Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/01b3550580ef5911779a42b3610345278957ea14
すっきり出して、流せば終了。しかし「トイレ」も「排泄物」も、じつは知らないことだらけです。まず、たかが排泄物などと、甘く見てはいけません。その処理は切実な問題だからです。実際、40億人がトイレのない生活を送り、それがもとで命を落としています。一方で排泄物を飲用水に変える、世界最先端技術も登場しています。ジャーナリストの神舘和典氏と、文藝春秋前副社長で編集者の西川清史氏があらゆる疑問を徹底取材し、上梓したルポ、『うんちの行方』を一部抜粋・再構成して紹介します。
開発途上国では、トイレの不衛生、あるいはトイレがないことによって感染症にかかり、多くの人が命を失っている。 そんな開発途上国の状況と本気で向き合っているアメリカの経営者がいる。ソフトウェアの世界的企業、マイクロソフトの創業者、ビル・ゲイツだ。彼は開発途上国の死者数を減らすために、約2億ドル(約210億円)の資金を投じて新しいタイプの汚水処理装置を開発した。 ■NETFLIXで明かされた2億ドル投資
そのプロセスは、アメリカの動画配信サービス、NETFLIXのドキュメンタリー番組『天才の頭の中 ビル・ゲイツを解読する リミテッドシリーズ パート1』で見ることができる。 「第3世界では水で死に至る」――『ニューヨーク・タイムズ』の記者、ニコラス・クリストフが書いたこの記事がきっかけで、ビル・ゲイツはトイレの問題に本気で取り組むことになった。 番組内の解説によると、世界には自宅にトイレを持たない人が40億人以上いる。アフリカ、南アジア、中南米には、屋外で排泄をせざるをえない地域が少なくない。
アフリカはとくに深刻だ。下痢によって年間300万人が命を失っている。幼い子どもの状況はとくにひどく、その12%が5歳の誕生日を迎えることなく息を引き取っているという。 理由は水と排泄物の問題だ。トイレの環境が整っていない地域では、排泄物を流す川の水がそのまま飲用水にされている。しかも、その川で子どもたちは水遊びまでしている。健康でいられるはずがない。 汲み取り式トイレがある村でも、バキュームカーや下水処理施設はない。便器のまわりは汚れ放題。そこで排泄をする人はほとんどいない。屋外のほうがまだましなのだ。『天才の頭の中』では、屎尿で汚染された川で遊ぶ子どもたちや汚れたままの便器の様子をありのまま映している。
「僕のいる世界では下痢で子どもを失う親など、1人たりとも会ったことがない。そこで不思議に思った。世界は大量にある資源を使って撲滅策を講じているのか?」 ■パソコン寄贈だけでは効果が実感できない ビル・ゲイツは疑問を投げかける。社会貢献として、ビル・ゲイツはマイクロソフトを通じてアフリカに多くのパソコンを寄贈していた。しかし、その効果がなかなか実感できない。 そんないきさつで、ビルと妻のメリンダ・ゲイツが運営する慈善基金団体、ビル&メリンダ・ゲイツ財団は約2億ドルを投じて、途上国の命を救うためのトイレと下水設備の開発を始めたのだ。
では、アフリカに先進国と同じような下水道や下水処理施設をつくればいいのか――。 ビル・ゲイツは思案する。それは、現実的ではない。数百億ドルものコストがかかってしまい、開発途上国には普及しない。そこで、ワシントン州セドロウーリーにあるジャニキ社のCEO(最高経営責任者)で機械工学士のピーター・ジャニキを訪ねる。 ジャニキ社は軍事用の機密部品をつくっている会社。そこに開発途上国を救うための汚水処理装置の開発を依頼した。ピーター・ジャニキは、最初はとまどったが、ビル・ゲイツの熱意に応え、装置の開発を始める。
「トイレに溜めた排泄物を燃料にできないか?」 「トイレで便を燃やして自己給電できないか?」 「トイレの機能から配管や水をなくせないのか?」 ビル・ゲイツはピーター・ジャニキに、次々と課題を持ちかける。 そして18カ月をかけて、水も電気も使わず、排泄物を溜めるタンクもいらない汚水処理装置「オムニプロセッサー」を開発した。 オムニプロセッサーは次のような装置だ。 (1)ウンチの水分は蒸気にする。固形物は燃やす
(2)自己発電。蒸気エンジンで汚水処理装置に電力を供給する (3)蒸気の水は飲用にする ■排泄物が見事に飲用水に変身 この装置の完成にビル・ゲイツは満足する。5分前にはウンチだった水をピーター・ジャニキから受け取り、ゴクゴクと飲み干してみせる。パフォーマンスだったとしても、なかなかできることではない。真剣さが伝わる。アフリカのダカールの子どもたちが、浄化装置から生まれた水をおいしそうに飲む様子も映される。
オムニプロセッサーの完成をビル・ゲイツは中国の北京で発表するが、もう1つ重要な課題があった。コストだ。 この装置を1台組み立てるには約5万ドル(約525万円)かかる。そんな高額では、アフリカでは普及しない。なんとしても量産体制をつくり、1台500ドル未満にしなくてはならない。それには量産でコストを下げられる製造業者を見つける必要があった。 そこで手を挙げた会社がLIXILだった。 えっ、日本のメーカーじゃないか!
画面の前で思わず叫んだ。番組『天才の頭の中 ビル・ゲイツを解読する リミテッドシリーズ パート1』は次のテロップで終わる。 「2018年11月 世界屈指の製造業者リクシルが――ビルのトイレの量産を発表しました」 2018年11月6日、LIXILはメディアや関係各社に次の見出しのプレスリリースを送っている。 「LIXILがビル&メリンダ・ゲイツ財団とともに家庭用に世界初の『Reinvented Toilet』試験導入に向けパートナーシップを締結」
「Reinvented Toilet」とは、再発明されたトイレという意味。ドキュメンタリー番組で見た広場に置かれた試作品は住宅のように大きい。デザインは施されていなかった。自己発電でウンチを処理し、しかも飲用水もつくるという機能は完成した。しかし、まだ製品化できる段階ではない。そこからのプロセスをLIXILが引き受けるという。実に夢のある事業だ。 ■製品化への第一歩へ LIXILの発表文には、こう書かれていた。「株式会社LIXIL(本社:東京都千代田区、以下LIXIL)は、ビル&メリンダ・ゲイツ財団(以下ゲイツ財団)と世界初の家庭向け『Reinvented Toilet』を開発し、2つ以上のマーケットへ試験導入することを視野に入れた、パートナーシップを締結しました。LIXILは技術、デザイン、商品開発における専門家チームを結成し、世界中の民間企業と協働しながら、試作品のトイレの開発をリードしていきます」
Reinvented Toiletの一刻も早い商品化を、世界中が待ち望んでいる。その一方で、LIXILは、実はReinvented Toilet開発以前に、すでに発展途上国のためのトイレを開発するプロジェクトを行っていて、ゲイツ財団との交流もあった。 Reinvented Toiletに取り組む前、2010年代に入り、LIXILは開発途上国向け簡易式トイレシステム、SATO(サト、SAfe TOilet)の開発にも着手していた。いかに少ない水で、いかにシンプルで、いかに衛生的で、いかに丈夫なトイレを低コストでつくるかというプロジェクトだ。
この件について、グローバルな衛生の解決に取り組むコーポレート・レスポンシビリティ部の長島洋子さんに話を聞いた。 「開発途上国の農村地域などで、安全で衛生的なトイレがないため屋外で排泄している人がたくさんいることはご存知でしょうか。その結果、水源が汚染され、下痢性疾患により毎日約800人の子どもが命を落としていると言われています。女子児童や女性たちは用を足しに行く途中で暴力や嫌がらせの被害にさらされているのです。適切な衛生環境のない学校では、特に生理期間中の女子生徒への影響が大きく、多くの女児が中退を余儀なくされています」
開発途上国には、トイレ環境がないために教育を受けられなくなる子どもまでいるのだ。日本で暮らしていると考えも及ばない現実である。 水洗トイレは、日本では当たり前になっている。しかし世界を見渡すと、下水道の整備や改修ができない地域、敷設が現実的ではない地域は多い。そこでSATO事業がスタートした。 ■虫による病原菌の媒介と悪臭防ぐ SATOの便器は、排泄量にもよるが、約0.2~1リットルの水で洗浄できる。カウンターウエイト式、つまり、排泄物と水の重さで弁が開き、動力を使わずに閉まる方式だ。ハエをはじめとする虫による病原菌の媒介と悪臭を防ぐ。
「ゲイツ財団ではトイレ再開発チャレンジをテーマに、さまざまなトイレプロジェクトを支援しています。簡易式トイレシステムSATOの初代モデルは、バングラデシュでの住民へのヒアリングのもとゲイツ財団の助成を受けて開発され、2013年から販売を始めました。二度目の助成ではSATOの3つの新型モデルのフィールドテストをザンビア、ケニア、ウガンダ、およびルワンダで実施しました。2016年には三度目の資金助成を受け、グローバル展開をさらに加速させています」
ビル・ゲイツがReinvented Toiletの試作モデルを発表した2018年には、LIXILはゲイツ財団から三度の助成を受け、すでに信頼関係が構築されていた。 現在、アフリカのタンザニア、エチオピア、ナイジェリアをはじめ、アジアのインド、ネパール、バングラデシュや、さらに中南米のペルーやハイチなど38カ国1860万人以上の人がSATOのトイレシステムを利用している。 「最初に進出したバングラデシュでは、2019年に事業としても黒字化を達成することができました。収益を上げる持続可能な事業でありながら、社会に貢献できることを実証できたのです。ただ、国や地域によって事情はさまざまで、衛生面における意識にも違いがあります。清潔なトイレがなぜ必要なのかを理解してもらわなくてはいけません。
そのために、多くの現地のパートナー企業や国際機関と協力して活動を進めています。地域の人たちに安全で清潔なトイレの利用を呼びかけ、衛生に関する学習プログラムの実施など、トイレの設置を増やす活動を展開しているパートナーは、ソーシャルビジネスであるSATOにとって重要な役割を担っています」 トイレをつくるだけではなく、現地の人たちの衛生面での意識を高めるための活動が必要だというのだ。 ■「ビジネス」としても成立させる必要がある
そして、社会貢献としてだけでなく、ビジネスとしても成立させなくてはならない。そうでなければ、それぞれの国や地域では持続しない。根付かない。そのために、SATOの各国にいる約40人のスタッフは地域の人たちとのコミュニケーションをはかり、現地に根差した活動になるように働きかけている。 「水まわりや住宅建材のメーカーであるからこそ、LIXILはその専門知識や規模を活用して、2025年までに1億人の衛生環境を改善することを目標にしています。SATOはトイレの普及活動に加えて、手洗いソリューションも始めました。2020年、新型コロナウイルスが世界中で感染拡大するなか、手洗いの重要性が再認識されています。
しかし、トイレ同様、世界人口の40%が家庭で手洗いの設備を利用できない状況にあります。このような環境で暮らす人が、後発開発途上国では人口の75%にも上ります。水道や水や石鹸が使えていないのです。こういった地域の多くはSATOのトイレシステムが進出している地域でもあります。そこで、上下水道が十分に整備されていない地域向けに、少量の水でも使うことのできるSATO Tapという手洗い器も開発しました」
後発開発途上国の人々を救うべくトイレの開発は、今さまざまに展開され、世界に広がっている。 (文:神舘和典、西川清史)
0 件のコメント:
コメントを投稿