Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/54255c1a9e53b0cc693ad0029665459a7417588d
【&M連載】国境なき衣食住
国境なき医師団(MSF)の活動現場では、日本では当たり前のような生活が送れるとは限らず、環境にあわせた適応能力や柔軟性が必要になってくる。バックパッカーの旅を経験したことがある人ならば、MSFの派遣先の宿舎がどんな環境であるか想像がつきやすいかもしれない。質素な環境でトイレやシャワー、キッチンをシェアしながらチームのみんなで共同生活するところが多く、バックパッカーが旅先で利用するゲストハウスなどが似ているのではないか。 【画像】もっと写真を見る(11枚) その中で毎回覚悟を決めなくてはいけないのが虫だ。自室にゴキブリなど当たり前の世界である。虫ではないが、イモリ、ヤモリも当然。虫が苦手なようでは人道援助など務まらないという人もいるかもしれないが、私にとってはこれら虫こそが派遣中の最大の敵であり、毎回その戦いには泣かされている。
布団をかぶって眠りに集中
現地では、虫が媒介する感染症が存在することがあるため、虫よけスプレーを皮膚に噴霧して虫刺されから防御しなくてはならない。しかし蚊などと違って虫よけスプレーでも防御できないのが布団に潜むダニだ。気づいたらかまれた跡が身体中に数百ほどに及ぶこともあり、気が狂うほどにかゆい。 初回に派遣されたスリランカでは皮膚をかきすぎてアレルギー化し、注射や点滴を何度か繰り返すはめとなってしまった。なぜかダニに悩まされるスタッフは少なく、被害に遭うのはチームの中ではいつも私のみ、または少人数のみという不思議な現象もある。体質なのかたまたまなのかは分からないが、布団を干したり、傷にひたすらかゆみ止めやステロイド軟膏(なんこう)を塗ったりしながら戦っている。 スリランカの宿舎では、ダニに悩まされただけではなく、実はネズミが私の部屋に出没し、目が覚めて気づいてしまった時にはベッドの上で極めて精神の安定に努め、頭から布団をかぶって再び眠りにつく事に集中するしかなかった。この時はひたすら我慢しながら8カ月の派遣を乗り切った。
テントを選ばなかった理由
私にとって身の毛もよだつ経験をしたのは、2015年のネパール派遣だ。大絶景のヒマラヤ山脈に囲まれた活動だった。この年ネパールではマグニチュード7.8の大地震が発生し、地割れの発生や仏塔など歴史的建造物を含む多くの建物が倒壊した。首都のカトマンズや周辺地域にはたくさんの救援チームが世界中から集まっていたため、私たちは医療援助が届いていない場所に絞って活動した。 調査の結果、多くの家屋とともにその地域にある唯一の診療所が崩壊し、かついかなる援助も届いていない山岳地帯を探り出した。さっそくテント病院を高原の花々とその頭上をひらひらと舞う蝶々(ちょうちょう)たちに囲まれた大きな野原に緊急で立ち上げ、患者の対応にあたった。 この時の私たちの寝床は、テントでの野営か半壊したホテルかの二者択一だった。 夜は満天の星の下でのテント生活を選択するスタッフも多かったが、私はそれだけはできない理由を到着早々見つけてしまった。それは、花や蝶とともに大自然の中に存在する毛虫の存在だ。 毛虫はどうしても無理だったので、ネパールでは半壊したホテルで夜を過ごすほうを選んだ。ホテルでは毎度定番のダニに襲われ、電気がなくシャワーを浴びる時でさえヘッドライトが不可欠であったが、毛虫に比べるとかわいい問題だった。 後に、その時に一緒に活動をしていた別のスタッフに聞いたところ、毛虫はそんなにいなかったという話だが、あまりの拒絶反応から私の脳内では実際の10倍以上、つまり大量に発生していたと認識されてしまったのかもしれない。 中には虫など気にもせず、どこであっても寝ることのできるチームメンバーたちもいる。私にとってはとてもカッコよく映り、自分もそのようになれたらMSFの派遣生活がどんなに楽になるだろうと思っている。
ヘビ、サソリも 履物に目を配る
ところで遭遇するのは虫だけではない。2014年の南スーダンでの活動中に予期せぬ戦闘が始まってしまい、緊急避難をして野外でのテント生活を強いられてしまった。もうもはや何が出没するのか分からない状況だった。ある夜、寝ている私の身体にもぞもぞと動く弾力のあるものを感じ取り、恐怖で凍り付いた。その正体は世間的には可愛いと言われているハリネズミだったが、何が相手であれ、睡眠中はせめて安心・快適さを確保すべく、とにかく蚊帳(かや)に隙間ができないよう徹底することを決意した。 サソリを一度シリアで目にしたことがある。当時、気を向けなくてはいけなかったのは非常に厳しいセキュリティと、その中で行う医療活動であり、それだけでも脳内が満杯であるのに、その上サソリなどという日本人の私にとっては未経験の生物が現れたところで気に留める余裕などない。見なかったことにしておくというのも一つの戦法ではあるが、サソリの潜入防止のために靴をやめサンダルに変えた。 ところが履物は必ず靴にしなくてはならないと指示される場所もある。ヘビ対策のためだ。毒ヘビにかまれることは命にかかわる深刻な問題で、MSFの救急現場では珍しいケースとは言えない。そしてヘビと言えば、南スーダンにインフラづくりや安全管理などを担当するロジスティシャンとして派遣されていた人から、「コブラ退治係」の話をつい最近聞かされた。 そのプロジェクトでは、コブラが出没したら、その退治係たちが鉄パイプでやっつけるらしい。それが伝統的な方法なのか、実際に正しい方法なのかは完全に私の知識外の話であるが、そういえば、スリランカでも病院内にコブラが出没したことがあり、掃除係の若い男の子たちが長い棒を持ってすごい勢いで追いかけ回す姿を覚えている。
想像しがたい紛争地の世界
「紛争地は怖くはないのですか?」メディア取材や講演などで幾度となく受けてきた質問だ。いや、もう本当に怖い、虫が。 紛争地で活動をしていたというと「怖いもの知らず」「最強人間」などというイメージが定着してしまうようだ。私は全く特別な人間ではなく、平凡な人間だ。やや田舎にある普通の家庭で育ち、学生時代は低めの成績をキープしながら職業に看護師を選んだ。その延長線上で国際NGO、MSFに参加し、医療が足りていない地域に派遣され医療活動をしてきた。 ふだん、何げないやり取りをしていても、「がさつな人かと思っていましたが、ちゃんと気配りができるのですね」とか、「もっと怖い人かと思っていましたが普通でした」などと言われることもある。紛争地での活動経験があるというだけで、いたって普通のふるまいが意外だと映るらしい。 他にも私が小柄であることや、特別に身体を鍛えているわけでもない事が人々の予想に反し、はっきりと「サイボーグのような不死身の女子を想像していた」と言われたこともある。看護活動には体格や格闘技経験の有無は一切関係ないのだが、今の日本では「紛争地」がいかに想像しがたい世界かという事だろう。
みんな虫は大丈夫だろうか……
6月に鹿児島県のある離島を訪れる機会があり、約2週間、滞在した。その島での唯一の診療所に招待され、訪問診療やヘリ搬送での本島との連携など、離島ならではの医療を大いに勉強させて頂いた。ここには1カ月の研修に来ている「初期研修医」がいて、宿泊先が一緒だったので話す機会が多かった。 以下は、本島からやってきたその研修医から聞いた話である。それは、離島の診療所での新型コロナワクチンの接種日の出来事だった。洋服の袖を肩までまくり上げていた患者の腕と今まさに向き合いながら、ワクチンが注入された注射器を手に取り、さぁこれから注射をするぞという時に、そばにいた看護師が「先生ストップ! 動かないで!」と声を張り上げたらしい。 そして、看護師はびっくりしてフリーズした研修医の背中をバシッとたたいた。一匹のムカデが彼の背中にはっていた。退治は素手で行われたのか、何か新聞紙などを使ったのかは聞きそびれてしまったが、大変たくましい看護師がいるもんだ。現在MSFの日本事務局にて、現地で通用する海外派遣スタッフを採用している身としては「ぜひヘッドハンティングしたい」と感心した。 私の元には「国際協力がしたいです!」「人道援助を目指しています!」。こんな将来の夢をはつらつと語ってくれる若者たちからの相談がよく届く。キャリアや経験などについて、真面目な答えを提供する一方で、その前にみんな虫は大丈夫だろうか……、とつい心配をしてしまう。私のように現地に行ってから毎回泣いて戦うことにならぬよう、虫の克服も人道援助をするうえで大切な項目だと個人的に伝授しておきたい。 ■著者プロフィール 白川優子 国境なき医師団(MSF)手術室看護師 1973年埼玉県出身。高校卒業後、坂戸鶴ヶ島医師会立看護専門学校に入学、卒業後は埼玉県内の病院で外科、手術室、産婦人科を中心に約7年間看護師として勤務。2006年にオーストラリアン・カソリック大学看護学部を卒業。その後約4年間、メルボルンの医療機関で外科や手術室を中心に看護師として勤務。2010年よりMSFに参加し、スリランカ、パキスタン、シリア、イエメンなど9か国で17回の活動に参加してきた。現在はMSF日本事務局にて海外派遣スタッフの採用を担当。著書に『紛争地の看護師』(小学館)。
朝日新聞社
0 件のコメント:
コメントを投稿