Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/051ccf74c8ceba5c67f82d022f41f3f481450c27
「見て、いい眺め」。稜線(りょうせん)の風に吹かれて、登山者が眼下の木曽川を指さす。岐阜県加茂郡坂祝町、標高265メートルの城山の山頂に建つ猿啄(さるばみ)城展望台は、登山口から約30分で登れる手頃な山。戦国武将織田信長による東美濃攻略の舞台の一つで、昨年度は約1万2千人の登山者が訪れた。尾根道伝いに関市や各務原市境の山々へも足を伸ばせる。 国指定名勝の木曽川は、坂祝のシンボルだ。山峡を流れる景観は欧州のライン川に例えられ、昭和から平成にかけて和船で川下りをする「日本ライン下り」のルートだった。川沿いを通る中山道は、JR高山線や県道各務原美濃加茂線に姿を変えて町を横断し、今も交通量は多い。 木曽川が氾濫した1983年の9・28豪雨災害の教訓から右岸に高い堤防が築かれ、全長4キロの堤防散策路の日本ラインロマンチック街道ができた。日常生活で木曽川を見る機会は少ないが、酒倉の河川敷に全長約630メートルの遊歩道「木曽川の森散策路」も完成し、川べりでウオーキングやサイクリングなどが楽しめる憩いの場は充実している。 「坂祝は木曽川と調和した町。身近な自然を見直すことでまちづくりに取り組みたい」と話すのは、NPO法人坂祝まちづくり推進機構(通称・スマイル)の佐藤猛理事長(52)。 坂祝で生まれ育った佐藤さんは交通事故で右足のひざ下を失い、義足を着けて生活する。仲間らと同法人を立ち上げ、木曽川の清掃活動や探検などを月1回実施する。「コロナ禍でコミュニケーションが取りづらい時代、顔が見える関係性があることは町の魅力。郷土愛を育み、地元が好きな人を増やしたい」という。 ◆パジェロ製造の遺産継承、EV推進で産官学連携 坂祝を有名にした立役者に、三菱自動車の名車パジェロがある。平成の時代、RVブームの火付け役となり、三菱自動車の子会社パジェロ製造がある坂祝で生産され、1982年に発売後、約324万台を国内外に送り出した。販売低迷で昨夏に生産を終了、同町の本社工場の土地と建物は大王製紙が来年1月に取得する見通しで、製造業の生産拠点として引き続き活用される。 「パジェロ製造の存在は町民として誇りだった。ここで仕事ができて光栄」と語るのは、自動車部品製造の金武産業の金武宗明社長(50)。パジェロ製造の旧山本工場の土地と建物を取得し、自社の本社工場を移転した。創業した71年の当初は三菱自動車の部品を主に製造してきたが、今は複数のメーカーと取引する。 パジェロ製造から中堅の男性従業員3人を管理職社員として受け入れた。「パジェロ製造には『後工程はお客様』というスローガンがある」と、37年勤めた製造課の保浩之課長(56)は言う。自分の受け持ち工程で悪いものは受け取らない、作らない、流さないという意味で、「こうしたものづくりへの精神を、金武産業でも伝えたい」。 自動車整備士をはじめ、自動車に関わる技術者を育成する中日本自動車短大も深萱にあり、キャンパスで約620人の学生が学ぶ。ネパールやベトナムからの留学生は年々増加し、本年度は全体の半数を超える。 走行時に二酸化炭素を排出しない電気自動車(EV)は、世界で脱炭素の流れが強まる中で注目されている。短大ではガソリン車からエンジンを取り外し電気自動車に改造するコンバートEVを製造する技術者育成のプロジェクトに取り組む。名古屋市のベンチャー企業と教育連携を締結し、昨年度から授業を開始した。 町と短大は災害協定を結んでおり、学生寮の隣にコンバートEVの整備車庫を設ける計画を進める。屋根のソーラーパネルで作った太陽光の電力を蓄電し、EV充電器を設置して開放するほか、発電した電力を災害時に学生寮で使用できるようにして避難所として活用する防災拠点構想がある。こうした産官学の連携が迅速に実現できるのは、町民や町で働く人が自動車や製造業に誇りや愛着を感じている証しだ。
岐阜新聞社
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