Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/e860e00d58a50ab53856934eab0fa16a3622aa86
埼玉県川口市の芝園団地は、住民の半数以上が外国人で占めることで知られる。10年ほど前は中国人ばかりだったため、「チャイナ団地」と呼ばれたこともあった。三井物産の商社マンだった岡﨑広樹氏(41)は、2014年からこの団地に住み始め、自治会事務局長として日本人住民と外国人住民との“共生”に取り組んでいる。そして今月、『外国人集住団地 日本人高齢者と外国人の若者の“ゆるやかな共生”』(扶桑社新書)を出版した。本人に話を聞いた。 敷地面積10万平方メートル、驚いたことに住民の56%が外国人だという「芝園団地」。壮観な景色が広がる【実際の画像】 ***
『外国人集住団地』では、芝園団地だけでなく、UR大島六丁目団地(東京都江東区)、県営いちょう上飯田団地(神奈川県横浜市)、UR知立団地(愛知県知立市)、UR笹川団地(三重県四日市市)も取り上げている。いずれも外国人住民が多い団地で、日本人と外国人との共生のあり方を取材した。 著者の岡﨑氏は埼玉県上尾市出身。早稲田大学商学部を卒業後、三井物産に就職した。イギリス、オランダ、ノルウェーに赴任した後、2012年に退社。松下政経塾で学ぶ中、芝園団地に興味を持ったという。
週刊新潮がキッカケ
日本住宅公団(現・UR都市機構)の芝園団地がオープンしたのは1978年。敷地は10万平方メートルあり、総戸数は2454戸。URの団地は家賃の4倍の月収があれば保証人はいらない。更新料や礼金もないことから、外国人には借りやすかった。1990年代から中国人の入居者が増えていった。 現在、芝園団地がある芝園町には約4700人が住み、その55%となる約2600人が外国人という。外国人の大半は中国籍で、後はバングラデシュ、スリランカ、ネパール、ベトナムとなっている。 芝園団地がチャイナ団地と呼ばれたのは2010年だった。当時、中国人の住人が全体の33%になり、文化、習慣の違いから、住民間で様々な軋轢が生まれていた。 「2013年3月、週刊新潮が報じた記事をネットで見ました。こんなに酷い団地があるのかって興味を持ったのです」 と語るのは、岡﨑氏。 週刊新潮は2010年3月18日号で、「住人33%が中国人になった埼玉県『チャイナ団地』現地報告」という記事を掲載している。一部を抜粋すると、 《何と、この団地では空からゴミが降ってくるのだ。 「彼らはベランダからゴミを投げ捨てるんですよ。人参の切れ端など生ゴミは当たり前。中には子供のオムツを放り投げた奴もいました。下の階で干していた蒲団に汚物がついたことがありました。もっと酷いのは火のついているタバコを投げ捨てるんです。この前も洗濯物が焦げて問題になりましたよ」(団地内の掃除を担当する女性)》 《日本人は団地の踊り場や階段で大便をしたりはしない。ところが、この団地では日常的に大便が発見されているのである。 「毎朝のように水で流して掃除していますよ。ホームレスが犯人だという人もいますが、誰が13階や14階まであがってやりますか」 とは先の掃除担当者だが、30代の男性住人は言う。 「ある時、日本人のおばさんが、中国人女性が階段で用を足している所を見つけた。注意すると、こう言われたそうです。“トイレで流す水がもったいない”」》
会社を辞めて松下政経塾
岡﨑氏は早速、芝園団地を訪れた。 「団地内を見て回ったのですが、特に荒れていませんでした。自治会の会長や副会長、事務局長に話を聞くと、2012年に自治会の管理事務所で中国人の通訳を雇っていたのです」 通訳は、中国人の住民にトラブルにならないように注意したり、新しく入居する中国人に、団地でのマナーを教えたりしたという。 「その甲斐あって状況はかなり改善されていました。自治会は日本人と中国人の交流を望んでいるようでした。僕は、日本人と外国人の共生について非常に興味があったので、その後も芝園団地がすごく気になりました」 岡﨑氏が日本人と外国人の共生に興味を持ったのは、三井物産で海外赴任している時だったという。 「三井物産では、経理の審査をしていました。三井物産ノルウェーは、四半期の決算予想と実際の決算の数字がいつも違うので、上司から解明してこいと言われたのです。ノルウェー人は、夕方4時半になるとみな一斉に帰社します。日本人は仕事優先で、定時に帰る人はほとんどいません。なので、日本は四半期の決算予想が外れることはない。でも、ノルウェー人は仕事を優先しないので、期待されたような営業成績が上がらず、決算も予想値より低くなることは珍しくありません」 岡﨑氏は、現地の日本人スタッフとノルウェー人の社員の間でコミュニケーションが取れていなかったことに気づいた。 「日本人と外国人がどうしたら上手く交流できるか、という思いがずっと頭から離れませんでした。それで国際交流を学ぶため、会社を辞めて松下政経塾に入り、国際共生、多文化共生について勉強しました」
実地研修が芝園団地
週刊新潮が取り上げた芝園団地の記事に興味を持った岡﨑氏は2013年夏、団地の夏祭りに出かけた。 「盆踊り大会で、踊っているのは日本人。運営も日本人。外国人はただ観ているだけ。正直言って、交流にはなっていませんでした」 岡﨑氏は2014年4月、実際に芝園団地へ引っ越した。 「松下政経塾の3年目で、自分の好きなところで実地研修をすることができました。その一環として芝園団地に住んでみることにしました」 岡﨑氏は入居してすぐ、自治会の役員になった。防災部の副部長である。 「2014年7月、防災の講習会を開きました。70人の参加者のうち外国人は2割の14人でした。講習会では日本人と外国人が一緒に話を聞いているだけで、交流はありませんでした」 そもそも芝園団地に住む日本人は、入居してからかなり年月が経っているため高齢者が圧倒的に多い。一方、外国人は若い人ばかりだとという。 「外国人に日本人との交流を勧めても、『高齢の日本人と何を話していいか分からない』と言うのです。これは簡単にはいかないなと思いました。日本人同士でも高齢者と若者の交流は難しいですからね」 同年10月と11月、国際交流のための芝園賑わいフェスタを開催した。 「団地内には、中国人のバトミントンクラブや中国人のママさんグループがあったので、ブース(仮説売店)を出して欲しいと依頼すると、バトミントンクラブは水餃子を、ママさんグループは中国の子供の遊びを展示実演してくれたのです。交流が一歩進んだ感じです」 自治会は、地域住民が自分たちの力で住みよい街にする組織で、外部の人間が関わることを望んでいなかった。
「人間力大賞総務大臣奨励賞」
「地域に新しい風を入れるために、自治会を外部に開いていく必要があると思いました。多文化共生関連の大学の勉強会やフォーラムに参加して、学生に『芝園団地を見学してみませんか』と声をかけました。大学教授に知り合いがいなかったのでネットで検索してメールしましたが、返信がありませんでした」 岡﨑氏は最後の手段として、アポイントなしで大学教授の研究室を訪れ、ゼミ生を紹介してもらったという。2015年2月、大学生のボランティア団体を招いて日本人と外国人の交流を行う「芝園かけはしプロジェクト」を発足させ、2016年2月から月に1回「多文化交流クラブ」を開催。日本人と外国人が意見交換し、持ち寄りの食事会も行っている。 岡﨑氏は、松下政経塾を卒塾後も芝園団地に住み続け、2017年、自治会事務局長に就任した。 「その年の11月、『多文化交流クラブ』で日中交流『ものつくり教室』を開きました。そこでは日本の折り紙と中国の切り紙のイベントになりました。子どもたちも参加して大いに盛り上がったのです」 芝園団地の自治会は2018年、多文化共生に貢献したとして、「国際交流基金」の表彰を受けた。また岡﨑氏も同年、日本青年会議所「人間力大賞総務大臣奨励賞」を受賞した。 「芝園団地には当分住み続けるつもりです。自治会活動しながら、財団法人日本国際協力センターと業務提携し、国際交流事業などの仕事に携わっています。芝園団地の住人は、高齢者の日本人と若い外国人です。少子高齢化に歯止めがかからない将来の日本の縮図だと思います。いずれ外国人は日本での働き手として必要な存在になります。外国人が日本で気持ち良く暮らしていけないと、日本で働いてもらえませんからね」 デイリー新潮編集部
新潮社
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