Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/0c8061130b7749b5adcc50f7ff5e3e5e830e426b
<ニューヨークでも既に暴風雨による溺死事故が起きている。原因は200年以上前の建設当時には想定していなかった水位の上昇。しかし、樹木の撤去や維持費など、対策には市民の理解をまだ得られていない>
ニューヨークで命を落とす原因は無数にあるが、多くの市民にとって暴風雨による溺死は想定外だった。2021年9月、ハリケーン「アイダ」が熱帯低気圧に変わってニューヨーク市を襲い、秒速35メートルの強風が吹き荒れた。1時間当たりの降水量は90ミリ近くに達し、旧式の下水道システムが処理できる水量のほぼ2倍を記録した。 【写真】洪水後、一面クモの巣で覆われる(オーストラリア) 洪水警報は間に合わなかった。クイーンズのウッドサイド地区では、あふれた下水が狭い違法地下アパートに流れ込み、ネパール人夫婦と2歳の息子が溺死した。同じクイーンズの一角にあるジャマイカ地区では、洪水で流された車が建物の側面に激突。建物の一部が崩壊し、43歳の母親と22歳の息子が亡くなった。ブルックリンのサイプレス・ヒルズ地区付近では、地下の寝室で助けを求める66歳のエクアドル人移民を救えなかった。 「この暴風雨は地図を描き換えた」と、5日後に惨状を視察したビル・デブラシオ市長(当時)は沈痛な面持ちで言った。「洪水は沿岸部のものだと思っていたが、そうではない。市内全域で発生する可能性がある」 国連が発表した最近の報告書によると、気象関連の災害の報告件数は過去50年間で5倍に増えた。アイダのような強力なハリケーン、被害総額400億ドル以上といわれる昨年7月のドイツの大洪水、400人以上が死亡したインドのモンスーン豪雨、カナダ西部で200人以上が死亡した同年6月の熱波などだ。 気温上昇の大きな要因は、化石燃料の燃焼による温室効果ガスの排出だ。それによって地球の大気が保持する熱量と湿度が上昇し、より激しい暴風雨が起きやすくなっている。一方、海水はより多くの熱を吸収して膨張し、海面上昇を引き起こしている。異常気象の実態は、ほんの数年前の科学者の予測より深刻なものであることが証明されつつある。 気温上昇と強力な暴風雨の発生は、沿岸部の都市にとって直接的な脅威となる。今では大災害級の洪水や強風、高潮など以前はまれだった極端な自然現象に、驚くほどの頻度で見舞われる都市が世界中で増えている。 100年に1度程度の発生頻度だったハリケーン「サンディ」(12年)級の暴風雨も、今後はより頻繁に発生すると予想されている。気候変動の影響を想定していなかった時代に造られた古いインフラは、このクラスの暴風雨の前ではひとたまりもない。現時点で最大限の備えをしている都市も安全とは限らない。 ■異常気象の時代がやって来る 世界の都市を守る必要性はますます高まっている。米海洋大気局(NOAA)によると、20年にはアメリカだけで22件の気象災害が発生し、被害額は10億ドルを超えて過去最大となった。ヨーロッパの洪水も、西欧史上最大の被害額を記録した。 フィリピンのマニラでは、09年の洪水で市内の80%が水浸しになった。18年に長期の干ばつに見舞われた南アフリカのケープタウンは、深刻な水不足に陥った。インド東部では19年に200人前後が熱中症で死亡し、一部の都市で屋外での作業が一時的に禁止された。インドとパキスタンでは今年3~5月に記録的な熱波が襲来し、停電と山火事が発生した。 これらは、ほんの前触れにすぎない。2050年には世界人口の3分の2以上が都市部に居住するようになると、専門家は予測している(現在は2分の1強)。 一説では、2050年までに8億人以上の都市住民が海面上昇や沿岸部の洪水によって日常的に生命の危機にさらされる恐れがある。 さらに米コンサルティング大手マッキンゼー傘下のマッキンゼー・サステナビリティと100近い世界の大都市の市長のネットワーク、C40(世界大都市気候先導グループ)が21年7月に発表した報告書によると、その倍の人数が慢性的な熱波に見舞われ、6億5000万人が水不足に直面する可能性がある。 都市部では、気候変動によって発生した難民の流入も予想される。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、10年以降に気候変動関連の災害で2100万人以上が避難生活を余儀なくされた。一部の予測によると、この人数は2050年までに12億人に増加する可能性がある。その頃には、バングラデシュの国土の17%が水没し、2000万人が家を失っているかもしれない。 つまり今後数十年の間に、世界の都市はこれまでの世代が想像もしなかったような困難に直面する公算が大きい。 このところ国際機関は警鐘を鳴らし、暑さ対策のための植樹、透水性舗装、洪水を防ぐレインガーデン(雨庭・雨水浸透緑地帯)など、さまざまな提案を行っている。だが、世界の市長の多くが新しい異常気象時代の到来に備えた対策を検討し始めたのは、つい最近のことだ。
■「私たちは炭鉱のカナリアだ」
市民を守るために行動を起こし始めた都市は、政治的問題から実用化の問題までさまざまな課題に取り組んでいる。そのこと自体、気候変動への適応プロセスがいかに予測不可能で、嫌になるほど時間がかかる混乱したプロセスになる可能性が高いかを予言している。 ニューヨークは、この課題が最も端的な形で浮き彫りになっている都市の1つだ。12年のサンディで大きな被害が発生した後、ニューヨーク市当局はアメリカで最も包括的かつ先進的ともいわれる気候レジリエンス(回復力・強靭化)計画を立ち上げたが、21年9月のアイダ襲来によって、自然の猛威に対する備えがまだ十分でないことが露呈した。同市はまた、気候変動適応プログラムへの継続的な資金確保にも苦戦している。 「私たちは炭鉱のカナリアだ」と、ニューヨーク市住宅公社(NYCHA)のジョイ・シンダーブランド復興・レジリエンス担当副社長は言う。「市域には520マイル(約840キロ)の海岸線がある。今はまだ、重要な教訓を学んでいる最中だ」 ハーレド・フセインは現在62歳のエンジニアだ。7歳でクウェートに移住した後、イスラエル占領下のパレスチナ自治区ヨルダン川西岸へ、そこからさらにニューヨークへ移住した彼は、戦場がどんなものかを身をもって知っている。 ブルックリンのコニー・アイランドにやって来たのは、12年のサンディ襲来の直後。目の前には故郷で見たものと同じくらいひどい光景が広がっていた。 上空から豪雨を降らせたアイダと違い、サンディは大西洋から沿岸に押し寄せた。満月に近い大潮の日に上陸したため、海水面が通常より4メートル以上も上昇し、道路、地下鉄駅、送電施設、下水処理場が浸水。生ごみが水路に流れ込み、地下室が水没し、マンハッタンのダウンタウンの一部は腰までの高さの湖と化した。 200万人近くが暗闇の中で水浸しになった。最も大きな被害を受けたのは貧しい者と弱者だ。洪水のせいで、病院や老人ホームでは6500人以上が避難を強いられた。約3万5000戸の公営住宅を含むNYCHAの建物400棟以上で電力と暖房、給湯が供給不能になった。 コニー・アイランドでは北岸と南岸の両方向から水が押し寄せ、多くの自動車が押し流された。公営住宅や民間集合住宅が立ち並ぶ大通りのサーフ・アベニューでは、海水が地下室に流れ込んでボイラーが壊れ、水や電気も止まり、高齢者はエレベーターを使えずに高層階で足止めを食らった。やがて水が引いたときには土砂が最大2メートル近く積み上がり、建物のドアを塞いだり、道路を埋め尽くしたりしていた。 「それまで見たことのない光景だった」と、フセインは振り返る。フセインが経営する建築設計会社は、被災した公営住宅で緊急に非常用発電機を導入する作業に当たった。「水洗トイレを流せず、住人たちは階段で用を足していた」 サンディによって思い知らされたのは、都市計画の担当者たちがニューヨークという町の脆弱性についていかに無知だったかということだ。 この大型ハリケーンにより浸水の被害が及んだのは、海沿いの地区だけではなかった。市内の土地の推定17%が浸水した。この面積は、連邦政府の洪水マップが「100年に1度」の洪水で浸水する可能性があるとしていた面積の1.5倍以上だ。 想定が甘かったのはニューヨークだけではない。17年に発表された研究によると、99~09年にテキサス州ヒューストンで発生した浸水の75%は、洪水マップの予想に含まれない地域で起きたものだった。同じ年に国土安全保障省が発表した報告書によると、洪水マップの58%は「ほぼ時代遅れ」とのことだった。 ■サンディが変えた洪水対策 「サンディが大きな転換点になった」と語るのは、当時ニューヨーク市の職員で、後にデブラシオ市長の下で気象災害対策に携わったダニエル・ザリリだ。 「気候変動によるリスクが紙の上の話ではなく、現実のものだとはっきり思い知らされた。それは、どこか遠い場所の、遠い未来のことではなく、目の前にある問題なのだと分かった。対策を講じる必要性を実感させられた」 12年12月、ニューヨーク市は当時のマイケル・ブルームバーグ市長の下、有力な気候科学者や社会科学者を集めて気候に関する未来予測に着手した。研究者たちはこの半年後、未来のサンディ級の気象災害に対応するための包括的なプランをまとめた445ページの報告書を発表した(15年にはデブラシオが332ページの報告書を発表し、規模を縮小したプランを打ち出している)。 この報告書に基づいて、ニューヨークは200億ドルを超す予算を拠出して気象災害対策に乗り出した。同市が気象災害に対するレジリエンスに関して全米の先進都市と見なされているのは、この計画が理由だ。 最近、コニー・アイランドの15階建ての建物の屋上で、シンダーブランドとフセインに話を聞いた。わずか100メートルほど先に大西洋を見下ろせるこの屋上には、数台の新しい非常用発電機がコンテナに収めて設置されている。2人の話によれば、この非常用発電機の設置は、総額8700万ドルを費やした設備改修の1つにすぎない。 ここコニー・アイランド・ハウジズは、5棟の建物で構成される大型の公営住宅だ。サンディでとりわけ激しい打撃を被った海岸沿いに、レンガ造りのパッとしない高層建築が立っている──ところがこの住宅は、未来の気象災害から公営住宅の住人を守る取り組みのモデルケースになり得ると、市当局者は胸を張る。 「それぞれの建物の屋上に予備の発電機を設置した」と、シンダーブランドは説明する。「ハリケーン対策というだけでなく、このおかげで夏の電力不足のときにも停電を回避できる」 この公営住宅の敷地は、洪水や大雨のときに水を吸収する素材で舗装し直された。屋根は反射するために白く塗られたり、ルーフガーデンが設置されたりした。ボイラーを地下室に置くのもやめ、新たにボイラー棟(高さ20メートル近い頑丈な建物だ)が建てられた。「ニューヨークは既に出来上がっている町だ」と、シンダーブランドは説明する。 「ゼロから造り直すわけにはいかないから、既存の建物をどう改修すべきかを考える必要がある。築50年、60年、70年のレンガ造りの建物がある。水害対策など全く意識せずに建てられた建物だ。気象災害が起きたとき、そうした建物のインフラや住人、住居をどうやって守るかを考えなくてはならない」 サーフ・アベニュー沿いに立つ18階建てのユニティ・タワーズは、192戸で構成される巨大公営住宅だ。ここでは、洪水時に水が流れ込むのを防ぐために、建物の入り口を高くする改修工事が行われたと、シンダーブランドは言う。このほかにもサーフ・アベニューの4区画にわたり、水はけを改善するために道路や歩道のかさ上げ工事が実施された。 ユニティ・タワーズでは、水害に強い構造の2階建ての別棟を建設して、発電機とボイラーを収容するようにもした。加えて、敷地の10カ所に50個の可動式の止水壁を用意し、暴風雨が近づいたらすぐに設置できるようにしてある。 「もし明日、(サンディのようなハリケーンが襲来しても)ここでは何の問題もないだろう」と、フセインは言う。 コニー・アイランドのプロジェクトは、ニューヨーク市全域で進められている公営住宅の再建・改修計画のごく一部にすぎない。 NYCHAは、サンディ級の大災害から重要インフラを守り、被災した住人が少しでも早く自宅での生活を再開できるようにするための対策に31億ドルを費やす計画だ。一つ一つの事業の規模は、レッドフック地区の5億5000万ドルのプロジェクトから、イーストハーレム地区の700万ドルのプロジェクトまでさまざまだ。 さらに、ニューヨーク市はこれとは別に、20年秋にマンハッタンで巨大プロジェクトに着工した。14億5000万ドルを費やす「イーストサイド・コースタル・レジリエンシー(ESCR)」である。
■巨大な「U字」で都心を守る
ESCRはもともと、「ビッグU」と呼ばれるより大掛かりな水害対策プロジェクトの一部と位置付けられていた。これは、マンハッタンの南部を巨大な堤防で囲み、臨海部を水害から守ろうという計画だった。 具体的には、マンハッタンのミッドタウンからイーストリバー沿いに南下し、島の南端からウェストサイドにぐるりと回り込み、ハドソン川に沿ってミッドタウンまで北上する形で、巨大なU字型の堤防を整備しようという案だ。 もっとも、「ビッグU」は今のところ計画立案段階にとどまっている。どうやって予算を確保するのか、U字のそれぞれの箇所の堤防の設計をどのようにするのかといった点がまだ決まっていないのだ。 ESCRは「ビッグU」の中で最初に実現可能な計画が整い、着工にこぎ着けた。マンハッタン南部のイーストリバー沿岸は水位が2050年までに70センチ、今世紀末までに1.8メートル上昇すると予想されている。 今年2月、東20番街に近い緑地の北側で、長さ13メートル、高さ3メートル、重さ14.5トンの開閉式の巨大ゲートがクレーンでつり上げられた。工事費は150万ドル。長さ213メートルにわたって延びる高さ3.6メートルの防潮壁の間に、同様のゲート18基が設置され、一帯が公園として整備される計画だ。 ニューヨーク市設計建設局(DDC)のトム・フォーリー長官は川岸に立ち、数ブロック先にあるベルビュー病院を悲しそうな表情で指さした。24階建ての巨大な歴史的建造物はサンディの襲来で地階が水浸しになり、州兵の助けを借りて患者を階段で運んだ。開院から276年で初めての避難だった。 このエリアのゲートに守られる住民は約11万人で、そのうち2万8000人は公営住宅に住んでいると、フォーリーは言う。「街の至る所でクールなものを造っているが、これが間違いなく最もクールだ」 ESCRが始動したのは明るい兆しで、世界各地の都市から要人が視察に訪れている。その一方、ここに至るまでの経緯は洪水対策がいかに課題が多く、嫌になるほど長い時間を要するかを物語ってもいる。 着工に先立ち、市は何年もかけてワークショップやタウンホールミーティング、説明会を重ね、延べ1000人以上の地域住民が参加した。最終的に、巨大な防潮壁とゲートを組み合わせて長い堤防を建設し、市民の憩いの場である約24ヘクタールのイーストリバー・パークを保全するという計画ができた。 ■洪水対策に「特効薬」はない だがデブラシオ率いる市政府は18年、プロジェクトの費用と工事期間に無理があると主張。公園の洪水対策の維持管理が複雑すぎると懸念を示し、巨大な防潮堤の建設が交通の流れを乱し、地下の電線に干渉する恐れがあると指摘した。 デブラシオの下で計画は見直され、公園に数百万トンの土を盛って3メートルかさ上げするという新しい案が発表された。その場合、樹齢80年のものを含む1000本の樹木を撤去することになる。 市は新たに2000本の樹木を植えて、公園を自転車専用道と遊歩道を備えた「なだらかな草原」に変えると約束したが、地元の活動家は弁護士を雇った。昨秋、市が最初の木を撤去する準備を始めると、抗議する人々が市役所の外で数本の木を人間の鎖で囲み、コーリー・ジョンソン市議会議長に監督委員会の緊急公聴会の開催を要求した。 この対立について、ニューヨーク・タイムズ紙の建築評論家マイケル・キンメルマンは昨年12月の紙面でこう問い掛けた。「私たちの社会は、基本的な生活要件を満たすためにさえ団結できないほど、いさかいが絶えないのか」 ニューヨーク市はESCR以外にも野心的な災害対策プロジェクトを掲げているが、合意の形成に時間がかかり計画は遅れている。 17年には米陸軍工兵隊が、サンディ級のハリケーンからニューヨーク一帯を守るための5つの大規模な建設プロジェクトについて、数百万ドルの予算で調査を開始した。市の関係者は、陸軍工兵隊は高潮を重視しすぎて洪水や海面上昇を十分に考慮していないと不満を漏らした。 ニューヨーク・タイムズは20年1月、陸軍工兵隊が調査しているプロジェクトをめぐって複数の提案の相対的なメリットを検証した。 なかでも議論を呼んだのは、ニューヨーク市の外港に沿って約9.6キロにわたり、開閉式の水門を備えた人工島を建設するという計画で、総工費1190億ドル、工事期間は25年とされている。検証された提案の中には小規模な防潮堤の組み合わせや、ESCRのように岸に近い場所でのプロジェクトもある。 同紙の記事は、1986年からオランダで稼働している全長約8キロの東スヘルデ防潮水門や、84年に完成したロンドンの可動式洪水防御壁「テムズ・バリアー」、2011年に完成したロシアのサンクトペテルブルク郊外の全長約24キロの防潮堤とダムの複合施設など、同様の大規模なプロジェクトも検証。程度の差はあるものの、それぞれ成功していると紹介した。 この記事がドナルド・トランプ米大統領(当時)の目に留まった。彼はツイッターで、防潮堤は「コストのかかる」「愚かな」アイデアだと狙い撃ちした。「大変だろうが、モップとバケツの用意を忘れずに!」 その直後に陸軍工兵部隊は全ての調査の中断を発表した。ニューヨーク市の関係者は、連邦政府から入るはずだった数十億ドルの補助金が一瞬で消えたと不満げだった。 一連のプロジェクトは予算の35%をニューヨーク市、ニューヨーク州、ニュージャージー州が負担し、残り65%は連邦議会で予算が計上されることになっている。バイデン政権下で調査が再開されたが、貴重な時間が失われた。政策立案者の合意はまだ遠そうだ。 デブラシオ市長時代の気象災害対策の責任者で、現在はコロンビア大学の気候・持続可能性特別アドバイザーを務めるザリリは、計画遅延の重大性には触れず、市は目立たない修正をたくさん行ってきたと強調する。 例えば、地下鉄の出入り口を高くするという計画がある。また、スタテン島の海岸線で500メートル強にわたって部分的に水没する防潮堤を造成し、牡蠣(かき)殻をリサイクルした素材で覆って、その成長により自然の堤防の拡大を促すという構想もある。 「短期的、中期的、長期的に小さな対策を積み重ねることが、成功への近道だ」と、ザリリは言う。「特効薬はない。気候変動に対するレジリエンスは、これしかないという明確な方策があるわけではなく、当然ながら話は複雑になる」
■地方自治体レベルでは限界も
もちろん、簡単なことだと思っている人はいない。ニューヨーク市の元職員で、都市のレジリエンスの問題に取り組む非営利団体レジリエント・シティーズ・カタリストの創設者アンドリュー・サルキンは、都市にとって最善のチャンスは、長期的な計画を慎重に立てて、新たな建設やインフラのプロジェクトが稼働したときに、レジリエンスに関する取り組みを統合することだと言う。 「課題は山積みで、都市レベルでマネジメントをしようとしても難しい。都市は働くにも統治するにも難しいところだ。プロジェクトに弾みがついたと思ったら、指導体制が代わってしまう」 サルキンによれば、気候の種類によって成功度にはばらつきがある。例えば「ある地域では水害対策は得意だが、暑さ対策はおざなりかもしれない」。 ニューヨークは他の多くの都市よりましだと、コロンビア大学ラモント・ドハティー地球観測所の特別研究員でニューヨーク市気候変動パネル(NPCC)元メンバーのクラウス・ジェイコブは言う。 ニューオーリンズでは陸軍工兵隊が140億ドルを投じて堤防を改修したが、堤防は沈みかけていて、使えなくなるのは時間の問題だ。マイアミビーチでは通常の暴風雨による浸水被害を軽減しようと数十億ドルかけてポンプ設備を建設中だが、すぐに異常気象にやられて駄目になるだろう。 だがニューヨークの計画も十分先を見越してはおらず(多くは50年止まり)、将来の世代は新たな解決策を探さざるを得ないだろうと、ジェイコブは指摘する。 それに計画は包括的でも、新たな建築予定地は相変わらず脆弱な場所だ。イーストリバー沿いに高層ビルが建ち、新しい公営住宅の建設予定地はクイーンズのロッカウェイ地区──サンディで壊滅的被害を受けた地区だ。「先を見越すのではなく直近の災害からの復興」を重視した取り組みばかりだと、彼は言う。 アイダはそんなアプローチの危険性を暴く格好の例だった。「豪雨になるのは分かっていたが、1時間に80ミリを超えるとは誰も予想していなかった」と、ニューヨーク市環境保護局(DEP)のビンセント・サピエンザCOO(最高執行責任者)は言う。 サピエンザによれば、市はまず、危険区域の住民が逃げ遅れないよう、緊急通報システムの開発に重点的に取り組んできたという。長期的にはごみが下水管に詰まらないよう雨水升を増設するとともに、下水管の規模には限度があるので一時的な人工湿地などで雨水を吸収することを計画している。 特に有望なのは「ブルーベルト」だ。下水を小川や池など天然の排水路や、道路沿いの「レインガーデン」などの人工の貯水槽と連結するハイブリッドシステムで、商業地域の外では湿地のように大規模なものが可能で、たいてい資産価値も増す。 市は80年代以降、70を超えるブルーベルトを建設。アイダの直撃後は資金を4倍以上に増やし、新設する場合は屋根からの雨水流入防止機能を盛り込むよう求める法案を可決した。 世界の大半はまだ脅威を十分認識していないものの、規模・熱意共にニューヨーク並みのプロジェクトを進めている都市は増えている。そのほとんどが、悲劇をきっかけに行動に踏み切った。 ベトナム南部ホーチミンでは近年、「極端な豪雨」(3時間に100ミリ超)が排水能力を上回るケースが6倍に増加し、数千人が死亡している。そこで全長60キロの巨大堤防を建設し、ポンプ場と水門で街を囲って、約650万人が暮らす地域を守ろうとしている。 洪水対策はオランダでも長年、国家的な優先課題だ。国土の4分の1が海抜0メートル以下で、半分が1メートル未満、1953年の北海大洪水では1800人を超える死者が出た。 ヨーロッパ最大の港を持つロッテルダムは、気候変動に備えて洪水・海面上昇から街を守る大規模なシステムを採用。沿岸の砂丘、河川沿いの堤防、それらでは守れないエリアの水上構造物、河口部に建設された長さ210メートルの2つの水門から成る可動堰(ぜき)などだ。可動堰は可動式構造物としては世界最大級だ。 2003年の熱波で1万5000人以上の死者が出たフランスは、04年に高齢者やホームレスなど弱者を守る包括的な高温警報システムを実現した。 世界銀行や欧州環境機関などの支援で、20年までに途上国154カ国中125カ国が将来の大災害に備える包括的な「国別適応計画」の策定に乗り出した(ただし完全な計画を提出したのは20カ国のみだった)。 それでも、世界のほとんどは気候レジリエンスの実現には程遠い。新型コロナのパンデミック以前には、適応へのグローバル投資は15~16年度の220億ドルから17~18年度は300億ドルとゆっくりとだが着実に増加していた。 だが国連環境計画(UNEP)が気候変動リスクの上昇に対応するのに必要と予測するレベルまで途上国を引き上げるには、この投資を5~10倍に増やす必要がある。途上国には30年までに年間1400億~3000億ドルが必要だと、UNEPはみている。 パンデミック後の支出計画のうち、気候レジリエンス強化に充てられるのはごく一部との見方もある。炭素排出量増加につながる対策が、「グリーン」なイニシアチブを4対1で上回っている。
■沿岸からの「管理された後退」
アメリカでさえ、気候変動適応策への取り組みは遅かった。米議会は昨年11月にようやく、深刻化する洪水や山火事や暴風雨にコミュニティーが備えるのを支援する気候レジリエンス対策に多額の資金を充てることを承認した。 これは1兆ドル規模のインフラ投資法案の一環で、法案にはアイダで26人が死亡したルイジアナ州選出のビル・キャシディ上院議員(共和党)らが起草した条項が含まれ、気候レジリエンスへの取り組みに470億ドルが充てられた。 その結果、連邦緊急事態管理庁(FEMA)が洪水リスクから守るために住宅を買い上げたり、かさ上げしたりする年間予算は3倍以上の7億ドルに。陸軍工兵隊の建設予算は4倍以上に増え、116億ドルが治水や河川の浚渫(しゅんせつ)のプロジェクトに充てられる。連邦機関による内陸部や沿岸部の洪水マップや、予測向上のための4億9200万ドルも含まれる。 手始めとしては有望で、政治的な風向きが変わりつつある可能性を示すものだ。とはいえ、これで問題が解決するという幻想は誰も抱いていない。 ラモント・ドハティー地球観測所のジェイコブは、「真に持続可能な」解決策は沿岸からの「管理された後退」以外にないと確信している。 「(後退は)先見性のある政府の賢明な計画によって起きるか、あるいは災害によって起きるか」だと、彼は言う。ニューヨーク市は「今すぐ計画策定に取り掛かるべきだ。膨大なコストがかかるはずだから」。 どうやらこれからも、経験から学ぶことが気候変動対策の最も強力なモチベーションになることに変わりはなさそうだ。 「今はまだ、この地球の大気圏と気候の中で起きていることにひたすらショックを受けている段階だ」と、都市レジリエンスに取り組むサルキンは言う。気候変動について「文字で読んだり研究者と話して知るのと、現実に目にするのとでは大きく違う。目の当たりにしたとき、心理的な変化が起きる」。
アダム・ピョーレ(ジャーナリスト)
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