<今世紀中に氷河の3分の1が消滅すれば地域住民16億人の暮らしが破壊されかねない、ネパールが旗振り役を担う気候変動問題解決への道>
昨年2月に発表されたある報告書が、国際社会に静かな、しかし確実な衝撃を与えた。題して「ヒンズークシ・ヒマラヤ地域の評価──変化・持続可能性・住民」。この報告書は、世界の二酸化炭素排出量を削減するために今すぐ行動を起こさなければ、ヒマラヤ地域でとてつもない融解が起きると結論付けていた。
「今後、世界全体の平均気温の上昇幅を産業革命前から1.5度に保ったとしても、ヒンズークシ・ヒマラヤ地域の気温は少なくとも0.3度、ヒマラヤ北西部とカラコルムでは0.7度上昇する」と報告書にはある。「温暖化がさらに進めば、生物物理学的および社会経済的に非常に大きな影響を引き起こす可能性がある。生物の多様性が失われ、氷河の融解が進み、水資源の利用が困難になりかねない。いずれも地域住民の生活と福祉に打撃を与えるだろう」
気候変動がヒマラヤ山脈に及ぼす影響をテーマにした研究報告はいくつかあるが、いずれも警鐘を強く鳴らしている。科学的なレポートだけではない。山岳地帯を捉えた写真や動画は、以前なら白く冠雪していたはずのヒマラヤの頂に黒い岩肌が見えている様子を捉えている。
ネパール・タイムズ紙が昨年12月の第2週に撮影した1分間の動画は、急激な雪解けの様子をはっきり伝えていた。「ヒマラヤの山々がアイスクリームのように解けている」と、同紙は表現した。
ネパール政府も国際社会を巻き込む本格的な行動を取ろうとしている。今年4月2~4日には、気候変動がヒマラヤ山脈に及ぼす影響に世界の関心を喚起する目的で、気候変動問題に特化した初の国際サミット「エベレスト対話」を開催する。
サミットのテーマは「気候変動、山脈、そして人類の未来」。ネパール政府はこの場で、ヒマラヤ地域の経済も重要な議題として取り上げたい意向だ。ネパール外務省は、同国に影響を及ぼしている他のグローバルな問題にも対処するため、こうした国際会議を1~2年に1度の頻度で開催することを目指している。
昨年12月にスペインの首都マドリードで開かれた国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議(COP25)では、後発開発途上国(LDC)が先進国に対し、2015年のCOP21で採択された地球温暖化に関するパリ協定に従って気温の上昇幅を1.5度に制限するよう要請。LDCの1つであるネパールも、ヒマラヤへの気候変動の影響を抑制する必要性を呼び掛けた。
水資源の枯渇が農業を直撃
ネパールが国際的な場でヒマラヤ山脈の気候変動による危機を訴える機会は、着実に増えている。2018年12月にポーランド南部のカトウィツェで開かれたCOP24では、ビディヤ・デビ・バンダリ大統領がこう演説した。「ヒマラヤの氷河が解けている。雪を頂いていた山々の岩肌が見えてきた。氷河湖が決壊し、洪水を起こす可能性が高い」。こうした機会にネパールは、速やかな対策の必要性を世界に訴えてきた。
世界の人々が集うエベレストには地球を覆う気候変動の問題が色濃く表れている AP/AFLO
ネパール森林・環境省で気候変動管理部のトップを務めるマヘシュワル・ダカルは「ネパールのヒマラヤ地域には、全く新しい知識が膨大に埋まっている」と語る。「4月に開催される『エベレスト対話』が、この地域の革新的な知識の発見につながれば、気候変動との闘いにも役立つはずだ」
さらにダカルはこう続けた。「ネパールは気候変動の悪影響のせいで、非常に脆弱な国になった。ヒンズークシ・ヒマラヤ地域のような山岳地帯は、世界の大半の地域よりも温暖化が急激に進んでいる。最近発表された報告書でも、この事実が裏付けられている。報告書によれば、世界の平均気温の上昇幅を産業革命以前に比べて1.5度以内に抑えられたとしても、今世紀中には氷河の3分の2が解けてしまう」
ヒマラヤ地域の気候変動は多様な影響をもたらすと、専門家たちは主張する。その影響に最も苦しめられるのは、脆弱な貧困国の国民だという見方も共有されている。
ネパールの首都カトマンズに本拠を置く先住民研究開発センターのパサン・ドルマ・シェルパ所長は、気候変動はヒマラヤ地域で暮らす人々を悲劇的な状況に追い込むと警鐘を鳴らす。「気候の変化があまりに大きいので、いくら対応しようとしてもし切れない」
さらにシェルパは「降雨パターンの変化が山地で農業を営む人々に影響を与えている」と指摘する。これまでと同じ農法では、収穫が落ちる一方だというのだ。「ネパールのヒマラヤ地域の人々の生活を支えているのは、農業と畜産業と観光業だ。その農業を、気候変動による水資源の枯渇が直撃している」
ネパール政府が感じる危機感
国際総合山岳開発センター(ICIMOD)の水資源・気候変動の専門家サントシュ・ネパールは「森林・環境省の報告書は、この国の平均気温は今世紀末までに1.7~3.6度上昇し、降雨量は11~23%増加すると推定している」と言う。「ICIMODの研究は、1980~2010年にネパールの氷河面積が25%消失した可能性を指摘する。氷河と雪解け水は、ヒマラヤを源流とする河川の水量の季節変動を調節する上で、非常に重要な役割を果たしている。ヒンズークシ・ヒマラヤ地域の氷河は今世紀中に少なくとも3分の1が失われると予想され、下流域では水資源確保に深刻な影響が出る恐れがある」
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の「海洋・雪氷圏特別報告書」によると、温室効果ガス排出の大幅削減に今すぐ成功したとしても、今世紀中にはこの地域の氷河の約5分の1が失われるという。問題を放置した場合、氷河の融解は3分の1まで進むと考えられる。もろい生態系や、この地域に暮らす2億5000万の人々、そして下流域の16億5000万人の生活に深刻な被害をもたらすことは確実だろう。
ネパールでは気候変動の影響が広範囲に及ぶはずだ。例えば、川の流れが極端に大きく変化すると、下流域では農業用水や生活用水の確保が難しくなる。洪水と干ばつの両方が多発し、インフラや水力発電が影響を受ける。
さらには、人々の健康、都市生活、観光業などにも影響が拡大していく。そのため「社会への影響は幅広い視野で考える必要がある」と、ICIMODのネパールは主張する。
ネパール政府がこれまで以上に国際的な舞台で問題を訴えようとしているのは、事態が危険なスピードで進んでいるためだ。4月の「エベレスト対話」には、アントニオ・グテレス国連事務総長も招待した。ネパール外務省によれば、この会議では、「適応力・回復力・暮らし」「グリーンエコノミー」「伝統的な知識や自然に基づいた解決策」「変革による解決」などを議題にする予定だ。
ネパールがヒマラヤの気候変動問題解決の旗振り役になるのは初めてではない。2009年にマダブ・クマル・ネパール首相が率いていた政府は気候変動問題を訴えることを目的に、エベレストのベースキャンプで「ヒマラヤを救え」をスローガンに掲げた閣僚会議を開き、10項目の「エベレスト宣言」を採択した。だが程なく政権が交代したため、宣言はお蔵入りになった。
この宣言の第9項にはこうあった。「気候変動がヒマラヤでの雪解けや氷河の融解に与える影響についての研究が不十分であるため、ネパール政府は知識を集積させるためにイニシアチブを取る」
それから10年以上が過ぎた今、この目標に向けた行動が増えてきた。政府関係者らは、ネパールが声を上げる大きな契機となったのは2009年の閣僚会議だったと言う。今年4月の「エベレスト対話」がさらに国際社会を揺り動かし、ヒマラヤを救うための速やかな行動を促すきっかけになることを、彼らは信じている。
<本誌2020年2月18日号掲載>