Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/7c04d67ab3a252adfbd17528084800ebdba5a752
---------- 火山の噴火はこれまで何度も人類に被害を与えてきた。火山噴火の直後の被害は想像に難くないが、噴煙によって起きる「寒冷化」も同様に大きな被害をもたらす。石弘之氏の新刊『噴火と寒冷化の災害史』は、噴火とそれに伴う寒冷化について解説し、その歴史を学ぶ重要性を説く。本記事では、噴火によって起こる寒冷化現象「火山の冬」について同書から抜粋して紹介する。 ---------- 【写真】火山学者が戦慄する「すでに富士山は噴火スタンバイ」という現実
火山噴火によって寒い夏がやってくる
私たちが生きていけるのは、太陽から降り注ぐエネルギーのお陰だ。食べるものも化石燃料も、もとはすべて太陽エネルギーである。太陽の活動自体が周期的に変化するとともに、太陽光が地球上に届くまでに、さまざまな物質が光を妨げることによって気候は大きく変動してきた。 大気中の水蒸気、二酸化炭素、メタンなどは赤外線を吸収して地球温暖化の原因になっている。 他方で、硫酸化合物や窒素化合物がエーロゾルになって大気中に滞留すると、太陽光を散乱、吸収することで寒冷化に働く。火山噴火で噴出する火山ガスのなかには、硫酸化合物を多量に含むものがあり、それが大気中でエーロゾルとなって太陽光を遮って「火山の冬」とよばれる急激な寒冷化を引き起こす。 「火山の冬」説を1960年代初頭に最初に提唱したのは、カナダの地球物理学者ジョン・トゥゾー・ウィルソン(1908~93年)だ。「はじめは地球の裏側の火山噴火によって寒い夏がやってくるなんて誰も信じなかった」と後に語っている。 欧米の大学で教授をつとめ、カナダ最高栄誉賞をはじめ多くの賞を受賞し、最後はトロント大学学長に就任した。とくに、プレートテクトニクス理論の推進者として知られる。余談だが、私は70年代にカナダで働いていたとき、彼がホストをつとめるテレビ番組「惑星と人」を毎週楽しみにしていた。 エーロゾルとは空気中を浮遊している液体もしくは固体の微粒子のことだ。生成過程の違いから粉塵(ふんじん)や煤塵(ばいじん)、ミストなどと呼ばれる。乾燥地帯で多く発生する「土壌性」、化石燃料の燃焼や山火事などで発生する煤(すす)状の「炭素性」などがある。 なかでも、寒冷化で問題になるのが硫酸塩エーロゾルである。石油や石炭などの化石燃料の燃焼に伴って工場などから発生する硫黄(いおう)酸化物が、大気中で水と反応して「酸性雨」となって降ってくることはよく知られている。大きさは0.001μm(1μmは0.001ミリ)程度から花粉ぐらいの100μm程度まで幅がある。 火山噴火で噴き出すガスの7~9割は水蒸気だが、硫黄酸化物が含まれている場合も多い。硫黄酸化物は大気中で酸化されて硫酸塩エーロゾルになる。エーロゾルは対流圏では降水ですぐに洗い落とされるが、成層圏の下部では1年前後、中部では2~3年は滞留する。
氷床コアが語る過去の気候
さて、「火山の冬」とは耳慣れない言葉だが、「核の冬」なら聞いたことがあるのに違いない。核戦争によって大気中に巻き上げられる粉塵で太陽光線が遮られ、全地球的に起こるとされる寒冷化現象だ。 1980年代初期に、天文学者のカール・セーガンら欧米の科学者が提唱した。火山噴火でも同じ事態が起こり、「火山の冬」とよばれる。 「火山の冬」は農業を壊滅させて飢饉を招き、経済や社会を混乱させて時には文明を崩壊させて人類を絶滅寸前にまで追い込んだこともある。噴火による寒冷化は歴史上たびたび繰り返されてきたが、情報の伝達が限られていた時代にあっては、何千キロも離れた火山の影響が身辺におよんだとは知る由もなかった。 現在では、過去に起きた「火山の冬」を探り出す科学的手法も進んでいる。両極やグリーンランドなどに降った雪は、低温のために融けずに年々層となって積み上がって厚い氷床を形成していく。南極では氷床の厚さが4000メートルを超える場所もある。 大気中に浮遊する硫酸化合物、火山灰、砂や塵、大気汚染物質、放射性物質などさまざまな起源のエーロゾルは、雨あるいは雪に捕捉されて氷床に堆積する。なかには小惑星や彗星に由来する地球外の鉱物もある。 その氷床を垂直にボーリングして取り出したのが、直径約10センチの円柱状の「氷床コア」である。日本の南極観測隊は2007年、深さ3035メートルまでボーリングして、72万年分のコアを取り出すのに成功した。 世界の最深記録は欧州連合(EU)が南極で掘削した3270メートル、約80万年前のコアだ。 氷床コアは年に1層ずつ積み上がるので、コアに含まれる噴火年のわかる火山灰層を基準にしたり、コアに含まれる酸素濃度の変動を利用したりして各層の年代が決定できる。 それぞれの層を年ごとに分析することによって、火山活動、過去の気温、海水量、大気汚染、太陽活動、海洋の生物生産量など、数十万年前にさかのぼる詳細な環境変化の記録が得られる。いわば、過去の環境のタイムカプセルである。 気泡に含まれる二酸化炭素の濃度や酸素同位体の分析から気温の変化をつかむことができ、過去の気温の変化を探るのにも威力を発揮している。たとえば、国立極地研究所は氷床コアの分析によって、過去10万年間に25回以上の急激な気候変動があったことを確かめた。 ペンシルベニア州立大学のリチャード・アリーは「グリーンランド氷床コアの硫酸塩濃度を調べたところ、過去2000年間の硫酸塩濃度の高い年の85%までが既知の火山噴火と一致した」と論文で述べている。つまり、これほどの精度で、氷床コアから火山噴火を捕捉できる。 米国ネバダ州リノの「砂漠研究所」(DRI)はネバダ大学に所属し、「砂漠」と名がつくが氷床コア分析でも世界の最先端をいく。氷床コア中の硫酸化合物を分析して、前500年から1000年までの間に記録された16回の「異常に寒い夏」のうち、15回までが大規模な火山噴火の直後に発生したことを突き止めた。 DRI教授のジョー・マコーネルは「民族大移動、ローマ帝国の衰退、大規模な飢饉などの歴史的な事件に寒冷化が深く関わっており、火山噴火は人類史の推進力だった」と語っている。
実験場になった火山
1982年3月29日、メキシコのグアテマラ国境に近い原生林内にそびえるエルチチョン山が噴火した。 過去にも、700年ごろ、1350年ごろ、1850年に噴火した記録がある。「プリニー式」とよばれる噴火で、噴火口が小さいわりに爆発力が大きいのが特徴だ。このときも高度20~26キロにまで噴煙を噴き上げ、推定2300万トンという大量の硫酸塩混じりの火山灰を成層圏に注入した。 当初はほとんど話題にならず、メディアでも報道されない無名の火山だった。しかし、この噴火で発生した火砕流が周辺の集落を直撃して、犠牲者は2000人(一説には1万7000人ともいう)を超えた。噴火からしばらくたって、各地で日照量が減りはじめたことから世界中で大騒ぎになった。火山灰や硫酸塩エーロゾルは東風に乗って西に流れ、緯度の幅にして10度ほどの帯状に広がって約4週間で地球を一周し、北極や南極でも観測された。 日本でも噴火の翌月に気象衛星「ひまわり」が火山雲を捉えた。全国平均では直達日照量が20%、全天日照量が2%減った。火山ガス中の硫黄酸化物の含有量がきわめて高く、エーロゾルが長期間漂ったことから気候への影響が心配された。この火山とほぼ同緯度にあるハワイのマウナロア観測所では、直達日照量が20~28%、全天日照量が7%減少した。 この年には、地上の気温は全地球平均で0.1~0.2℃、夏の北半球中緯度では0.3℃低くなり、その影響は噴火後の2年間もつづいた。気候におよぼした影響は重大で、この噴火をきっかけに「火山の冬」への関心が一般にも広がった。この噴火は、人工衛星やライダー(レーザーを用いたレーダー)によって、火山灰の移動が地球規模で追跡されたはじめての観測例になった。 1991年6月にはフィリピンでピナトゥボ火山が噴火した。 成層圏にエーロゾル注入した硫酸化合物は約2000万トンと見積もられ、20世紀以降では観測史上最大の量だった。 噴煙は34キロの高さにまで上昇し、成層圏に長く滞留して太陽の日射を遮りつづけた。この結果、地表に達する太陽光が最大で5%減少した。北半球の平均気温が0.5~0.6℃、地球全体で約0.4℃下がり、地球温暖化がひと休みした。 ピナトゥボ起源のエーロゾルは噴火後3年近く下部成層圏に滞留した。太陽のまわりに銀白色と赤味を帯びた輪ができるビショップ環や、異常な夕焼けが世界各地で観測された。 この年は、世界中で異常気象が発生した。とくに米国では、1993年の「スーパー・ストーム」と呼ばれる観測史上最大級の低気圧が、東部の中緯度地帯で発生した。東海岸一帯の強風、アラバマ州からメイン州にかけての雪嵐、フロリダ州西海岸の洪水、そして季節外れの寒気などで1世紀に1回といわれるほどの荒れた天気だった。 その結果、318人の死者と20億ドルの被害を出した。 さらに、ミシシッピー川の氾濫、カリフォルニア州の最悪の干ばつ、長江下流域の氾濫、ネパールの大規模土砂崩壊など全地球的に異常気象が頻発した。 日本でも93年に冷害が発生した。東日本は夏の平均気温が平年より1.5℃も下がり、日照不足と長雨が加わって記録的な冷夏になった。米の全国作況指数は、「著しい不良」の基準となる90を大きく下回る74となり、平成以降の最低の作況指数を記録した。とくに北日本は凶作になって、作況指数は、青森県28、岩手県30、宮城県は37で、下北半島では「収穫が皆無」という地域が続出した。農業被害額は1兆2566億円に達した。 1000万トンの米需要に対し、収穫量が740万トンと大幅に不足し、政府はタイ・中国・米国から合計259万トンの米を緊急輸入してしのいだ。これが「平成の米騒動」である。米を日本に大量輸出したタイでは国内の米価が高騰し、内外の批判を浴びることになった。一方、日本国内ではタイ米がまずいとして売れ残って廃棄された。
石 弘之(ジャーナリスト)
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