学生は来年1月に「介護福祉士の国家試験」を受験します。本番まで半年…「受験対策の授業」も増えてきました。 日本語の複雑さに直面する日々…試験対策はもちろん、実際に介護現場で働くためには正しい理解が求められます。 中には、こんな授業も… 施設の利用者も趣味で行う“習字”日本の文化に触れることで距離を縮めようという狙いです。 思い思いに筆を走らせる留学生たち・・・。書いた文字は? <留学生は> 「私は『合格』来年の国家試験に合格したいと思ってましたから」 「『成功』です。これからいろいろなものをするときは頑張りたいです」 前向きな言葉が並ぶ一方、不安を気持ちをつづる留学生も。 <ネパール人留学生は> 「1週間ぐらい実習をやったんだけどあんまり利用者さんと合わないかもしれないと思って、やると慣れるかもしれないんだけどやったことがないからちょっといま大変だと・・・」 言葉や環境の違いに戸惑いながら介護を学ぶ日々。新型コロナの影響で帰国はできずにいますが、遠く離れた家族はテレビ電話でいつも背中を押してくれます。 【プラティマさんの父・スーリヤさん】 「新型コロナのときはとても心配しました。でも頑張る娘を信じて いつも無事を祈っています」 【ネパール人留学生・プラティマさん】 「日本に来るときにはいっぱいお金がかかったんですね。だから自分もお父さんのためにお金を貯金して送ってあげたいだから、いま頑張っています」 深刻な担い手不足という課題を抱える介護現場。日本の介護の未来を異国の若者たちが担おうとしています。
金子恵美はなぜ政治家に?「証券マンの父が36歳で村長になった幼少期」
Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/331281730764f10f1a9623d5134f0e4bc8186772
衆議院議員を5年間務め、現在はコメンテーターなどとして活躍する金子恵美さん。1児の母であり、同じく元議員の宮崎謙介さんとおしどり夫婦としても知られています。「あまり外に出ることが得意ではなかった」という金子さんは、どのような思いをもって政治の世界に入ったのでしょうか(全5回中の1回)。 【画像】バックパッカーも経験したという金子恵美さん
小さい頃から身近にあった選挙と政治
── 金子さんが政治の世界を意識されたのには、どういったきっかけがあったのでしょうか。 金子さん: 私は新潟県月潟村(現・新潟市)という小さな村の出身なんですが、もともと祖父が村長をしていたんです。父は証券マンでしたが、祖父の体調悪化などにより36歳で村長選に出ることになり、そこから6期半26年村長を務めていました。 だから小さい頃から、「父」というよりは「村長が家に帰ってきてる」という感覚(笑)。4年に1回選挙が必ずあるという環境にいたので、選挙や政治の世界というのが自分にも身近で、村長なのか議員なのかはわかりませんが、「いずれは自分も」と自然に思っていった感じです。 父が村長だったときに、村の保育園、小学校、中学校、図書館を1か所に集めて作ったら、周りに新興住宅地ができて、地方の小さな村にもかかわらず若い世代が集まり、ゼロ歳児が増えたんです。政治や行政の手腕一つで街が変わる、こんなに面白くてやりがいのある仕事はないな、と感じたのもありますね。 ── ですが大学では政治ではなく、演劇を専攻されていましたね。 金子さん: 私の生まれた村には『角兵衛獅子(かくべえじし)』という、美空ひばりさんの『越後獅子の歌』のモデルにもなっている郷土芸能があって、私も姉2人とともに舞台に立って演じていました。 自分の生まれた土地の芸能から派生して、全国の民俗芸能や獅子舞を研究したいなという気持ちで専攻しました。早稲田の第一文学部でしたが、実際に役者をやられている方や映画監督などもいて、とても個性豊かな方ばかりで面白かったです。 卒論のテーマは「全国の獅子舞」という非常に渋いテーマでした。 大学での学びは直接的に政治にはつながりませんが、日本にもまだまだ知られていない魅力があり、それを学んだり極めたりすることが、日本人の伝統や文化を検証することにもつながっていたんだなと思います。 それから、優秀な姉2人にコンプレックスを感じていた私を母が気にしてくれていて、「外に出てもっと広い世界を」と言ってくれたこともあり、イギリスやアメリカでホームステイをしたり、バックパッカーで海外を巡ったりもしました。 ── 大学時代にも政治を意識されることがありましたか? 金子さん: はい。特に印象深かったのはネパールに農業支援に行ったときのことです。 首都のカトマンズで、大人が子どもを使って物乞いをさせていたりするのを見て衝撃を受けました。でもその国ではそうせざるを得ない事情があって。教育を受ける機会があれば、子どもを使ってお金を稼ぐことがよくないことだとわかるとは思うんです。 でも、ネパールではそれがまかり通ってしまっていた。「じゃあ日本はどうか?」というと、今はそうでなかったとしても、政治が判断を間違えば日本の姿も変わっていくかもしれないですよね。 海外に行くことで日本の良さを再確認して、より日本が大好きになりましたし、この国が私の子供や孫の世代、またそのさきもずっと平和であり続けてほしい。それには自分も政治に関わらなければ、とそこで思いを強くしました。
就職して挫折、母が押してくれた背中
── 卒業後にはテレビ局やミスコンテストなど、さまざまなことを経験されましたね。 金子さん: 父が証券マンから村長となったこともあり、政治の世界だけしか知らないのではなく、しっかりと就職活動をしていろいろな世界を見たあとで選挙に出たい、と思って就職しました。 ですが、新潟放送に就職をしてからすぐ顎関節症になってしまい、1年半ほど療養をすることになりました。頭痛やめまいがして立てないこともあり、仕事は辞めざるを得ませんでした。 結局顎の骨を切って噛み合わせを直す手術をしたんですが、そのときは本当に辛かったです。食べ物もまともに食べられなくて、社会に出ていくこともできない。家で鬱々としていた私の背中を押してくれたのは、やっぱり母でした。母が「新潟県きものの女王」に勝手に応募していて、「通ったから審査に行ってね」と。 ── お母様がきっかけを作ってくださったんですね。 金子さん: そうなんです。でも肝心の審査の日には、「北海道旅行行ってくるから頑張って!」っていなくて(笑)。本当にパワフルな母なんです。審査の日は着物を着て、何をしゃべったらいいのかもわからず、獅子舞の話をしました(笑)。 「きものの女王」をいただけて、そのご縁でミス日本にもチャレンジすることになりましたが、その時は自分から真剣に取り組みました。 ミス日本は外見だけでなく「心美人」ということを重視していて、日本女性として必要な教養を学ぶ機会をいただき、そこは貪欲にやりました。人生でいちばん「美」に対して向き合った期間だったかなと思います。 ミス日本関東代表に選ばれたご縁で、韓国でのお仕事をいただくことになり、午前中は留学、午後はお仕事という形でしばらく韓国に滞在したこともあります。 その時に韓国の方の歴史認識や日本への感情などをリアルに知ることができ、帰国してからもしっかりと自分が感じてきた実情を伝えたいと、フリーライターとしてコラムを執筆したり、講演活動をしたりもしていました。韓国での実体験は、政治家になったときも経験として大きく生きましたね。 そういったさまざまな経験をして29歳で新潟市議会議員に立候補しましたが、それまで経験してきたことは1つも無駄になっていないなと思っています。 PROFILE 金子恵美さん 1978年新潟県生まれ。新潟放送勤務を経て、2003年にミス日本関東代表に選ばれる。07年新潟市議会議員選挙に立候補し当選。新潟県議会議員を経験後、12年に衆議院議員へ。10年間の議員生活を経て、現在は企業顧問とテレビコメンテーターなどとして活動中。 取材・文/藤井みさ 撮影/井野敦晴
藤井みさ