2019年11月27日水曜日

まるで戦場「香港の大学」でその時何が起きたか

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191121-00315209-toyo-bus_all
11/21(木)、ヤフーニュースより
 2019年6月の逃亡犯条例に端を発したデモは、普通選挙の実現を求める民主化運動に発展。落としどころがまったく見えないうえに、10月4日に緊急状況規則条例(緊急条例)で制定された「覆面禁止法」(18日に香港高等法院で違憲判決)も過激化に輪をかけた。

 さらに11月4日午前、デモに参加していたとみられる香港科技大学のアレックス・チョウ氏が立体駐車場の3階部分から2階へ転落し、意識不明の重体に陥る。チョウ氏は、そのまま8日に病院で息を引き取った。「香港警察が発射した催涙弾を避けようとして転落した」「警察が救急車の進路を妨害したせいで、救助が20分遅れた」などの情報が飛び交い、11日からは抗議活動がいっそう過激化。
■帰国を決める留学生

 これまでは、抗議活動のほとんどが夜間や祝日、休日に開催されていたが、11日の月曜早朝から香港全土で交通妨害が呼びかけられ、通勤客を直撃した。

 さらに同日早朝には、日本人も多く住居を構える西湾河(サイワンホー)で、警察が丸腰のデモ隊とみられる若者に発砲。被弾した際の動画が香港メディアのFacebookページやTwitterで回覧され、デモ隊の怒りに火を注ぐ。香港全土が大混乱に陥った。
 香港内の大学も、次々とデモ隊の拠点になっている。11月13日には香港中文大学で警察とデモ隊が激しく衝突し、18日には香港屈指の繁華街、尖沙咀(チムサアチョイ)にある香港理工大学に警官隊が突入し、戦場と化した。中でも香港中文大学は大学内に寮があるため、学生達にとって生活の場そのもの。中文大に通う日本人留学生約50人のうち、大多数が帰国を決めた。

 しかし、そんな中で香港に残り、研究を続けようとする若者がいる。同大学院博士課程で移民研究を行い、人類学の講義も受け持つ石井大智(いしい だいち)さん(23)だ。なぜ香港に残るのか。移民研究者として今の香港をどう見ているのか。香港在住の筆者が11月15日、今学期中の休校を決めた大学から避難している最中の石井さんに聞いた。
――まず、率直に現在の心境を教えてください。

 率直に言って、大きなショックを受けています。私にとって大学は働き、学び、住まうすべての場所。そこがシャットダウンされることは非常に悲しい。肉体的にも、精神的にもきついものがあります。

 私だけではなく、多くの研究者が居場所を失うことになる。今こそ、言論が必要とされている時だと思う。こういう時だからこそ、われわれが何かを発言できる場所がなくなってしまうことはとても(損失が)大きい。
 ――警官隊の突入は「大学の自治」を侵害しているという批判もあります。

 現在は公立大学という位置づけで、政府の支援を受けて運営されているとしても、香港の大学内は必ずしも「公有地」ではないです。私が所属している香港中文大学も、もともとはいくつかの異なる私立の単科学校が統合されてできたもので、最初から公立だったわけではないからです。

 大学の敷地が公有地でないとすれば、突入には捜査令状が必要です。しかし私の知る限り、令状はなかった。そうだとすると、それを正当化できる差し迫った事情が必要だったということになります。
■中文大学での衝突のきっかけ

 ――そもそも、香港中文大学で大規模な衝突が起きたきっかけは何だったのでしょうか。

 中文大はメインとなるキャンパスから、MTR(香港最大の鉄道路線)と高速道路をまたいで海側にもキャンパスがあり、その間は橋でつながっています。その橋の上から、デモ隊が線路や道路に向かって物を落としていた。それで警察がやってきたのではないか、というのが私の今のところの理解ですが、さまざまな説があるのでこれが正しいとは言い切れません。
 ――大学を占拠しているのは、その大学に通う学生達なのでしょうか。

 そうとは限りません。これも正確な数字を測るすべはありませんが、私の感覚では中文大を占拠したデモ隊のうち、中文大生は半数くらい。残りは中高生やそもそも学生ではない人、他大学の人たちという感触です。香港理工大学は中文大とは異なり、学内に寮がありません。そのため、私の感触では在校生の割合はもっと下がり、1割程度ではないでしょうか。

 ――中文大が拠点になったばかりに、逆にデモに巻き込まれた学生もいた? 
 私はこれまでに、相当な数のデモの現場に出かけています。中文大内に作られたバリケードは非常に作りが甘いものもあり、街中でいわゆる「勇武派」が作ったものとは程遠いものもあった。中文大のキャンパスと外部をつなぐ2箇所の橋は警官隊によって塞がれてしまいました。普段は暴力的なデモに参加し慣れていない学生たちが、目と鼻の先でデモが行われているため応援に出て行って、巻き込まれた可能性は十分に考えられます。

 ――これまで「デモの主体は学生」「勇武派は香港の現状に不満がある、貧しい若者たち」という報道もなされてきました。
 そうとは限りません。勇武派の中にもいわゆる有名大学の在校生もいますし、若い女性たちもいます。中文大の衝突現場でも、10代後半か、せいぜい20代前半に見える女性がせっせと火炎瓶を作っているのを目にしました。デモ参加者の層も広がってきています。「香港人が」「デモ隊が」という主語で物事を語ろうとしても、その当事者は誰なのか、定義するのが極めて難しくなっています。

■肥大した主語が陰謀論を招く

 ――香港のデモはなぜここまで過激化したと思いますか。
 日本とは異なる社会構造が一因だと思います。香港には日本のような普通選挙制度がありません。政府への不満は、最後にはデモで訴えるしかないということになる。そしてその延長線上に、今の暴力的にも見える行為があるのではないでしょうか。人々が政治に参加できる手段が整えられていない。だからこそ、みんなが冷静さを失い、社会全体が巻き込まれていく。

 メディアの映し方も一因だと思います。どうしても、自己の主張に合う過激な面を描いてしまう。やはりそうなると、社会全体で長期的な目線で議論をすることはできなくなってしまいますね。
 とくに香港にいて感じるのは、香港のメディアと日本のメディアは、事実の切り出し方から異なります。香港では、デモ隊の呼称1つとっても、あるメディアが「英雄」として称える一方で、別のメディアは「ゴキブリ」と呼んだりする。事実が一部分だけ切り取られていたり、歪曲されていたりすることも珍しくありません。

 日本の朝日新聞産経新聞の違いなんて、比ではありませんよ。自分が普段どのメディアを見ているかによって、政治的立ち位置がおのずと変わってきてしまいます。認識している情報もまったく違うために、そもそも議論のスタート地点に立てないわけですね。
 しかしこれは、自分自身にも言えることで、私も自身のイデオロギーから逃れることはできません。どれだけまっさらになって考えようとしても、私自身は、人権や自由といった、ある種「西側的」とも言える価値観が思考の前提からなくなることはありません。

 ――デモに参加している同年代の若者たちに何か言いたいことは。

 正直なところ、彼らにどんな言葉をかければいいのか、彼らをどう理解すべきなのかわかっていません。デモが過激化してしまったことに対して「政府や警察に責任がないわけがない」という考え方もよく分かる。一方で、このまま過激なデモを続けても、当初目指していたものは得られるのか。どこかで立ち止まらないといけないと思うわけです。
 ――「香港人ではないからそのようなことが言える」という意見にはどう反論しますか。

 「香港人」とはいったい誰のことを指すのでしょうか。例えば私が香港で移民研究をしてきた中で「エスニックマイノリティ」(ある地域・社会の少数民族)と言われる人たちとの出会いがありました。それこそインド人やネパール人の中には、多数派である中華系の香港人の両親や、その祖父母が香港に移民する前から香港に住んでいる、という人たちもいます。でも彼らはずっと、香港の政治や社会から排除され続けてきました。
 理由は簡単で、まず言語の問題。広東語ができないと、香港の政治を理解することは難しい。昔はアパルトヘイト政策みたいに、マイノリティーが行く学校とそれ以外の人たちが行く学校も実質分けられていました。そうすると、おのずと大学進学率にも差が出てきてしまう。

 今回、デモが起こって、彼らの生活にも初めて影響が出たり、彼ら自身もデモに参加したりして、政治に関心を持つきっかけになった。では、彼らは今まで「香港人」ではなかったのか。
 ここ数十年で構築された「香港」という極めてあいまいなアイデンティティーに乗っかって、他者を排除するというのは、逆に自分がいかに社会的に構築されたものの一部か、ということの証明にもなってしまうのではないでしょうか。

■小さな主語で物事を見なければならない

 われわれはもっと小さな主語で物事を見ていかないといけない。今回のデモは巻き込む人数や組織が非常に多く、社会にも大きな影響を与えています。でもだからこそ、大きな主語で語ることは何の意味もないかもしれないと感じます。

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