Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/c7a84ee3433f26933e5861f9c922a02d68560885
2021年1月16日、エベレスト(8848m)に次ぐ世界第2位の高峰、K2(8611m)が初めて冬季に登られた。世界には8000m峰が14山あるが、K2をのぞく13山はすでに冬季にも登られている。「K2冬季登頂」は、ヒマラヤ登山に残された数少ない大物課題のひとつだったのである。 【写真】「非情の山」K2の冬季初登頂に成功したネパール人チーム&1954年のK2登頂成功の写真も(全9枚) K2は標高こそ世界2位だが、登山の困難度ではエベレストをはるかにしのぐ。これまで山頂に立った人の数はのべ400人弱。1万人ほどが登っているエベレストと比べると、わずか25分の1にすぎない。 一方で死亡率(死亡者数/登頂者数)は高く、これまでの統計によれば23%ほどにものぼる。ほかの多くの8000m峰では10%以下であるのに対して、K2での死亡率は際だって高い。「最難の8000m峰」といわれるゆえんは数字でも裏付けられている。
冬のK2は風速50m/s、気温-50℃
しかも以上は、主に通常登られる夏のシーズンでの話である。 冬のK2では、風速50m/sの風が吹き荒れ、気温は零下50℃ほどにも達するという。夏に比べて気象条件ははるかに厳しい。であるだけに、「人類がどこまでできるのか」を試す場として、30年以上にわたって屈強な登山家が挑戦を繰り返してきた歴史がある。それでも、これまでの最高到達点は標高7650mにとどまっていたのである。 K2の世界最年少登頂記録(2006年/21歳)を持つ青木達哉はこう語る。 「冬のK2なんて想像しただけで苦しいです。武者震いする余裕もないくらい厳しい登山になるでしょうね。クライマーとしては失格発言になりますが、できれば自分はその場にいたくないと思うほどです」
「“オール”ネパール人」という大きなニュース
さて、K2の冬季登頂が果たされたというだけでも登山界では大きなニュースだったわけだが、もうひとつの大きな、いや、むしろ、冬季登頂よりも大きな意味が今回の登山にはあった。 それは、登頂したのが、シェルパを中心とした“オール”ネパール人チームだったことである。 登頂メンバーは計10人。ニルマル・プルジャ率いる6人と、ミンマ・ギャルジェ・シェルパ率いる3人、そしてソナ・シェルパ1人である。彼らはそれぞれ別のチームで登山活動を行なっていたが、最終段階で協力し合い、10人で同時に山頂に立った。山頂直下で10人がそろうのを待ち、ネパール国歌を歌いながら山頂に立ったという、なかなか熱いエピソードも伝わっている(ニルマル・プルジャが投稿した登頂のシーン:https://twitter.com/nimsdai/status/1353269945254162432)。 シェルパというのはネパールの民族、シェルパ族のことで、エベレストの山麓に住む彼らは、長年、ポーターやガイド役としてヒマラヤ登山に貢献してきた。エベレスト初登頂者として歴史にその名が刻まれているテンジン・ノルゲイもシェルパ族である。 標高3000m前後の地に暮らし、日々高地トレーニングをしているような環境で育った彼らは、高所で抜群の強さを発揮する。
「ギャラも出ないのにわざわざ山に登る意味はない」
2001年に冬のローツェ(8516m)にトライしたことのある山岳ガイド、花谷泰広は、ローツェで一緒に登ったシェルパについて、自身のYouTubeチャンネルでこのように語っている。 「それまで僕のなかでイメージしていた『人間の枠』を彼があっさりと打ち壊した。人間って、こんなに強くなれるんだと感じたのを覚えています」 当時の花谷は25歳。体力面では絶対の自信があったころだが、まったくかなう気がしなかったという。 だが、シェルパにとって登山は、趣味でもなければ自己表現のフィールドでもなく、あくまで仕事の場。登りたいという人をサポートすることで対価を得ることが目的である。いわば裏方の職人なわけで、彼らは自身で登山隊を率いることはなく、登山家として脚光を浴びることもないというのが、長年の常識だった。 実際、花谷が「それだけ登れるなら、登山隊のサポートではなく、自身がクライマーとして登ったほうがいいのではないか」と聞いたところ、当のシェルパはそれはありえないと即答したという。ギャラも出ないのにわざわざ危険を冒して山に登る意味はないということだ。
「ネパールに怪物あり」8000m峰14山をわずか6カ月で……
しかし近年、そんなシェルパの世界に少しずつ変化が見られていた。サポート役ではなく、自身が主役として登山の表舞台に立つ例が目立つようになってきているのである。 ひとつの例は2017年。世界最強のクライマーと謳われたスイスのウーリー・ステックが、エベレストの難関ルートを計画し、そのパートナーにシェルパの青年を選んだ。ステックとタッグを組むことのできるクライマーなど、世界に何人もいない。その青年、テンジ・シェルパは、ビジネスではなくクライマーとしての価値を求めてステックとエベレストに向かった(ステックの不慮の死によって計画は中断したが)。 衝撃的だったのは2019年。今回のK2の中心人物でもあるニルマル・プルジャが、8000m峰14山をわずか6カ月6日ですべて登ったのである。8000m14山をすべて登った人はこれまで世界に40人ほどいるが、そのほとんどは達成に10年以上かかっており、最速記録でも7年10カ月だった。プルジャの文字通りケタ違いのパフォーマンスは、「ネパールに怪物あり」と世界を驚かせた。 プルジャはネパール人ではあるが、シェルパ族ではない。もともとグルカ兵の山岳部隊でキャリアを築いており、登山に専念するために部隊を辞めたという経歴の持ち主。14山にトライを始めるまで、世界の登山界ではほぼ無名の存在であった。 さらにいえば、今回のもうひとりのリーダー、ミンマ・ギャルジェ・シェルパも、8000m峰を13山登っており、すでに「シェルパ」ではなく「クライマー」として世界の登山界に注目され始めている人物だ。彼は2015年の段階で、アメリカの登山雑誌にこう寄稿している。 「近年、私たちのなかには登山を単なる仕事以上のものと見なし始めている人もいます」
ヒマラヤ高所登山はネパール人の独壇場に?
K2とマカルー(8463m)に登頂経験のある山岳ガイドの松原尚之は、今回のK2冬季登頂についてこのような感想を語った。 「冬季など、あえて厳しい条件のときに登って記録的価値を見出す登山は、今後減っていくのではないかと予想します。今回の登頂は、そうした登山に価値が置かれていた時代の最後を飾るものなのかもしれません」 しかし同時に、これまで「影の実力者」としてささやかれてきたシェルパがついに表舞台に立つ時代の幕開けになったともいえる。 マラソンがアフリカ勢に席巻されたように、ヒマラヤの高所登山はネパール人の独壇場になっていく可能性もある。シェルパたちが持ち前の体力に先進的なクライミングテクニックとクリエイティビティを備えたとき、いったいどんな登山が展開されることになるのか。――それこそ「人間の枠」を超えた登山になるはずだ。
(「クライマーズ・アングル」森山憲一 = 文)
0 件のコメント:
コメントを投稿