Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/0770e01bcefdfa4c7ebe12a9b378f0c14aedcc35
在日外国人トラブル
日本に住む外国人労働者は年々増加し、コロナ禍の2020年まで8年連続で過去最高を記録していた。在日外国人が増える中で、外国人によるトラブルも多発。近年、頻発している家畜の窃盗事件などもこうした外国人不良グループの関与が疑われている。国別で最も日本への人口流入が増えているベトナム人の不良グループを例にその実態を解説する。
在日ベトナム人同士のトラブル
2022年9月11日深夜、神奈川県川崎市の路上で、ベトナム人男性(事件当時25歳)が、同じベトナム国籍の男性(57歳)を刺殺するという事件が起きた。 事件の少し前、加害者の男性が飲食店にいたところ、被害者の男性から態度を注意され、トラブルになったそうだ。一時は収まったものの、再び路上で2人が出くわしたことでトラブルが再燃し、加害者が持っていた刃物で左胸を刺して殺害したのである。 この事件に限らず、近年、在日外国人が増えたことで日本人に対する犯罪だけでなく、外国人同士のトラブルから生じる事件が多発している。特にベトナム人同士のトラブルは後を絶たない。 一体、なぜそうしたことが起きているのか。 日本には、日本人には見えにくい、外国人の不良グループが存在する。そこに光を当てることで、日本社会の片隅で起きているリアルに目を向けたい。
命からがら日本に来たベトナム人
日本へのベトナム人の流入には、大きく分けて2つの段階がある。 最初に、日本に多くのベトナム人がやってきたのは、ベトナム戦争終結後の1975年以降だった。第1次インドシナ戦争後に南北に分断したベトナムで、冷戦期の米ソの代理戦争として行われたのがベトナム戦争だった。共産圏の後押しを受けた北ベトナムは、アメリカ側の南ベトナムに激しいゲリラ戦を仕掛け、ついには勝利を収める。 この時、主に南ベトナムでアメリカの協力者であった人たちが、北ベトナムの弾圧から逃れるため、難民として国を飛び出した。小型ボートに定員の何倍、何十倍という人々が乗り込み、脱出を図ったものの、転覆したり、海賊に襲われたりして多くの命が失われた。 ボートピープルと呼ばれた、この南ベトナムの難民(周辺国の難民も含めて「インドシナ難民」と呼ぶ)問題が報道されたことで、日本も難民の受け入れを行うことになる。そして神奈川県と兵庫県に支援拠点を置いて、1万人以上を保護し、定住を認めたのだ。 だが、こうした難民の受け入れに問題がなかったわけではない。彼らはほとんど着の身着のままでやってきたため、時間をかけて日本語教育を受け、社会に溶け込む余裕がなかった。そのため、清掃や肉体労働などの仕事に従事し、足元を見られて安価な報酬で働かざるを得なかった。
インドシナ難民2世の不良グループ
親世代の難民は家族のために必死に働いたが、その子供たちは疎外感を膨らませることが多かった。彼らは学校や地域で日本人から激しい差別に遭い、親には相談に乗ってもらえず、大人になってからも条件のいい職業に就くことが難しかった。そうして1人また1人と道を外れる者たちが出てきたのである。 こうして現れたのが、インドシナ難民2世の不良グループだった。彼らは主に東京や神奈川や大阪といった大都市に根を張り、そこに生きる同じ東南アジアの人々を相手にビジネスをはじめた。 外国人パブからみかじめ料を取る、盗品を安く転売する、不法滞在者に仕事を斡旋する、売春業を営む、ドラッグを密売する……。日本にいる東南アジアの人たち向けに、暴力団のしのぎのようなことをしはじめたのだ。 不良グループに属するベトナム人男性は次のように語っている。 「大きな都市や繁華街には、そこを仕切っているベトナム人のグループがあるよ。外国人は日本人の警察やヤクザより、同じ外国人の方を信用する。だから、取引にしても、トラブル解決にしても、俺たちを頼るんだ」 外国人が増えれば増えるほど、需要が膨らむという相関性があるのだろう。一方で、日本には別の経緯で来日したベトナム人がいる。主に1990年代以降に出稼ぎを目的としてやってきた人たちだ。現在、技能実習制度を使ってきている人たちも含まれるが、主に北ベトナムの貧しい家の出身者だ。彼らは母国で背負った借金の返済のため、数年間日本で働いて貯金をして帰国することを目指している。 だが、すべての人たちが予定通りに貯金をして帰国できるわけではない。技能実習制度の受け入れ先でのトラブルから失踪したり、ビザが切れた後も不法滞在したり、日本に残ることを選ぶ者たちがいるのだ。また、金のために犯罪に手を染めざるを得ない者もいる。
南北ベトナムで異なる特徴
彼らは自分を守るために同じような者たちとグループをつくって生活をしたり、仕事をしたりする。そういう者たちが、新たな不良グループになっていく。つまり、日本にはベトナム戦争後に来たインドシナ難民たちの2世や3世の不良グループと、1990年代以降に出稼ぎ目的で来た若い不良グループが2パターンがある。複雑なのは、世代によってグループの性質が異なる点だ。 インドシナ難民の男性は次のように語っていた。 「難民としてやってきたのは南ベトナム出身者だろ。自分たちこそが苦労の末に最初に日本に根を下ろした世代という気持ちがある。だから、新しく出稼ぎでやってきた世代のことをよく思っていない。北と南では文化も違うし、歴史的な溝もあるしね」 第一世代のインドシナ難民にしてみれば、自分たちが汗水流して在日ベトナム人社会を築き、市場を開拓してきたという自負がある。それゆえ、後からやってきて不法滞在で犯罪をくり返すような北ベトナムのグループを快く思わないのだ。 また、文化や歴史の違いも大きい。少々語弊があるかもしれないが、ベトナム戦争時の北ベトナムと南ベトナムといえば、今の北朝鮮と韓国のような関係だ。歳月を経たからといって、異国の地で両者が何の違和感もなく一緒に活動するのは難しいだろう。 「グループとしてのタイプも違うよ。俺たちは同じ団地(難民が多く集まっていた団地)で暮らし、幼馴染のような感じでかかわってきた同士だ。お互いの関係性がすごく強いし、家族以上の絆がある。でも、北ベトナムの奴らはそうじゃない。 SNSで知り合ってすぐにくっついたり離れたりする。盗みとか悪いことをする際も、SNSで呼びかけてパッとくっついて、終わったら解散するみたいな。グループといっても、俺たちと奴らとでは人間関係がぜんぜん違うんだよ」
一括りにはできない外国人不良グループ
難民として親子でやってきて神奈川県や兵庫県の特定の団地に暮らして知り合ったグループと、バラバラに来日してSNSでつながったグループとでは、何もかも異なるのは当然だ。 では、両者はまったく相容れないのかといえば、必ずしもそうではないようだ。 インドシナ難民のグループは外国人パブや人材派遣の会社を経営していることがある。こうした人々が、ビザを持っておらず、仕事に困っている北ベトナムの人間を従業員としてつかうことがあるらしい。 また、インドシナ難民のグループは、ベトナム人コミュニティで権力を握っており、日本の暴力団と組んでドラッグの密売や、ベトナム式の賭博をしていたりする。在日外国人のための闇金融を営んでいることもある。こういうところに、北ベトナムの人間が客として来ることもあるそうだ。先の男性はこう言う。 「仲がいいわけじゃないけど、助け合えるところは助け合おうっていう感覚はあると思うよ。日本にはベトナム以外にも、ブラジル人の不良、中国人の不良、ネパール人の不良などいろんな国の不良グループがある。他の国の不良グループとぶつかる時はベトナム人ってことで団結して戦う。近いけど遠い、遠いけど近いって関係なんだよね」 本記事では、ベトナム人不良グループに光を当てたが、他の国のグループについても同じことがいえる。 たとえば、中国からやってきた人たちでも、残留孤児の親に連れられて来日して怒羅権(中国残留孤児2世を中心とした不良グループ)を結成した世代と、1990年代~2000年代に蛇頭の手引きによって不法入国したグループとでは何もかもが異なる。 外国人不良グループといっても、細かく見れば様々な違いがあり、それが時と場合によって対立関係を生んだり、協力関係を築いたりする要素となるのだ。もっとも正規のルートで日本に来て、合法的に働き、きちんとした生活をしている外国人からすれば、彼らの存在は迷惑でしかないだろう。 だが、ニュースで流れる外国人同士のトラブルは、こうした複雑な関係性を踏まえなければ、見えてこないものでもあるのだ。 取材・文/石井光太
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