2019年11月27日水曜日

女子高生2人が「生理タブー」をぶっ飛ばすゲームを作るまで

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191127-00068682-gendaibiz-soci
11/27(水)、ヤフーニュースより
ゲームの名は、「タンポン・ラン」
 10月19日が生理の日になった。

 2019年10月19日、ニューヨークのNPO団体「PERIOD」が、生理の平等化を目指して「National Period Day(生理の日)」を制定した。ニューヨーク市はこれに合わせ、全ての公立学校の生徒にタンポンとナプキンを無償提供すると発表した。生理がタブー視されていたためにこれまで顧みられなかった、生理用品を入手できずに学業に支障をきたしていた生徒を救うためだ。

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 「生理の日」制定に先駆けること4年、ニューヨークの公立高校に通っていた二人の女子が、生理のタブー視を風刺する「タンポン・ラン」なるゲームを作成し、バズったことがある。

 二人の名はソフィー・ハウザーとアンドレア・ゴンザレス(以下、ソフィーとアンディ)。彼女たちは大学進学後に、当時のことを振り返る『ガール・コード プログラミングで世界を変えた女子高生二人のほんとうのお話』(拙訳、Pヴァイン)を自ら執筆した。

 少女たちが性別ゆえに直面する問題をプログラミングと自分の言葉で提起し、ITの世界に飛び込んで成長していく本書は、生理タブーの問題のみならず、現代日本においても絡まりに絡まったジェンダーの問題をときほぐすヒントがたくさん詰まっている。
アンディが苦しんだ、ハイパーセクシャライゼーション
 アンディはゲーム好きの少女だ。幼い頃、日本の格闘ゲーム『鉄拳』でいとこたちと競い合う機会がたびたびあった。ゲーム自体は楽しかったが、アンディを悩ませたのはキャラ選びである。同性のキャラは性的特徴があからさまで、少女には気恥ずかしいものばかりだったのだ。

 (……)どのキャラクターも私の見た目とはかけ離れていた。つまり、当時私はまだ子供で、画面上の巨乳で目の大きい、長い足の女性には似ていないと思ったのだ。
いろいろなゲームをプレイしたけれど、そこで見た女性キャラクターはことごとく私とかけ離れていて、言葉遣いも動きも違う。女性キャラクターは、私の知るどんな女の子にも似ていなかった。(……)私はもっと自分にふさわしい女性キャラクターでゲームを作りたいと夢見ていた。
『ガール・コード』p68

 アジア系の家に生まれ、足を閉じて座りなさい、ブラのストラップが見えるのははしたない、歩き方が女らしくないと叱られて育ったアンディにとって、「女」であることは居心地の悪いことだった。ゲームの中で女性の性的特徴が強調されればされるほど、お前の体はいやらしいのだから慎ましくしなさいという規範に閉じ込められてしまう。

 ゲームの女子キャラが過度に性的に描かれがちであることを、アンディは”hypersexualization”(ハイパーセクシャライゼーション)という言葉で表現している。アメリカ心理学会の定義によれば、セクシャライゼーションとは「人を性的対象として扱い、身体的特徴とセクシーさの観点から評価すること」である。そこにhyperがつくのだから、それが過剰だということだ。

 欧米では近年、社会問題として議論が深まっているテーマでもある(2018年には「子供のセクシャライゼーション(性的対象化)」を理由として、とある日本製ゲームがイギリスで販売禁止となっている)。

 懸念されているのは、女の子がこうした表現を幼い頃から目にして育つことで、まだ自分のセクシュアリティが育たないうちから自身を性的対象としてジャッジするようになってしまうことだ。性欲を満たすために誇張された身体と自身を引き比べ、かけ離れた自分に自信を失ったり、あるいは自分の体をエロいものとして恥じるようになる。

 さらに誇張された表現に慣れた身近な大人や異性から身体を品評されることで、ますます女の子たちは自尊心を削られていく。多くの先進国で思春期に入った女子の自尊感情が低下し、摂食障害などの発症率があがるのは、こうしたメディアの問題も大きいとされている。

 日本でもそうしたポスターなどがSNSで炎上することが増えてきた。問題が表面化して日が浅いので、対応する日本語がなく「環境型セクハラ」という言葉が使われることもあるが、アンディの言う「ハイパーセクシャライゼーション」という用語のほうが適切ではないかと思う(言いにくいが)。

 ちなみにユニリーバのブランド「ダヴ」が世界14カ国の10~17歳の女性5165人を対象に実施した「少女たちの美と自己肯定感に関する世界調査(2017年)」によれば、日本の10代女子のうち、自分の容姿に「自信がない」と答えた人は93%にものぼる。2位の中国ですら65%で、14か国の平均は54%だから、日本の若い女性の自信のなさは突出している。

 ハイパーセクシャライゼーションが問題視すらされない一方で、若い女性は自我を持たない客体であることが求められ、痴漢に反撃するだけでバッシングされる日本は、特に女の子が自信を奪われやすい国でもある。
プログラミングの力
 『ガール・コード』の話に戻ろう。

 「画面上のバービーみたいな女性キャラクターを目にしては、救われない気持ちになっていた」アンディに希望を与えたのは、あるアニメキャラだった。ディズニー映画『アトランティス 失われた帝国』に登場する少女メカニックである。

 彼女はヒスパニック系の10代女子だが、性的価値を云々されることなく、仕事のスキルだけで評価されている。私も彼女みたいに優秀なエンジニアになりたい。そう考えたアンディは、中学に進学してからプログラミングの勉強を始めた。

 一方ソフィーは、クラスで発表することを考えただけでプレッシャーで泣いてしまうくらい内気な少女だった。そんな彼女に、IT企業で働く兄がプログラミングがいかにすごい力を持つかを教えた。

 ITを介せば、話すのが苦手な自分でもメッセージを他人に伝えることができるのだろうか。ソフィーはプログラミング言語がなんなのかよくわからないまま、女子生徒にコンピュータ・サイエンスの学習機会を与えるNPO団体Girls Who Codeの夏期集中講座に参加を申し込んだ。

 NPO団体Girls Who Codeの公式サイト。トップページにアンディのメッセージが掲載されている。
女の子が「攻撃」を打ち返すためのやり方
 ソフィーにとって幸いだったのは、Girls Who Codeがただプログラミングを教えるだけの団体ではなかったことだ。創設者であるレシュマ・サウジャニの狙いは、「女は理系に向いていない」などの「マイナスイメージの『女の子ってこういうもの』って決めつけ」から女の子を解放することにあった(『Girls Who Code 女の子の未来をひらくプログラミング』鳥井雪訳)。ロールモデルになる女性を講演に呼ぶのもその活動の一つだ。

 ソフィーたちは、講演に訪れた慈善活動家のローラ・アリラガ・アンドリーセンにこう告げられる。「皆さんに自分のスーパーパワーについて考えてもらいます」。

 スーパーパワー。国連気候行動サミットで注目を集めた気候運動活動家のグレタ・トゥーンベリさんも、アスペルガー症候群という自身の障害を「スーパーパワー」と呼んでいる。16歳の少女が世界中の大人たちから投げかけられる中傷を鮮やかに切り返しながら活動を続けられるのも、このスーパーパワーのなせるわざだ。スーパーパワーは単なる長所や個性とも違う。その人をその人たらしめる特別な力、芯のようなものだ。

 女性が攻撃にめげずに自分を打ち出していきたいなら、スーパーパワーを自覚しておく必要がある。芯となるものがなければ、自己肯定感が「どう見られるか」だけに左右されてしまうからだ。

 ローラは女子生徒たちを次々と指し、自分のスーパーパワーを見つけるように促した。当然ソフィーは、当てられないように願うばかり。ローラは女子生徒たちに発表させる際、こんな指示を出した。「胸を張り、両足でしっかり立って、あごを上げ、手を高く上げ、声を張って」。

 魔法のようだった。ローラの忠告に従うと、誰もが大きな自信と力を持っているように見えるのだ。ソフィーもその勢いに飲まれ、自分のスーパーパワーを探して口にする。すると不思議なことに自らを誇りに思う心が芽生え、欠点ばかり見つめて自信を無くしていた自分を客観視できるようになった。
生理とセクシャライゼーションの関係
 アンディがGirls Who Codeの最終課題で、ゲームにおける女性のハイパーセクシャライゼーションの問題に取り組みたいと提案したとき、ペアの相手として真っ先に名乗りをあげたのはソフィーだった。

 実のところソフィーはゲームに疎いので、ハイパーセクシャライゼーションの話題はいまいちピンとこない。けれどもゲームを通じて社会的メッセージを伝えようとするアンディに共感をおぼえた。

 二人は相談の末、生理がタブー視されていることを風刺するゲームを作ることに決めた。ハイパーセクシャライゼーションと生理のタブー視は、一見無関係のように思える。しかしセクシャライゼーションが常態化していると、生理や下着といった女性のありのままの身体に絡むものさえ性的なものとしてタブー視されることがままある。

 ニューヨーク発の生理用下着ブランド「シンクス(THINX)」の地下鉄広告が、挑発的すぎるとして修正指示を出された2015年の事例が典型的だ。THINX社のCEOは、「生理(PERIODS)」という言葉が問題視されたと語っている。豊胸手術の広告は地下鉄構内でおおっぴらに掲示されているにもかかわらず、だ。

 この件について、ソフィーは本書の中でこう記している。「月経と女性の身体を肯定する広告は不適切だとみなされるが、自分の身体を非現実的な社会規範に合わせるよう女性にけしかける広告はまったく問題ないとされる」。生理用品がトイレットペーパーと同じく生活必需品に過ぎない女性から見れば、まったく不条理な話である。

 そしてこの不条理は、宗教や貧困が絡むとより深刻な問題となる。2015年の英『ガーディアン』紙の記事によれば、インドに住む女子の23%は初潮を迎えると学校を中退する。生理中の女性は隔離され、試験が受けられないからだ。ネパールの一部地域では、生理中の女性は泥や岩でできた狭い小屋の中で過ごすことを強いられる。

 隔離中に凍死したり、暖をとるためのたき火で窒息死したり、蛇にかまれたりなどの理由で命を落とすこともしばしばだ。米国においても、貧困層の女性の多くが生理用品を購入できず、ボロ布や段ボールなどの不衛生な代替品でしのいでいることが近年報じられている。
主体的なセックスアピールと「客体化」の違い
 アンディとソフィーが作ろうとしたのは、銃を撃つ代わりにタンポンを敵に向かって投げるシューティングゲームだった。それがどのような意義をもつのかについては、当時のソフィーが書いた文章に過不足なく記されている(これは「タンポン・ラン」でプレイ前に表示される文章である)。

 月経をとりまくタブーは、正常で自然な身体機能を、女性たちに恥ずかしく下品なことだと刷り込む。私たちのゲームは、わかりやすい方法で月経タブーについて議論する一つの手段である。ゲームの主人公は銃を持つ代わりに、タンポンを持つ。敵を撃つ代わりに、敵にタンポンを投げつける。このゲームのコンセプトは奇妙かもしれないが、より奇妙なのは、社会がゲームを通じて銃と暴力を普通のことだと受け入れているのに、いまだにタンポンと月経を口に上せるのもはばかられる話題だと見ていることだ。少なくとも月経が社会における銃と暴力と同じくらいに普通のことになることを望む。なんのためらいもなくゲームで扱うことができるくらい。
『ガール・コード』p89

 女子高生がこのような論理的なマニフェストをすらすらと書けてしまうところに驚くが、彼女たちがすごいのは、1週間でこの言葉通りのゲームを完成させたことだ。「タンポン・ラン」は、ウェブ公開されるやすぐにメディアで話題になった。好意的な反応が多かったが、時には攻撃を受けることもあった。

 ラジオ番組にゲスト出演したときのことだ。ハイパーセクシャライゼーションの話題を出したアンディは、60代の白人男性DJにこう問われる。「ビヨンセはトチ狂って裸同然の格好であちこちでお尻をふってるだろ。彼女は超・性的対象化されてるよね。そして彼女は意図的にそれをやっている。どうしてみんなそれを称賛するんだい?」

 真っ先に口を開いたのはソフィーだった。

 「思うに、ビヨンセはそれを意図的にやってるからです」

 アンディも割って入った。

 「ビヨンセは自身のセクシュアリティを主張することで、自分を力づけ、自分の体を自分のものにしています」

 自分の身体を主体的にアピールすることと、他人の身体を客体化するのは異なるが、セクシャライゼーションに慣れた目に両者の区別は困難だ。結局アンディの言い分は伝わらず、コンドームに穴をあけて女を妊娠させる「コンドーム・ファイト」というゲームをつくりなよ、というDJのセクハラ発言にあぜんとしたまま、二人の出番は終了する。

 二人が落ち込んだのは言うまでもない。しかし訳者としては、高校生の二人が主体と客体の違いを認識し、即座に理詰めで言い返せることに感心してしまう。彼女たちがそうふるまえるのも、意見をはっきり言う女子を温かく見守る人は攻撃者よりはるかに多いことを、Girls Who Codeで認識できたおかげだろう。

 事実、女子高生フェミニスト二人組はIT業界で引っ張りだこになった。インターンにハッカソン、有名IT企業との共同開発。プログラミングを通じてスーパーパワーを獲得した彼女たちは、自信のなさを克服し、自分を打ち出して大人たちから祝福を受ける。

 生理をタブー視する社会は、生身の女性そのものが肯定されない社会でもある。安価で高性能な生理用品が普及している点において、日本はとても恵まれた国ではあるが、反面生理に対するタブー視は健在で、正確な知識が浸透しているとはいいがたい。生身の自分を隠すよう強いられた女の子はやがて自己肯定感の低い母親になり、子供にもそれは伝播する。

 自己肯定感の低さを埋め合わせるために人々が見下しやすい存在を探して攻撃するような世界は、誰にとっても生きづらい。

 「女に技術や自信を持たせたって生意気になるだけ」という人こそ、『ガール・コード』を読んでもらいたい。社会について考え、新しい技術を学び、自尊心を持ち、思ったことを堂々と口にする少女たちに、何かしら感化されるところがあるはずだ。
堀越 英美

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