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海を守り、育てることは、私たちの生活を豊かにすることにつながる。上皇陛下が皇太子時代から大切にされてきた「全国豊かな海づくり大会」は、昭和から平成、そして令和へと時代が移り変わっても、天皇家の重要な“責務”として受け継がれている。 【写真】真っ白な放流台の上、白のセットアップでバケツを持つ美智子さまと眼鏡姿の天皇陛下(現・上皇陛下)。他、神奈川県三浦市でアマモについて話を聞く両陛下、障子の前でリモート参加される天皇皇后両陛下
「おじいちゃんが守り、つなげてくれた海を、わたしがつなぐ番」 作文コンクール小学校低学年の部で大会会長賞を受賞した小学4年生の大森心結さんが、自作の作文を力強く読み上げる。会場の大型モニターに映し出された天皇皇后両陛下は、目を細められ、胸元で拍手を送られた。 10月3日、宮城県石巻市で開催された「第40回全国豊かな海づくり大会」。新型コロナの影響で2年ぶりの開催となった。関東地方をかすめた台風16号の影響が心配されたが、石巻には青い空が広がり、さわやかな秋風が吹いた。 大会は、式典で幕を開けた。地元宮城県出身の女優・鈴木京香がナビゲーターを務め、宮城県沖に広がる美しい海と、そこで操業する漁船の漁法や養殖の様子を紹介した。途中、東日本大震災の映像が流れると、観客席から嗚咽が漏れ、ハンカチで目頭を押さえる人の姿もあった。 両陛下は、コロナの情勢を鑑みてオンラインでのご臨席となった。午前11時過ぎ、水色のネクタイに濃紺のスーツ姿の天皇陛下と、鮮やかなブルーの装いの雅子さまが、皇居・御所の応接室に入室されるご様子が式典会場の大型モニターに映し出された。 東日本大震災の犠牲者に1分間の黙祷を捧げ、大会旗入場や国歌静聴などを経て、陛下がおことばを述べられた。 《四方を海に囲まれた我が国は、古くから豊かな海の恵みを享受してきました。また、山や森から河川や湖を経て海へ至る自然環境と、そこに育まれる生命や文化は、私たちに様々な恩恵をもたらしてくれます》 5分間にわたって豊穣な海のかけがえのなさを述べられ、その海を守る漁業関係者の努力をねぎらわれた陛下。 そのおことばからは、40年続く「全国豊かな海づくり大会」にかける真摯な思いがうかがわれた。 全国豊かな海づくり大会は、全国植樹祭、国民体育大会、国民文化祭とともに「四大行幸啓」と称され、両陛下が大切にされる主要な地方のご公務とされる。 開催県とともに大会を共催する全漁連(豊かな海づくり大会推進委員会)の大森敏弘代表理事専務が語る。 「食卓に安全でおいしい水産食料をお届けするために、水産資源の保護・管理をして、海や湖沼・河川の環境保全の大切さを広く国民に理解いただくとともに、『つくり育てる漁業』の推進を通じて漁業の振興と発展を図ることが大会の目的です。 1981年に大分県で第1回大会が開催され、以降、延期となった昨年を除き、毎年実施されてきました」
天皇家と大会のかかわりは、1950年代に遡る。当時は、戦後の経済発展とともに海浜の埋め立てや開発が進み、有害物質や汚染排水で漁場が荒廃していた。さらに、国内需要の急増で乱獲が生じ、水産資源の悪化が進んでいた。 この状況を解消すべく、1950年代半ばから、水産資源保護の重要性を訴えるため、「放魚祭」という行事が開催されてきた。その第2回に、当時皇太子であられた上皇陛下がご臨席されていた。これが、豊かな海づくり大会の前身となる。 「1980年、当時の全漁連会長が東宮御所にお伺いする機会があり、両殿下に『かつての放魚祭を充実させ、皇室のご理解のもと国民的行事として毎年開催し、豊かな海づくりを世論に訴えて参りたい』とお話を申し上げたところ、ご理解をいただくことができたそうです。 その後、宮内庁や水産庁などが協議して、全国規模で毎年開催される『全国豊かな海づくり大会』に両殿下のご臨席を承る方向が示されました。つまり、この大会は、上皇上皇后両陛下のご理解から始まったのです」(大森専務)
早朝から胴長姿でハゼを捕獲された
御用邸のある神奈川・葉山や静岡・沼津の海で、幼少期から魚に親しまれた上皇陛下は、魚類研究をライフワークにされ、退位後も皇居内の生物学研究所で研究を続けられている。特にご専門のハゼの分類では世界的な権威であり、今年6月にも新種のハゼ2種類を発見し、論文を発表された。 北海道のサロマ湖で開催された第5回大会(1985年)では、そのハゼをめぐるハプニングが起きた。 「大会翌日の早朝に、殿下自ら胴長姿になられ、サロマ湖に生息するハゼを捕獲するために湖に入られたのです。研究のみならず資源の維持に対する思し召しを感じました。 天皇陛下になられるお方が胴長姿で湖に入られることには驚きましたが、大会を活用していただいたことをうれしく思いました」(大森専務) よほど印象深くあられたのか、翌1986年の歌会始で、美智子さまはこうお歌を詠まれた。 《砂州越えてオホーツクの海望みたり佐呂間の水に稚魚を放ちて》 広島県で開催された第9回大会(1989年)は、「陛下が海づくり大会に継続してご臨席されるのか注目されていた」(皇室記者)という。 「昭和から平成へと元号が変わり、上皇陛下は皇太子さまから天皇になられた。お立場が変わられたことで、皇太子さまに引き継がれるのではないかという見方もありました」(前出・皇室記者) 大森専務が当時を振り返る。 「当時の全漁連会長が侍従次長にお伺いを申し上げたところ、『そのことについては何も心配なさらないで結構です。海づくり大会はお上がご自身で持ちあがると仰せられております』とお話をいただいたそうです。会長は『感極まったことは忘れられない』と申しておりました」
琵琶湖を抱える滋賀県大津市で開催された第27回大会(2007年)では、上皇陛下の「ブルーギルは50年近く前、私が米国より持ち帰りました」「いま、このような結果になったことに心を痛めています」というご発言が話題となった。 ブルーギルは、いまでこそ生態系を荒らす外来魚として知られているが、当時は食用魚として有望視されていた。 「1960年、上皇陛下はシカゴ市長から贈られたブルーギルを日本に持ち帰り、水産庁の研究所に寄贈されました。上皇陛下が持ち帰った魚が繁殖を続けたのかは未確認ですが、外来魚に悩まされる漁師たちを心配され、“謝罪発言”をされた上皇陛下の誠実さは聴衆の心を打ちました」(皇室ジャーナリスト) 上皇ご夫妻は、御代がわり前の高知県で開催された第38回大会(2018年)まで大会にご臨席され、全国の漁業関係者を励まされた。
アマモは海のゆりかご
漁業の振興と発展を図る海づくり大会にとって、ひとつの転機となったのが、香川県で開催された第24回大会(2004年)だった。 水産庁関係者が『都会の里海 東京湾 人・文化・生き物』の著者で海洋環境専門家の木村尚さんのもとを訪れた。 「どのようなものを放流したらいいか、というご相談でした。私は、『稚魚を放流しても、魚が育って増えていくとは限らないので、アマモを育てて、魚が育つ環境を整えることが大切です』とお伝えし、海づくり大会で天皇陛下が子供らにアマモをお手渡しするアイディアを提案しました」(木村さん) 「アマモ」は、水のきれいな浅い海の砂地に生える海草の一種だ。海中で花を咲かせて種子によって繁殖する。 「アマモは太陽光を浴びて二酸化炭素を吸収し、酸素を放出します。同時に海底から窒素やリンなどの栄養も吸収し、海の環境を守る大切な役割を果たします。アマモが群落になっている場所(アマモ場)は、メバルやマダイなどさまざまな種類の稚魚が育つ絶好の場として知られ、『海のゆりかご』と呼ばれます。 しかし、埋め立てが進み、浅い海が減った現在は、アマモ場が姿を消しつつあり、大きな問題になっています」(木村さん) 豊かな水産資源を育てるには、「海のゆりかご」が必要―木村さんの提言は関係者に受け入れられ、天皇陛下が子供たちにアマモの苗を手渡されることとなった。 2011年、天皇陛下(当時)の葉山御用邸静養中に、木村さんはアマモについて両陛下と懇談する機会を得た。 「私は頭が真っ白になってしまって陛下とどんな会話をしたのか覚えていませんが、上皇后さまが『陛下はアマモに関して真剣に取り組んでくださっています』と仰せられたことは覚えています。うれしかったですね」(木村さん)
さかなクンは「ギョギョギョ!」
令和元年。秋田県で開催された第39回大会には、現在の天皇皇后両陛下が初めてご臨席された。 その際、天皇陛下はこんなおことばを述べられた。 《私自身、以前に鳥海山に登った折に、鳥海山の雪解け水がブナ林を養い育て、伏流水となって山麓の田畑を潤し、やがて日本海に注いで良質なイワガキを育んでいると聞き、山と海、そして人間との大切なつながりを感じたことを思い出します。 このような豊かな海の環境を保全するとともに、水産資源を保護・管理し、海の恵みと美しさを次世代に引き継いでいくことは、私たちに課せられた大切な使命であると考えます》 大森専務は「このおことばを聞き、海づくり大会の意義を広く国民に深めていくことを改めて誓いました」と語る。 「天皇陛下ご自身の過去のご経験を踏まえ、山から海に至る水を通じた自然の環境の重要性を問いかけていただきました。ご皇室の『豊かな海づくり』に対する深いお心を重く受け止めております」(大森専務) 天皇陛下は、積極的に、水問題に取り組まれてきた。 「学習院大学の卒業論文のテーマは『中世の瀬戸内海の水運』で、留学先のオックスフォード大学でもテムズ川の水上交通を研究されました。 1987年に親善訪問したネパールで水くみ場に列をなす女性や子供を見られて、水不足が貧困や教育格差などに結びつくことを実感され、水により一層の問題意識を持たれたといいます」(前出・皇室ジャーナリスト) 令和元年の大会前日には、関係者を驚かせる出来事があった。 歓迎レセプションには、全漁連の魚食普及推進委員を務めるタレントのさかなクンも出席した。懇談後、退出される両陛下がさかなクンに近寄り、お声がけをされたという。 「私もその場にいたので本当に驚きました。数年前に都内の大学でさかなクンが講演した際、愛子さまがご学友といらしており、懇談する機会があったようです。その際のことについて、雅子皇后は『ありがとうございました』と感謝のお言葉を述べられていました。 さかなクンは『ギョギョギョ!としました』と感想を話していましたが、喜びいっぱいの表情に、私たちもうれしくなりました」(大森専務)
今年の海づくり大会の午後には石巻漁港でホシガレイとヒラメの稚魚の放流行事が行われた。その後、小学生の児童4名が復興への感謝の気持ちと一緒に豊かな海になるよう願いを込め、誓いの言葉を述べると、天皇陛下がモニター越しに、児童たちにお声がけをされた。 「皆さんの言葉から、一人ひとり海を大切に思う気持ちがよく伝わってきました。これからも海を守る気持ちと、そして豊かな海に育てる気持ちを持ち、豊かな海に育ててほしいと思います」 豊穣なる海への挑戦は続いていく。 ※女性セブン2021年10月21日号
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