2019年12月4日水曜日

第4報:香港デモが生んだ「分断」と「包摂」~日本人研究者の報告

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191201-56953299-business-cn
12/1(日)、ヤフーニュースより

9割弱の議席を確保。11月24日に実施された香港区議会選挙は民主派の地滑り的な圧勝に終わった。だが、投票内容を分析すると民主派と親中派に議席数ほどの差は見られないことがわかる。長引く抗議活動で香港の「分断」ばかりが強調されがちだが、実はこれまで排除されてきたエスニックマイノリティーを「融和」する役割も果たしていた。香港中文大に在籍する若手日本人研究者、石井大智氏による現地緊急リポート第4弾。

【関連画像】何者かによって中国国旗が香港の抗議活動を支持するメッセージの上に貼られている(香港大学にて。写真は筆者)

第1報は下記関連記事、「今、香港中文大学で起きていること~日本人研究者が学内から緊急報告」

第2報は下記関連記事、「続報:香港の大学で何が起きているのか~日本人研究者の緊急報告」

第3報は下記関連記事、「第3報:香港デモは区議選挙でどう変わる~日本人研究者の緊急報告」


 11月24日に実施された香港の区議会選挙で、民主派が圧倒的な勝利をおさめた。区議会選挙で争われた452議席のうち建制派(親中派)の獲得議席はわずか59。民主派など非建制派が獲得した議席は393議席で全体の9割弱に及んだ。

●親中派にとっては「民意」が反映されなかった

 しかし実は、建制派は得票数の4割を獲得している。小選挙区のもと建制派は多くの死票を抱えることとなり、結果として票数の割合ほどの議席数を獲得できなかったのである。香港や日本などでは「香港の区議会選挙は民意が反映された」と報道されることが多いが、一部の親中派から「得票数と議席数が乖離(かいり)しており、民意を反映できていない」という主張も出ている。前回の香港の区議会選挙では民主派は4割の票数に対し3割程度の議席しか得られなかった。それでも4割の票数で1割強しか議席を得られなかった今回の建制派に比べれば死票の割合は少なかったはずだ。

 香港の区議会選挙では民主派、建制派ともに候補者を一本化していない選挙区が多いが、民主派なら所属政党よりも「泛民区選聯盟」に推薦された候補者に投票される傾向がある。したがって香港の区議会選挙の構図は事実上の二大政党制に近い。今回の選挙区では両者が接戦だったところが多く、なおさら死票が出やすかった。例えば石硤尾選挙区では民主派候補が建制派候補に10票差で勝利。逆に屏山北選挙区では現役の建制派候補が民主派候補にわずか2票差で勝利している。

 私は前回の記事で香港の区議会選挙は世論調査の役割も果たすと書いた。世論調査として見れば、相対的に非建制派が建制派を上回っていることは間違いないが、議席数ほどの圧倒的な差があったわけではない。一致しない世論の中、香港の分断がこれからも続いていくであろうことを示唆している。
分裂していく香港社会
 香港社会では今回の抗議活動を通して、様々な局面で分断が深まってきた。抗議活動に好意的な意見の多く貼られている「レノン・ウォール」を破壊している人を、何度も見たことがある。道路上で抗議活動について言い争っている人もよく見た。

 大学でも分断が生じている。私が所属する香港中文大学では、中央政府に批判的な姿勢で友人と話していた大陸人学生が他の大陸人学生に殴られた。香港人学生が、寮の部屋の窓から中国国旗を掲げた大陸人学生の部屋を荒らす事件もあった。普段でさえ中国本土出身の学生と香港人学生との間には溝があった。それはさらに広がり、今ではお互いを敵対視する学生も多くいるだろう。世界各国の大学でも、中国本土出身の学生と、香港の抗議活動を応援する学生との対立が生じていると報じられている。

 分断は香港の家庭の中にも入り込んでいる。香港は若年層のテレビ・新聞離れが日本より深刻だ。若年層は民主派に好意的なインターネット上のニュースを参照する一方、高年齢層は政府寄りのテレビや新聞を情報源とすることが多く、触れているニュースが世代によって大きく異なる。また日本は比較的中立的なスタンスに立つメディアが多いが、香港はメディアによって何をどの立場でどう伝えるのかがハッキリしている。それぞれが議論の前提としている情報が大きく異なるために、家族の中でも政治的思想が極端に違うということが発生しがちなのだ。

 「新移民」の家庭では、こうした分断が特に生じやすい。新移民とは近年、中国本土から香港に移民してきた人々を指す言葉だ。両親は大陸で教育を終えてから香港にやってきたが、子どもは幼い頃から香港に住み「香港人」としてのアイデンティティーを持っているケースが多い。両親は自然と政府寄りになるが子どもは抗議活動に好意的になり、家庭で言い争いが絶えないことになる。子どもが家出をして、両親との連絡を絶ってしまうケースも多く見聞きした。両親も子どもも香港では新移民として時に差別を受ける存在だ。それなのに、彼らは分断されてしまうのだ。

 もっとも、分断が可視化されているうちはまだマシなのかもしれない。最近は、人間関係の悪化を恐れて、抗議活動や政治について話すのをやめる人や、職場でそういう話をしてはいけないと上司に言われたという話をよく聞く。あるインターナショナルスクールでは、抗議活動を通して香港人と大陸人の高校生が対立し、大陸人のグループは普通話(中国の標準語。香港は一般に広東語が使用される)でしか話さなくなったという。

 私は、このように分断が隠されるようになると、実は分断はさらに進むのではないかと感じている。今、香港では政治思想のラベリングが進んでいる。例えば「青」と言えば政府・警察支持者を指し、「黄」は抗議者の支持者を示す。そして誰が青色で、誰が黄色なのかと日々噂しているわけである。ただし、当たり前のことだが「青」の中にも抗議者に対して同情的な人もいるし、「黄」の中にも暴力的な抗議活動には部分的にしか賛成しないという人もいる。ビジネスをしていくために「青」を支持するしかない人もいる。

 考え方の詳細を話し合うことなく、自分と異なる色と判断した人物については対話不可能と判断し、自分の世界から「排除」してしまう傾向が加速している。意見の異なる人が対話を避けるようになれば、互いの言い分がさらに理解できなくなる。これが現在、香港の人たちの分断が深刻化する構造の一つなのではないかと感じる。
「融和」ももたらした抗議活動
 ただし、香港の抗議活動がもたらしたのは分断だけではない。実は、多くの「融和」ももたらしている点は指摘しておきたい。

 代表例が香港のエスニックマイノリティーだ。香港はかつて英国の植民地だったことから、インド系、パキスタン系、ネパール系など多くのエスニックマイノリティーが香港で生まれ、生活している。大多数の住民が中華系である香港において、彼らは長年差別されてきた存在だった。だが、今回の抗議活動を通して彼らへの見方が変わろうとしている。

 香港民間人権陣線(民陣)の召集人である岑子傑(Jimmy Sham)氏は、10月16日夜に南アジア系の男たちに囲まれて路上で襲われ大量出血した。民陣は香港で多くの大規模なデモを主催してきた組織で、岑氏は一部の親中派の人々にかなり疎まれており、それ以前にも数度襲われている。民主派議員として今回の区議会選挙で沙田区から当選している。

 当時は親中的だと見なされた店舗が、過激な抗議者に破壊されるケースが多くあった。そのために岑氏が襲われた際には襲撃犯と伝えられた南アジア系の人が多く集まる店舗やビル、宗教施設などが抗議活動の次の標的になるのではないかと危惧された。しかし、インターネット上でエスニックマイノリティーに関する施設を襲わないよう呼びかけられる。香港のムスリムの協会による「私たちは香港の人々と共にいる」という声明もあって、エスニックマイノリティーたちがその日の夜に被害を受けることはなかった。

 翌10月17日にはエスニックマイノリティーが多く集まる尖沙咀で平和的なデモが行われた。エスニックマイノリティーが集まることで有名な重慶大厦(チョンキンマンション)では、エスニックマイノリティーによってペットボトルの水が配布され、地元メディアで大きく報道された。これはエスニックマイノリティー初のソーシャルワーカーとなったインド系香港人の企画だ。彼は普段からNGOで香港の難民保護に取り組むなどの活動をしており、これ以前にもエスニックマイノリティーを集めて逃亡犯条例改正案への抗議活動に参加してきた。

 こうして抗議者からの好感を得たエスニックマイノリティーが「香港人」の一員として認められるチャンスを得た同じ日、警察がモスクに放水する事件が起きた。警察が抗議活動参加者を識別して逮捕するために、放水車から落ちにくい青色のインクが含まれた水を浴びせ、モスクが汚れてしまった。当時モスクの前には抗議者がいたわけではなく警察がどういう意図で放水したのか明らかではないが、後の記者会見で警察は、放水はミスによるものと認めている。抗議者はインターネット上でこの警察の行動を激しく非難するとともにエスニックマイノリティーに同情的な態度を取るようになる。

 この日を境に、次々に香港の若者が重慶大厦をはじめとするエスニックマイノリティーの店にやってくるようになった。筆者はかつて重慶大厦で難民支援を行うNGO(非政府組織)のスタッフとして働いていたが、当時は重慶大厦は香港人にとって危ない場所というイメージがあり若者が近づく場所ではなかった。しかし、急に多くの若者がカレーをはじめインド料理・パキスタン料理などを食べにくるようになったのだ。エスニックマイノリティーもこれを自らへのイメージを変えるまたとないチャンスとして自分たちを知ってもらうためのツアーを実施し、多くの若者が参加したそうだ。抗議活動は香港におけるエスニックマイノリティーへの印象を大きく変え、彼らは自らを「香港人」として認めてもらうための大きな前進を果たせたわけである。
インターナショナルスクールに通う、新移民の女子生徒の例も紹介したい。彼女の両親は大陸出身者で、彼女はインターナショナルスクールにしか通った経験がなく、英語と普通話しか話すことができない。去年までは学内の香港人に距離を感じていた。しかし、彼女が抗議活動の話をするようになると広東語を話す他の香港人の学生は彼女が自分たちと似たような思想を持っていることに気づき始め、彼女を「香港人」として見るようになったという。その学校で自分の出身地に関する文化イベントの企画をしていた時、昨年まではチーム編成上で自身が大陸人として扱われていたのに今年になって香港人として扱われるようになったという。

 これらは「青」と「黄」のラベリングの分断による「排除」の例とは反対に、抗議活動を通して自分たちと同じサイドにいる人々を「包摂」していこうという動きの例である。例えば上の2つの例では「香港人」というラベリングが再定義され、彼らは香港人というラベリングに「包摂」されるようになっている。

●分断による排除と融和による包摂:香港の抗議活動が行き着くところ

 香港の抗議活動は従来あり得なかったことを起こし、これまで交わらなかった様々な人に語りとコミュニケーションの機会を与えてきた。私自身、抗議活動がなければ異なる意見を持つこれだけ多くの人と香港の未来について語ることはなかっただろう。そしてその新しい交流の機会によってお互いへの理解が深まれば関係性やアイデンティティーも再編成されていく。一方で先述の通り、香港の抗議活動にはコミュニケーションを奪っている側面もある。

 二面性を持つ香港の抗議活動。こうした社会運動は、人間関係を流動化させる。これまであった人間関係が分断される一方で、これまでになかった関係性が築かれ、時にこれまで対立していたものが融和していく。こうして人々は自他の立ち位置を見直し、時にその立ち位置を大きく動かしていく。それらを象徴しているのが「黄」や「青」、そして「香港人」といったラベルなのだろう。

 分断による排除と融和による包摂が繰り返される中、区議会議員選挙後の香港はどんな未来を描いていくのだろうか。
石井 大智

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