2020年5月14日木曜日

オープンソースでマスク生産 香港デモが生んだ知の共有

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200505-62901280-business-cn
5/5(火) 7:00配信、ヤフーニュースより
日経ビジネス
以前、香港のマスク事情を通して比較的放任姿勢を取る香港政府、そして香港産のマスクを積極的に生産しようとする地元企業についてお伝えした。今回は「オープンソース」のような形をとって市民が主体となってマスクの供給を増やそうとする事例を紹介する。この事例を通して香港の分散型抗議活動がどのような知の共有をもたらしたか探ってみよう。

【関連画像】「HK Mask」を手に持つ鄺士山博士

●社会的企業などが支えたマスク開発

 以前の記事(関連記事「政府は動かず市民が動く、マスクが示す香港社会の機動力」参照)で香港政府がマスク供給に積極的に介入しない一方で、民間企業がマスクの配布のみならず、地元産のマスクを生産しようとしている事例を紹介した。以前の記事で述べたように、マスクは香港の民間社会のダイナミックさを見せてくれる。

 その中で、筆者が特に注目しているプロジェクト「HK Mask」について取り上げたい。筆者がこのプロジェクトに注目したのは、香港でものづくりを行うこと(香港製造)、ものづくりのレシピを他者と共有すること(オープンソース)、さらに一人ひとりが作り手となってものづくりに参加すること(メイカームーブメント)を目指しており、なおかつその前提となる関係者のマインドが一連の抗議活動によって育まれてきたように思えるからだ。

 まずこのマスクが生まれた経緯と関係者について簡単に紹介する。このマスクは正確に言えば何度も洗って利用できる布製のマスクフィルターで、使い捨てマスクの上につけて機能性を高めるものだ。「Dr. K. Kwong」として知られる鄺士山博士が呼びかけ人となって様々な専門家が集まって実現したプロジェクトだ。

 鄺博士がどのような人で、実際どのようなマスクを作っているかについては、日経ビヨンドヘルスの甲斐美也子さんの記事に詳しい。博士はかつて香港大学・香港中文大学で講師をしていた。また、香港の大手学習塾「現代教育」で化学の講義を持っていたこともあり、香港の若者の間ではよく知られた存在である。香港のこれまでの一連の抗議活動においては、催涙弾の使用など警察の行動に対し自身のFacebook上で専門知識を用いて批判を繰り広げた。そして博士はFacebookページに15万以上のいいねがつくほどのインフルエンサーとなったのである。
 博士はその後Facebookで自身のマスクの設計案を紹介し、手作りできるマスクをデザインすべくプロジェクトへの協力者を募った。そのとき協力を申し出た一人が「裳楽匯坊(Sew On Studio)」の鄭佩詩(Miyuki Cheng)さんだった。Sew On Studioは若手のファッションデザイナーの支援や高齢者の古い衣服の再利用ワークショップなどを行なっている社会的企業(社会課題の解決を目指す企業)だ。鄭さんは香港でよくある古着の多くは繰り返し洗っても変形しにくいコットンが使われており、マスクに向いていることを見いだした。そして、彼女の発案のもとマスクに古着を再利用したコットン材を使うことにしたのだ。

 感染防止のためSew On Studioの生産現場に多くの人を置くことはできなかった。そのため、香港の社会的企業を支援している「香港社会創投基金(SVhk)」が運営している生産現場「合廠(HATCH)」で一部のマスクの製作を行った。合廠は自らを「コワーキングファクトリー」と位置付けている。かつてと違い製造業がもはや主流ではない香港で、「Made in Hong Kong」(香港製造)を推し進めるために、貧困家庭にものづくりのための教室を開いたりスペースを貸し出したりしている施設だ。

 HK Maskは社会的企業の経営者がそのネットワークを生かして発案・生産されたものである。普段あまり注目されない香港の草の根で活動する社会的企業家の協力によって実現したプロジェクトであると言える。

●「香港製造」を推し進めるための「オープンソース

 HATCH もSew On Studioも、中国本土など香港の外に頼りすぎず香港自身の製造業を活発化していくMade in Hong Kongの重要性を自社のウェブサイトなどで主張している。今回のマスク不足についても「マスクに必要なワイヤが中国本土から入手できなくなってマスクが作れなくなり、改めて香港ローカルのものの大切さがわかった」とSew On Studioの鄭さんは言う。今回も古着をはじめ香港で原材料をできるだけ調達して、香港で製造しようとした。しかし既存の縫製設備がある工場に多くの人が集まることは新型コロナウイルス感染防止の観点では望ましくない。工場としてのライセンスを持っていない場所で大量生産する場合、法的な問題にも直面することになるだろう。

 だからこそ彼らは「オープンソース」のような形をとって、このDIYマスクの作り方をオンライン上などで共有した。マスクの作り方はソースコードではない。しかし、作り方を公開し、誰もが自由に使え、改変できるようにしたことはまるでオープンソースのようだ。その結果、マスク製作に関心を持った人々は、プロジェクトが提供した衣料を家に持ち帰ったり、家にある材料を利用したりすることで、おのおのがこの作り方に従って自宅でマスクを作ることができた。

 さらにこの動きは香港の外にも広がり、自作のマスクを各国で作っている人たちがいるという。ミクロネシアや日本でもマスクが作れたという声が届いているそうだ。フランス語やスペイン語のようなメジャーな言語だけではなくネパール語やペルシャ語でもマスクの作り方を公開している。このマスクの発表記者会見に香港で活躍する日本人タレントRieさんなどを招いたのも、海外の人にもこのマスクを知ってもらい、その知見を生かしてほしいからだそうだ。
「かつて縫製業が盛んだった香港では、ミシンなどのスキルを持ったお母さんたちが多くいるが、彼女らはもはやスキルを生かす場所がない。そんな中、自分の技術を使いたいと協力してくれた人もいる。彼女らの子どもが彼女らから学んでマスクを作っているケースもある」と鄭さんは教えてくれた。ちなみにHK Maskに限らずマスクを自宅で作ろうとしている人たちは増えているようで、「香港でミシン入手が難しくなっている」とも鄭さんは言っていた。

●政府に頼らずに問題を解決していく

 これらの一連の動きに鄭さんは「メイカームーブメント」との類似性を見いだしているという。鄭さんは「今回プロジェクトに参加している他の人がそのことを意識しているかはわからないが、私はこのプロジェクトはまさにメイカームーブメントの一つだと思う」と言う。

 メイカームーブメントとは「多様な人々がものづくりに関わる動き」を指し、特に個人レベルでそれが進んでいることをいう。3Dプリンターやレーザーカッターなどが普及することで、工場を持たなくとも個人が作りたいものを自らの手で少量生産できるようになってから注目された動きだ。HK Maskはこのような高度な機材を必要としないものの、個人が好きな方法でものづくりに参加し、そのための方法が広く共有されているという点でメイカームーブメントと共通している。大企業や政府などの権力や資金があるものに頼る必要はない。「ものづくりが民主化されている」と言える。

 今回のプロジェクトは政府から全く支援を受けてない。「政府を待っていても仕方なく、助成金を申請する気はない」とプロジェクト関係者は口をそろえる。中にはいくら抗議活動をしても変わらない政府を批判し続けても仕方がないので、自分で問題を解決していくことが重要だと感じているという人もいた。香港で長引く抗議活動は反政府活動を生み出してきた一方で、政府へ期待することを諦めて自分たちで問題を解決しようとするコミュニティーも生み出している。この、批判しても変化しない政府の批判ばかりをするのではなく自分たちのできることをやるべきだという言説は、以前取材した航空業界の新しい労働組合からも聞かれた(関連記事「香港中文大・第8報:テレグラムから生まれた新興労働組合の実相」参照)。

 また、博士のFacebookページのカバー写真には「黄色と青色(の対立)に関係なくマスクが香港を救う」と記されている。黄色は抗議者寄りの人々、青色は香港政府・警察寄りの人々を指す。異なる政治的思想を持つ両者の間で対立するばかりではなく、まずは手を動かすべきだという考え方も彼らの中に根ざしていると言えるだろう。

●抗議活動を通した知の共有の促進

 香港の抗議活動は、明確なリーダーがいない分散型の抗議活動だと言える。匿名性の高いSNS「テレグラム」を使い、もともとは互いにつながっていない一般市民が自主的に動き、知識を共有する仕組みができあがった。テレグラム上では、香港の地下鉄の駅の空調の仕組みから警察に追われたときに逃げ込むためのビルのパスワードまで共有されている。新型コロナウイルス流行以降は、3Dプリンターでマスクフィルターを試作した人々が試作の過程でどのように失敗したか、またどうすればうまくいくかというノウハウまでも共有するようになった。

 HK Maskが抗議活動で生み出された流れによって大きな動きになったと筆者が感じるのは、発起人の鄺士山博士が抗議活動での催涙弾の使用への批判などを通してインフルエンサーになったからだけではない。多くの香港市民が抗議活動を通してこのような市民活動への関心を深め、自身の利益に関係なく知識をシェアし行動する人が増えた。鄺士山博士の呼びかけに応じて集まった人が多くいたことは、その表れと言えるだろう。

 一連の抗議活動が生み出した、政府や大企業に頼らない分散型の情報共有のノウハウは、一般市民に共有され抗議活動以外の分野でも生かされるようになった。こうした香港社会の変化が、市民活動と社会的企業、NGO(非政府組織)との関係性にどのような影響を与えるかにも今後注目していきたい。
石井 大智

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