Source:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191101-00000014-zdn_mkt-bus_all
11/1(金) 、ヤフーニュースより
編集部からのお知らせ:
本記事は、書籍『パンクする京都 オーバーツーリズムと戦う観光都市』(著・中井治郎 、星海社新書)の中から一部抜粋し、転載したものです。京都在住の社会学者による、観光客の殺到による社会・経済問題「オーバーツーリズム」の提起をお読みください。
【画像】急増する京都市の外国人宿泊客推移
2019年5月。ちょうどこの本の企画について編集者とのやりとりがはじまった頃、「エベレストでさらに4人死亡」というニュースが目にとまった。よくある山岳事故のニュース、ではなかった。それはとても奇妙な事故だった。エベレスト山頂付近で続発する死亡事故について犠牲者のうちの1人のインド人登山者の死が報じられていたが、奇妙なのはその死因である。その不幸な登山者の死因は、エベレスト山頂付近で「12時間以上の混雑」に巻き込まれたことによる極度の疲労だったのである。
そして記事に添えられた写真に目を疑った。澄んだ青空を背景に鋭く切り立つエベレストの山頂。そこに写っているのは、山頂の切っ先に向けて、びっしりと数珠(じゅず)つなぎに連なる登山者の長い長い行列であった。「ここで12時間待つのか……」思わず言葉を失う。ディズニーランドよりもコミケよりも、まちがいなく世界でもっとも過酷な行列である。
90年代から一般の登山客に向けてエベレスト山頂への登山を開放してきたネパール政府は、近年、希望者の増加を受けて登山許可証の発給数を増やしてきた。そして2019年の登頂者数は過去最高となる見込みであるという。
その結果がこの山頂へと続く長蛇の列なのだ。エベレスト山頂といえば標高8848メートル、言うまでもなく地球上でもっとも人間にとって生存が困難な場所である。そして、そこに押し寄せた登山客たちが12時間待ちの大行列を発生させる。30年前ならばまったく想像することもできなかった光景かもしれない。
そんな記事を見て思い出したことがある。09年8月、モアイ像で有名なチリ領イースター島を訪れた時に僕が巻き込まれた、ある事件である。
首都サンティアゴから3700キロ、もっとも近い有人島までも2000キロあるという絶海の孤島イースター島。この地球上でもっとも文明から遠い場所の1つといえるだろう。そんな島で島民たちが島で唯一の空港に突入し、これを封鎖した。たまたまそのとき島にいた僕をふくむ外国人観光客たちは島を脱出することができなくなったのである。島民たちは怒っていた。
「もう観光客はたくさんだ!」
いつ飛ぶとも分からない飛行機を待つしかない“観光客”である僕は、太平洋に沈む夕日を眺めながら途方に暮れていた。こんな世界の果ての島にも観光客が押し寄せている。
そして島民たちは観光客が目当てにするモアイではなく、これこそ自分たちの誇りだというカヌーのマークの旗を掲げていた。彼らはいったい何に怒っていたのだろうか。
【画像】急増する京都市の外国人宿泊客推移
2019年5月。ちょうどこの本の企画について編集者とのやりとりがはじまった頃、「エベレストでさらに4人死亡」というニュースが目にとまった。よくある山岳事故のニュース、ではなかった。それはとても奇妙な事故だった。エベレスト山頂付近で続発する死亡事故について犠牲者のうちの1人のインド人登山者の死が報じられていたが、奇妙なのはその死因である。その不幸な登山者の死因は、エベレスト山頂付近で「12時間以上の混雑」に巻き込まれたことによる極度の疲労だったのである。
そして記事に添えられた写真に目を疑った。澄んだ青空を背景に鋭く切り立つエベレストの山頂。そこに写っているのは、山頂の切っ先に向けて、びっしりと数珠(じゅず)つなぎに連なる登山者の長い長い行列であった。「ここで12時間待つのか……」思わず言葉を失う。ディズニーランドよりもコミケよりも、まちがいなく世界でもっとも過酷な行列である。
90年代から一般の登山客に向けてエベレスト山頂への登山を開放してきたネパール政府は、近年、希望者の増加を受けて登山許可証の発給数を増やしてきた。そして2019年の登頂者数は過去最高となる見込みであるという。
その結果がこの山頂へと続く長蛇の列なのだ。エベレスト山頂といえば標高8848メートル、言うまでもなく地球上でもっとも人間にとって生存が困難な場所である。そして、そこに押し寄せた登山客たちが12時間待ちの大行列を発生させる。30年前ならばまったく想像することもできなかった光景かもしれない。
そんな記事を見て思い出したことがある。09年8月、モアイ像で有名なチリ領イースター島を訪れた時に僕が巻き込まれた、ある事件である。
首都サンティアゴから3700キロ、もっとも近い有人島までも2000キロあるという絶海の孤島イースター島。この地球上でもっとも文明から遠い場所の1つといえるだろう。そんな島で島民たちが島で唯一の空港に突入し、これを封鎖した。たまたまそのとき島にいた僕をふくむ外国人観光客たちは島を脱出することができなくなったのである。島民たちは怒っていた。
「もう観光客はたくさんだ!」
いつ飛ぶとも分からない飛行機を待つしかない“観光客”である僕は、太平洋に沈む夕日を眺めながら途方に暮れていた。こんな世界の果ての島にも観光客が押し寄せている。
そして島民たちは観光客が目当てにするモアイではなく、これこそ自分たちの誇りだというカヌーのマークの旗を掲げていた。彼らはいったい何に怒っていたのだろうか。
世界の著名都市で「もう観光客はたくさん!」
エベレストにイースター島。もはやこの地球上でカラフルなアウトドアウェアを着込みリュックサックを背負った観光客の姿をみかけない場所を探すことは難しいのかもしれない。19年2月に国連世界観光機関(UNWTO)が発表した世界における国際観光客数は推定で約14億人。10年に発表された長期予測では14億人を達成するのは20年と見込まれており、この予測が2年も早く突破されたことになる。
かつて先進国の人々のあいだで海外旅行が大衆化しはじめた1960年代後半の年間国際観光客数は1600万人程度だった。つまり、海外旅行者の数は50年間で約90倍となったのである。一方、世界人口の増加は40億人程度から70億人ほどなので、この数十年いかに猛烈なスピードで多くの人々が海外旅行をするようになったかが分かるだろう。
もちろん、これまで人類が経験したことのない観光客の大発生は多くの人々にとってチャンスであった。過疎化に悩む農村から、再開発が思うように進まないまま疲弊していた歴史ある古都、そして先進国から発展途上国まで、世界中のあらゆる特性をもった地域がこれをチャンスと見込み観光産業を起爆剤とする地域活性に取り組んできた。
しかし近年、ベネチア、アムステルダム、バルセロナなど、観光地として世界的な知名度を誇る各都市において住民たちの怒りが爆発している。彼らは叫ぶ。「もう観光客はたくさんだ!」
10年前に僕がイースター島で出会ったあの光景が、今や世界中に広がっているのだ。そして、そんな彼らの怒りはここ数年で急速に世界中に伝播(でんぱ)した1つの新語を誕生させた。地域の生活や環境、そして観光客自身の観光体験にさえダメージを与えるほどの過度な観光化を指す言葉、「オーバーツーリズム(overtourism)」である。
08年、新たな省庁として観光庁が設立された。それからの10年間は日本にとって「クール・ジャパン」そして「観光立国」という旗印のもと官民あげての観光振興・インバウンド誘致にまい進し、また翻弄された10年間であった。もともとは外国へ旅行する出国日本人旅行者(アウトバウンド)に対して訪日外国人旅行者(インバウンド)の数が「少なすぎる」ということが問題となって取り組み始めた日本のインバウンド誘致政策であったが、その成果は目覚ましく、政府の予想を超える勢いで外国人観光客は増え続けている。
とくに円安やビザ発給要件の緩和、LCC路線の就航などが功を奏し、12年当時は836万人だった訪日外国人は18年には3119万人にのぼるまでとなった。ほんの5、6年ほどの間に実に4倍に近い増加ぶりである。
そして訪日外国人観光客による特需を象徴する現象「爆買い」が流行語大賞に選ばれた15年、実に45年ぶりに訪日外国人旅行者数が出国日本人旅行者数を上回った。つまり、ついに我が国は「観光する国」から「観光される国」に逆転したのである。
かつて先進国の人々のあいだで海外旅行が大衆化しはじめた1960年代後半の年間国際観光客数は1600万人程度だった。つまり、海外旅行者の数は50年間で約90倍となったのである。一方、世界人口の増加は40億人程度から70億人ほどなので、この数十年いかに猛烈なスピードで多くの人々が海外旅行をするようになったかが分かるだろう。
もちろん、これまで人類が経験したことのない観光客の大発生は多くの人々にとってチャンスであった。過疎化に悩む農村から、再開発が思うように進まないまま疲弊していた歴史ある古都、そして先進国から発展途上国まで、世界中のあらゆる特性をもった地域がこれをチャンスと見込み観光産業を起爆剤とする地域活性に取り組んできた。
しかし近年、ベネチア、アムステルダム、バルセロナなど、観光地として世界的な知名度を誇る各都市において住民たちの怒りが爆発している。彼らは叫ぶ。「もう観光客はたくさんだ!」
10年前に僕がイースター島で出会ったあの光景が、今や世界中に広がっているのだ。そして、そんな彼らの怒りはここ数年で急速に世界中に伝播(でんぱ)した1つの新語を誕生させた。地域の生活や環境、そして観光客自身の観光体験にさえダメージを与えるほどの過度な観光化を指す言葉、「オーバーツーリズム(overtourism)」である。
08年、新たな省庁として観光庁が設立された。それからの10年間は日本にとって「クール・ジャパン」そして「観光立国」という旗印のもと官民あげての観光振興・インバウンド誘致にまい進し、また翻弄された10年間であった。もともとは外国へ旅行する出国日本人旅行者(アウトバウンド)に対して訪日外国人旅行者(インバウンド)の数が「少なすぎる」ということが問題となって取り組み始めた日本のインバウンド誘致政策であったが、その成果は目覚ましく、政府の予想を超える勢いで外国人観光客は増え続けている。
とくに円安やビザ発給要件の緩和、LCC路線の就航などが功を奏し、12年当時は836万人だった訪日外国人は18年には3119万人にのぼるまでとなった。ほんの5、6年ほどの間に実に4倍に近い増加ぶりである。
そして訪日外国人観光客による特需を象徴する現象「爆買い」が流行語大賞に選ばれた15年、実に45年ぶりに訪日外国人旅行者数が出国日本人旅行者数を上回った。つまり、ついに我が国は「観光する国」から「観光される国」に逆転したのである。
人口150万人の京都市が外国人客で“渋滞”
しかし、多くの人の予想を超える増加とは、言い換えるならば「暴走」である。この暴走が観光にかかわるさまざまな場面で問題を巻き起こすこととなった。そして世界各地で被害が叫ばれてきたオーバーツーリズムの波が、ついに日本にも到達する。その最前線であり、最たる“被災地”が、世界でもっとも人気のある観光都市の1つであり、日本を代表する古都、京都なのである。
「この時期、京都行くやつはドM」お花見の頃、ゴールデン・ウイーク、夏の祇園祭(ぎおんまつり)、そして紅葉の頃など、観光都市・京都が世界中の観光客でごった返す行楽シーズンになるとインターネットでしばしば見かける決まり文句である。僕は京都に本部を置く大学で講義と研究をしながら、現在、京都で暮らしている。ネットの読み人知らずの書き込みといえども、その愚痴(ぐち)とも警告ともつかない独り言は身に染みるくらい、よく分かる。
例えば花見や紅葉の季節などには全国のニュースや情報番組で、押し掛けた観光客で身動きもとれないほどの京都の名所の混雑がまるで風物詩のように報じられる。しかし多くの住民はもちろんそんな時期にわざわざ観光名所には近寄らない。テレビで近所の寺の混雑を眺めるのみである。そしてこの時期は観光名所だけにとどまらず、市内各所の交通が「いつも通り」マヒしているであろうことも知っている。そして呟くのだ。「はあ、やっぱり今日は出掛けるの、やめとこか」
そもそも京都市の人口は150万ほどである。これをもし関東の都市に置き換えるなら川崎市と同程度の人口規模ということになる。しかし、京都は山に囲まれた小さな盆地であり、「どの飲み屋で終電を逃しても歩いて帰れる」といわれるほどに狭い。そこに、天皇が居(きょ)を構えていた京都御所、そして市内だけでも14件の世界遺産をふくむ広大な敷地を持つ離宮や神社仏閣がひしめきあっている。
さらに厳しい都市景観行政のため市街地の狭い空間を有効に利用するための高層ビルやタワマンの建設もできない。そんな窮屈きわまりない街に150万人が押し込められているのだ。そこに毎年5000万人以上の観光客が押し寄せている。それが古都・京都の実情である。
とくに2011年度には50万人程度であった外国人宿泊客数はその後、誰も予想していなかったようなスピードで激増し、2018年にはその約9倍である450万人にまで膨れ上がった(外国人観光客数全体ではおよそ805万人)。いまや有名な観光名所にかぎらず、京都のあらゆる場所で彼らが大きなキャリーケースを引っぱりながら歩いている、いや、“渋滞”している姿を見ることができる。
「この時期、京都行くやつはドM」お花見の頃、ゴールデン・ウイーク、夏の祇園祭(ぎおんまつり)、そして紅葉の頃など、観光都市・京都が世界中の観光客でごった返す行楽シーズンになるとインターネットでしばしば見かける決まり文句である。僕は京都に本部を置く大学で講義と研究をしながら、現在、京都で暮らしている。ネットの読み人知らずの書き込みといえども、その愚痴(ぐち)とも警告ともつかない独り言は身に染みるくらい、よく分かる。
例えば花見や紅葉の季節などには全国のニュースや情報番組で、押し掛けた観光客で身動きもとれないほどの京都の名所の混雑がまるで風物詩のように報じられる。しかし多くの住民はもちろんそんな時期にわざわざ観光名所には近寄らない。テレビで近所の寺の混雑を眺めるのみである。そしてこの時期は観光名所だけにとどまらず、市内各所の交通が「いつも通り」マヒしているであろうことも知っている。そして呟くのだ。「はあ、やっぱり今日は出掛けるの、やめとこか」
そもそも京都市の人口は150万ほどである。これをもし関東の都市に置き換えるなら川崎市と同程度の人口規模ということになる。しかし、京都は山に囲まれた小さな盆地であり、「どの飲み屋で終電を逃しても歩いて帰れる」といわれるほどに狭い。そこに、天皇が居(きょ)を構えていた京都御所、そして市内だけでも14件の世界遺産をふくむ広大な敷地を持つ離宮や神社仏閣がひしめきあっている。
さらに厳しい都市景観行政のため市街地の狭い空間を有効に利用するための高層ビルやタワマンの建設もできない。そんな窮屈きわまりない街に150万人が押し込められているのだ。そこに毎年5000万人以上の観光客が押し寄せている。それが古都・京都の実情である。
とくに2011年度には50万人程度であった外国人宿泊客数はその後、誰も予想していなかったようなスピードで激増し、2018年にはその約9倍である450万人にまで膨れ上がった(外国人観光客数全体ではおよそ805万人)。いまや有名な観光名所にかぎらず、京都のあらゆる場所で彼らが大きなキャリーケースを引っぱりながら歩いている、いや、“渋滞”している姿を見ることができる。
地域住民の暮らしが「見せ物」に
何より厄介なことは、京都を訪れる観光客の目当ては自然豊かな景勝地などではなく、人々の生活空間のなかに点在する寺社や史跡、さらには町並みなど人々の暮らしの場そのものであることだ。つまり京都は街全体が観光名所ともいえるのである。
朝、寝ぼけながらゴミ袋を片手に玄関を開けると、目の前にまさに「京都の町並み」を撮ろうとしている観光客のカメラと目があったので慌てて戸を閉めた……京都ではしばしば聞く話である。多くの人にとって観光地とは非日常空間であるが、「観光される」京都の住人にとってはそれがまさに日常なのである。
世界各地の観光都市でオーバーツーリズムが問題となっていると述べたが、とくに反観光運動の激しい事例にはある共通点がある。それは歴史のある町並みや市場など、人々の生活の場そのものが観光の対象となってしまっている場所であるということである。地域住民と観光客の動線が重なれば重なるほど、バスや道路、さらには商店など、あらゆる生活インフラの奪い合いとなってしまうのだ。
また、そもそも観光とは関係なく生活している地域住民の暮らし自体が「見せ物」化していくということの問題や不満も無視できない。そして、さらに近年は、地域住民の暮らす住宅地や集合住宅のなかに深く入り込んでいくことでコミュニティーを破壊しかねない民泊の問題なども、各地で観光客と地域住民の関係をより厳しく対立的なものへと変えつつある。
世界的に観光が引き起こす問題に注目が集まる一方で、2020年東京オリンピック・パラリンピック開催をひかえた政府は「観光ビジョン実現プログラム2019」を策定、20年度の訪日外国人旅行者数の目標を4000万人とした。さらに30年には現在のほぼ倍である6000万人と見込んでいる。
いま京都が直面している問題は、オリンピック開催地である東京を含め今後さらに深刻な問題として全国のさまざまな街を襲うだろう。そのような意味では我が国におけるオーバーツーリズム最前線である京都の“戦況”は全国が注視すべきものといえる。
朝、寝ぼけながらゴミ袋を片手に玄関を開けると、目の前にまさに「京都の町並み」を撮ろうとしている観光客のカメラと目があったので慌てて戸を閉めた……京都ではしばしば聞く話である。多くの人にとって観光地とは非日常空間であるが、「観光される」京都の住人にとってはそれがまさに日常なのである。
世界各地の観光都市でオーバーツーリズムが問題となっていると述べたが、とくに反観光運動の激しい事例にはある共通点がある。それは歴史のある町並みや市場など、人々の生活の場そのものが観光の対象となってしまっている場所であるということである。地域住民と観光客の動線が重なれば重なるほど、バスや道路、さらには商店など、あらゆる生活インフラの奪い合いとなってしまうのだ。
また、そもそも観光とは関係なく生活している地域住民の暮らし自体が「見せ物」化していくということの問題や不満も無視できない。そして、さらに近年は、地域住民の暮らす住宅地や集合住宅のなかに深く入り込んでいくことでコミュニティーを破壊しかねない民泊の問題なども、各地で観光客と地域住民の関係をより厳しく対立的なものへと変えつつある。
世界的に観光が引き起こす問題に注目が集まる一方で、2020年東京オリンピック・パラリンピック開催をひかえた政府は「観光ビジョン実現プログラム2019」を策定、20年度の訪日外国人旅行者数の目標を4000万人とした。さらに30年には現在のほぼ倍である6000万人と見込んでいる。
いま京都が直面している問題は、オリンピック開催地である東京を含め今後さらに深刻な問題として全国のさまざまな街を襲うだろう。そのような意味では我が国におけるオーバーツーリズム最前線である京都の“戦況”は全国が注視すべきものといえる。
ITmedia ビジネスオンライン
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